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休戦 (岩波文庫) 文庫 – 2010/9/17

4.2 5つ星のうち4.2 31個の評価

アウシュヴィッツを奇跡的に生き延びた主人公=作者(1919-87)が、故郷トリーノに戻るまでの約九カ月の旅の記録。帰還の旅を通して、愛、友情、そして自分自身を再発見し、生きることの素晴らしさ、世界の美しさに気づきはじめる主人公。アウシュヴィッツという死の世界を体験した者は、いかにして一度失った生を新たに獲得できるのか。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (2010/9/17)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2010/9/17
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 368ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4003271718
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003271711
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.5 x 1.6 x 15 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 31個の評価

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プリーモ・レーヴィ
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上位レビュー、対象国: 日本

2023年6月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本日23日に届きました。
状態の良いきれいな本で、嬉しく思っています。
次の機会も宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。
2020年3月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いい本だ。読む価値がある。
しかし脚注がうるさい。本編の最後に原注としてまとめるべきだった。それが文章を読みづらくしている。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年11月6日に日本でレビュー済み
第二次世界大戦でドイツの敗戦が確実となり、収容所からドイツ人がいなくなり、ロシア兵に「解放」されてから、故郷のイタリアに帰還するまでの記録。
作者のプリーモ・レーヴィは、アウシュビッツ管区の収容所の生き残りである。

収容所の、生をサイコロにかけるような絶望の情況から、突然「解放」され、目的を失い戸惑う人々。
「解放」後も、人間性を取り戻し、生き残るための戦いが行われていた。体力的にもたなかったり、自殺したり。お互いを支え合ったり。
健康を取り戻した作者は、ギリシャ人の仲間モルド・ナフムに付いて闇市場などで様々な経験をする。或いは、チェーザレというペテン師が、抜け目ない商売で稼ぐ姿を目の当たりにする。
市場ではドイツ語を話さない方がいい・・というアドバイスを受けるなど、生々しい話がうかがえる。
お皿と雄鳥を交換したいのに、なかなか通じない。お互いに罵り合いながら、どのように会話を続け、意思疎通を図るのか、というエピソードなども出てきて、必死さのなかにある、素朴なユーモアが良いと思った。

故郷に戻る列車は喜びにあふれている。
作者のような生死の境遇ばかりではなく、ドイツ軍の捕虜となっていたイタリア兵や、家族など様々な人々が乗っている。

イタリア国境の峠(ブレンナー峠)で作者は、生き残りの仲間レオナルドと感慨にふける。
「出発したとき六百五十人いた私たちが、帰りには三人になっていた。」
アウシュビッツの過酷な経験が、骨肉にまで染みわたってしまった人間にとって、手放しで喜べない心情であろう。

