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文芸批評論 (岩波文庫 赤 258-1) ペーパーバック – 1962/1/1

4.1 5つ星のうち4.1 11個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (1962/1/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1962/1/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ペーパーバック ‏ : ‎ 210ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4003225813
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003225813
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 11個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2024年4月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内容、装丁共に良い。
2023年9月14日に日本でレビュー済み
伝統と個人の才能
完全な批評家
批評の機能
批評の実験
批評の限界
宗教と文学
形而上詩人
アーノルドとペイター
パスカルの『パンセ』
ボドレール
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年6月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
エリオットの輪郭がはっきりしてくる。当の本人も言っているように「私は買いかぶられている」との謙遜が、意外とはっきりしてくる。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年10月16日に日本でレビュー済み
エリオットは批評において批評家の個性より伝統の意義を重視する。だがそれは必ずしも無前提に伝統を賛美するものではない。過去は不変の実体としてそこにあるのではなく、過去を見つめる現在の関心に照らされて初めてその姿を顕わにする。したがって「現在が過去によって導かれると同じように過去が現在によって変更される。」

ここには一種の循環があるのだが、現実の自己と他者がそうであるように、現在も過去と対話しながら、他者としての過去を問い直し、同時に自己である現在を新たに形作る。そこに批評精神があり、真の創造がある。過去(他者)と切り離された真空空間における個性などというもの自体が抽象の産物なのだ。

だからエリオットは個性を賛美したロマン主義の意義を認めないし、個性が捉えた印象を「あるがままに表現する」ことを批評の使命と考えた印象批評(例えばウォルター・ペイター『
ルネサンス (中公クラシックス) 』)を否定する。「詩は情緒の解放ではなくて情緒からの逃避であり、個性の表現ではなくて個性からの解放である。」逆説的な言い草だが、伝統との対話の中で自己を問い直す者だけが独りよがりで狭窄な自己の限界を超えられるということだろう。

だがエリオットはすぐ後でこう付け加えてもいる。「個性と情緒を持っている人たちだけが個性と情緒からのがれたいとはどういう意味かわかるのだ。」伝統の重圧を感じることができるのも個性である。その重圧と格闘する中で抽象ではない真の個性が磨かれる。そして伝統もまた新たな生命力を獲得する。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年9月23日に日本でレビュー済み
翻訳がひどい。一読して意味が取れないところがあり原文を当たってみたところ、分かりづらいうえに全然違ったこととも取れる日本語になっている箇所がいくつかある。
原文はそんなに難しい英語ではないし、パブリックドメインなので、辞書を片手にそちらを読んだ方がマシなくらい。
翻訳されたものなら吉田健一訳が素晴らしい。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年5月3日に日本でレビュー済み
10編の文芸批評が含まれている。
前半の6編は、文芸批評というよりは、文芸批評への批評で、批評とは何か、ついて論じている。
文学の創作活動自体が、ある意味では、文芸批評という要素を持っている、とか、
批評とは、作者が表そうとしたことを、再現することではない、とか、
たったひとつの解釈があるということは、大きな勘違いだ、など、興味深い部分が多い。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2010年3月6日に日本でレビュー済み
 まずは第一に詩人であるT.S.エリオットが詩の実作の現場から考えた、文芸批評をめぐる論考と具体的な批評が収録された文庫。順に、「伝統と個人の才能」「完全な批評家」「批評の機能」「批評の実験」「批評の限界」「宗教と文学」「形而上詩人」「アーノルドとベイター」「パスカルの『パンセ』」「ボドレール」の伝十篇を収録している。

 他のレビュアーさんも仰っているように、冒頭の「伝統と個人の才能」は他の論者にもよく取り上げられるものだが、読んでいくと、単なる伝統礼賛ではないことに気づく。エリオットの言う「歴史的意識」や「伝統」は、現在の自分たちのありようや生き方を理解して、よりよくあろう・よりよく生きようとするときに必要不可欠な前提として用いられているからだ。今しか知らないのならば、今さえも十分に知ってはいないこと、自分や仲間しか知らないのなら自分や仲間さえもよく知っていないこと、自分の住む地域しか知らないのなら自分の住む地域すらよく知りえないこと、この類の知恵はイギリス的知性がよく見抜いていると思える。(エリオット自身はアメリカ人だが、ヘンリー・ジェイムスと同様にヨーロッパ的な思考様式を身につけていて、ジョージ・エリオットやジョセフ・コンラッドと同様にイギリス文学者として遇されている。)

 詩人の創作に際してはロマン主義的なある種の「天才崇拝」を斥け、既成のセンティメントの型を熟知した上でセンティメントの新しい型を作り出せることを詩人の功績と見ている。(ここは、マイルス・デイヴィスが「自叙伝」で言っていることと強く共鳴している。)この論考での「個性」は、「天才崇拝」を否定している文脈で斥けられている。

 一方批評については、ロマン主義の批評的展開としての印象批評を斥け、文芸批評が急速に他分野の背景知識を必要としてきたことを跡付け、表現者の伝記的知識を集積した説明的批評を斥ける。そしてエリオット自身が批評の機能として考えたのは、その批評がなかったら詩を読むことで見えなかったつながり・味わえなかった感じ方を気づかせてくれる効き目と、どのような詩がよいものであるかをはっきりさせる基準の二つのようだ。

 そうやって考えてみると、ここでのメタ批評と具体的な批評それぞれが、テクスト間の関係、作家と批評家と読者の関係、具体的な作品の内実などを再考させる気づきに満ちていることがわかる。この文庫は言語学教授が読んでいたものの頂き物だったが、ここで読み取ったことを手がかりにして多くの書物を読むようになった気もする。想定以上に深い思索につながっていく著作だと思う。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2007年12月25日に日本でレビュー済み
彼の有名な論文、「伝統と個人の才能」が収められている。
ここでは、この論文について書いておこう。

エリオットは、詩や作品の価値を決めるのに、個人の才能とか個性とかは重要でないという。
彼にとって重要なのは、文学全体の大きな流れ(伝統)の中に、自分を置いて、その流れに従うことである。

彼は、比喩として、化学反応における触媒を挙げる。
触媒にあたるものが個人の才能や個性であり、反応物質に当たるものが文学の歴史的流れ、生成物が詩や作品である。

だから重要なのは、そうした文学の大きな流れを感じ取る「歴史的感覚」であり、その流れにあったように個性も現れる。
ただし、芸術の本質は「非個性的」である。

彼の理論はかなり極端ではある。
しかし賛成するにせよ批判するにせよ、一度目を通しておくのはいいと思われる。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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