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オリジナル版 星の王子さま ハードカバー – イラスト付き, 2000/3/10
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- 対象読者年齢9 ~ 12 歳
- 本の長さ133ページ
- 言語英語, 日本語
- 寸法11.18 x 1.27 x 17.78 cm
- 出版社岩波書店
- 発売日2000/3/10
- ISBN-109784001156768
- ISBN-13978-4001156768
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商品の説明
商品説明
本書は、ストーリーの展開を楽しむ意味においては子ども向けだが、むしろ大人向けのメッセージに満ちていて、本来人間には「心の目」が備わっているということを呼び起こされる。その、真実を見ることのできる「心の目」をもって、大切にしていかなければならないモノを感じ取り、それを生かしていくことで人は豊かになれるはずなのだが、さまざまなことに心を奪われ見えなくなっていき、やがて見ようともしなくなる(王子が訪れた星に住む大人たちは点灯夫以外その象徴のようでもある)。
キツネの言葉「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ」は著者からの、大人、そしてこれから大人になる子どもたちへの警鐘なのかもしれない。(加久田秀子)
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- ASIN : 4001156768
- 出版社 : 岩波書店; Illustrated版 (2000/3/10)
- 発売日 : 2000/3/10
- 言語 : 英語, 日本語
- ハードカバー : 133ページ
- ISBN-10 : 9784001156768
- ISBN-13 : 978-4001156768
- 対象読者年齢 : 9 ~ 12 歳
- 寸法 : 11.18 x 1.27 x 17.78 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 8,935位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 8位フランス文学 (本)
- - 36位童話・こどもの文学
- - 143位日本文学研究
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上位レビュー、対象国: 日本
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内藤濯氏による「星の王子さま」というタイトルについては、「星の王子さまとわたし」(文春文庫版がKindleでも読める)の中においても、何故「Le Petit Prince」という原題には無い「星の」という訳を選んだのかについては書かれておらず、名訳であるにもかかわらず、謎のままであるので、他の訳との違いについて、少しだけ述べておきたい。
まず、原題「Le Petit Prince」の邦訳タイトルとしては、
1.内藤濯氏による「星の王子さま」および、この訳が内藤濯氏によるものであることを明記して引き継いだもの
2.「小さな王子(さま)」といった、原題に近いと翻訳者が考えたらしいもの
3.「リトルプリンス」あるいは「プチ・プランス」と、カタカナに開いたもの
大部分は、以上の3つのタイプの、どれかになっている。
まず、1.の「星の王子さま」の場合、
原題には、「星」を表すフランス語、具体的には、フランス語の原典の本文中に使われているのは、「planete」(惑星)、「asteroide 」(小惑星)、「Etoile 」(星・恒星)、拡大解釈して「Ciel」(空)といった語だが、(文字化けする可能性があるので、アクサン記号やトレマを使わなかったが、フランス語を普通に読める方であれば、脳内で記号を追加できると思う)、
これらの語のいずれも使われていないので、日本における翻訳に関しての著作権の失効にともなって、様々な翻訳者が、自分が考えるところの、「正しい」日本語訳を出版することになったという状況がある。
ちなみに、フランス本国では、著作権については、愛国者枠のような特別なものがあるので、フランス語原典の著作権よりも先に、日本での翻訳権がフリーになったという事情がある。
次に、2.の「小さな王子(さま)」という訳は、
内藤濯氏による翻訳を出版している岩波書店が、原題の意味は「小さい王子」であると表明していることもあって、これが正しい訳であると考える翻訳者もいるが、
この訳は、バーネットによる「小公女」(アニメ版だと「小公女セーラ」)の原題が、
