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アルルの女 改版 (岩波文庫 赤 542-2) 文庫 – 1958/11/1
もともとこの作品は『風車小屋だより』の一小話を,ドーデー自身が戯曲化したもの.平隠な農村に住む一青年が,アルルの女を知ったばかりに死をえらぶという悲劇は,周囲が牧歌的だけにいっそうきわだって読者の胸を打つ.この戯曲に付したビゼーの音楽も,一度も姿を現わさないアルルの女の魅力を,美しい旋律で表現している.
- 本の長さ98ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1958/11/1
- ISBN-104003254228
- ISBN-13978-4003254226
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1958/11/1)
- 発売日 : 1958/11/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 98ページ
- ISBN-10 : 4003254228
- ISBN-13 : 978-4003254226
- Amazon 売れ筋ランキング: - 643,179位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 87位フランスの戯曲・シナリオ
- - 3,656位岩波文庫
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2013年9月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本が古書でないと入手できないということ自体が驚きです。フランス文学では基本的な作品ですから。でもおかげさまで予期したよりもきれいな状態で届いたので、とても満足です。
2023年3月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
登場人物や設定は原作(『風車小屋だより』の中の同名の短編)と戯曲では少し違いがあります。
短編小説では
主人公 ジャン
父親 エステーヴ親方
母親(名前が書かれていない)
訪れる男(名前が書かれていない)
ですが
戯曲では
主人公 フレデリ
フレデリの祖父 フランセ・ママイ(父親は15年前に他界している)
母親 ローズ・ママイ
訪れてくる男 馬の番人ミチフィオ
その他に
フレデリの弟 ジャネ
(「ばか」と呼ばれる。白痴と説明がある)
使用人で羊飼いのバルタザール
フレデリの伯父マルク(母親の兄。船乗り)
フレデリに想いを寄せるヴィヴェット(ルノーばあさんの孫)
ヴィヴェットの祖母ルノーばあさん
その他
となっています。
作曲したビゼーの『カルメン』にはドン・ホセの婚約者ミカエラが登場しますが、ヴィヴェットにはそれに近いような印象もあります。
戯曲の方の大筋は
大きな農家の若者フレデリ(20歳)は3ヶ月前にアルルの闘牛場で知り合ったアルルの女と結婚したいと言い出し、祖父と母親、周囲の人たちは困っている。
母親はアルルにいる兄マルクに相手がどんな人物か見極めてくれるように頼む。
訪れて来たヴィヴェットはフレデリが結婚するらしいと聞き心中悲しむが表には出さない。
(でもみんなはこの子と一緒になってくれればと思っている)
母親の兄のマルクはアルルの女の家を訪ねるが酒を振る舞われてすっかり「いい人たちだ」と評価してしまうので、家族はやむをえず結婚を認めようかという話になる。
フレデリは晴れやかな顔。
そんな時ミチフィオという男が祖父を訪ねてきて
「お孫さんが結婚しようとしている相手は俺の情婦だったが、お孫さんと知り合ってからは女の家族からも疎まれている。
でも今更他の男に嫁げると思っているのか。
証拠の手紙もある。
他の男には渡したくない」
と言う。
祖父は衝撃を受け、手紙を預かってフレデリを説得すると約束する。
その後フレデリは思いを絶ったかのように振る舞う。
ヴィヴェットはフレデリの弟にも背中を押されてフレデリに探りを入れるが、ひどい事を言われて傷つきこの地を去ることにする。
フレデリはずっと表情が死んだよう。
フレデリが諦めきれていないことは母親は気づいている。
