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旅の日のモーツァルト (岩波文庫 赤 419-1) 文庫 – 1974/11/18
- 本の長さ159ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1974/11/18
- ISBN-104003241916
- ISBN-13978-4003241912
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1974/11/18)
- 発売日 : 1974/11/18
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 159ページ
- ISBN-10 : 4003241916
- ISBN-13 : 978-4003241912
- Amazon 売れ筋ランキング: - 582,768位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年9月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まるでモーツアルトの歌劇一篇を小説で作り上げたような素晴らしさ。メーリケの天才に驚く。また邦訳の素晴らしさにも驚く。例えば日本語訳72頁”Schließlich, als Mozart mit der Braut den Kehraus tanzte, nahm er sein versichertes Recht auf ihren schönen Mund in bester Form dahin."の[dahin]の[da]は[Mund]だろうけれど、[hinnehmen]するとはどういうことなのだろうといろいろ邪推する。そして[sein versichertes Recht]という表現も非常に意味深く感じる。『ドン・ジョバンニ』のツェルリーナと同じように。両義性を武器にするという女性的な戦法から人間は逃れられないものらしい。その中でモーツアルトは蝶のように飛び続けて見せたと言えるのだろうか? これはニーチェのいう[heilige Spiele]の一つなのかもしれない。
2006年10月30日に日本でレビュー済み
モーツァルトが夫人同伴でプラークへ旅行中偶然ある伯爵家に1泊する、というだけの話です。
詩の好きな方は、まるで音楽を聴いているような時間を過ごせると思います。全体は明るい話なのにどこか暗い。最後の詩が象徴的です。
モーツァルトの音楽が好きな方も、この本を読むと楽しくなったり、死を連想したりするのでは。
長年の愛読書です。
詩の好きな方は、まるで音楽を聴いているような時間を過ごせると思います。全体は明るい話なのにどこか暗い。最後の詩が象徴的です。
モーツァルトの音楽が好きな方も、この本を読むと楽しくなったり、死を連想したりするのでは。
長年の愛読書です。
2011年12月18日に日本でレビュー済み
19世紀ドイツの詩人メーリケ(1804-1875)が、自身が敬愛するモーツァルト(1756-1791)の姿を描き出した芸術家小説。
作中のモーツァルトはオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を上演すべくプラハに赴く途上で、とある伯爵家と近づきその歓待を受ける。
モーツァルトにイタリアはナポリの思い出を語らせる場面がある。青い空、空を映す海、戯れ合う少女たち、弾けるように飛び交うオレンジ。メーリケが描いた明るく清々しい一枚の絵のような光景は、さながらモーツァルトの朗らかな音楽と符合するようだ。
しかしメーリケは、芸術家モーツァルトにデモーニッシュな一面を見出さずにはいない、恰も自分自身の姿を投影するかのように。『ドン・ジョヴァンニ』の最後の場面をメーリケはこう綴る。
"そしてドン・ジュアンはすさまじい我意を通して永遠の秩序に逆らいながら、押し寄せる地獄の軍勢と、負けると決まった闘いをあえてし、身もだえし、のたうちまわったすえについに滅びてゆくのだが、それでいてその一挙手一投足がすべて溢るるばかりの崇高美を浮かべる時、歓喜と不安のために胸の奥まで戦きふるえない者がいるだろうか?・・・。心ならずもわれわれは、いわばこの盲滅法な偉大さに与し、歯がみしつつも、自己破壊の激情にかられて、その苦痛を分つのだ。"
世界と自己との闘争――不可避的に敗北せざるを得ない闘争――に敢然と赴くドン・ジュアンのこのデモーニッシュな在りようが、モーツァルトにそしてメーリケに重なっていく。
"この人[モーツァルト]は速やかに、引きとどめるすべもなく、彼自身の情熱に焼きつくされてしまうのだ、彼はこの世におけるはかない現象でしかありえないのだ、なぜなら現世は彼の身から迸り出る生命の奔流にとうてい耐えきれないであろうから、・・・。"
作中のモーツァルトはオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を上演すべくプラハに赴く途上で、とある伯爵家と近づきその歓待を受ける。
モーツァルトにイタリアはナポリの思い出を語らせる場面がある。青い空、空を映す海、戯れ合う少女たち、弾けるように飛び交うオレンジ。メーリケが描いた明るく清々しい一枚の絵のような光景は、さながらモーツァルトの朗らかな音楽と符合するようだ。
しかしメーリケは、芸術家モーツァルトにデモーニッシュな一面を見出さずにはいない、恰も自分自身の姿を投影するかのように。『ドン・ジョヴァンニ』の最後の場面をメーリケはこう綴る。
"そしてドン・ジュアンはすさまじい我意を通して永遠の秩序に逆らいながら、押し寄せる地獄の軍勢と、負けると決まった闘いをあえてし、身もだえし、のたうちまわったすえについに滅びてゆくのだが、それでいてその一挙手一投足がすべて溢るるばかりの崇高美を浮かべる時、歓喜と不安のために胸の奥まで戦きふるえない者がいるだろうか?・・・。心ならずもわれわれは、いわばこの盲滅法な偉大さに与し、歯がみしつつも、自己破壊の激情にかられて、その苦痛を分つのだ。"
世界と自己との闘争――不可避的に敗北せざるを得ない闘争――に敢然と赴くドン・ジュアンのこのデモーニッシュな在りようが、モーツァルトにそしてメーリケに重なっていく。
"この人[モーツァルト]は速やかに、引きとどめるすべもなく、彼自身の情熱に焼きつくされてしまうのだ、彼はこの世におけるはかない現象でしかありえないのだ、なぜなら現世は彼の身から迸り出る生命の奔流にとうてい耐えきれないであろうから、・・・。"