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響きと怒り (下) (岩波文庫) 文庫 – 2007/1/16
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- ISBN-104003232356
- ISBN-13978-4003232354
- 出版社岩波書店
- 発売日2007/1/16
- 言語日本語
- 本の長さ333ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2007/1/16)
- 発売日 : 2007/1/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 333ページ
- ISBN-10 : 4003232356
- ISBN-13 : 978-4003232354
- Amazon 売れ筋ランキング: - 40,783位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年3月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
上巻で示されたエピソードが下巻の第3章の次男ジェイソンの語りによって、
パッチワークのように組み合わさります。ここまで長かった…と余韻に浸る間もなく、
読者は先へ先へと引っ張られていきます。
現実的で打算的ともいえるジェイソンですが、その人生観には共感も覚えます。
ある意味で自分に素直に生きられた長男クエンティンと姉キャディへの彼の憤りは、
奔放でなくとも、兄弟姉妹がいる方にはうなづくものがあると思います。
また、コンプソン一家に長年仕え支えてきたディルシーは一服の清涼剤の役割を担っています。
彼女なくしてこの一家はバランスを取れません。
第四章、また付録で読者はコンプソン一家の最終章を見ることになります。
ただ特に第四章の最後、小説の最後のシーンでのジェイソンの姿には胸をうたれました。
間違った捉え方かもしれませんが、彼なりの覚悟、崩壊する一家への向き合い方が凝縮されている気がしたのです。
『アブサロム、アブサロム!』や『八月の光』、『サンクチュアリ』でもそうですが、フォークナーの作品のラストは何か
非常に心が揺さぶられます。思わず嗚咽が漏れてしまうのです。
長編を読み終わった、という感慨もあるとは思うのですが、名状しがたい力強さ、人間讃歌のようなものを感じます。
これこそ読書の醍醐味かもしれません。
パッチワークのように組み合わさります。ここまで長かった…と余韻に浸る間もなく、
読者は先へ先へと引っ張られていきます。
現実的で打算的ともいえるジェイソンですが、その人生観には共感も覚えます。
ある意味で自分に素直に生きられた長男クエンティンと姉キャディへの彼の憤りは、
奔放でなくとも、兄弟姉妹がいる方にはうなづくものがあると思います。
また、コンプソン一家に長年仕え支えてきたディルシーは一服の清涼剤の役割を担っています。
彼女なくしてこの一家はバランスを取れません。
第四章、また付録で読者はコンプソン一家の最終章を見ることになります。
ただ特に第四章の最後、小説の最後のシーンでのジェイソンの姿には胸をうたれました。
間違った捉え方かもしれませんが、彼なりの覚悟、崩壊する一家への向き合い方が凝縮されている気がしたのです。
『アブサロム、アブサロム!』や『八月の光』、『サンクチュアリ』でもそうですが、フォークナーの作品のラストは何か
非常に心が揺さぶられます。思わず嗚咽が漏れてしまうのです。
長編を読み終わった、という感慨もあるとは思うのですが、名状しがたい力強さ、人間讃歌のようなものを感じます。
これこそ読書の醍醐味かもしれません。
2016年4月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
舞台は、フォークナー作品でおなじみの「ミシシッピ州の架空の町ジェファソン」であ
