このアンソロジーの一編であるトリルビーに特に魅了されました。
トリルビーはジャニーの視点で描かれていて、その存在があるのか、ただの夢の存在なのか色々想像力が膨らみました。
このジャニーという女性自身も精神的病気なのか、ただの夢に悩む女なのか、読む度に思考を変えながら読むと面白かったです。
物語では触れられていないトリルビー視点でも考えてみたことがあります。
まずどうしてトリルビーが妖精になったのか。。Wikipedia で妖精を検索すると、単なるファンタジー的な可愛らしい存在だけではなく、時に社会から追放された者、障がい者を指すこともあるそうです。
なので、もしかするとトリルビーは単に人間扱いされてない"何か"になったと捉えることにしました。
序盤トリルビーがジャニーに恋人扱いされてなかったところから考えると単に小さな可愛いこどものようだったのかも。。
後半のトリルビーの姿は人間(青年)だった時に近い姿だったのかも。。
ジャン フランソワの一編も通じるところがあり、人間の美しさのような不気味さのようなところを感じましたが、何よりトリルビーはおすすめです。
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ノディエ幻想短篇集 (岩波文庫 赤 587-1) 文庫 – 1990/3/16
夜の一時の幻,スマラ,トリルビー,青靴下のジャン=フランソワ 他一篇
- 本の長さ244ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1990/3/16
- ISBN-104003258711
- ISBN-13978-4003258712
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1990/3/16)
- 発売日 : 1990/3/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 244ページ
- ISBN-10 : 4003258711
- ISBN-13 : 978-4003258712
- Amazon 売れ筋ランキング: - 426,464位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 623位フランス文学研究
- - 669位フランス文学 (本)
- - 2,714位岩波文庫
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2018年1月3日に日本でレビュー済み
フランス幻想文学の祖といわれるノディエ(1780-1844)の短篇集。夢や狂気を通して、現世や理性の向こう側を描こうとしていたのでしょうか。彼の幻想的な作風が、ゴーティエやネルヴァルなど次世代のロマン主義作家に受け継がれていったといいます。
「夜の一時の幻」 美/幻想/狂気/死のロマン主義的な観念がとてもよく表れているように思います。"かわいそうな狂人よ!・・・。地上の空しい科学など、きみがいま見つけたものにくらべたらなんになるんだ?・・・、きみには不明なところはひとつもない。きみの日々を雲がいくらか覆っていたとしても、この星のように、きみはそれを抜け出して、新しい生の中に生まれながらの品位と美しさを取り戻すのだ"
「スマラ(夜の霊)」 夢の中から夢の中へと転位しつつ溢れ出てくるイメージ。誰の夢なのか・どこまでが夢なのか。それを追う速記術のように綴られていく過剰な語彙と比喩。こうした夢を記述しようとする試みが、遠く20世紀のシュルレアリストに受け継がれていったのではと想像してしまいました。ノディエが作中に置いたシェイクスピアからの引用が印象的だったのでここに記しておきます。"こんな昔のお伽噺や魔法仕掛けを信じてたまるか。恋するものや、気違いや、詩人なら頭がかっかと燃えていて、空想は幻で満たされているのだろう。やつらの考えることといったら支離滅裂で、理性の限界を越えてさまよいだすのだ。 シェイクスピア"
幻想文学に興味のある人はぜひ読んでみて下さい。
「夜の一時の幻」 美/幻想/狂気/死のロマン主義的な観念がとてもよく表れているように思います。"かわいそうな狂人よ!・・・。地上の空しい科学など、きみがいま見つけたものにくらべたらなんになるんだ?・・・、きみには不明なところはひとつもない。きみの日々を雲がいくらか覆っていたとしても、この星のように、きみはそれを抜け出して、新しい生の中に生まれながらの品位と美しさを取り戻すのだ"
「スマラ(夜の霊)」 夢の中から夢の中へと転位しつつ溢れ出てくるイメージ。誰の夢なのか・どこまでが夢なのか。それを追う速記術のように綴られていく過剰な語彙と比喩。こうした夢を記述しようとする試みが、遠く20世紀のシュルレアリストに受け継がれていったのではと想像してしまいました。ノディエが作中に置いたシェイクスピアからの引用が印象的だったのでここに記しておきます。"こんな昔のお伽噺や魔法仕掛けを信じてたまるか。恋するものや、気違いや、詩人なら頭がかっかと燃えていて、空想は幻で満たされているのだろう。やつらの考えることといったら支離滅裂で、理性の限界を越えてさまよいだすのだ。 シェイクスピア"
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