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行人 (岩波文庫 緑 11-0) 文庫 – 1990/4/16

4.2 5つ星のうち4.2 103個の評価

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妻お直と弟二郎の仲を疑う一郎は妻を試すために二郎にお直と二人で一つ所へ行って一つ宿に泊ってくれと頼む…….知性の孤独地獄に生き人を信じえぬ一郎は,やがて「死ぬか,気が違うか,それでなければ宗教に入るか」と言い出すのである.だが,宗教に入れぬことは当の一郎が誰よりもよく知っていた. (解説・注 三好行雄)
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (1990/4/16)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1990/4/16
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 431ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4003101103
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003101100
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 103個の評価

著者について

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夏目 漱石
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(1867-1916)1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)に生れる。

帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。留学中は極度の神経症に悩まされたという。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表し大評判となる。

翌年には『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2022年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
夏目漱石の弟子の小宮豊隆は、次の様に「行人」と「こころ」とを対象比較しています。「『行人』では、一郎に従えば、罪は他人にあって自分にはなかった。一郎の疑惑と憎悪との対象は、自分ではなくて、他人である。然るに『こころ』では、先生に従えば罪は自分にあって、他人にはなかった。先生の疑惑と憎悪の対象は、他人ではなく、自分である。『行人』の一郎は求めて已(や)まない。一郎には愛が、熱が、ほしくてたまらないのである。然も一郎には、求める相手から、求めるものが、求めるように与えられる事がないのである。然るに『こころ』では、先生は決して求めない。求めたくてたまらなくても、決して求めようとしない。のみならず先生は、奥さんは奥さん流に、私は私流に、精一杯先生を愛しているにもかかわらず、それに感謝は持ちながら、その愛を存分に受け入れようとさえしないのである」そして小宮豊隆はさらに続ける。「この諦めの世界は、そうしてこの求める事
のない世界は、骨に徹するほどに寒い、寂しい世界であるに相違ない。然し人は、一度自分で深切に
この世界の寒さと寂しさとを嘗め尽くすのでない限り、恐らく『それを清め』『それと戦』おうとする事から、真にそれを『ゆるす事』に、移って行く事は出来ないのであろう。少なくても漱石はそれが自分の『道』であると信じて、自分の自己肯定の心を『行人』に於て、ぎりぎりの所まで押し詰めたあとで、自分の自己否定の心を『こころ』に於て、ぎりぎりの所まで押し詰めたものに相違ないのである」と。

「こころ」は何度も読み返していた私ではありましたが、「行人」はあまり再読していなかったので、上記の小宮豊隆のことばにたまたま接し、とても印象的でしたので今回「行人」を読みました。変な先入観が入ってしまったかもしれませんが、以下読後の感想です。

この小説の語り手はあくまでも弟の二郎ですが、主人公は上の引用文にもある通り、兄の一郎です。
非常に頭が切れ、大学の教授として自身の研究に身を捧げていますが、自分の学問に絶対を求め、
自身の絶対の視野でまわりも見切ります。揺るぎなく自分に対して自信があるはずなのですが、家族にすら理解されず孤独で、妻との夫婦関係すらうまくいきません。一郎はそのうまくいくはずのものがうまくいかないので、神経が徐々に病んでいきます。小説の中盤までは、家族ともうまくやっていけない孤独な彼を、語り手の弟の二郎も含め、父母や一郎の嫁、そして妹などの家族との関係の、決して
良くない方向へのこの一郎の進展、精神の悪化が描かれます。そもそもこの小説の前半の山場では、兄の一郎が弟の二郎に、兄嫁の貞操を確かめるため、一晩泊りがけで二人だけで和歌山に行くように催促し、二郎は実際にそれを受け、その小旅行に兄嫁と出て微妙な二人だけの晩を過ごします。

圧巻はやはり最後のHさんよりの長文の手紙です。Hは兄一郎と同じ大学の教授で、同僚として一郎とも付き合いの長い人物です。友人を通して、弟二郎もHを知ってます。Hは二郎から、家族一同の願いとして頼まれて、兄一郎をリフレッシュのため伊豆方面への旅に連れていくことになったのですが、その旅先からの二郎に宛てたHの手紙が、まるで探偵小説の最後の種明かしのように、読者に響きます。手紙はHから見た兄の真実の姿と苦悩を余すことなく伝えます。かなり迫力のある内容で、漱石自身が悩みに悩んでいたのだとも思われ切実な気持ちにさせられます。

この手紙の中、一郎はHに語ります。「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」その時の兄さんの顔は、寧ろ絶望の谷に赴く人のように見えましたとHは語ります。そして一郎はさらに、「然(しか)し宗教にはどうも入れそうもない。死ぬのも未練に食い留められそうだ。なればまあ気違だな。然し未来の僕はさて置いて、現在の僕は君正気なんだろうかな。もう既にどうかなっているんじゃないかしら。僕は怖くて堪らない」と、自らを吐露します。

