水の精霊 ウンディーネ
純粋で無邪気で 美しい少女
騎士と恋に落ち 結ばれ 魂を得て 裏切られ・・・そして───
個人的にはウンディーネは美しいというより 綺麗だと思う
精霊が人間の世界で生きることは難しい
人間という生き物は 何と汚い・・・
でも なんとも綺麗で はかない物語です
大好きな話です

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水妖記―ウンディーネ (岩波文庫 赤 415-1) 文庫 – 1978/5/16
湖のような青い瞳、輝くブロンド。子供をなくした老漁夫のもとにどこからか現われた美少女ウンディーネは、実は魂のない水の精であった。人間の世界にすみ、人間の男と愛によって結ばれて、魂を得たいとねがったのだ。――ヨーロッパに古くから伝わる民間伝承に材をとった、ドイツロマン派の妖しくも幻想的な愛の物語。
- ISBN-104003241517
- ISBN-13978-4003241516
- 出版社岩波書店
- 発売日1978/5/16
- 言語日本語
- 本の長さ165ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1978/5/16)
- 発売日 : 1978/5/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 165ページ
- ISBN-10 : 4003241517
- ISBN-13 : 978-4003241516
- Amazon 売れ筋ランキング: - 502,647位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年12月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
三島由紀夫の『仮面の告白』の中に出てくるのだが、これまで全く知らなかったので一度読んでみようと思い、タイトルを手帳に書き留めておいた。先日アマゾン・マーケットプレイスに1円で出品されていたのを見て、直ぐに取り寄せた。
表紙には「ヨーロッパに古くから伝わる民間伝承に材をとった、ドイツロマン派の妖しくも幻想的な愛の物語」とある。
娘をなくした漁師夫婦に育てられた水の精ウンディーネと騎士フルトブラントの恋物語だ。水の精であるウンディーネはフルトブラントと結ばれ、人間のような魂を得るが、やがてフルトブラントはベルタルダに心変わりすると、ウンディーネは姿を消してしまう。実はベルタルダは亡くなったと思われていた漁師夫婦の娘だった。やがてフルトブラントがベルタルダと結婚すると、水の精ウンディーネは掟に従いフルトブラントの命を奪う。
ウンディーネの由来は、水精をラテン語のunda(波)に基づいてウンディーナ(undina)と名づけたが、ドイツではこれをウンディーネ(Undine)またはオンディーネ(Ondine)と呼び、フランスではオンディーヌ(Ondine)と呼んでいるそうだ。
伝承では、水の精は女の姿をしていて、人間の男に愛され妻になると魂を持つ。夫は水辺でその女を罵ったりすると、女は水中に帰ってしまう。その後別の女を娶ると、水精が夫の命を奪いに現れるという。こんな怖い伝承があって、フーケーはこの『水妖記』に仕立て上げたのだという。オペラやミュージカル、バレエなどにもなっている、ヨーロッパでは良く知られた言い伝えらしい。これまで知らずにいたのが恥ずかしいくらいだ。
岩波文庫は「読まずぎらいしていませんか」と書いている。確かにドイツ文学なんていうと取っ付き難いように聞こえる。しかしそれでも読んでみるべきだ。読んで良かった。こんなに面白い物語が埋もれていた。三島由紀夫に感謝しなければならない。
表紙には「ヨーロッパに古くから伝わる民間伝承に材をとった、ドイツロマン派の妖しくも幻想的な愛の物語」とある。
娘をなくした漁師夫婦に育てられた水の精ウンディーネと騎士フルトブラントの恋物語だ。水の精であるウンディーネはフルトブラントと結ばれ、人間のような魂を得るが、やがてフルトブラントはベルタルダに心変わりすると、ウンディーネは姿を消してしまう。実はベルタルダは亡くなったと思われていた漁師夫婦の娘だった。やがてフルトブラントがベルタルダと結婚すると、水の精ウンディーネは掟に従いフルトブラントの命を奪う。
ウンディーネの由来は、水精をラテン語のunda(波)に基づいてウンディーナ(undina)と名づけたが、ドイツではこれをウンディーネ(Undine)またはオンディーネ(Ondine)と呼び、フランスではオンディーヌ(Ondine)と呼んでいるそうだ。
伝承では、水の精は女の姿をしていて、人間の男に愛され妻になると魂を持つ。夫は水辺でその女を罵ったりすると、女は水中に帰ってしまう。その後別の女を娶ると、水精が夫の命を奪いに現れるという。こんな怖い伝承があって、フーケーはこの『水妖記』に仕立て上げたのだという。オペラやミュージカル、バレエなどにもなっている、ヨーロッパでは良く知られた言い伝えらしい。これまで知らずにいたのが恥ずかしいくらいだ。