る。「聖書」や「フォークーロア」に詳しければわかり易いだろうが、懇切丁寧な「訳注」
「主要出来事年表」「場面転換表」が読解を助けてくれる。また、上巻の「コンプソン家
見取り図」や下巻に付録として「コンプソン一族」(著者が本作品発表十五年後に公表し
た)が掲載されており参考になる。しかし、読者としては、まず上下巻を読み通すことで
ある。添付されている資料を参考にせず自分の想像力を発揮して読み込むことだと思う。
読み通すことにより、上巻の複雑性が理解できるし、コンプソン家の崩壊していくさまが
浮かんでくるようになる。作中人物を自分なりに整理できれば、複雑に入れ子構造になっ
ている描写や時間の推移がおおよそわかってくるし、それらを分析しながら読み進めてい
く楽しみも発見できる。
物語の中心は長女キャンザス・コンプソン(キャディ)である。父ジェイソン・リッチ
モンド・コンプソン、母キャロライン、長男クエンティン、次男ジェイソン、三男ベンジ
ャミン(ベンジーともベンとも呼ばれる)そして、黒人使用人一家、夫ロスカス、妻ディ
ルシー、息子ヴァーシュ、娘フロニーと夫ヴァーシュ、息子ラスターである。読者を複雑
にするのは、長男クエンティンと妹キャディの生んだ私生児が同じクエンティンといい、
ジェイソンも主人と息子が同じように呼ばれていることである。また、黒人のヴァーシュ
も二人いる。
年代や人物の年齢も明確ではない。1890年代から1928年までの物語であろう。年齢が明
確に表現されているのは、ベンジャミンとキャディおよび娘クエンティンである。四人の
子供たちは1890年代に生まれていることになる。なお、キャディの結婚式は1910年4月25
日となっている。ちなみに第四章は「復活祭」で黒人たちを含め「特別礼祭」として教会
に集う日曜日である。読者の、洞察力、想像力が必要とされるが、年代や年齢が明確に提
示されなくても読み進めるのに問題ないだろう。
第一章は、「明かりが階段を転がり落ちていく」「おわんがいなくなった」「キャディ
が木のような匂いがした」など、知能的に障害をもって生まれたベンジャミンの「視点」
で「描写」されていく。著者は、言語不能障害者に言葉を表現させる努力をしている。聴
覚、視覚は問題ないが口がきけず、「匂い」で判断し、最後はジャクソンの州立精神病院
に入れられる。外出時は、必ず、花を持つことを好む。例えば、チョウセンアサガオ、野
菊の花、スイセンなど。病気がちである母親キャロラインに代わり、キャディや使用人デ
ィルシーと孫ラスターが面倒をみる。キャディが結婚すると寂しさををうめき声で表現す
る。キャロラインは「私がこれまで犯してきた罪に対する罰」と受け止め、ディルシーは
「とにかく、お前さんも神の子だ」と最後まで擁護していく。夫ロスカスには、「ここに
は運というものがない」とコンプソン家の将来を暗示させている。全篇を通じてベンジャ
ミンは登場し、筆者の彼に対する思い入れが表現されている。最終章でのベンジャミンに
ついての描写は「神」を思わせるような存在を感じさせるようにも思える。
第二章は読者を一番悩ませるところである。1910年6月2日、長男クエンティンが自殺す
る日である。当日の午前8時頃から午後8時30分頃までに至る、本人の意識の流れや無意識
から浮かびあがる無秩序な描写が、目まぐるしく入れ替わる。特に「時間」に関するテー
マを含んでいる。「希望と欲望の墓碑」であり、祖父から父へと引き継がれてきた「懐中
時計」を壊してしまう場面がある。また、「時計屋」で多くの時計が「それぞれ違う時刻
を主張しあっていた」という表現。これらは、「時計世界の破壊」である。打ち砕かれた
時計が、いくつかの時間の入り乱れる描写で進行するこ
とを暗示している。彼は両親の自尊心もあり、一家の財産である草地をゴルフクラブに売
却した金でハーバード大学へいかせてもらう。一方、妹キャディへの思いが強かったのか、
彼女のボーイフレンドや婚約者と嫉妬心から喧嘩をしたり、「君は妹を持ったことがある
のか」という質問を浴びせる。父への発言、「僕は近親相姦を犯しました」という妄想を
