「理屈をこねずに働こう。人生を耐えられるものにする手立ては、これしかありません。」
これは、この作品の登場人物の一人が最終章において語った言葉である。
これに続いて主人公カンディードは師パングロスのやはり自分の言う最善説は正しかっただろうというような主張を遮ってこう言う。
「お説ごもっともです。しかし、ぼくたちの庭を耕さなければなりません」
かつてはパングロスに教えられた最善説を盲信し、自分で考えるということをしなかったカンディードが
数々の苦難を経験し成長した末に自ら考えだした結論がこれである。
そういう点で、この小説は言ってみれば教養小説的だと言えなくもないだろう。
この世界が最善であるかないかというのはわれわれにははかりしれぬことである。
しかし、なにはともあれまずは自らの生活を充実させ、それに満足するということが重要なのであって
それは理屈によって達成できるものではないのである。
時にはあれこれ考えてみることも良いかもしれないが、理性なるものに全幅の信頼をおき、生活という地面から
浮遊してしまっているような人が多いようにみられる現代にとってこの書はまだまだ力を持っているといえるだろう。
おもえば、トーマス・マンの魔の山でも、思想界の行き詰まりとその行く末を暗示していたが、
ヴォルテールやトーマス・マンなどが鋭く見抜いたところのものは、現代においても解決されていないのである。
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カンディード 他5篇 (岩波文庫 赤 518-1) 文庫 – 2005/2/16
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- ISBN-104003251814
- ISBN-13978-4003251812
- 出版社岩波書店
- 発売日2005/2/16
- 言語日本語
- 本の長さ552ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2005/2/16)
- 発売日 : 2005/2/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 552ページ
- ISBN-10 : 4003251814
- ISBN-13 : 978-4003251812
- Amazon 売れ筋ランキング: - 219,752位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 351位フランス文学 (本)
- - 385位西洋哲学入門
- - 1,595位岩波文庫
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2 星
古い訳と比べて
丁寧な訳 訳注であるが、さっぱり筋が追えない。ヴォルテールの言いたいこと 伝えたい事の骨子がまるで伝わって来ない。この本に限らずに全体的に言える事だが、新しい訳はどうも読み込みが浅くて、言葉を現代風にしたりディテールを調べたりに時間をかけて、作品の主旨に迫れていない。その為、訳が上滑りで、「外国語の授業テキスト」を訳している様な仕上がりで終わってしまっている。本当にヴォルテールの風刺の面白さを味わいたいなら古い訳者の古本をお勧めする。古い岩波か、筑摩の全集。どうしても新書というのであれば光文社の文庫。古い訳で作品を味わい、訳注だけこの新訳のを利用する方法をお勧めします。
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2022年11月7日に日本でレビュー済み
「啓蒙主義」の思想家とされるヴォルテールによる文学作品。
楽観主義的なライプニッツ哲学を風刺した作品とも言われているが、どうやらそれは後世の誤解だそうで、本来は自然科学において「最小作用の原理」の存在を主張したモーペルテュイを皮肉ったというのが正しいようだ。
