マーラーやシェーンベルクをも髣髴とさせる運命的な天才作曲家の軌跡と、ファシズムの足音が次第に大きくなって行く社会状況が織りなす、マンの傑作。マンの当時のドイツ社会や政治に対する苦々しく重苦しい思いが反映されており、耽美的な単なる芸術至上主義の文学ではない。すごく読みやすいとは必ずしも言えないが、音楽好きにはたまらないデティールや音楽観、現在の日本の社会状況にも通用するマンの批判精神が横溢しており、重厚で読みごたえがある。「魔の山」等より、今の日本にも余程教訓的で、もっと読まれてしかるべきだろう。明るく伸び伸びした「ブデンブローク家の人々」から出発したマンの一つの到達点。岩波文庫には、この深みのある大小説の現代日本における意義を良く再認識して、再版とPRを期待したい。
晴耕雨読生活

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ファウスト博士 上 (岩波文庫 赤 434-4) 文庫 – 1974/6/17
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1974/6/17
- ISBN-104003243447
- ISBN-13978-4003243442
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1974/6/17)
- 発売日 : 1974/6/17
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 304ページ
- ISBN-10 : 4003243447
- ISBN-13 : 978-4003243442
- Amazon 売れ筋ランキング: - 456,623位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2015年3月12日に日本でレビュー済み
2012年11月18日に日本でレビュー済み
1947年の作品である。
「上」「中」「下」巻を通し第二次大戦下、米ソの峻烈な砲火に見舞われながらも敗色濃厚なドイツに佇む
ツアイトブロームなる作家が語る音楽家アドリアンの生涯。
一友人の伝記的体裁と銘打っている。アドリアンの出生から、少なからず音楽の霊感を得るに至る仄々とし
た幼年期の足がかりや、音楽にのめり込む青年期につきものの客気と作曲家志望の懊悩を下地に、付かず離
れず見守りながら反発や音楽的共感を交え各界サロンに入り浸る。やがて老境、ついで孤高の死を物語るこ
とになる。
アドリアンの精神形成のいたるところに現れる音楽的啓示の曙光は、その多くを日本人には馴染みの薄い宗
教「神学」的確信に負っているようだが、これは歴代ドイツ人の生活環境に伝統的に生きづくところのもの
で、曰くつきの「神学理論」とは異なる。なおこれらの主張は些か退屈ながら、わたしのような怠慢な読者
にも安心して読み継いでいける。
アドリアンの音楽理論なるものは作中独自のものでなく、近代の作曲家アーノルド・シェーンベルクの理論
を踏襲して、音楽学者アドルノのレクチュアを受けたマンが肉付けしたと、訳者が解説で述べている。
さて第一の圧巻は「中巻」に現れるイタリア、パレストリーナに滞在するアドリアンに訪れる悪魔である。
壮年期に達し、著名な音楽家になりつつある彼の才能に一段と磨きをかけようと契約更新を迫るのである。
過去契約されていた実感すら伴わないアドリアンの心底は、娼婦エスメラルダとの係わりを俟つまでもな
く、薄々それらしき身に覚えを懐旧しつつも、俄然慄きを見せることはない。
第二の圧巻は「下巻」、アドリアン終焉の地プファイフェリングである。
死期を予感したアドリアンはツアイトブルームを介し、生涯の関係者に招待状を送り、自らの最期の作品
「ファウスト博士の嘆き」を披露しようとする。この音楽家の集大成と周知する人々は三々五々当地に集
い初演を待ち受けている・・・この場面での衝撃的事実の是非は、根気よくここまで読んでこられた読者
