本書には、小林多喜二の「独房」と「党生活者」の2つの作品が収録されています。
とくに、「党生活者」は多喜二が晩年(といっても20代後半)、特高警察の追跡から逃れながら、労働運動の指導者として走りまわる過酷な日々を描いています。そんな日々のあとで、警察に捕まり拷問死させられた天才作家は、わずか29歳でこの世を去ります。本書と併せて、「オルグ」「地区の人々」「一九二八・三・一五」などの作品を読むと、労働者のために戦い続けた多喜二の「熱さ」を知ることができるでしょう。
それにしても、この天才が生きていたら、私たちはどんな素敵な作品を読むことができたのか、それを思うと残念でなりません。
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独房・党生活者 (岩波文庫) (岩波文庫 緑 88-4) 文庫 – 2010/5/15
小林 多喜二
(著)
監獄より愛をこめて! 俺は南房階上No.19の共犯番号セ-63、さて囚人いかに生くべきか。笑い満載のオムニバス「独房」と、伏字に削除でまさに満身創痍の遺作「党生活者」。1930年代、大弾圧下の共産党員は、出獄後も工場へ隠処へ街頭へ――苛烈な日々は危険が一杯。闘う多喜二の東京小説。(解説=蔵原惟人・小森陽一)
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2010/5/15
- ISBN-104003108841
- ISBN-13978-4003108840
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2010/5/15)
- 発売日 : 2010/5/15
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 240ページ
- ISBN-10 : 4003108841
- ISBN-13 : 978-4003108840
- Amazon 売れ筋ランキング: - 430,479位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2013年4月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『党生活者』
小林多喜二の描く共産党員の非合法な生活。共産主義自体が禁止されていない現代ではなかなか想像しがたい当時の空気感のようなものがひしひしと伝わってきた。小説とはいえ彼の実体験に基づいた話であり、リアリティのある描写が印象的だ。1930年代の日本で共産党員として活動するということがどういうことか、これを読めばよく分かる。地下に潜る自分を心配してくれる母親の様子を気にかけつつも、自身の思い描く理想のために犠牲を顧みない主人公。彼の想いに触れ、100年ほど前にはこのような考えを持っていた人がこの日本にいたのか、と考えさせられた。共産主義という思想が古びて聞こえる今だからこそ、そこから少し離れたところから当時の活動を見てみると学ぶことも多いのではないか。
『独房』
この作品では『党生活者』に比べて当時の政治思想はあまり表現されず、代わりに独房での生活を皮肉を込めてユーモラスに描かれている。一見するとプロレタリア文学らしくない作品だったが、この点については共産主義者のあいだでも批判があったようだ(後に付されている蔵原による「解説」を参照)。プロレタリア文学らしい作品を求めていた私には少し物足りない作品だった。
「解説」
蔵原惟人による解説は小林の作品に対する評価について学ぶことも多く有益なもので、とりわけ小林の作品には前近代的な要素も含まれているとする論争(「ハウス・キイパア」論争)に関しては個人的に非常に興味をそそられた。2つの作品を読み終えたあと、この解説にも是非目を通してほしい。
小森陽一による解説は、この改版が出された2010年に付け加えられたものだが、私にはあまり面白いものではなかった。この解説に18ページも割かれているものの、その大半は『独房』や『党生活者』からの引用で占められ、解説というよりは要約に近い印象を受けた(これだけ長いと要約とも呼べない気もするが)。まるで、小学生が読書感想文で文字数を埋めただけのような解説、といった印象しか残らなかった。
小林多喜二の描く共産党員の非合法な生活。共産主義自体が禁止されていない現代ではなかなか想像しがたい当時の空気感のようなものがひしひしと伝わってきた。小説とはいえ彼の実体験に基づいた話であり、リアリティのある描写が印象的だ。1930年代の日本で共産党員として活動するということがどういうことか、これを読めばよく分かる。地下に潜る自分を心配してくれる母親の様子を気にかけつつも、自身の思い描く理想のために犠牲を顧みない主人公。彼の想いに触れ、100年ほど前にはこのような考えを持っていた人がこの日本にいたのか、と考えさせられた。共産主義という思想が古びて聞こえる今だからこそ、そこから少し離れたところから当時の活動を見てみると学ぶことも多いのではないか。
『独房』
この作品では『党生活者』に比べて当時の政治思想はあまり表現されず、代わりに独房での生活を皮肉を込めてユーモラスに描かれている。一見するとプロレタリア文学らしくない作品だったが、この点については共産主義者のあいだでも批判があったようだ(後に付されている蔵原による「解説」を参照)。プロレタリア文学らしい作品を求めていた私には少し物足りない作品だった。
「解説」
蔵原惟人による解説は小林の作品に対する評価について学ぶことも多く有益なもので、とりわけ小林の作品には前近代的な要素も含まれているとする論争(「ハウス・キイパア」論争)に関しては個人的に非常に興味をそそられた。2つの作品を読み終えたあと、この解説にも是非目を通してほしい。