主人公カンディードは家庭教師パングロス教授に「この世の一切は善」と教えられ育つが、その後彼が歩んだ人生は悲劇の連続であり、世の中が不幸に満ちている現実を知る。
世知辛い人生を経たカンディードは、自らが経験した現実に立脚した人生観を確立し、かつての家庭教師の教えから離れていく。
その後カンディードはとパングロスと邂逅するが、かつての師は没落しながらもなお「全ては最善」という盲信を繰り返すままであった。
現実に生きるカンディードと変わらぬ老家庭教師が秀逸に対比された物語だ。
本作を読んで感じるのは、安直な調和論には何の力もないということだ。
不幸が存在することを率直に認めなければ、ただの現実逃避にしかならない。
人生や社会には酸いも甘いもあるのが現実であり、不幸を認め不幸を乗り越えなければならないのが人生だろう。
パングロスの主張のような、現実逃避的な人生観には不幸と戦うための人間の牙・底力を削ぎ、人間を弱くする毒性すらあるように感じた。
楽観主義的なライプニッツ哲学を風刺した作品とも言われているが、どうやらそれは後世の誤解だそうで、本来は自然科学において「最小作用の原理」の存在を主張したモーペルテュイを皮肉ったというのが正しいようだ。
主人公カンディードは家庭教師パングロス教授に「この世の一切は善」と教えられ育つが、その後彼が歩んだ人生は悲劇の連続であり、世の中が不幸に満ちている現実を知る。
世知辛い人生を経たカンディードは、自らが経験した現実に立脚した人生観を確立し、かつての家庭教師の教えから離れていく。
その後カンディードはとパングロスと邂逅するが、かつての師は没落しながらもなお「全ては最善」という盲信を繰り返すままであった。
現実に生きるカンディードと変わらぬ老家庭教師が秀逸に対比された物語だ。
本作を読んで感じるのは、安直な調和論には何の力もないということだ。
不幸が存在することを率直に認めなければ、ただの現実逃避にしかならない。
人生や社会には酸いも甘いもあるのが現実であり、不幸を認め不幸を乗り越えなければならないのが人生だろう。
パングロスの主張のような、現実逃避的な人生観には不幸と戦うための人間の牙・底力を削ぎ、人間を弱くする毒性すらあるように感じた。
2013年8月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
フランスの啓蒙時代の思想家の作品だが、当初感じていたとっつきにくさはなく、文章は優しいので楽に読める。また、次はどうなるかとわくわくして決して飽きない。哲学コントと言う範疇で、世界は善なのか悪なのかと哲学的な内容であるが、登場人物が平易
な言葉でしゃべるので高度な内容をわかりやすく読ませる傑作であると言える。哲学を勉強したいが、難しい言葉がたくさん出て来るので、取っ付きにくいと思っている人にお勧めしたい作品です。
な言葉でしゃべるので高度な内容をわかりやすく読ませる傑作であると言える。哲学を勉強したいが、難しい言葉がたくさん出て来るので、取っ付きにくいと思っている人にお勧めしたい作品です。
2017年1月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
丁寧な訳 訳注であるが、さっぱり筋が追えない。
ヴォルテールの言いたいこと 伝えたい事の骨子がまるで伝わって来ない。
この本に限らずに全体的に言える事だが、
新しい訳はどうも読み込みが浅くて、言葉を現代風にしたりディテールを調べたりに時間をかけて、
作品の主旨に迫れていない。
その為、訳が上滑りで、「外国語の授業テキスト」を訳している様な仕上がりで終わってしまっている。
本当にヴォルテールの風刺の面白さを味わいたいなら古い訳者の古本をお勧めする。
古い岩波か、筑摩の全集。
どうしても新書というのであれば光文社の文庫。
古い訳で作品を味わい、訳注だけこの新訳のを利用する方法をお勧めします。
ヴォルテールの言いたいこと 伝えたい事の骨子がまるで伝わって来ない。
この本に限らずに全体的に言える事だが、
新しい訳はどうも読み込みが浅くて、言葉を現代風にしたりディテールを調べたりに時間をかけて、