「こころ」の先生も徹底的な自己否定ですから幸せなはずはありません。ですが一郎のようにどこまでも自己を肯定しようとぎりぎりまで行ってしまってもそこには孤独と他者の不理解が歴然としてあり、これも到底幸せには行きつかない。それでは適当に中間を取ればということになりそうですが、その場合は、なにもかもが、いいかげんになり、だらしなくなり、偽善になってしまいます。一般の世の中はむしろそんなものなのかもしれませんが、それをよしとしない限り、やはりぎりぎりの自己肯定とぎりぎりの自己否定の中から、苦しみ抜いた末の解決方法を、見つけるしかないのでしょう。夏目漱石の数々の小説はいつでも漱石自身の血の努力の戦いの繰り返しであるようにすら思えてきます。あるいは漱石は書くことにより、少しは自分の苦しみを一時的にでも和らげたのかもしれません。そしてまた血の苦しみを繰り返し、それを和らげるために新しく書いたのかもしれません。そして最後に私は思います。始めの小宮豊隆の評価はあるものの、行人の一郎も自己肯定だけの行き着く先には幸福はないということを気づいていたのだと。Hの存在やお貞さんの存在と、彼らに対する一郎の態度がそれを匂わせます。何よりも「これではだめだ」と切実に悟ったのは漱石自身でしょう。既に漱石の「則天去私」が見え隠れしてるように思います。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年6月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
☆夏目漱石 行人 読書感想文

カルチャーセンターで、村上春樹と対比で読んでみるという講座があり、そこで扱う小説の中の一冊です。予習という意味で、感じたことをアウトプットしてみたいと思います。

この物語は新聞の連載小説という事でしたが、ヤマ場が二か所あるように感じました。
兄・弟・嫂(兄嫁)という関係である一郎・二郎・お直を中心に、その家族と友人の心の有り様とその絡み合いが夏目漱石特有の絶妙な文体で描かれています。
その当時の読者は次の新聞掲載が待ち遠しかったに違いありません。
(兄)一郎が、(弟)二郎に「それでは打ち明けるが、実は直の貞操をお前に試してもらいたいのだ」と言う所から、一家の旅先での"何かが起こる感"がどんどん膨らんでいきます。"ドキドキ感"も増して、そこには男と女という色の香りをも読者に想像させます。
しかし、単純な男女間の構造ではなく、一郎の異常といえるほどの思考回路が、関わる人全ての心情に影響を与えているのです。
二郎とお直が宿泊する羽目になった宿の部屋で、明かりが嵐の影響で突然消え、二人きりのその空間での出来事・会話のやり取りが最初のクライマックスです。
それから、その旅行から帰ってからそれぞれの登場人物の心の変化ともつれ合いは興味深く展開していくのですが、最後の章の「塵労」で一郎の精神分析を行うべく二郎に頼まれたH氏が、その旅行に連れ出すのに成功し、旅先からとてつもなく長い手紙を送ってきます。
その手紙の内容は最後の章の殆どを占めている量なのですが、一郎の精神状態を心理学的描写で宗教・神まで絡めて書き綴っています。
その文体には迫力があり、漱石が自分の気持ちの内面と葛藤をぶちまけているんじゃないか思えるほどです。
それは漱石の心の告白でもあり、漱石自身執筆中は胃潰瘍とともに精神状態も極限まで達していて、書くことによりバランスを辛うじて保っていたのではないでしょうか。
物語の構成としては最初の方と後の方とは文体を通して伝わってくる感触が違っていて、統一感がありません。しかし、そのことが物語に、妙にリアルな迫力を与えているという事になっているのかもしれません。
どちらのクライマックスが読み応えがあるのかは、人それぞれだと思いますが、私は最後のH氏からの手紙の部分にのめり込みました。

手紙の中に次のような一郎の言葉が出てきます。
「何も考えてない人の顔が一番気高い」「絶対即ち相対」・「あれは僕の所有だ」・「目的と方便」等々。
言葉の持つ本質をくみ取るというか探ることは難解です。
精神を病んでいる人の言動ととらえて読み流すのもありですが、あえてその言葉の発生の意味を考えて読むのも面白いと思います。
しかし、よくこんなリアルな言い回しを書くことが出来たなと思いました。当時は心理学の知識や臨床の情報等は今ほど出回っていなかったはずだからです。
漱石自身がそういう精神状態に近かったのかもと、そして漱石の内なる言葉ではないのかと考えてしまいます。
人により感じ方が違うと思うのですが、自分なりに理解したというか感じ取ったのは以下の通りです。