抱きながら、「自殺」へと向かう短い時間の中で、現実行動と内面的独白、回想などを複
雑に織り込みつつボストンを移動していく。入水自殺の予知は、友人から「これから、殉
死する前ぶれ役みたいにほっつき歩いて」と指摘されたり、買った「鉄ごて」を橋のたも
とに隠したりなどでわかってくる。回想である父との会話内容は難しい。乱暴に要約する
と、「純粋過ぎるクエンティンが、妹キャディを他人に取られたくないという気持ちで追
い込まれていく。父は、女というものは・・・・・と説明しながら説得していくが、それがま
すますクエンティンを精神的に追い込む結果になったのではないか。クエンティンは今の
時間の精神を維持するために自殺を決行した」となろうか。彼の純粋性を危険視した父は
息子の自殺願望をはやくから察知していたようだ。しかし、クエンティンの自殺の因果関
係はよくわからない。釣りをする三人の少年とパン屋で出会ったイタリア移民の少女の挿
話は、「妹を盗んだ」というテーマを含むキャディへの回想や「無口」なベンジャミンを
意識したものであろう。
第三章は、次男ジェイソンの視点である。第一、第二章と変わって秩序づけられ読みや
すくなる。兄、姉、姪(クエンティン)について、物語上の不明朗だった点が明確になっ
てくる。ジェイソンは、冷酷、狡猾、吝嗇家、ひがみ根性という言葉がすべて当てはまる
人物といっても過言ではなかろう。一家の主を押し付けられているが、財産はなく、兄と
違って大学へ行かせてもらえず、姉キャディへの恨みがあり、学校をサボる姪の面倒など、
不満が鬱積し怒りのはけ口が、母親やベンジャミンそして使用人などへ向かわざるを得な
い状況は理解できる。「兄弟の一人は気が狂って、もう一人は川に身を投げ、、最後の一
人は亭主に追い出され」と自嘲気味に語る。「あんたには温かい血が流れていない」と使
用人からも言われてしまう。しかし、綿相場に手を出し、キャディからクエンティンへ長
年送られてきた養育費をため込み、吝嗇家を思わせる。結局、この金はクエンティンに盗
まれてしまうのだが。自分の「運命」に逆らい「意志」を通してきたが、二つの対立する
力が接近していく。すなわち、「運命」に逆らえなくなったということだろう。
第四章は、使用人ディルシーの視点である。復活祭で子ども、孫とベンジャミンを連れ
て教会へ行く。聖職者の言葉に感銘を受け涙を流し、「はい、イエス様」と叫ぶ。そして、
「始めと終わりを見た」と言う。コンプソン家に仕え「繁栄」と「凋落」の姿を見てきた
ということだろう。教会に行く前に、ベンジャミンが発する「声」の描写はこうなってい
る。「するとベンジーがまたうめき、救いのない声が長々と響いた。それはなにものでも
なかった。ただの音だった。あたかもあらゆる時と、不正と悲しみが、惑星同士の並びの
位置によって一瞬音を発したかのようだった。」彼の口から「神」の声が発せられたので
はなかろうか。教会で祈りを捧げる黒人使用人親子と、病気で臥せっているキャロライン、
盗まれた金をとり返すべく奔走するジェイソン親子が対照的である。
「詩人」をあきらめたが、フォークナーの詩人らしい描写は、第二章、クエンティンと
キャディの兄妹とは思えない場面やキャディのボーイフレンドへの嫉妬心などに表現され
ている。また、フォークナー作品に共通する「川」「水」「丘」などの描写、スイカズラ
の匂い、カエルやコオロギの声などがコンプソン屋敷の田園風景を印象付けている。意識
の流れを、J・ジョイス『ユリシーズ』の一部のように「句読点のない」文章で多く表現さ
れている。また、黒人(黒んぼという表現もある)については、クエンティンやジェイソ
ンからそれぞれの立場で発言させているし、白人対しては黒人使用人を通じて平等に表現
させている。
「響き」は、言葉にならないベンジャミンの「うめき」と「救いのない」声の響きであ
ろうか。天国への道で吹き鳴らされる「黄金のラッパが響かせる栄光の音」かもしれない。
「怒り」はどうだろうか。凋落するコンプソン家への「怒り」の声だろうか。コンプソン
家最後のジェイソンの「怒り」か、見守ってきた使用人ディルシーの「怒り」の声だろう