作品の主旨に迫れていない。
その為、訳が上滑りで、「外国語の授業テキスト」を訳している様な仕上がりで終わってしまっている。
本当にヴォルテールの風刺の面白さを味わいたいなら古い訳者の古本をお勧めする。
古い岩波か、筑摩の全集。
どうしても新書というのであれば光文社の文庫。
古い訳で作品を味わい、訳注だけこの新訳のを利用する方法をお勧めします。

丁寧な訳 訳注であるが、さっぱり筋が追えない。
ヴォルテールの言いたいこと 伝えたい事の骨子がまるで伝わって来ない。
この本に限らずに全体的に言える事だが、
新しい訳はどうも読み込みが浅くて、言葉を現代風にしたりディテールを調べたりに時間をかけて、
作品の主旨に迫れていない。
その為、訳が上滑りで、「外国語の授業テキスト」を訳している様な仕上がりで終わってしまっている。
本当にヴォルテールの風刺の面白さを味わいたいなら古い訳者の古本をお勧めする。
古い岩波か、筑摩の全集。
どうしても新書というのであれば光文社の文庫。
古い訳で作品を味わい、訳注だけこの新訳のを利用する方法をお勧めします。
ヴォルテールの言いたいこと 伝えたい事の骨子がまるで伝わって来ない。
この本に限らずに全体的に言える事だが、
新しい訳はどうも読み込みが浅くて、言葉を現代風にしたりディテールを調べたりに時間をかけて、
作品の主旨に迫れていない。
その為、訳が上滑りで、「外国語の授業テキスト」を訳している様な仕上がりで終わってしまっている。
本当にヴォルテールの風刺の面白さを味わいたいなら古い訳者の古本をお勧めする。
古い岩波か、筑摩の全集。
どうしても新書というのであれば光文社の文庫。
古い訳で作品を味わい、訳注だけこの新訳のを利用する方法をお勧めします。
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2006年1月1日に日本でレビュー済み
仏啓蒙思想家の代表作の新訳。これまで旧訳とペンギンクラシックスの英訳版を愛読してきたが、新訳はその理解を一層深めてくれる。
本書に登場する哲学者パングロスは現代でも欧米のメディアなどで、市場経済至上主義と重ねて風刺の対象とされることもある。パゾリーニの映画は置くとしても、トマス・マン『魔の山』や水林章『「カンディード」<戦争>を前にした青年』(みすず書房)、バーンスタイン『キャンディード』(幾つかの版による録音あり)などを、合わせて読んだり聴いたりすると、極めて単純なあらすじの小説でありながら、この作品の射程が現在までも視野に入ってくることに、戦慄する。
本書に登場する哲学者パングロスは現代でも欧米のメディアなどで、市場経済至上主義と重ねて風刺の対象とされることもある。パゾリーニの映画は置くとしても、トマス・マン『魔の山』や水林章『「カンディード」<戦争>を前にした青年』(みすず書房)、バーンスタイン『キャンディード』(幾つかの版による録音あり)などを、合わせて読んだり聴いたりすると、極めて単純なあらすじの小説でありながら、この作品の射程が現在までも視野に入ってくることに、戦慄する。
2020年4月30日に日本でレビュー済み
"『お話はけっこうですが』カンディードは答えた。『とにかく、ぼくたち、自分の畑を耕さなきゃ』"1759年発刊の本書は、啓蒙思想家の代表作として、リズミカルで終始一貫して軽薄なコント、また宗教的『最善説』善なる神の世界と悪に満ちた現実世界は両立することを風刺した歴史的名作。
個人的には、『人間不平等起源論』のルソーとの関係性で著者の名前こそ知っていたものの、作品自体は読んだことがなかったので手にとりました。
さて、そんな本書は1755年に発表した『リスボン大震災に寄せる詩』のやりとりを執筆背景にして『純真』を意味するカンディードと名づけられた若者が楽園のような故郷を追放され、散々な不幸や酷い目に合いながらも【すべては最善である】とヨーロッパから南アメリカまでを舞台にして冒険?を繰り広げていくのですが。
