何とまあ乾いた残酷さよ。
一読してルルフォと同じように、暴力と死をつむいだE.コールドウェルを思い出した。ガルシア・マルケスはもう少し湿った文体であるし、ほとんど対比され
ることのないコールドウェルとルルフォが相似形のように感じられる。
外界を描写するときに過剰な形容詞を用いることなく、心理描写においても心
に浮かんだことを淡々と綴るだけで、自分の世界を構成できる。そんな力強さも
ある。「何か」を描くに描写力ではなく、文章そのものの持つ力強さがある。
一方はアメリカ、一方はメキシコ。両者とも「農民」「貧民」の生活が基盤と
なっているが、ルルフォの方がより「普遍的」であるのだろうか。
またガルシア・マルケスはカフカの「変身」とこの「燃える平原」から強く刺
激を受けた、とあった。マルケスのあの混乱した現実とルルフォの現実は通底し
ている。
惹句には、「革命(メキシコ革命)前後の騒乱で殺伐とした世界に生きる農民
たちの寡黙な力強さや愛憎、暴力や欲望を、修辞を排した喚起力に富む文体で描
く」とあった。確かに読者の「喚起力」に直接訴えるものがルルフォにはある。
このは惹句は、実に的を射たすぐれた批評でもあるだろう。
Amazonをのぞいているときに、偶然に本書と出会った。実に幸運。
17の短編からなる作品群。どの短編も完成度が高い。1950年前後に上梓
された作品。
ここからはあくまでも私の解釈。
アメリカではハードボイルド的作品が二次大戦以前から創られている。この極
力感情移入をしない、独特の乾いた文体、筋立て以外を削れるだけ削り、残酷な
現実をそのまま描写する。ハメットの作風が典型だろうか。ハメットは都会の気
障な空間を、ルルフォは田舎の気取りのない空間を描くのだが、やはり似ている。
現実の残酷さ、生死隣り合わせの生活、性的放縦さ、様々なものが積もり重な
りながら、生きることにしがみつくこと。またヘミングウェイに繋がる暴力描写
を思い起こさせる。
ルルフォの言葉として解説では、「農地に火を放たれ、父親や祖父、父親の兄
弟、みんな殺された」。暴力が日常であるのはメキシコの宿命だろうか。現在で
もメキシコは実に危険な国。麻薬や貧困により世界有数の殺人件数の高さ(日本
の100倍)。
メキシコの歴史つ通底する血の臭いが全ての短編に染みついている。カラカラ
の地面に落ちて乾いた血の跡はどす黒く変色する。そこにある「孤独」の何とい
う影か。
ルルフォの言葉。「私の家では話をしないんだ。誰も話をしない。…子供たち
もそうだ。誰も話をしない。話すってことをしないんだ。それに、私も誰かと話
をしたわけでもない」。
決して美文ではない文章。しかしそこにあるのは硬い岩をたたき割り、鑿で削
りだしたような文章だ。そして実はルルフォはこの文章を丁寧に推敲をしている。
「ひと回り年長で、すでに作家として名の知れたエフレン・エルナンデスに出会
ったのが幸運だった。…エルナンデスは『これじゃ駄目だ。ひどすぎる』と言い
ながら、原稿から余分な枝葉をどんどん切り落としてくれた」。
この「文学作品」をどう表現したらいいのか分からない。
ルルフォの文章の魅力はルルフォの人生に由来するのだろう。
作品をそのテキストのみではなく、背後の作者の人生を感じながら読み込むこ
とは好きではない。テキストはテキストのみで自立し、そして独立して味わわれ
るべき。そう思うが、この短編集を読んで作者や故国(メキシコ)の歴史を強烈
に知りたくなった。それほど作品に描かれた現実は苛酷なもの。
メキシコでは生と死が連続している。いつか「死者の日」を解説したような映
画に出会ったことがある。「死者の日」は生者は、故人を偲び泣くのではなく、
死者と一緒に踊って歌って酒を飲んで過ごす。
「日本のお盆に近い位置づけであるが、あくまで楽しく明るく祝うのが特徴であ
る」。生と切断された死ではなく、生の延長にある死なのだろう。
ルルフォの作品を読むと、やたらに饒舌になってしまう。これは反省。
やれやれ、この年になってまだまだ未知の優れた作家が存在すると知った。
とんでもない作家を「発見」して、困惑している。
無論、お勧め中のお勧め。

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燃える平原 (岩波文庫) 文庫 – 2018/5/17
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現代ラテンアメリカ文学における最重要作家フアン・ルルフォ(1918―86)の傑作短篇集。焼けつくような陽射しが照りつけ砂塵が舞い上がるメキシコの荒涼とした大地を舞台に、革命前後の騒乱で殺伐とした世界にあえぐ貧しい農民たちの寡黙な力強さや愛憎、暗い情念の噴出から生じる暴力や欲望を、修辞を排した、強い喚起力に富む文体で描く。
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2018/5/17
- 寸法10.5 x 1.2 x 14.8 cm
- ISBN-104003279123
- ISBN-13978-4003279120
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2018/5/17)
- 発売日 : 2018/5/17
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 288ページ
- ISBN-10 : 4003279123
- ISBN-13 : 978-4003279120
- 寸法 : 10.5 x 1.2 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 56,741位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 14位その他の外国文学作品
- - 20位スペイン文学
- - 409位岩波文庫
