いい本に出合うことが出来た。蘭学者の家系に生まれ、蘭学を学んだ大槻文彦は、日本が近代国家になるためには、日本の言葉の体系を確立しなければならないとの信念のもと、粉骨砕身、日本語の辞書、言海の編纂に生涯をかける。経済的には報いられることが少なかった学者生涯だったが、武士魂を失っていない明治人の凛とした気骨を感じさせる人物だったようで、その生き様は「犀の角」のようだ。大槻文彦の偉業は歴史上もっと評価されてしかるべきであろう。
時代背景である戊辰戦争時の薩長軍の東北雄藩にたいするひどい横暴は、本書で初めて知ることばかりであった。本書は学校で教えてくれない歴史を含んでいるという意味でも、評価したい。
作者の高田宏は、あまり知られることのない学者に焦点を当て、よくぞここまで生き生きとその生き様、業績を現代に蘇らせたものだと感心する。
読後、大槻文彦に少しでも習い、老い先短い人生を意味あるように過ごさねば、と襟を正すとともに、明治期の国語学者の苦労に報いるためにも、真面目に古文や国文法を勉強すべきであったと、反省することしきりである。
なお、本書の本筋とは関係がないが、大槻文彦は百人一首(源氏物語も?)は、不義、不倫、浮気を奨励するもので、世のためにならないと考えていたとあり、評者は今まで百人一首は盲目的に良いものだと思い込んでいたが、「なるほど、そういわれればそうだ」と、本書を読んで、大槻文彦の筋の通った考えに納得、共感している次第。
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言葉の海へ (同時代ライブラリー 341) 単行本 – 1998/4/15
高田 宏
(著)
国語の統一は,一国の独立の基礎,近代国家には近代国語辞書が要る-「言海」は明治24年,大槻文彦が,玄沢,磐渓と続く一族の学問と,時代の要請を一身に受けて完成させた.その苦節の生涯を描く感動の伝記文学.
- 本の長さ299ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1998/4/15
- ISBN-104002603415
- ISBN-13978-4002603414
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
国語の統一は、一国の独立の基礎。近代国家には近代国語が要る-日本初の近代国語辞典「言海」をつくった大槻文彦の感動的な生涯を描く。再刊。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1998/4/15)
- 発売日 : 1998/4/15
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 299ページ
- ISBN-10 : 4002603415
- ISBN-13 : 978-4002603414
- Amazon 売れ筋ランキング: - 936,327位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 63,220位歴史・地理 (本)
- - 138,196位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年3月27日に日本でレビュー済み
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2024年5月5日に日本でレビュー済み
本書は、一言語学者、辞書編纂家の生涯を描くことを主題としているようだが、本当のテーマは、「明治国家日本」である。西欧とは異なる発達を遂げ、文明のガラパゴス諸島として、19世紀に放り込まれた島国の民の奮闘の記録として読むにふさわしい。
その意味では、類書が汗牛充棟かもしれないが、先人の労苦に思いを致すのも悪くはない。大槻文彦の「他書ナカリシヲ信ゼムト欲ス」という声が聞こえてきそうである。
それにしても、草津熱の湯の入浴法の記述は、微に入り細を穿ち、観察家としての文彦の面目躍如たるものがる。
その意味では、類書が汗牛充棟かもしれないが、先人の労苦に思いを致すのも悪くはない。大槻文彦の「他書ナカリシヲ信ゼムト欲ス」という声が聞こえてきそうである。
それにしても、草津熱の湯の入浴法の記述は、微に入り細を穿ち、観察家としての文彦の面目躍如たるものがる。
2020年4月18日に日本でレビュー済み
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国語辞典、言海の成り立ちについて興味があったが、文庫サイズとはいえ、確かな記述に満足しました。
2020年1月9日に日本でレビュー済み
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このような人物がいたとはこの本を読むまでは知りませんでした。先人の努力と偉業を知り驚いてます。一読をお勧めします。
2018年4月1日に日本でレビュー済み
大槻文彦という人が大きな辞書『大言海』を作った。何と、年齢が66歳から始めた。昭和3年に永眠したのが82歳。当時では長生きした方だ。自分の好きな事に没頭できる人は何歳になっても活力がある。