に委ねることとしたい。
最後に伝記的体裁の小説と前に述べたが、小説中伝記からしばし執筆の手を休める作家ツアイトブルームの
ドイツの無条件降伏間近い戦況報告は効果的である。惜しまれたアドリアンの死亡はナチスが勢力を拡大し
た1939年。一見華々しく台頭し始めた新生ドイツのコスチュームの中身は実はマンのいう本来のドイツ
精神の死滅であった。そしていま、ナチスドイツの敗戦の報を聞きながら、ツアイトブルームがアドリアン
の生涯を書き上げたという小説構成こそ、虚飾のない本来のドイツ精神復興への餞としてマンは暗に自負し
ていたように思われてならない。
「上」「中」「下」巻を通し第二次大戦下、米ソの峻烈な砲火に見舞われながらも敗色濃厚なドイツに佇む
ツアイトブロームなる作家が語る音楽家アドリアンの生涯。
一友人の伝記的体裁と銘打っている。アドリアンの出生から、少なからず音楽の霊感を得るに至る仄々とし
た幼年期の足がかりや、音楽にのめり込む青年期につきものの客気と作曲家志望の懊悩を下地に、付かず離
れず見守りながら反発や音楽的共感を交え各界サロンに入り浸る。やがて老境、ついで孤高の死を物語るこ
とになる。
アドリアンの精神形成のいたるところに現れる音楽的啓示の曙光は、その多くを日本人には馴染みの薄い宗
教「神学」的確信に負っているようだが、これは歴代ドイツ人の生活環境に伝統的に生きづくところのもの
で、曰くつきの「神学理論」とは異なる。なおこれらの主張は些か退屈ながら、わたしのような怠慢な読者
にも安心して読み継いでいける。
アドリアンの音楽理論なるものは作中独自のものでなく、近代の作曲家アーノルド・シェーンベルクの理論
を踏襲して、音楽学者アドルノのレクチュアを受けたマンが肉付けしたと、訳者が解説で述べている。
さて第一の圧巻は「中巻」に現れるイタリア、パレストリーナに滞在するアドリアンに訪れる悪魔である。
壮年期に達し、著名な音楽家になりつつある彼の才能に一段と磨きをかけようと契約更新を迫るのである。
過去契約されていた実感すら伴わないアドリアンの心底は、娼婦エスメラルダとの係わりを俟つまでもな
く、薄々それらしき身に覚えを懐旧しつつも、俄然慄きを見せることはない。
第二の圧巻は「下巻」、アドリアン終焉の地プファイフェリングである。
死期を予感したアドリアンはツアイトブルームを介し、生涯の関係者に招待状を送り、自らの最期の作品
「ファウスト博士の嘆き」を披露しようとする。この音楽家の集大成と周知する人々は三々五々当地に集
い初演を待ち受けている・・・この場面での衝撃的事実の是非は、根気よくここまで読んでこられた読者
に委ねることとしたい。
最後に伝記的体裁の小説と前に述べたが、小説中伝記からしばし執筆の手を休める作家ツアイトブルームの
ドイツの無条件降伏間近い戦況報告は効果的である。惜しまれたアドリアンの死亡はナチスが勢力を拡大し
た1939年。一見華々しく台頭し始めた新生ドイツのコスチュームの中身は実はマンのいう本来のドイツ
精神の死滅であった。そしていま、ナチスドイツの敗戦の報を聞きながら、ツアイトブルームがアドリアン
の生涯を書き上げたという小説構成こそ、虚飾のない本来のドイツ精神復興への餞としてマンは暗に自負し
ていたように思われてならない。
2004年8月28日に日本でレビュー済み
筋立てはともかく、時代背景と書き方・描き方から透かして読み解くなら、本書はフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』と並べて読んでみるべき作品です。あちらと読み較べると、確かに読みにくくは感じるかもしれません。しかし、この二作は両方読んで初めて語るに値するのではないかと、個人的に思います。そういう意味でも貴重な記念碑的作品をいつまでも絶版にされていては困ります。現在は絶版のステータスですが、近年リクエスト復刊されたこともありましたし、おそらくまだ出版社在庫はあるのでは? 無ければ再度の復刊を期待します。