このままでは悪い事が起こるに違いないと思いフレデリに結婚を許すと告げる。
祖父は恥じ入って下を向く。
フレデリは内心喜ぶがみんなが絶望的な暗い顔をしているのを見て、あんな女は貰わないと言い出す。
そこにヴィヴェットが登場するとフレデリは「この子のような人がいいんです」と言い、ヴィヴェットに結婚を申し出る。
ヴィヴェットは涙する。
第三幕
聖エロアの祭りの日。家の前庭。
婚約の祝いやお祭りで場には喜びが溢れる。
皆が帰った頃ミチフィオが再び現れ、
「アルルの女のところに泊まってきた。どうしても諦めきれないからあの女を攫って逃げる」
と告げる。
それを聞いてしまったフレデリは
ミチフィオを殺し、アルルの女も殺す。一人では死なないぞ。
と言い出すが皆で止める。
遠くでファランドールが聞こえる。
その晩。部屋の前。
母親は心配するがフレデリはあの男の顔を見て興奮しただけだと言う。
しかし母親は勘づいている。
寝室の近くに寝るように弟に言いつけ、自分もフレデリの部屋の様子を窺っていたが静かになったので眠る。
フレデリは明け方、ミチフィオがアルルの女を連れて逃げていく様子を見たように思い込み、発作的に蚕室のある上の階に駆け上がる。
母親が気づいて後を追うが、フレデリは扉にかんぬきをかけてしまう。
そして窓が開く音がし、重いものが落ちたような音がする。
こんな感じですが、短編集『風車小屋だより』の方は男が登場するのも一度だけなどシンプルな筋書きでページ数も少ないです。
「ばか」は表現を直す必要があるかもしれませんが、訳文に手を入れるのは難しいでしょうね。
劇では「ばか」がいるのは悪いことではない。そのおかげで万事うまくいっているのだ、と、当時のフランスの田舎の人たちの考え方がよく拾い上げられているように思います。
原作では主人公が表面上何事もなかったように振る舞う様子を「あれはなおった」としていますが、こちらでは弟が次第に正気になってくるような様子が描かれ、クライマックスで正気を取り戻します。
「神様は子供を一人返して下さって、別の子供を取り上げるなんてことはなさらない......」(母親の独白)
短編集にある「スガンさんの山羊」が取り入れられているほかいくつか伏線も張られています。
どちらにも ”アルルの女” は登場しません。
訳者の前書きによれば、作者がアルルに近いフォンヴィエイユの村に滞在中実際に起こった事件だそうです。
他の訳者のものも読みましたが櫻田さんの訳は詩的で美しいです。
仮名遣いなどを現代的にした新版を出して欲しいところです。
短編小説では
主人公 ジャン
父親 エステーヴ親方
母親(名前が書かれていない)
訪れる男(名前が書かれていない)
ですが
戯曲では
主人公 フレデリ
フレデリの祖父 フランセ・ママイ(父親は15年前に他界している)
母親 ローズ・ママイ
訪れてくる男 馬の番人ミチフィオ
その他に
フレデリの弟 ジャネ
(「ばか」と呼ばれる。白痴と説明がある)
使用人で羊飼いのバルタザール
フレデリの伯父マルク(母親の兄。船乗り)
フレデリに想いを寄せるヴィヴェット(ルノーばあさんの孫)
ヴィヴェットの祖母ルノーばあさん
その他
となっています。
作曲したビゼーの『カルメン』にはドン・ホセの婚約者ミカエラが登場しますが、ヴィヴェットにはそれに近いような印象もあります。
戯曲の方の大筋は
大きな農家の若者フレデリ(20歳)は3ヶ月前にアルルの闘牛場で知り合ったアルルの女と結婚したいと言い出し、祖父と母親、周囲の人たちは困っている。
母親はアルルにいる兄マルクに相手がどんな人物か見極めてくれるように頼む。
訪れて来たヴィヴェットはフレデリが結婚するらしいと聞き心中悲しむが表には出さない。
(でもみんなはこの子と一緒になってくれればと思っている)
母親の兄のマルクはアルルの女の家を訪ねるが酒を振る舞われてすっかり「いい人たちだ」と評価してしまうので、家族はやむをえず結婚を認めようかという話になる。
フレデリは晴れやかな顔。
そんな時ミチフィオという男が祖父を訪ねてきて
「お孫さんが結婚しようとしている相手は俺の情婦だったが、お孫さんと知り合ってからは女の家族からも疎まれている。
でも今更他の男に嫁げると思っているのか。
証拠の手紙もある。
他の男には渡したくない」
と言う。
祖父は衝撃を受け、手紙を預かってフレデリを説得すると約束する。
その後フレデリは思いを絶ったかのように振る舞う。