「A Little Princess」であることと比較すると、正確なものではないことが容易に理解できる。
「Le Petit Prince」の英訳タイトルは「The Little Prince」であり、不定冠詞ではなく、定冠詞が付いたタイトルである。
バーネットの「小公女」は、主人公であるセイラが、「特定の」王女様のようにではなく、「一般的な」王女様のような、気高い心をもって生きようとする姿を描いたものなので、不定冠詞が付いたタイトルになっているのだが、
サン=テグジュペリの「Le Petit Prince」は、「一般的な」王子さまについての話ではなく、
語り手である飛行機の操縦士が出会った「特別な」王子さまについての話であるため、タイトルに定冠詞が用いられている。
この違いを無視して、「Le Petit Prince」というのは「小さな王子」という意味です、と言ってしまうのは、
日本語には品詞として「冠詞」というものが存在しないし、感覚的に理解しづらいのは仕方がないし、
そもそも「冠詞」というのは、言語としての構成要素としては、「名詞」や「動詞」、それらを修飾して説明するための「形容詞」や「副詞」といったものと比べると、必ずしも必要なものではないので、
日本語においては存在しないだけでなく、「孤立語」である中国語においても存在しないし、
人工言語である「エスペラント」が公式に発表している、エスペラントの使い方のマニュアルにも、
母国語において「冠詞」という品詞を持たない言語の話者は、エスペラントに訳する際には無理して冠詞を使わなくてもかまわない、ということにはなっているのだが、
冠詞を持つ言語で書かれた作品をエスペラントに翻訳するのに必要なので、
「文法上の性別」のような、存在する意味がない不合理なものは無くした上で、定冠詞は1種類だけ残して、
「Le Petit Prince」のエスペラント訳は、
「La eta princo」になっているのだが、
更に、「定冠詞」「不定冠詞」という品詞の存在の前提としての、
「可算名詞」「不可算名詞」という概念が、日本語では希薄なので、感覚的に理解しづらいのは仕方がないのだが、
それでも、「Le Petit Prince」というのは、「小さな王子」という意味です、と言い切ってしまうというのは、
「Le Petit Prince」という、わずか「3語」しかない、原題を構成する単語のうち、
「Petit」と「Prince」との「2語」だけしか訳さずに、これが原題の意味です、と言い切っているわけだから、
これでは、言わば、中学英語で最初の1ヶ月以内に習うであろう、「定冠詞」と「不定冠詞」との違いを理解できていない、と表明しているようなものでしかないので、いかがなものかと思わざるを得ない。
最後に、3.の「リトルプリンス」のように、カタカナに開くものについては、
山本庸一郎氏の翻訳では「ル・プチ・プランス」となっているのを例外として、
基本的には、「リトルプリンス」のように、定冠詞を省いた訳になっている。
もちろん、カタカナというのは、「日本語」を表記するためのものではあるのだが、
もしこれが、「英語」で「Little Prince」という、定冠詞も不定冠詞も付いていないタイトルの作品であったとしたら、
タイトルだけから内容を想像する限りにおいては、
良くてスプラッターホラー、最悪でカニバリズムという、子供が読んだらトラウマになるような内容の作品だろうと思う。
何故なら、「Prince」というのは、可算名詞なので、これに定冠詞も不定冠詞も付けずに用いると、
通常は「可算名詞」であるものを、敢えて「不可算名詞」として用いるという用法にあたるので、
例えば、
「私は犬が好きです。」は、通常は「I like dogs.」か、
特定の犬についてであれば、「I like the dog(s).」であるが、
これを敢えて不可算名詞として「I like dog.」と言うと、
「一匹二匹といったかたちでは数えられないような状態になっている犬」、
すなわち、食材としての「犬(肉)」が好きです、という意味になる。
食犬文化がある国が存在するので、これは英語として「正しい」表現であり、
日本語で「私は鰻が好きです。」と言った場合、通常は、食材あるいは料理としての「鰻」(うな丼とか、ひつまぶしとか)について述べているのと同じである。
ちなみに、鰻というのは、「鱗のない魚」に該当するので、宗教によっては食のタブーにあたる場合もあるが、日本では普通に食べられている。
上記の「可算名詞」である「dog」を「不可算名詞」として用いた場合と同じ発想で、
「可算名詞」「不可算名詞」という区別で世界を見ている英語圏の話者にとっては、
「Little Prince」というタイトルからは、
何故、この王子さまは、一人二人というかたちで数えられないようなかたちで記述されているのだろう?