岩波文庫は「読まずぎらいしていませんか」と書いている。確かにドイツ文学なんていうと取っ付き難いように聞こえる。しかしそれでも読んでみるべきだ。読んで良かった。こんなに面白い物語が埋もれていた。三島由紀夫に感謝しなければならない。
2014年2月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
オルコットの『若草物語』で次女・ジョーが冒頭で欲しがった本の一冊がこれであるという説を知り、購入しました。
美しいが魂のない水の精霊・ウンディーネが、若い騎士と出会い、恋に落ち、結婚したことにより魂を手に入れます。ここまでは本当に美しいですが、その後が本当に切ないです。
短い物語ですが、とても読み応えがあります。古い作品なのに古さを感じないというのは素晴らしい作品の証拠でしょう。
美しいが魂のない水の精霊・ウンディーネが、若い騎士と出会い、恋に落ち、結婚したことにより魂を手に入れます。ここまでは本当に美しいですが、その後が本当に切ないです。
短い物語ですが、とても読み応えがあります。古い作品なのに古さを感じないというのは素晴らしい作品の証拠でしょう。
2004年5月17日に日本でレビュー済み
読みはじめ、作品世界に入れなくて困ったが、進むにつれてそれは解消された。しかしロマン派の作風が不得手な私は、正直その世界にどっぷりとつかることはできなかった。スーパーナチュラルな現象が起きることではなく、それが前提となっていることが苦手な原因だろう。「ウンディーネひとりを良い子にして、ベルタルダをあんなに浅はかな女に、騎士をあんなに不実な男にしなかったなら、三人の関係はもっと切ないものになったに違いない」との訳者の言葉は正鵠を射ている。ジッドが影響を受けているというのも興味深い。
2011年3月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最高のファンタジー、メルヘン、童話。これに匹敵できる物語はないと断言できる。アンデルセンの人魚姫は足元にも及ばない。
ほとんど哲学小説と呼べるほど深くて、内容が豊穣。悲しいことだが、悪役であるベルタルダの方が説得力があるかも。
だが、誰しも、完全にベルタルダになりきれずにウンディーネ的なところを残すから救われるのだろう。騎士のフルトブラントは、ほとんど存在感がない、二人の女の物語。と言っても、女性のための物語ではない。小説を超えている、超ロマンと呼べる。私は三度読んだが、読むたびに新鮮に感じられる。人生経験豊富な大人こそ、深く読めるのでは。美しく悲しい物語、美しいだけ、悲しいだけの物語はいくらでもある。別訳を参照したいが見当たらない。
ほとんど哲学小説と呼べるほど深くて、内容が豊穣。悲しいことだが、悪役であるベルタルダの方が説得力があるかも。
だが、誰しも、完全にベルタルダになりきれずにウンディーネ的なところを残すから救われるのだろう。騎士のフルトブラントは、ほとんど存在感がない、二人の女の物語。と言っても、女性のための物語ではない。小説を超えている、超ロマンと呼べる。私は三度読んだが、読むたびに新鮮に感じられる。人生経験豊富な大人こそ、深く読めるのでは。美しく悲しい物語、美しいだけ、悲しいだけの物語はいくらでもある。別訳を参照したいが見当たらない。
2020年1月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
初版と内容が違う
改版と気づかずに購入。
ちらと読んでみて
初版の方が好きと思いました。
文章構成?に
なんだか違和感と
読んだ後の読後感に
あまりの差に
初版を思い出し、
内容、原作者の
意思に添った翻訳と
後付けの別解釈的な
改版は
読後威力が違うなと思いました。
改版と気づかずに購入。
ちらと読んでみて
初版の方が好きと思いました。
文章構成?に
なんだか違和感と
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あまりの差に
初版を思い出し、
内容、原作者の
意思に添った翻訳と
後付けの別解釈的な
改版は
読後威力が違うなと思いました。
2016年1月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ヨーロッパの翻訳物の理解が難しいのは地形の違いとイエスかノーと言うはっきりした返事のみで、日本人のように「もう少し」と言う間がないこと。なぜそうなってしまうのか、と言うもどかしさが漂います。切り分けた料理を箸でつまむ種族、料理をナイフで切ってフォークで刺して口の入れる種族の違いなのでしょうか。これを基にしたオンデーヌのバレエの舞台を見るのが好きなのですが、本もバレエも思わずその場にいるような錯覚に陥ります。