小森陽一による解説は、この改版が出された2010年に付け加えられたものだが、私にはあまり面白いものではなかった。この解説に18ページも割かれているものの、その大半は『独房』や『党生活者』からの引用で占められ、解説というよりは要約に近い印象を受けた(これだけ長いと要約とも呼べない気もするが)。まるで、小学生が読書感想文で文字数を埋めただけのような解説、といった印象しか残らなかった。
2010年5月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
プロレタリア作家、小林多喜二。彼を語る上で、その政治的思想と闘争活動を抜きには語れないのは事実です。しかし、彼はそれだけの作家だったのでしょうか。人間とは政治的面だけを見てすべてを語れるものなのでしょうか。
『独房』は刑務所内で主人公が体験する日常的スケッチ集ともいうべき作品です。受刑者という立場の非日常な日常。そのなかで主人公はいくつものユーモラスな光景を見出します。独房のなかにおいても、心はくじけず「笑い」を見出すのです。
『党生活者』において、主人公「私」は生活の、思想のすべてを党の活動(ビラまきなど)に捧げます。党活動にのめりこむ主人公。彼はそのことで愛する女性を不幸にしていることも、また別の女性から愛を向けられていることも目に入りません。党生活者としての彼の熱意、そしてその生活の実状には、一種の滑稽さが漂います。
ユーモアとは人の心の肯定的力です。皮肉とは単なる冷笑ではなく、愛情の表れの場合もあります。小林多喜二という小説家をイデオロギー抜きには語れません。社会(そこには人の心の表れがあります)の暗い面と切り離しては語れないのは事実です。しかし、それだけで彼を語りつくせるわけではないのです。彼の社会を見つめる視線も、文学を通じて社会を変革しようという意思も、その根底にはポジティブな、明るく前向きなこころが流れていたのです。それこそが小林多喜二の小説の力なのです。思想的なものだけに収まらない、人間を見つめ語られる物語の力なのです。
ここに小林多喜二の真の姿があります。生きることを肯定し、生きることにユーモアを見出す「明るい」作家の姿が。
『独房』は刑務所内で主人公が体験する日常的スケッチ集ともいうべき作品です。受刑者という立場の非日常な日常。そのなかで主人公はいくつものユーモラスな光景を見出します。独房のなかにおいても、心はくじけず「笑い」を見出すのです。
『党生活者』において、主人公「私」は生活の、思想のすべてを党の活動(ビラまきなど)に捧げます。党活動にのめりこむ主人公。彼はそのことで愛する女性を不幸にしていることも、また別の女性から愛を向けられていることも目に入りません。党生活者としての彼の熱意、そしてその生活の実状には、一種の滑稽さが漂います。
ユーモアとは人の心の肯定的力です。皮肉とは単なる冷笑ではなく、愛情の表れの場合もあります。小林多喜二という小説家をイデオロギー抜きには語れません。社会(そこには人の心の表れがあります)の暗い面と切り離しては語れないのは事実です。しかし、それだけで彼を語りつくせるわけではないのです。彼の社会を見つめる視線も、文学を通じて社会を変革しようという意思も、その根底にはポジティブな、明るく前向きなこころが流れていたのです。それこそが小林多喜二の小説の力なのです。思想的なものだけに収まらない、人間を見つめ語られる物語の力なのです。
ここに小林多喜二の真の姿があります。生きることを肯定し、生きることにユーモアを見出す「明るい」作家の姿が。
2015年4月6日に日本でレビュー済み
この版は蔵原惟人、小堀陽一両氏の解説を収録し、そこには平野健、荒正人、中野重治、澤地久枝各氏の批評への言及もあって、読む者が読む行為の中にどのような立ち位置を、どのように摂るかという一つの見取り図を示している。また、大家と目される批評家も今となっては偏したとしかいえない粗い視点に縛られているかも明らかにしている。
自らの読みを小堀氏の助けを借りて絞りこんだ者として、特に『党生活者』が「前篇」でしかないことを強調したい。その限りにおいて言えることはあるが、完結していない作品に完結を前提した議論をするのは的外れだ。人物像であれ状況の展開であれ、確定の度合いを弁えて論じたい。また、少なくとも、同じ作家の作品をできるだけ広く見渡して批評したい。
次いで、研究者から小説については常識だと聞いたことがあるが、他の人物を排除して特定人物の「リアルな人格」を批評の対象として絞り込んだり、さらにはそれをめぐる「リアルすぎる」評価を作者への攻撃の中心にすえるのは幼稚だと思う。
多喜二のバランスのとれた、大らかな、ユーモアのある文体と構想に感銘をうけ、こんなにも才能と可能性にあふれた才能が、たった29歳で断ち切られたと知り、残念でならない。
高校の国語教師が独断で準教科書として買わせた国文学史の本で『蟹工船』のタイトルを憶えただけで来たが、今後はできるだけ多くの作品にじかにあたりながら多喜二像を立ちあげて行く。
自らの読みを小堀氏の助けを借りて絞りこんだ者として、特に『党生活者』が「前篇」でしかないことを強調したい。その限りにおいて言えることはあるが、完結していない作品に完結を前提した議論をするのは的外れだ。人物像であれ状況の展開であれ、確定の度合いを弁えて論じたい。また、少なくとも、同じ作家の作品をできるだけ広く見渡して批評したい。
次いで、研究者から小説については常識だと聞いたことがあるが、他の人物を排除して特定人物の「リアルな人格」を批評の対象として絞り込んだり、さらにはそれをめぐる「リアルすぎる」評価を作者への攻撃の中心にすえるのは幼稚だと思う。
多喜二のバランスのとれた、大らかな、ユーモアのある文体と構想に感銘をうけ、こんなにも才能と可能性にあふれた才能が、たった29歳で断ち切られたと知り、残念でならない。
高校の国語教師が独断で準教科書として買わせた国文学史の本で『蟹工船』のタイトルを憶えただけで来たが、今後はできるだけ多くの作品にじかにあたりながら多喜二像を立ちあげて行く。