作者のレーヴィは、1987年に自殺(と思われる)したそうな。
アウシュビッツでの経験を記した『アウシュビッツは終わらない』も、機会があれば読んでみようと思った。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2004年12月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 「休戦」はレーヴィの著書の中でも特異なものであるといえます。私は原著で読んだのですが,まず冒頭の詩。
 Sognavamo nelle notti feroci
Sogni densi e violenti...(中略)
Il comando dell'alba:
<<Wstawac'>>
 <<Wstawac'>>,つまり「起床」という意味なのですが,レーヴィの心境を忠実に表す言葉だと思います。これは実際に読んで,各々考えていただきたいのですが,その「起床」という言葉にはいろいろな意味を含んでいるように思います。アウシュヴィッツで実際に「起床」と言われたことを指しているのと同時にアウシュヴィッツから帰還して,人間性を取り戻し,また生きていこうという決意を込めて「起床」と使っている…などなど,いろいろなことが考えられます(あくまで個人的な考えですし,例示に過ぎませんが)。
 私の器が小さいこともあって,<<Wstawac'>>という言葉の重みをいまだ把握していないのが現実ですが,レーヴィの新たな一面を知るために,ぜひ読んでおくと良いかと思います。彼の主著「アウシュヴィッツは終わらない」を読んでからのほうが,読みやすいとは思いますが,全く,レーヴィについて知らないという方でも問題なく読めるかと思います。
 読み進めれば読み進めるほど,レーヴィの「人間性(魂)」が回復していくことが分かります。レーヴィが人のやさしさや温もりを感じるたびに,少しずつ,また人間になっていくのです。実際にレーヴィも他の本で述べていたことですが,そう感じたようです。
 ぜひ,お読みになられたら,<<Wstawac'>>という言葉について考えてみてはいかがでしょうか。そして,なぜ,レーヴィがこの詩を本書の冒頭にのせたのか,その趣旨を考えてみるのも良いかと思います。
26人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年12月28日に日本でレビュー済み
★ガザ爆撃、糾弾!! イスラエル体制派に死を!!! やつらにプリーモの爪の垢でも煎じて呑ませてやりたい。
★ガザ侵攻、糾弾!! 女子供の流す血に塗れたガザは、圧殺者ども自身の流す血に餓えて叫んでいる――味方戦車の誤射による戦死者3名だって、オウンゴール1発だけ、これでは少ない! 少なすぎる!! 文字通り、《ガザをイスラエル兵の墓場に!!》
 さて、以下の拙文は聊か旧稿ながら――

 あと一年たらずで西暦二〇〇〇年、つまり私たちの二〇世紀は終わる。人類がこれからもいわゆる発展を続けてゆくにしても、あるいは突然、そう、かつて地球上に繁栄を極めた恐竜たちのように、突然絶滅してしまうにしても、それはもう私たちの子孫に残された問題と課題に等しい。まだまだし残したこと、出来るわずかばかりのことはあるにしても、私たちとしてはおのれの過ごした二〇世紀が果たしてどんな時代であったのか、検証して、残すべきものは残して後世に託すしかない。では二〇世紀とはどんな時代であったのか?
前半に二度もの世界大戦とロシア革命、後半も朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、中東戦争……と、戦後生まれの私たちにとっても、それは疑いもなく戦争の時代であった。歴史はむろん、社会や文化、文学、人生も戦争との関わりなしには語れない。ことに二度目の大戦は人類に深い爪痕を残した。ドイツ人がユダヤ人を始めとする何百万人もの人びとをシステマチックに大量殺戮したことである。髪の毛は鬘に、死体の脂は石鹸に、灰は肥料に利用するほどの凄まじさだった、あるいは人間の尊厳に対して爬虫類的な冷やかさであったというべきか。しかもこの絶滅収容所を頂点とするラーゲル網が、いまも世界的な発展を続ける原発などドイツ式重工業の産業基盤に深く組み込まれていることは重要である(いまのアメリカに見るように、その根底において彼らのラーゲル精神が清算されたと考えるのは早計ではあるまいか。)*。ドイツの版図が拡大するにつれて当時のヨーロッパは収容所大陸と化していた。

*ラーゲルからの奇蹟の生還を遂げたイタリア人作家プリモ・レーヴィは、その著書『これが男か』劈頭の詩でこう歌っている。

       おまえたち、ぬくい家のなかで
       安全に暮らして、
       晩に帰れば
       熱い食事と親しい顔々が待つ、者たちよ、

         考えに考えよ、これが男か
         泥のなかで働きぬいて
         片時も安らぎを知らず
         パン半分のために闘い
         シ、またはノと答えたばかりに死んでゆく者が。
         考えに考えよ、これが女か、
         髪はなく、名前はなく
         もう思い出す力を無くして
         虚ろな眼に、冷えきった身体の芯の
         冬の蛙みたいな者が。

       思いを凝らせ、これは実際にあったことなのだ。
       おまえたちに命じておく、これらの言葉を、
       心の奥に刻みこめ。
       家におるときも街中に出かけるときも、
       寝るときも起きるときも、
       子供たちにくり返し言いきかすのだ。