まず印象的なのは、訳者自らが原文の【スピード感が失われないように努めた】と述べている通り、大変【読みやすくも淡白な文章】これがじわじわとツボにはまってくるところがあって。登場人物たちは軒並み『レイプされたり売られたり処刑されたり』と内容的には重いはずなのに随所で【奇妙な笑いをもたらしてくれる】ので驚かされました。
また、個人的には架空の国を混ぜているとはいえ。カトリック、プロテスタント【共に腐敗している宗教関係者】の描写や社会批判に関しては、様々な肩書きを持ち、一時はプロシア国王の相談役を務めた立場で(公的には著作と認めなかったとは言え)よくぞここまで過激に描いたな!と、こちらもびっくりしました。(ちょっとスウィフトのガリヴァー旅行記を思い出しました)
読みやすくもシュールな笑いをもたらしてくれる古典として、また宗教の影響が強かった時代に現実を描いた啓蒙的一冊として興味ある人にオススメ。
個人的には、『人間不平等起源論』のルソーとの関係性で著者の名前こそ知っていたものの、作品自体は読んだことがなかったので手にとりました。
さて、そんな本書は1755年に発表した『リスボン大震災に寄せる詩』のやりとりを執筆背景にして『純真』を意味するカンディードと名づけられた若者が楽園のような故郷を追放され、散々な不幸や酷い目に合いながらも【すべては最善である】とヨーロッパから南アメリカまでを舞台にして冒険?を繰り広げていくのですが。
まず印象的なのは、訳者自らが原文の【スピード感が失われないように努めた】と述べている通り、大変【読みやすくも淡白な文章】これがじわじわとツボにはまってくるところがあって。登場人物たちは軒並み『レイプされたり売られたり処刑されたり』と内容的には重いはずなのに随所で【奇妙な笑いをもたらしてくれる】ので驚かされました。
また、個人的には架空の国を混ぜているとはいえ。カトリック、プロテスタント【共に腐敗している宗教関係者】の描写や社会批判に関しては、様々な肩書きを持ち、一時はプロシア国王の相談役を務めた立場で(公的には著作と認めなかったとは言え)よくぞここまで過激に描いたな!と、こちらもびっくりしました。(ちょっとスウィフトのガリヴァー旅行記を思い出しました)
読みやすくもシュールな笑いをもたらしてくれる古典として、また宗教の影響が強かった時代に現実を描いた啓蒙的一冊として興味ある人にオススメ。
2013年2月6日に日本でレビュー済み
フランス啓蒙期の戦闘的な(それゆえに人間的な)反権威主義者にして自由主義者であったヴォルテール(1694-1778)による哲学コント集。ヴォルテールは、宗教的権威や世俗的政治権力と結びついた神学・形而上学が人間的自由・人間性の可能性を抑圧することに対して徹底的に反抗した。生涯を通して、宗教的権威への盲目的依存服従からの人間の自律を標榜した。
「神が在りながら何故なおも世界は悪に満ちているのか」と云う問いに対して、当時有力だったライプニッツ哲学は、最善説・予定調和説で以て神の存在を弁護する「弁神論」を唱えていた(「神によって創造されたこの世界はおよそあらゆる可能世界の中で最善のものである」「悪の陰影は善の色彩を引き立てる」「個々の不幸は全体の幸福をつくり出す」)。しかし、元来、思弁的なライプニッツ哲学とは対照的なベーコンやロックなどイギリスの経験論哲学に影響を受けていたヴォルテールは、1755年のリスボン大地震・並びに1756年-1763年の七年戦争の惨劇を目にし「自然上の悪・道徳上の悪」を見せつけられることで、ライプニッツの最善説・予定調和説による「弁神論」を徹底的に批判し、殆ど無神論に近い理神論の立場に到るまでになっていった。そうした思想的背景のもとで書かれたのが「カンディードまたは最善説」(1759)である。
戦争の惨劇や人間の悪徳を前に「全ては善である」と嘯くパングロス、そのパングロスによって戯画化されたライプニッツの思想は、当時を生きていたヴォルテールの眼からすれば、その欺瞞性に於いて、「市場こそが万能である」と喧伝して現代の非人間的なグローバル経済体制を正当化する市場原理主義・新自由主義、ひいてはそれを裏打ちする即物主義と同様に映ったのかもしれない。