か。「だまらねーか」「きっと鞭をくれてやる」というディルシーの「声」が響いてくる。
しかし、「運命」としての重荷は軽くならない
フォークナーの難解な心理描写は、訳者の力量と構成力(太字での描写、添付資料など)
で読みやすくされている。
る。「聖書」や「フォークーロア」に詳しければわかり易いだろうが、懇切丁寧な「訳注」
「主要出来事年表」「場面転換表」が読解を助けてくれる。また、上巻の「コンプソン家
見取り図」や下巻に付録として「コンプソン一族」(著者が本作品発表十五年後に公表し
た)が掲載されており参考になる。しかし、読者としては、まず上下巻を読み通すことで
ある。添付されている資料を参考にせず自分の想像力を発揮して読み込むことだと思う。
読み通すことにより、上巻の複雑性が理解できるし、コンプソン家の崩壊していくさまが
浮かんでくるようになる。作中人物を自分なりに整理できれば、複雑に入れ子構造になっ
ている描写や時間の推移がおおよそわかってくるし、それらを分析しながら読み進めてい
く楽しみも発見できる。
物語の中心は長女キャンザス・コンプソン(キャディ)である。父ジェイソン・リッチ
モンド・コンプソン、母キャロライン、長男クエンティン、次男ジェイソン、三男ベンジ
ャミン(ベンジーともベンとも呼ばれる)そして、黒人使用人一家、夫ロスカス、妻ディ
ルシー、息子ヴァーシュ、娘フロニーと夫ヴァーシュ、息子ラスターである。読者を複雑
にするのは、長男クエンティンと妹キャディの生んだ私生児が同じクエンティンといい、
ジェイソンも主人と息子が同じように呼ばれていることである。また、黒人のヴァーシュ
も二人いる。
年代や人物の年齢も明確ではない。1890年代から1928年までの物語であろう。年齢が明
確に表現されているのは、ベンジャミンとキャディおよび娘クエンティンである。四人の
子供たちは1890年代に生まれていることになる。なお、キャディの結婚式は1910年4月25
日となっている。ちなみに第四章は「復活祭」で黒人たちを含め「特別礼祭」として教会
に集う日曜日である。読者の、洞察力、想像力が必要とされるが、年代や年齢が明確に提
示されなくても読み進めるのに問題ないだろう。
第一章は、「明かりが階段を転がり落ちていく」「おわんがいなくなった」「キャディ
が木のような匂いがした」など、知能的に障害をもって生まれたベンジャミンの「視点」
で「描写」されていく。著者は、言語不能障害者に言葉を表現させる努力をしている。聴
覚、視覚は問題ないが口がきけず、「匂い」で判断し、最後はジャクソンの州立精神病院
に入れられる。外出時は、必ず、花を持つことを好む。例えば、チョウセンアサガオ、野
菊の花、スイセンなど。病気がちである母親キャロラインに代わり、キャディや使用人デ
ィルシーと孫ラスターが面倒をみる。キャディが結婚すると寂しさををうめき声で表現す
る。キャロラインは「私がこれまで犯してきた罪に対する罰」と受け止め、ディルシーは
「とにかく、お前さんも神の子だ」と最後まで擁護していく。夫ロスカスには、「ここに
は運というものがない」とコンプソン家の将来を暗示させている。全篇を通じてベンジャ
ミンは登場し、筆者の彼に対する思い入れが表現されている。最終章でのベンジャミンに
ついての描写は「神」を思わせるような存在を感じさせるようにも思える。
第二章は読者を一番悩ませるところである。1910年6月2日、長男クエンティンが自殺す
る日である。当日の午前8時頃から午後8時30分頃までに至る、本人の意識の流れや無意識
から浮かびあがる無秩序な描写が、目まぐるしく入れ替わる。特に「時間」に関するテー
マを含んでいる。「希望と欲望の墓碑」であり、祖父から父へと引き継がれてきた「懐中
時計」を壊してしまう場面がある。また、「時計屋」で多くの時計が「それぞれ違う時刻
を主張しあっていた」という表現。これらは、「時計世界の破壊」である。打ち砕かれた
時計が、いくつかの時間の入り乱れる描写で進行するこ
とを暗示している。彼は両親の自尊心もあり、一家の財産である草地をゴルフクラブに売
