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富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫) 文庫 – 1957/5/6
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- ISBN-104003109015
- ISBN-13978-4003109014
- 出版社岩波書店
- 発売日1957/5/6
- 言語日本語
- 本の長さ238ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1957/5/6)
- 発売日 : 1957/5/6
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 238ページ
- ISBN-10 : 4003109015
- ISBN-13 : 978-4003109014
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- カスタマーレビュー:
著者について
(1909-1948)青森県金木村(現・五所川原市金木町)生れ。本名は津島修治。東大仏文科中退。
在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935(昭和10)年、「逆行」が、第1回芥川賞の次席となり、翌年、第一創作集『晩年』を刊行。この頃、パビナール中毒に悩む。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚、平静をえて「富嶽百景」など多くの佳作を書く。戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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絵葉書のようにバシッと決まった富士山を「まるで、風呂屋のペンキ絵だ」「恥ずかしくてならなかった」と述べていますが、その気持ちは少し分かる気がします。
また夜のミステリアスな富士や、富士と対照的な月見草の凛とした姿など、繊細な感性や豊かな情感が感じられる描写に、山登りが好きな人なら「うん、そうだなぁ、その気持ち分かるわ」と納得すること間違いなし。
太宰は私生活においてかなりのダメ男だったにも関わらず、女性にめちゃめちゃモテたそうですが、この作品を読むと「ああ・・確かにそうだろうな」と思わず頷いてしまいます。なんというか、女性に対する目線が優しい(もしくは優しいと見せかけるのが、上手い)
10代20代の頃は、太宰治の良さが全くわからず「赤裸々で直截的で、切羽詰まった感じがして読むのが苦しい」と思っていたのですが、ある程度歳を経て、少しずつ理解できるようになった気がします。
自らの苦悩を作品に投影することで、心に痛みを抱える読者の気持ちを代弁し、励まし、上っ面ではない共感を示してくれる優しさが文章の端々から感じられ、読んでいるとだんだん肩の力が抜けて楽になってくる。
太宰治にはもっと長生きしてほしかったなあと今、しみじみ思います。
🗻 魚服記(1933年)
🗻 ロマネスク(1934年)
🗻 満願(1938年)
🗻 富嶽百景(1939年)
🗻 女生徒(1939年)
🗻 八十八夜(1939年)
🗻 駆け込み訴え(1940年)
🗻 走れメロス(1940年)
🗻 きりぎりす(1940年)
🗻 東京八景(1941年)
学校の教科書に載っている「走れメロス」は、久しぶりに読んだ今回もやっぱりダメでした。親友の命がかかっている割にメロスがのんびりしてるのが腹立たしかったし、ラストシーンも私には、とんだ茶番に見えてなりませんでした。
収録短篇のなか、良かったんは、次の三つの作品です。
★「富嶽百景」‥‥‥富士山を誉める文章の上手さに、ぐっと来ました。例えば、次の文章あたり、やるもんだなあ、名人芸だなあと。
《私は、眠れず、どてら姿で、外へ出てみた。おそろしく、明るい月夜だった。富士が、よかった。月光を受けて、青く透きとおるようで、私は、狐(きつね)に化かされているような気がした。富士が、したたるように青いのだ。燐(りん)が燃えているような感じだった。鬼火。狐火。ほたる。すすき。葛(くず)の葉。私は、足のないような気持ちで、夜道を、まっすぐに歩いた。下駄(げた)の音だけが、自分のものでないように、他の生きもののように、からんころんからんころん、とても澄んで響く。そっと、振りむくと、富士がある。青く燃えて空に浮かんでいる。私はため息をつく。》p.61~62