文彦は幼い時に、洋書調所で英語の勉強をした。その仕方は現代人の私にも参考になった。
どのようにするか。
朝五時に授業は始まる。終るのは夕方7時。一日、14時間の大半を英文の解読と輪講、そして、素読であった。この素読がカギだ。意味もわからなく、とにかく文字を口に出して、読むこと。何回も読んでいくうちに意味が何となくわかる時がくる。
普段、声に出すだけで、偏差値も上がるというデータもある。皆さん、参考にしてみては。
文彦には独特の信念があった。「文は実でなければならず、用であってはいけない」と。中世の公家が嫌いで、なぜなら、公卿は恋歌に熱中して、歌合せで負けたからと言って、憤死する人もいる。恋歌は亡国の兆しだ、と手厳しい。
そして、最も、大事な信念として、「およそ、事業はみだりに起こしてはいけない。思い定めて起こすなら、遂げずばやまじの精神で」と。だから、こんな大辞書が完成できたのかと、納得できた
文彦は幼い時に、洋書調所で英語の勉強をした。その仕方は現代人の私にも参考になった。
どのようにするか。
朝五時に授業は始まる。終るのは夕方7時。一日、14時間の大半を英文の解読と輪講、そして、素読であった。この素読がカギだ。意味もわからなく、とにかく文字を口に出して、読むこと。何回も読んでいくうちに意味が何となくわかる時がくる。
普段、声に出すだけで、偏差値も上がるというデータもある。皆さん、参考にしてみては。
文彦には独特の信念があった。「文は実でなければならず、用であってはいけない」と。中世の公家が嫌いで、なぜなら、公卿は恋歌に熱中して、歌合せで負けたからと言って、憤死する人もいる。恋歌は亡国の兆しだ、と手厳しい。
そして、最も、大事な信念として、「およそ、事業はみだりに起こしてはいけない。思い定めて起こすなら、遂げずばやまじの精神で」と。だから、こんな大辞書が完成できたのかと、納得できた
2013年7月12日に日本でレビュー済み
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①私の母校と、深いかかわりのある大槻文彦の貴重な伝記である。特に「言海」出版までの苦労が、詳しくかつ温かく記されている。
②大分前の出版のため、手に入りにくい書物だったが、リーゾナブルに入手できた。
②大分前の出版のため、手に入りにくい書物だったが、リーゾナブルに入手できた。
2016年2月14日に日本でレビュー済み
維新後の新しい国家にとって法制度や近代国家軍とともに整備が急がれるべきは国語である。その信念に衝き動かされるように、近代的国語辞書『言海』の執筆にひとり邁進していったのが大槻文彦その人です。これは大槻の生涯を追った評伝で、著者は編集者として知られた高田宏。
この書が最初に世に出たのは昭和53(1978)年。私が所有しているのは昭和59(1984年)に出た新潮文庫の初版本です。、今回再読したのは、昨2015年11月に著者・高田宏が鬼籍に入ったという報道もどこかで作用したのかもしれません。
30有余年前にこの書を購入したときの私は英語と格闘していた一学徒でした。国家を背負って日本語と苦闘していた大槻と自分を引き比べるべくもないのですが、それでも言語と真摯に向かい合う彼の姿に自身を重ねてみる誘惑は強く、大いなる魅力を感じたものです。
そして国家の存立と国語の確立の間に厳然と横たわる関係についても目を開かされたことをよく覚えています。
四半世紀以上を経て今回再び手にして改めて感じたのは、言葉との厳しい戦いに臨む大槻の姿もさることながら、それ以前に仙台藩に属する男として、賊軍に身を置いて維新の騒乱を潜り抜けざるをえなかった彼の心中、そして旧賊軍派である彼に辞書編纂の業を託した維新政府の人材登用の才についてです。国家動乱の時代に生きたからこそ、祖国を<一人前にする>という強い信念が彼の中に育ったことは間違いありません。そのことに目が留まりました。
一方、大槻が辞書編纂にいそしむ毎日を妻いよに喜々として語るくだりには、彼が家族から幸福と安寧を確かに得ている様子が伝わってきてほほえましく感じます。そしてだからこそ、早くにその妻や娘を亡くしたことの悲しみも強く迫ってきて、涙を禁じえません。
私たち日本人の国家語の礎の一端が、激動の時代を駆け抜けた一人の男によるものであることを感慨深く思う読書です。
------------------
私が感銘を受けた類書を以下に記しておきます。
田中克彦『 ことばと国家 』(岩波新書)
サイモン・ウィンチェスター『 博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話 』(ハヤカワ文庫NF)
この書が最初に世に出たのは昭和53(1978)年。私が所有しているのは昭和59(1984年)に出た新潮文庫の初版本です。、今回再読したのは、昨2015年11月に著者・高田宏が鬼籍に入ったという報道もどこかで作用したのかもしれません。
30有余年前にこの書を購入したときの私は英語と格闘していた一学徒でした。国家を背負って日本語と苦闘していた大槻と自分を引き比べるべくもないのですが、それでも言語と真摯に向かい合う彼の姿に自身を重ねてみる誘惑は強く、大いなる魅力を感じたものです。