ヴィヴェットはフレデリの弟にも背中を押されてフレデリに探りを入れるが、ひどい事を言われて傷つきこの地を去ることにする。
フレデリはずっと表情が死んだよう。
フレデリが諦めきれていないことは母親は気づいている。
このままでは悪い事が起こるに違いないと思いフレデリに結婚を許すと告げる。
祖父は恥じ入って下を向く。
フレデリは内心喜ぶがみんなが絶望的な暗い顔をしているのを見て、あんな女は貰わないと言い出す。
そこにヴィヴェットが登場するとフレデリは「この子のような人がいいんです」と言い、ヴィヴェットに結婚を申し出る。
ヴィヴェットは涙する。
第三幕
聖エロアの祭りの日。家の前庭。
婚約の祝いやお祭りで場には喜びが溢れる。
皆が帰った頃ミチフィオが再び現れ、
「アルルの女のところに泊まってきた。どうしても諦めきれないからあの女を攫って逃げる」
と告げる。
それを聞いてしまったフレデリは
ミチフィオを殺し、アルルの女も殺す。一人では死なないぞ。
と言い出すが皆で止める。
遠くでファランドールが聞こえる。
その晩。部屋の前。
母親は心配するがフレデリはあの男の顔を見て興奮しただけだと言う。
しかし母親は勘づいている。
寝室の近くに寝るように弟に言いつけ、自分もフレデリの部屋の様子を窺っていたが静かになったので眠る。
フレデリは明け方、ミチフィオがアルルの女を連れて逃げていく様子を見たように思い込み、発作的に蚕室のある上の階に駆け上がる。
母親が気づいて後を追うが、フレデリは扉にかんぬきをかけてしまう。
そして窓が開く音がし、重いものが落ちたような音がする。
こんな感じですが、短編集『風車小屋だより』の方は男が登場するのも一度だけなどシンプルな筋書きでページ数も少ないです。
「ばか」は表現を直す必要があるかもしれませんが、訳文に手を入れるのは難しいでしょうね。
劇では「ばか」がいるのは悪いことではない。そのおかげで万事うまくいっているのだ、と、当時のフランスの田舎の人たちの考え方がよく拾い上げられているように思います。
原作では主人公が表面上何事もなかったように振る舞う様子を「あれはなおった」としていますが、こちらでは弟が次第に正気になってくるような様子が描かれ、クライマックスで正気を取り戻します。
「神様は子供を一人返して下さって、別の子供を取り上げるなんてことはなさらない......」(母親の独白)
短編集にある「スガンさんの山羊」が取り入れられているほかいくつか伏線も張られています。
どちらにも ”アルルの女” は登場しません。
訳者の前書きによれば、作者がアルルに近いフォンヴィエイユの村に滞在中実際に起こった事件だそうです。
他の訳者のものも読みましたが櫻田さんの訳は詩的で美しいです。
仮名遣いなどを現代的にした新版を出して欲しいところです。
2020年12月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
期待通りの書籍でした。
2004年4月25日に日本でレビュー済み
戯曲版の『アルルの女』です。題名になっている「アルルの女」は、作中には一度も登場せず、名前すら出てきません。でも存在感は圧倒的ですらあります。
『アルルの女』といえば、ビゼーの組曲の方がかえって有名かもしれません。戯曲の展開を知った上で聴けば、アダージェットやファランドールなど10倍は楽しめるはずです。
プロヴァンスの美しい自然の中で繰り広げられる物語はかなり激しい内容ですが、その中で翻弄される人々の心の動きには胸を打たれます。息子を心配する母の気持ちはローヌ河よりも深遠で、村娘ヴィヴェットの純情は可憐で萌えます。老僕バルタザールとルノー婆さんの短い一幕は喩えようもなく美しく、謎めいた白痴の存在は作品全体に文学的奥行きを与えます。
活字の戯曲として読めばあっという間です。
『アルルの女』といえば、ビゼーの組曲の方がかえって有名かもしれません。戯曲の展開を知った上で聴けば、アダージェットやファランドールなど10倍は楽しめるはずです。
プロヴァンスの美しい自然の中で繰り広げられる物語はかなり激しい内容ですが、その中で翻弄される人々の心の動きには胸を打たれます。息子を心配する母の気持ちはローヌ河よりも深遠で、村娘ヴィヴェットの純情は可憐で萌えます。老僕バルタザールとルノー婆さんの短い一幕は喩えようもなく美しく、謎めいた白痴の存在は作品全体に文学的奥行きを与えます。
活字の戯曲として読めばあっという間です。