ライプニッツの「弁神論」が基づく彼の目的論的な哲学の根底には、ライプニッツ自身によってその名称が与えられた「充足理由律」がある。「どんな事実が起きたときにも、それが起こる充分な理由・根拠が必ずなければならない」「どんな事実が起きたときにも、「何故それが起きたのか」と問うことが可能であり、それに対して必ず「何故なら***の理由で起きた」とその根拠が与えられなければならない」とする原理である(或いは「弁別できない対象は同一である」「∀a.b.[∀P.[P(a)=P(b)] ⇒ a=b]」と定式化されることもある)。ここから、哲学的には決定論が、神学的には理神論が導出される。ライプニッツは更にそこから進んで、最善説・予定調和説と云う形而上学を構築した。
「カンディード」が、最善説を論駁する為に書かれたものとするならば、それは必然的に充足理由律をも否定しなければならなくなる。それは「事実に対して、それを説明する理由・根拠・意味・目的は必ずしも存在しない」と云う世界観を導くことになる。これは、ニーチェがその扉を開き、20世紀に入りカミュによって「不条理」と呼ばれた世界の姿ではないか(ヴォルテールの思想は、ニーチェやサルトルにも影響を与えているとも云われている)。その意味で「カンディード」の世界は、ニヒリズムの一歩手前まで来てしまっていたのではないか。しかし、「カンディード」の最後の「庭の教訓」の場面には、20世紀的ニヒリズムに見られる出口無き自我によるアイロニカルな自己否定の無限運動の暗鬱さは無い。
「・・・、ぼくたちの庭を耕さなければなりません」
明朗にして清澄である。主人に虐待された黒人奴隷との出遭いによって最善説を放棄するに到ったカンディードの姿に、アイロニーの捩じれは無い。人間の理性を信じ、生の意味を信じ、"感情のアナーキー"(ルカーチ)に陥ることなく、神から自律しながら同時にルカーチ的"節制 Haltung "を保つことが出来た、18世紀近代と云う時代精神の幸福な瞬間を刻んだ作品と云える。この点、17世紀のミルトン『失楽園』と類似した位置付けになるのではないかと思う(尤も、ヴォルテールは「カンディード」に登場する人物の口を通して『失楽園』を酷評しているが)。この時期に書かれた物を読むと、近代と云う時代精神はこのように作られていったのかと追体験させられる思いだ。
その他「ミクロメガス」(1750-51?)「この世は成り行き任せ」(1746-47?)「ザディーグまたは運命」(1748)「メムノン」(1749)「スカルマンタンドの旅物語」(1756)
□
250年以上の過去から現代を射抜いているような警句を幾つか。
「・・・、どの職業でも、人前に姿を見せる価値がだれよりも少ない者に限って、いつだってだれよりも図々しくでしゃばり出る・・・。真の賢者は、ひっそりと引き込もり、静かに内輪だけで暮らしています」
「・・・、では、いったいこの世界はどんな目的で作られたのでしょう」「わたしたちを激怒させるためですよ」
「パリでは、本当に人はいつも笑っているのですか」「ええ、笑っていますよ。・・・。でも笑いながらとてもいら立っているのです。なぜなら、げらげら大声で笑いながら、すべてに文句をつけていますからね。どんな憎むべき行為も、笑いながらするのです」
「・・・、人間は不安による痙攣か、さもなければ倦怠の無気力状態の中で生きるように生まれついているのだ、・・・」
「神が在りながら何故なおも世界は悪に満ちているのか」と云う問いに対して、当時有力だったライプニッツ哲学は、最善説・予定調和説で以て神の存在を弁護する「弁神論」を唱えていた(「神によって創造されたこの世界はおよそあらゆる可能世界の中で最善のものである」「悪の陰影は善の色彩を引き立てる」「個々の不幸は全体の幸福をつくり出す」)。しかし、元来、思弁的なライプニッツ哲学とは対照的なベーコンやロックなどイギリスの経験論哲学に影響を受けていたヴォルテールは、1755年のリスボン大地震・並びに1756年-1763年の七年戦争の惨劇を目にし「自然上の悪・道徳上の悪」を見せつけられることで、ライプニッツの最善説・予定調和説による「弁神論」を徹底的に批判し、殆ど無神論に近い理神論の立場に到るまでになっていった。そうした思想的背景のもとで書かれたのが「カンディードまたは最善説」(1759)である。