そして国家の存立と国語の確立の間に厳然と横たわる関係についても目を開かされたことをよく覚えています。
四半世紀以上を経て今回再び手にして改めて感じたのは、言葉との厳しい戦いに臨む大槻の姿もさることながら、それ以前に仙台藩に属する男として、賊軍に身を置いて維新の騒乱を潜り抜けざるをえなかった彼の心中、そして旧賊軍派である彼に辞書編纂の業を託した維新政府の人材登用の才についてです。国家動乱の時代に生きたからこそ、祖国を<一人前にする>という強い信念が彼の中に育ったことは間違いありません。そのことに目が留まりました。
一方、大槻が辞書編纂にいそしむ毎日を妻いよに喜々として語るくだりには、彼が家族から幸福と安寧を確かに得ている様子が伝わってきてほほえましく感じます。そしてだからこそ、早くにその妻や娘を亡くしたことの悲しみも強く迫ってきて、涙を禁じえません。
私たち日本人の国家語の礎の一端が、激動の時代を駆け抜けた一人の男によるものであることを感慨深く思う読書です。
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私が感銘を受けた類書を以下に記しておきます。
田中克彦『 ことばと国家 』(岩波新書)
サイモン・ウィンチェスター『 博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話 』(ハヤカワ文庫NF)
2019年8月6日に日本でレビュー済み
日本最初の近代国語辞典「言海」を一人で編纂した大槻文彦の評伝で、興味深く一気に読んだ。
1847年に江戸で生まれた文彦は、蘭学者大槻玄沢の孫に当たり、父盤渓や兄如電とともに学者一家に育つ。幼少の頃から漢文、国文に親しみ16歳で洋書調所に入学したが、一家は仙台に移住することになり英文の勉強は中断となる。世は幕末の混乱時で、一家は東北の大藩で佐幕派の仙台藩で苦労を重ねた。
維新後の1874年に文部省に出仕し、29歳の折上司の西村茂樹から命ぜられたのが近代国語辞書の編纂であった。日本語辞書は明治国家の文化づくりともいうべき大事業で、和・漢・洋に通じる数少ない人物として文彦が編纂者に任じられた。語彙も表記法も揺れ動いていた時代で文法も定まっていない中で、17年間大変な辛苦を経て辞書を完成するが、文部省に提出した草稿はなぜか出版されなかった。文部省との交渉の結果自費出版なら草稿は下賜するとのことで、私財の投入と友人たちの援助を得てようやく「言海」は出版される。「言海」は今日から見れば語数も少なく語源や初出等に疑問がなくはないが、刊行時には好評を博し長く版を重ね、その後の辞書の規範となった。
大槻文彦の生涯に感動することは多いが、特に印象に残るのは次の2点である。一つは「遂げずばやまじ」(玄沢の言葉)の精神で辞書編纂にかけた文彦の執念である。辞書完成寸前にチフスに感染し死の床にある若妻を見舞い自身への感染を恐れる箇所は悲痛だし、火災を怖れるあまり電気は使わず、生涯夜はランプの光で仕事をしていたのは驚きだ。二つ目は良き友人達との交流である。仙台藩の富田鉄之助には若い頃から兄事し自費出版に際しては援助を受けている。また、旧幕府派の人物では、西村茂樹、福沢諭吉等から薫陶を受けるとともに、箕作圭吾や成島柳北とは腹心の友だった。
最近「言海」が文庫本で復刻され入手しやすくなったことを、地下の大槻文彦とともに喜びたい。
1847年に江戸で生まれた文彦は、蘭学者大槻玄沢の孫に当たり、父盤渓や兄如電とともに学者一家に育つ。幼少の頃から漢文、国文に親しみ16歳で洋書調所に入学したが、一家は仙台に移住することになり英文の勉強は中断となる。世は幕末の混乱時で、一家は東北の大藩で佐幕派の仙台藩で苦労を重ねた。
維新後の1874年に文部省に出仕し、29歳の折上司の西村茂樹から命ぜられたのが近代国語辞書の編纂であった。日本語辞書は明治国家の文化づくりともいうべき大事業で、和・漢・洋に通じる数少ない人物として文彦が編纂者に任じられた。語彙も表記法も揺れ動いていた時代で文法も定まっていない中で、17年間大変な辛苦を経て辞書を完成するが、文部省に提出した草稿はなぜか出版されなかった。文部省との交渉の結果自費出版なら草稿は下賜するとのことで、私財の投入と友人たちの援助を得てようやく「言海」は出版される。「言海」は今日から見れば語数も少なく語源や初出等に疑問がなくはないが、刊行時には好評を博し長く版を重ね、その後の辞書の規範となった。
大槻文彦の生涯に感動することは多いが、特に印象に残るのは次の2点である。一つは「遂げずばやまじ」(玄沢の言葉)の精神で辞書編纂にかけた文彦の執念である。辞書完成寸前にチフスに感染し死の床にある若妻を見舞い自身への感染を恐れる箇所は悲痛だし、火災を怖れるあまり電気は使わず、生涯夜はランプの光で仕事をしていたのは驚きだ。二つ目は良き友人達との交流である。仙台藩の富田鉄之助には若い頃から兄事し自費出版に際しては援助を受けている。また、旧幕府派の人物では、西村茂樹、福沢諭吉等から薫陶を受けるとともに、箕作圭吾や成島柳北とは腹心の友だった。
最近「言海」が文庫本で復刻され入手しやすくなったことを、地下の大槻文彦とともに喜びたい。