★「駆け込み訴え」‥‥‥冒頭の二行、《申し上げます。申し上げます。だんなさま。あの人は、ひどい。ひどい。はい。いやなやつです。悪い人です。ああ。がまんならない。生かしておけねえ。》p.152 から、尋常でない語り口の巧さ、力強さに、むんずと襟髪(えりがみ)つかまれる作品。読んでる頭んなかに、語り言葉がわんわん響くみたい。秀逸なラスト一行まで問答無用、息もつかせず読まされてしまう。名品と言うしかないっすね。
★「東京八景」‥‥‥太宰治の苦しさ、やりきれなさが赤裸々に綴られています。著者の『人間失格』よりは、この短篇のほうに魅力を感じました。殊に、次の文章が胸に刺さりました。
《私は、その三十歳の初夏、はじめて本気に、文筆生活を志願した。思えば、晩(おそ)い志願であった。私は下宿の、何一つ道具らしい物のない四畳半の部屋で、懸命に書いた。下宿の夕飯がお櫃(ひつ)に残れば、それでこっそり握りめしを作っておいて深夜の仕事の空腹に備えた。こんどは、遺書として書くのではなかった。生きて行くために、書いたのだ。》p.236
個室のベッドサイドのひきだしから
1枚の新聞紙が出てきた。
富士山についての文章が続いていた。
読むうちに引き込まれた。
短いセンテンス。
テンポが良く、リズムが良い。
エッセイではない。
写生文というのが近い。
それにしても観察眼が鋭い。
写生文であって、しかも書き手の気持ちが反映されている。
『読者の投稿のページなのだろうが
この人はすごい人だな』と驚いた。
退院してから調べたところ実は
その新聞は1ページつぶして名作を復活掲載していたのだった。
たまたま私が目にしたのは『富嶽百景』の断片。
すごいはずだ。
さっそくAmazonで本書を購入した。
『斜陽』や『人間失格』は読んでいたが
太宰ファンではない私は『富嶽百景』は読んでいないか、忘れていた。
このころの太宰は精神的にも安定している。
退廃的な感じが全くない。
本書は表題2作を含め、10篇の短編を収める。
『走れメロス』は中学の教科書にも載っているくらいだ。
太宰ファンも、そうでない人にも一読をお勧めする。
良い点。
ワイド版なので活字が大きい。従って読みやすい。
インターネットで書籍を販売する場合
活字の大きさについての情報が是非、欲しい。
同じタイトル、同じ文庫であっても
出版年や版や刷によって活字の大きさが異なることが多々ある。
出品者の方々は活字の大きさをご教示していただけると助かる。
悪い点。
何を考えたのか
この出版社は漢字や仮名の表記を現代表記に改めてしまった。
本書に収められている10篇は
昭和8年から同16年に発表されている。
当時の雰囲気がだいなしである。
薄っぺらな太宰になってしまった。
古典・原典を大切にする出版社ならば
発表当時の表記を温存したほうがいいと思う。
採点結果を見ると、どうしても納得できないことがよくありました。
本当に、作家は、それを意図したのでしょうか?
作家の意図は単純ではないのではないでしょうか?
走れメロスは、分かりやすいかもしれないし、太宰らしくないかもしれない。
作品ごとに別々に読むか、作家ごとまとめて読むかは、その人の好みです。
ただ、複数作品まとめて搭載している本を買うかどうかは、迷うかもしれません。
富嶽百景だけでも価値はあるし、走れメロスだけでも価値はあると思います。
両方好きになる必要はないと思いますがいかがでしょうか。
太宰治の作品は作品ごとにそれぞれ語り口(文体)が異なっている。
これらの作品を一作づつじっくり読みこんでみれば太宰治がいかに稀な才能の持ち主であったかがわかる。
また、井伏鱒二さんの解説が作品についてではなく、井伏鱒二の目を通して見た太宰治を語っているところが興深かった。
軽妙な計算された言葉の運び、明快ながら重きを帯びて響く情緒。
執筆の苦悩でさえ簡潔に調和がとられたこの作品は、太宰が思いをあらたにする覚悟で旅に出た、という甲州御坂峠に滞在した時期を描いている。
富士を眼前に自然に映るうつろな心。触れる心の趣を富士にそそぐ太宰。
社会、生活との折り合いをはかろうと富士と向い合う。こぼれるもの、こぼれないもの。描かれた作品は、社会、生活との折り合いをはかろうとする私にそそがれる。
作品に心をなぞらえる。
返りたい在り方を掬いあげるか、掬いあげてもらうか。善し悪しとは異なる座標軸、後者には温かさを感じる。
作品の最後、向い合ったいっぱいの富士を胸に収め峠をおりる太宰。途中振り返る眼前には富士に重ねた酸漿が映る。
この時期が結婚直前の頃であったことも興をそそり、読後感が温かい。
「素朴な、純粋の、うつろな心に、果して、どれだけ訴え得るか」
飾られた不純の心をどれだけでも持ち得る私は、太宰の作品を追いかけていきたい。