2011年3月27日に日本でレビュー済み
これは、男の願望なのか? いや、私だけかもしれない、この世ならぬ女性と恋をすることへの、憧れは。
たまに、いま、現在を生きているかのような語り手が前面に出てくる箇所があった。この作品の一つの特徴だろうか? たとえば、……
親愛なる読者よ。あなたはおそらく、世間でさんざんあちこちと押し流された末、やっと気に入ったところに辿り着いたことがあるでしょう。
とか、
実は、作者にも身に覚えがあって、追憶がその暗い影に触れるのを今なお恐れているのである。親愛なる読者よ。あなたはおそらくこういう気持ちをご存じに違いない。
とか、がそれだ。作者が読者の側に降りてくる、読者に同意を求める気配がある。〈世間でさんざんあちこちと押し流された末〉、とあるから本書の読者として作者は、人生経験を多く積んだ大人を想定しているらしい。もう少し、苦労してから読むと、もっと、味わい深い作品として読めるかもしれない。
その時パッと扉が開いて、目の醒めるような美しいブロンドの少女が、笑いながら滑るように、はいって来て言った。
(略)
フルトブラントはそのやさしい姿に見とれて、可愛らしい顔かたちをしっかりと心に烙きつけようとしている様子だった。
「目の醒めるような美しいブロンドの少女」は、水の精〈ウンディーネ〉。だいぶ、お節介な叔父〈キューレボルン〉のおかげで、彼女は〈フルトブラント〉と結ばれ、魂を得ることになるが……。つづきは、私のレヴューでは紹介しない。マニアックな指摘(トリビア風)をふたつして、私のレヴューを閉じる。
◇その一◇
この世ならぬ女性との恋、が書かれた作品を挙げよ、と言われれば、私は、太宰治「ろまん燈籠」を挙げる。ほかにもたくさん心当たりがあるが、教えない、という事情があるからではなく、たんに、それだけしか思い浮かばないのである。
魔女の娘〈ラプンツェル〉と王子との恋が、描かれている。どのようにか? それも紹介しない。
◇その二◇
フルトブラントの耳には、瀧のザアザアする音がはっきりと、「短気な騎士どの、元気な騎士どの、私は怒らぬ、喧嘩は買わぬ、愛しい嫁ごをいつもそのように守っておやりよ、元気な騎士どの、短気な騎士どの」という言葉になって聞えてきた。
〈キューレボルン〉が父親代わりとなって、〈フルトブラント〉を〈ウンディーネ〉の夫として認めた場面。なんとなくこれって、『古事記』において、スサノヲノ命が、オホクニヌシノ神を、スサノヲの娘スセリビメの夫として認める場面に似ている。ような気がする。
たまに、いま、現在を生きているかのような語り手が前面に出てくる箇所があった。この作品の一つの特徴だろうか? たとえば、……
親愛なる読者よ。あなたはおそらく、世間でさんざんあちこちと押し流された末、やっと気に入ったところに辿り着いたことがあるでしょう。
とか、
実は、作者にも身に覚えがあって、追憶がその暗い影に触れるのを今なお恐れているのである。親愛なる読者よ。あなたはおそらくこういう気持ちをご存じに違いない。
とか、がそれだ。作者が読者の側に降りてくる、読者に同意を求める気配がある。〈世間でさんざんあちこちと押し流された末〉、とあるから本書の読者として作者は、人生経験を多く積んだ大人を想定しているらしい。もう少し、苦労してから読むと、もっと、味わい深い作品として読めるかもしれない。
その時パッと扉が開いて、目の醒めるような美しいブロンドの少女が、笑いながら滑るように、はいって来て言った。
(略)
フルトブラントはそのやさしい姿に見とれて、可愛らしい顔かたちをしっかりと心に烙きつけようとしている様子だった。
「目の醒めるような美しいブロンドの少女」は、水の精〈ウンディーネ〉。だいぶ、お節介な叔父〈キューレボルン〉のおかげで、彼女は〈フルトブラント〉と結ばれ、魂を得ることになるが……。つづきは、私のレヴューでは紹介しない。マニアックな指摘(トリビア風)をふたつして、私のレヴューを閉じる。
◇その一◇
この世ならぬ女性との恋、が書かれた作品を挙げよ、と言われれば、私は、太宰治「ろまん燈籠」を挙げる。ほかにもたくさん心当たりがあるが、教えない、という事情があるからではなく、たんに、それだけしか思い浮かばないのである。
魔女の娘〈ラプンツェル〉と王子との恋が、描かれている。どのようにか? それも紹介しない。
◇その二◇
フルトブラントの耳には、瀧のザアザアする音がはっきりと、「短気な騎士どの、元気な騎士どの、私は怒らぬ、喧嘩は買わぬ、愛しい嫁ごをいつもそのように守っておやりよ、元気な騎士どの、短気な騎士どの」という言葉になって聞えてきた。
〈キューレボルン〉が父親代わりとなって、〈フルトブラント〉を〈ウンディーネ〉の夫として認めた場面。なんとなくこれって、『古事記』において、スサノヲノ命が、オホクニヌシノ神を、スサノヲの娘スセリビメの夫として認める場面に似ている。ような気がする。