☆「何も考えてない----その顔が一番気高い」
(全ての事に真理があり正解があるはずだ。だが考えても考えても確信をもてる真の答えにはたどり着かない、でもそこで思考を止めることが出来ずにさらに考え続ける。しかし、自分で認めたくはないが何も考えないことの方が考え続ける自分より優位にあるのでは。) と考える一郎がいる。

☆「絶対即ち相対」
(自分が考え抜いた心理が絶対である。その境地に達することができればそこには安心がある。そこに自分は到達したい。この考えは絶対なのだ。全ての物事の上に位置するのが絶対の真理。) と何かにとり付かれたようにその真理にすがる一郎。

☆「あれは僕の所有だ」
(唯一、自分の思い通りになる対象。信頼できる、決して裏切らない物。一郎が安心できる物。心を許せる物。) しかし、悲しいかなそれは人ではない。一郎は人との交わりを持てない。他者が存在しない。H氏はそのことはつまり、物から支配されいるというでもあり、それが一郎の思考を上回る支配であるならば、思考の支配から一郎を切り離すことが出来るかもしれないと言う。

☆「目的と方便」
(理屈が通ってない考えは自分にはできない。それをすることは苦しい) H氏は目的がなくてもそれを行う事に意味があるのではないかと言うが、一郎は目的がない行いは意味がないという思考しか持ち合わせていない。

以上は読みながら頭に浮かんだことですが、物語との対話というか思考のキャッチボールを行いながら読むのも面白いのかなと思います。

「死ぬか気が違うか宗教に入るかしかない」という一郎の言葉がありますが、死ぬことも出来ず宗教にも入り込めないことを明かし、気が違う事しか今の苦しみから逃れる方法はないのだというのです。
完全に自分の思考を信じ切れるならまだ救われるのだけれど、自分を否定することも彼の思考の中にあるのです。一郎の思考回路は相反する回路を同時に所有しているので苦しむのです。どちらか一つに統一できるか片方を切り離すことができれば楽なのですが。
気が違うということは、まったく一つの考えが自分の頭を支配するという事になるのかもしれません。回りの人はそれが「きちがい」だということになるのでしょう。
題名の「行人」ですが、読み方はコウジンもしくはギョウニンと読めます。調べてみるとギョウニンとは修行僧(修行の道を歩む者)という意味がありました。
一郎はまさしく「行人・ギョウニン」の人なのかもしれません。
矛盾する考えを持ち合わせていて生きていく、しかもそれを追求することにとび抜けて明晰な思考回路を持っている。
まさに、「死ぬか気が違うか宗教に入るかしかない」という結論に達してしまいます。
この手紙を読んでいてうすら寒い迫力を感じるのは、書いてる漱石が同じことを考え、悩みながら文面に向き合っているからではないでしょうか。
これは漱石がこころの中の言葉を小説に書きなぐっているのです。(想像ですが)
この小説の終わりの最後の行に書かれているH氏の言葉が、一郎の行人としての苦しい旅のことを憐れみをもって表現しています。
(H氏は一郎がぐうぐう寝ているのを眺めながら手紙の書くのですが。)
「兄さんがこの眠りから永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気がします。同時にもしこの眠りから永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気もどこかでします」と。
余韻の残る、物語の締めくくりの文章として凄く気持ちに残る言葉だと感じました。

余談になりますが、精神を病んでいるような人間がぐうぐう眠るのは場面的に不自然であると当時批評されて、漱石は眠くなるタイプの神経衰弱もあるのだと返しているのですが、自分の臨床経験を、物語に不自然だとわかっていて敢えて書いてみたのは、身をもって体験した事実を入れたかったのでしょう。
通常は、すやすや眠る=心落ち着いた状態 な訳ですから。
(これも注解に書いてありましたが、漱石は奥さんから胃薬として渡された強い作用のある睡眠薬を服用していたそうです。)
この物語の半分は漱石の心のはけ口だったと言える部分だと考えます。

この小説を私たちは当時とはすっかり変わった今の世の中に身を置いて読んでいます。
明治のころとは違い、人はみな基本平等に生まれ、生き方も思想も自由でしかも飽和状態。
当時は知識人の悩みを描いた小説という位置付けだったのでしょうが。
今は、知識人だけではなく誰もが一郎のように心の病とは隣り合わせの生き方を強いられます。
(人の心のつながり方というか関わり合い方は変わっていないのだと思いますが。)
一郎の発する言葉のなかで「人間の不安は科学の発展からくる。・・・・」というのがありますが、文明開化の以前は人は汗水流して働き、その日を充実した気持ちで終わり明日につなげる。あるいはそんな高等なこと考える余裕すらなく、生きていくので精一杯だった。ということなのかもしれません。
(アマゾンに住む原住民が、考えすぎて精神を病んでいるというのは想像ができないというのと同じ)
そういうところから考えて見ると、一郎が文明の発達とともに人の不安も増えてくると言うのは理解できます。
当時の知識人といわれる人が、新聞を買ってどんなことを考えてその連載小説を読んでいたんでしょう。(余談ですが、当時は高等遊民という言葉があったそうです。ちなみに下等遊民というのはありません。何が高等なんだろうと思うのですが。)