却した金でハーバード大学へいかせてもらう。一方、妹キャディへの思いが強かったのか、
彼女のボーイフレンドや婚約者と嫉妬心から喧嘩をしたり、「君は妹を持ったことがある
のか」という質問を浴びせる。父への発言、「僕は近親相姦を犯しました」という妄想を
抱きながら、「自殺」へと向かう短い時間の中で、現実行動と内面的独白、回想などを複
雑に織り込みつつボストンを移動していく。入水自殺の予知は、友人から「これから、殉
死する前ぶれ役みたいにほっつき歩いて」と指摘されたり、買った「鉄ごて」を橋のたも
とに隠したりなどでわかってくる。回想である父との会話内容は難しい。乱暴に要約する
と、「純粋過ぎるクエンティンが、妹キャディを他人に取られたくないという気持ちで追
い込まれていく。父は、女というものは・・・・・と説明しながら説得していくが、それがま
すますクエンティンを精神的に追い込む結果になったのではないか。クエンティンは今の
時間の精神を維持するために自殺を決行した」となろうか。彼の純粋性を危険視した父は
息子の自殺願望をはやくから察知していたようだ。しかし、クエンティンの自殺の因果関
係はよくわからない。釣りをする三人の少年とパン屋で出会ったイタリア移民の少女の挿
話は、「妹を盗んだ」というテーマを含むキャディへの回想や「無口」なベンジャミンを
意識したものであろう。
第三章は、次男ジェイソンの視点である。第一、第二章と変わって秩序づけられ読みや
すくなる。兄、姉、姪(クエンティン)について、物語上の不明朗だった点が明確になっ
てくる。ジェイソンは、冷酷、狡猾、吝嗇家、ひがみ根性という言葉がすべて当てはまる
人物といっても過言ではなかろう。一家の主を押し付けられているが、財産はなく、兄と
違って大学へ行かせてもらえず、姉キャディへの恨みがあり、学校をサボる姪の面倒など、
不満が鬱積し怒りのはけ口が、母親やベンジャミンそして使用人などへ向かわざるを得な
い状況は理解できる。「兄弟の一人は気が狂って、もう一人は川に身を投げ、、最後の一
人は亭主に追い出され」と自嘲気味に語る。「あんたには温かい血が流れていない」と使
用人からも言われてしまう。しかし、綿相場に手を出し、キャディからクエンティンへ長
年送られてきた養育費をため込み、吝嗇家を思わせる。結局、この金はクエンティンに盗
まれてしまうのだが。自分の「運命」に逆らい「意志」を通してきたが、二つの対立する
力が接近していく。すなわち、「運命」に逆らえなくなったということだろう。
第四章は、使用人ディルシーの視点である。復活祭で子ども、孫とベンジャミンを連れ
て教会へ行く。聖職者の言葉に感銘を受け涙を流し、「はい、イエス様」と叫ぶ。そして、
「始めと終わりを見た」と言う。コンプソン家に仕え「繁栄」と「凋落」の姿を見てきた
ということだろう。教会に行く前に、ベンジャミンが発する「声」の描写はこうなってい
る。「するとベンジーがまたうめき、救いのない声が長々と響いた。それはなにものでも
なかった。ただの音だった。あたかもあらゆる時と、不正と悲しみが、惑星同士の並びの
位置によって一瞬音を発したかのようだった。」彼の口から「神」の声が発せられたので
はなかろうか。教会で祈りを捧げる黒人使用人親子と、病気で臥せっているキャロライン、
盗まれた金をとり返すべく奔走するジェイソン親子が対照的である。
「詩人」をあきらめたが、フォークナーの詩人らしい描写は、第二章、クエンティンと
キャディの兄妹とは思えない場面やキャディのボーイフレンドへの嫉妬心などに表現され
ている。また、フォークナー作品に共通する「川」「水」「丘」などの描写、スイカズラ
の匂い、カエルやコオロギの声などがコンプソン屋敷の田園風景を印象付けている。意識
の流れを、J・ジョイス『ユリシーズ』の一部のように「句読点のない」文章で多く表現さ
れている。また、黒人(黒んぼという表現もある)については、クエンティンやジェイソ
ンからそれぞれの立場で発言させているし、白人対しては黒人使用人を通じて平等に表現
させている。