         さもないとおまえたちの家は解体され、
         病でおまえたちは動きがとれず、
         子らはおまえたちから顔を背けることだろう。

では、そのころ私たち日本人はどうしていたのか? 中国を侵略し、一九三七年には南京大虐殺を引き起こしている。一九四〇年には日独伊三国軍事同盟を結び、太平洋戦争に到る。疑いもなく間違った側について戦っている。捕虜を「丸太」と称して人体実験をくり返した七三一部隊の例ひとつを取ってみても、私たち日本人がドイツ人と比べてより冷血でなかったとはとても言えない。招集されたから、命令されたから、で済む問題ではない。
では、イタリア人たちはどうしていたのだろう? 一九四三年七月にムッソリーニを逮捕、九月に連合軍と休戦、イタリア軍は崩壊し、ドイツ軍による占領とドイツ傀儡の新ファシスト政府の成立、これに抗して北イタリアの各地でパルチザン戦争が起こる。そう、イタリア人たちは一九二二年のローマ進軍以来ファシズムのもとに一九三五年にはエチオピア侵略、三九年にはアルバニア併合と、ドイツ人や日本人に負けず劣らず間違った側について戦っていたのだが、四三年の軍崩壊後は民衆のレベルで、個人のイニシアチヴのもとに正義と自由のために戦うことになる。〔『イタリア抵抗運動の遺書』冨山房、参照。〕どうしてこのようなことが可能だったのだろうか? 私たち日本人やドイツ人にしても銃口の向きを変えて、民衆を死に追いやる者、体制を翼賛する者たちと戦うことなど思いも寄らなかったろうし、何よりも抑圧を生む構造をおのれが支えていることにあまりにも無自覚であった(2008年末の私たちの更なる無自覚ぶりは平和そのものの意味を貶めているのかも知れない)。彼らイタリア人だって、人間として生きるぎりぎりのところで敢然と起ち上がったわけだが、こうした経験は私たち日本人の戦争体験からはまったく欠落している。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2023年3月17日に日本でレビュー済み
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この作者の作品は主観の入った抽象的な書き方で内容が分かりにくい。アウシュヴィッツについて知りたければ別の本(「夜と霧」など)を読んだほうがよい。
2019年7月13日に日本でレビュー済み
作品そのものの価値はともかく、「翻訳」が日本語として、
不自然な個所が散見されて、そのつど興をそがれる。
私はイタリア語は全く分からないので、原書に当たることは出来ないのだが、
そういったレヴェルではなく、日本文学などは、あまり読んで来なかった人が、
和訳文を綴っているような印象がある。
語学も大切だろうが、翻訳者であるからには、すべからく、
自然で美しい日本語表現を、心がけて欲しいものだ。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2010年10月6日に日本でレビュー済み
ポーランドの、ナチスのユダヤ人収容所から解放されて、
イタリアの自宅につくまでの9ヶ月間。
作者は、もともとは、イタリア在住のユダヤ人化学者、作家。
イタリアへのナチス侵攻への、抵抗運動のため、イタリアでとらえられ、
ポーランドの収容所まで送られた。

排泄物でどろどろの収容所から、
大部分の同胞達が亡くなったなか、
若かったのか、運がよかったのか、瀕死状態で解放。
イタリアにまっすぐ帰れた訳ではなく、
解放後もあちこちの収容所に移動させられ、、
徒歩での移動だったり、列車に詰め込まれたり、、
ウクライナで足止めをくらったり。

毎日、とにかく大事なのは、食事。
その時々の仲間達と、どうやって、日々の糧を手に入れるか、、。
配給の魚を水で膨らまして売ってみたり、
野生?の馬を捕えて食べたり、、、
かなり苦しい生活なんだろうけれど、
食事の記述は、、本当に、生き生きとしていて、
解放されたんんだ、、自由なんだ、、という高揚感が伝わってくるようだった。

イタリアに近づくにつれて、、
逆に躍動感がなくなって、、
生き延びてしまったという感じを強く感じ初めていたのであろうか。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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