一人二人というかたちでは数えられないような状態になっているのか?
ということを考えさせる可能性があるので、
タイトルだけから想像すると、スプラッターホラー、あるいは、カニバリズムという内容を想像させかねないものになっている。
繰り返しになるが、山崎庸一郎氏の訳だと、「ル・プチ・プランス」と、定冠詞も含めてカタカナに開いているので、このような問題は生じない。
以上の理由から、
1.「星の王子さま」、
2.「小さな王子(さま)」、
3.「リトルプリンス」、という、
3種類の代表的な訳について、それぞれの問題点を見てきたが、
私自身の感覚では、1.の「星の王子さま」か、
あるいは、実際には存在しないのだが、
「ザ・リトル・プリンス」という、定冠詞も付けたかたちで英訳のタイトルをカタカナに開いたもの(フランス語を、そのままカタカナに開いても、意味がわからない方が、英語をカタカナに開いた場合よりも多いと思うので)、といった訳が良いのではないかと感じている。
内藤濯氏が「星の」と訳した理由が書かれているものが、どこにも残されていない以上、私の想像でしかないのだが、
内藤濯氏は、原題にある定冠詞のニュアンス(「あの特別なものとして私が意識している」、小さな王子さま)を、
説明的にではなく、不自然な日本語にならないように、
ある意味で詩的な日本語のセンスによって、
本文中に出てくる、王子さまの特徴を表すものから、「星の」という言葉を選ぶような、
詩人の魂を持っていたのではないかと思う。
内藤濯氏の訳には、誤訳もあるし、文体が古いという人もいるが、
辞書なしでもフランス語で原文を読めて、フランス語のニュアンスまで分かるレベルの方なら理解できると思うが、
元々のサン=テグジュペリの文体自体が、現代のフランス語と比べると古い文体なので、
そういう文体を、現代の人が読みやすいようなかたちで訳すというのは、大体においては、原文の格調までも翻訳するのに失敗することになるので、良し悪しの両面があると思う。
本当にこの作品が好きな方であれば、対訳・解説付きのものもあるので、できればフランス語の原文で読んでみてほしいのだが、
英訳のものでは、Katherine Woods による英訳が、英訳版の「The Little Prince」の古典として、今でもこの訳を求める人が多いように、
邦訳のものとしては、内藤濯氏のものが、古典として親しまれてきたものなので、他の翻訳者の訳を読む前に、最初に読む邦訳としては、まず、これから読むのが、私個人としては、お薦めである。
どの邦訳が良いかについて書かれているサイトも複数あるが、そういうサイトでの書き手が、
フランス語でのニュアンスまで分かるレベルで、訳の正確さについて判断できるのか?
(東大の大学院を修了しているような翻訳者であっても、「Le Petit Prince」というのは「小さな王子」という意味だという、中学英語の基礎の基礎レベルで外国語学習の意味を理解できていない・どの言語を使うかによって、世界のとらえ方自体が異なることになるという、異文化理解の基本が分かっていないような翻訳者まで存在しているのに、そういうサイトでのレビューが信用できるのか?)
あるいは、日本語に訳された場合の、日本語表現のニュアンスの違いを、本当に理解できているのか?
といったことは、特に、まとめ系のサイトの場合、一般論として、疑ってかかってもよいと思う。
また、どうせ原文が読めるわけではないし、訳が正確かどうか分からないのだから、誰の訳であっても同じだし、値段が安いものでいい、という考えは、翻訳者に対しても、作品に対しても失礼だし、
対訳付きとか、CD付きといった特別な仕様のものでなければ、値段としては数百円以内の差でしかないのだから、そういう投げやりな考えで選んでも、結局は作品自体を十分に楽しめないのではないかと思う。
ある訳に満足できなくて、他の訳を求めるにしても、基準になるものが最初に必要になるので、
この内藤濯氏訳の「星の王子さま」は、そういった基準になるものであると思う。
どうして?
なんでかな?
何度読んでもわからない。