戦争の惨劇や人間の悪徳を前に「全ては善である」と嘯くパングロス、そのパングロスによって戯画化されたライプニッツの思想は、当時を生きていたヴォルテールの眼からすれば、その欺瞞性に於いて、「市場こそが万能である」と喧伝して現代の非人間的なグローバル経済体制を正当化する市場原理主義・新自由主義、ひいてはそれを裏打ちする即物主義と同様に映ったのかもしれない。
ライプニッツの「弁神論」が基づく彼の目的論的な哲学の根底には、ライプニッツ自身によってその名称が与えられた「充足理由律」がある。「どんな事実が起きたときにも、それが起こる充分な理由・根拠が必ずなければならない」「どんな事実が起きたときにも、「何故それが起きたのか」と問うことが可能であり、それに対して必ず「何故なら***の理由で起きた」とその根拠が与えられなければならない」とする原理である(或いは「弁別できない対象は同一である」「∀a.b.[∀P.[P(a)=P(b)] ⇒ a=b]」と定式化されることもある)。ここから、哲学的には決定論が、神学的には理神論が導出される。ライプニッツは更にそこから進んで、最善説・予定調和説と云う形而上学を構築した。
「カンディード」が、最善説を論駁する為に書かれたものとするならば、それは必然的に充足理由律をも否定しなければならなくなる。それは「事実に対して、それを説明する理由・根拠・意味・目的は必ずしも存在しない」と云う世界観を導くことになる。これは、ニーチェがその扉を開き、20世紀に入りカミュによって「不条理」と呼ばれた世界の姿ではないか(ヴォルテールの思想は、ニーチェやサルトルにも影響を与えているとも云われている)。その意味で「カンディード」の世界は、ニヒリズムの一歩手前まで来てしまっていたのではないか。しかし、「カンディード」の最後の「庭の教訓」の場面には、20世紀的ニヒリズムに見られる出口無き自我によるアイロニカルな自己否定の無限運動の暗鬱さは無い。
「・・・、ぼくたちの庭を耕さなければなりません」
明朗にして清澄である。主人に虐待された黒人奴隷との出遭いによって最善説を放棄するに到ったカンディードの姿に、アイロニーの捩じれは無い。人間の理性を信じ、生の意味を信じ、"感情のアナーキー"(ルカーチ)に陥ることなく、神から自律しながら同時にルカーチ的"節制 Haltung "を保つことが出来た、18世紀近代と云う時代精神の幸福な瞬間を刻んだ作品と云える。この点、17世紀のミルトン『失楽園』と類似した位置付けになるのではないかと思う(尤も、ヴォルテールは「カンディード」に登場する人物の口を通して『失楽園』を酷評しているが)。この時期に書かれた物を読むと、近代と云う時代精神はこのように作られていったのかと追体験させられる思いだ。
その他「ミクロメガス」(1750-51?)「この世は成り行き任せ」(1746-47?)「ザディーグまたは運命」(1748)「メムノン」(1749)「スカルマンタンドの旅物語」(1756)
□
250年以上の過去から現代を射抜いているような警句を幾つか。
「・・・、どの職業でも、人前に姿を見せる価値がだれよりも少ない者に限って、いつだってだれよりも図々しくでしゃばり出る・・・。真の賢者は、ひっそりと引き込もり、静かに内輪だけで暮らしています」
「・・・、では、いったいこの世界はどんな目的で作られたのでしょう」「わたしたちを激怒させるためですよ」
「パリでは、本当に人はいつも笑っているのですか」「ええ、笑っていますよ。・・・。でも笑いながらとてもいら立っているのです。なぜなら、げらげら大声で笑いながら、すべてに文句をつけていますからね。どんな憎むべき行為も、笑いながらするのです」
「・・・、人間は不安による痙攣か、さもなければ倦怠の無気力状態の中で生きるように生まれついているのだ、・・・」