「響き」は、言葉にならないベンジャミンの「うめき」と「救いのない」声の響きであ
ろうか。天国への道で吹き鳴らされる「黄金のラッパが響かせる栄光の音」かもしれない。
「怒り」はどうだろうか。凋落するコンプソン家への「怒り」の声だろうか。コンプソン
家最後のジェイソンの「怒り」か、見守ってきた使用人ディルシーの「怒り」の声だろう
か。「だまらねーか」「きっと鞭をくれてやる」というディルシーの「声」が響いてくる。
しかし、「運命」としての重荷は軽くならない
フォークナーの難解な心理描写は、訳者の力量と構成力(太字での描写、添付資料など)
で読みやすくされている。
2012年6月25日に日本でレビュー済み
下巻は3章は3男のジェイソンが、4章は黒人の使用人ディルシーが主人公。フォークナーは自身が作り上げた長女のキャディーの人物像を愛し、キャディーは、上巻の二人の語り手である長男と次男に限りない愛情を持つ魅力ある人物として描かれている。素行不良で男性関係が乱れているキャディーは、コンプソン家に不名誉と不幸をもたらす存在であると、3男のジェイソンは毛嫌いする。妹キャディーへの愛故に破滅に導かれていく長男は過去に囚われ、3男は現実のみに生き、3男の行動は極めて実務的であるにも関わらず、多くの読者にとっては、キャディーは愛すべき人物で、長男はそれを守ろうとするヒーローで、3男は悪役と受け取られると思われる。これは、フォークナーが、人間愛を物質的なものより高く、その価値観を位置づけたことによるものと思われる。それは、彼のノーベル賞受賞講演で、“作家は心の真実である愛、勇気、希望、誇り、憐れみ、犠牲、忍耐といったものを書くべきである”としていることに一致する。悪役を一手に引き受けている3男は、多少気の毒な役回りだが、怠け者や素行不良で周囲にかける迷惑をまったく顧みない美しい少女に対する厳しい姿勢は、評価に値する南部人の姿勢といえる。これは、妹に対する盲目的な愛のために、南部人の美徳の一つである騎士道精神に溢れる長男が破滅していくのとは対象的で、溺愛する素行不良の“妹を持ったことがある”人間にとっては、キャディーのような人間もまた困りものであるというのは実感するところと思われる。フォークナー自身は“妹を持ったことがない”ので、キャディーを理想化できたのかもしれない。長男と3男の対象的な二人の南部人の比較は興味深い。最後に、ディルシーは黒人英語を使い、工夫した日本語訳がなされているが、原文が、どのような英語になっているかは、以下のバージニア大学のサイトで4章の一部の英文が、フォークナー自らの声の録音で聞けるので試聴を薦めたい。 Faulkner at Virginia, 23 May 1958, The Sound and the Fury
2009年11月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
上巻に比べて読みやすい。(だって語り手がまともな人だから、もある。)
そして丁寧。
作品にコンプソン一族が付録しているからだ!!素晴らしい!なくてもいいけどあったほうが数倍良い!
上巻にある時系列とか、長男移動地図とか、私には不要だ。いや、下巻につけてくれい!と言わずにいられない。
話は最後えーっ!てかんじだ。要するにこれ推理小説でもないし、本当に人の心の中をそのまま書くという、書き手にも、読み手にも、騒然な作業(?)なのだあああ!
絵を鑑賞するみたいに読むのがベストではないかなと。
シンクロしてしまうタイプの読み方の方には適してません。
そして丁寧。
作品にコンプソン一族が付録しているからだ!!素晴らしい!なくてもいいけどあったほうが数倍良い!
上巻にある時系列とか、長男移動地図とか、私には不要だ。いや、下巻につけてくれい!と言わずにいられない。
話は最後えーっ!てかんじだ。要するにこれ推理小説でもないし、本当に人の心の中をそのまま書くという、書き手にも、読み手にも、騒然な作業(?)なのだあああ!
絵を鑑賞するみたいに読むのがベストではないかなと。
シンクロしてしまうタイプの読み方の方には適してません。