ここからは超私感になります。
一言でいい現わすと、一郎の考えは他者不在なのです。
一郎の考えの中に他人の気持ちは存在しません。それでは人と交わることはできないのです。
彼はまず最初に思考があり、その思考が完成しないと実際の行動には移せません。
しかし、人の思いというものは、まず相手がいてその相手のこころに反応して自分の気持ちも変化・対応して行くものなので、いくら考えぬいても一郎の答えは正解ではありえないのです。
一郎の思考は欠陥があるのです。
大事なものが大きく欠落しているとも言えます。

結局、考え過ぎるのはよくないということなのでしょうか。人は良くなろうとして色々な知識なり道徳なりを自分の中に取り入れようと努力するけれども、結局は本来持っている真っすぐで正直な気持ちには勝てないのかなと思いました。
素晴らしいことをいう人よりも、自然体の自分をさらけ出している人が素晴らしいと思う時もあります。
しかしながら、過ちを修正し正しいことを学習していけるのも人間です。
魚でいえば天然ものか養殖ものか。
書評でいえば難解な文章の集まりの提示か、かみ砕いた呑み込み易い説明か。

何を言っているのかわからなくなりました。
一郎のように考え過ぎないうちに終わりたいと思います。
とりとめのない雑文をご容赦ください。
22人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年12月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最後の手紙の一郎とHが旅をし、一郎の心の中が明らかになっていくパートでは、美しくって、切なくって、それでいて幸せなようでなんだか泣けてくる今まで味わったことのない感情になり、やはり漱石はすごい!!と感じました。
夏目漱石の描く女性たちは、日本人女性特有の奥ゆかしさと芯の強さと艶かしさが溢れてて、それでいてとても魅力的で大好きです。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2023年5月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
主人公二郎の兄一郎が、知識人が故の悩みに取りつかれ、神経を疲弊させるが、友人のKとの旅行で悩みに対して或る解決策を見出す話。

二郎の抱いていた「科学が人間の進歩を強制する。歩みを止めることを許さない。そこに不安を覚える」というのは現代人も大なり小なり抱いている感覚だと思われる。

そして、二郎は自分の家の下女であったお貞を幸福な女だと言っていた。現代人において、いわゆる下女のような存在はほとんど認められないだろう。各自が自立した生き方を求められている現代において、二郎のような悩みを抱く人は漱石が本書を執筆した当時よりも格段に多いと思われる。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年12月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この小説の冒頭で、兄の一郎は弟の二郎に対して驚くべき提案をします。愛する妻の「節操を御前に試して貰いたい」と…。旅先の和歌山での一夜、妻は二郎に涙ながらに訴えます。「兄さんの性質位妾(あたし)だって承知している積です。妻(さい)ですもの」と…。「貴方何の必要があってそんな事を聞くの。兄さんが好きか嫌いかなんて。妾が兄さん以外に好いている男でもあると思っていらっしゃるの」
この時点では、どのような事が起こっても妻である自分だけは夫を支えられると信じていたけれど…・
その後も兄の体調は悪化の一途をたどります。ある寒い晩、二郎の下宿に突然兄嫁が訪ねて来ます。これまでは決して口を開かなかった夫婦間の問題を彼女の方から積極的に打ち明けました。「人間だから何時どんな病気に罹らないとも限らないから」と夫の神経の変調を運命として甘んじて受け止めているように。
お互いに夫婦として愛し合いながらも心の底から理解しあえない苦しみ、これをどう乗り越えればよいのか?現代に生きる私たちにこそ身近な問題だと思います。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2017年6月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
愛とは、疑うことでしょうか。

愛されたい、受け入れて欲しいという願いは、誰もが持っている欲求だと思います。

しかしながら、愛は永遠ではないかもしれないけど、継続して愛し続けることはできるし、その努力は、それまでの愛とは違った感じかもしれませんが、それでも愛なんだ、と思います。

中学の時に読み、大人になってから、読み返しましたが、夏目漱石が書いた小説のなかでも、とても好きな作です。
オススメです。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2014年10月19日に日本でレビュー済み
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先に「こころ」を読んでしまいました。「彼岸過ぎ迄」も購入したので、再度読み返してみます。本の中身はきれいでしたが、色やけしていてずいぶん古いものだと感じました。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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