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年1月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
収録作は十七編でどれも読みごたえがあります。
訳は読みやすく、ひとつひとつは短い話なのに、読むのに時間がかかる作品でした。
短編集なのに、ひとつの大きな土地やその周辺の人々を描いた壮大な物語のようでした。
乾いた土地に暮らす薄汚れた男と女、死と性、空腹、暴力、殺人が常に付きまとっています。
何をやっているのか、誰が話しているのか、誰に向かってしゃべっているのか、など
わからないことが多いんですが、不思議な魅力にひきつけられているうちに
次第に全体像が見えてくる仕掛けや物語に唸ってしまいました。
解説が明解で、忘れていた場面やさらっと読み流していた映像が鮮やかによみがえってきて
物語の記憶が浮かび上がってきました。
一篇読み終えるごとに冒頭に戻って読み返したくなるような作品でした。
訳は読みやすく、ひとつひとつは短い話なのに、読むのに時間がかかる作品でした。
短編集なのに、ひとつの大きな土地やその周辺の人々を描いた壮大な物語のようでした。
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何をやっているのか、誰が話しているのか、誰に向かってしゃべっているのか、など
わからないことが多いんですが、不思議な魅力にひきつけられているうちに
次第に全体像が見えてくる仕掛けや物語に唸ってしまいました。
解説が明解で、忘れていた場面やさらっと読み流していた映像が鮮やかによみがえってきて
物語の記憶が浮かび上がってきました。
一篇読み終えるごとに冒頭に戻って読み返したくなるような作品でした。
2018年6月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ラテンアメリカの短編集を初めて読んだ。不思議な小説だ。メキシコの乾いた大地、砂ぼこり……その固い大地を踏みしめながら歩く人々の姿が描かれている。親を背負って歩く子、病気の息子を背負って医者に連れて行く親、抱き合う男と女、憎しみ合い、殺し合う……苦しみながらも歩みを止めることのできない悲しい存在としての人間の姿がこの小説にはある。
「俺たちは貧しいんだ」はわずか7ページ。ふしだらな娘たちを思い、母は、
「いったいぜんたい(私が)どんな罪を犯したせいでこんな罰を受けているんだろう」となげく。
ひとり残された末娘だけが頼りだが、その末娘も洪水の後には……。
日本の小説家はこんな書き方はしないだろうと思う終わり方をする。その差はなんだろう。現代の小説があまりにもなよなよしく、苦しくなるくらい深いところまで描き切っていないからではないだろうか。
文章がシンプルである。それが荒涼とした砂の大地の光景を浮かび上がらせる不思議な効果を持っている。この作者はこのようにしか書けなかったのだろう。必要最低限の言葉でより深いところを感じさせるこの文体は、修辞が多い文章に比べると読むスピード感がすごい。そしてそのスピードが読み進めるごとに展開する殺伐さと重なり、描き出される光景に不気味さを加えている。
メキシコの乾いた大地には昼には昼の、夜には夜の恐ろしさがある。そこに住む人々、いや実はメキシコの人だけでなくすべての人という存在の、苦しさ(あるいはそれこそが美しいとも思える)がよく描かれている。
瀕死の息子を背負って歩み続けて、明け方町に入ると野良犬の群れに吠えられる。この町には医者がいる。息子は「水が飲みたい」と言う。「ここには水なんてねえんだ。あるのは石ころばかりだ。辛抱しろ」と答える父親。
「犬の声は聞こえんか」はわずか8ページの中にどんなに長い小説よりも、深く苦しい父と子の姿が描かれている。
「俺たちは貧しいんだ」はわずか7ページ。ふしだらな娘たちを思い、母は、
「いったいぜんたい(私が)どんな罪を犯したせいでこんな罰を受けているんだろう」となげく。
ひとり残された末娘だけが頼りだが、その末娘も洪水の後には……。
日本の小説家はこんな書き方はしないだろうと思う終わり方をする。その差はなんだろう。現代の小説があまりにもなよなよしく、苦しくなるくらい深いところまで描き切っていないからではないだろうか。
文章がシンプルである。それが荒涼とした砂の大地の光景を浮かび上がらせる不思議な効果を持っている。この作者はこのようにしか書けなかったのだろう。必要最低限の言葉でより深いところを感じさせるこの文体は、修辞が多い文章に比べると読むスピード感がすごい。そしてそのスピードが読み進めるごとに展開する殺伐さと重なり、描き出される光景に不気味さを加えている。
メキシコの乾いた大地には昼には昼の、夜には夜の恐ろしさがある。そこに住む人々、いや実はメキシコの人だけでなくすべての人という存在の、苦しさ(あるいはそれこそが美しいとも思える)がよく描かれている。
瀕死の息子を背負って歩み続けて、明け方町に入ると野良犬の群れに吠えられる。この町には医者がいる。息子は「水が飲みたい」と言う。「ここには水なんてねえんだ。あるのは石ころばかりだ。辛抱しろ」と答える父親。
「犬の声は聞こえんか」はわずか8ページの中にどんなに長い小説よりも、深く苦しい父と子の姿が描かれている。
2021年11月5日に日本でレビュー済み
図書館で借りて読んでみた。
最初は、ガルシア・マルケスっぽいけど話しが単純でちょっとなと思って、「燃える平原」と「コマドレス坂」だけ読んで返すかと思ったが、短いやつをさらにいくつか読んだら面白くなってきて、結局、解説まで全部読んでしまった。
小説の世界がいまの作家では書けない世界だし、無骨さが本物という感じ。
いろんな思いがけない話しがあるし、小説も構成も面白い。
次は「ペドロ・パラモ」を読んでみようと思う。
最初は、ガルシア・マルケスっぽいけど話しが単純でちょっとなと思って、「燃える平原」と「コマドレス坂」だけ読んで返すかと思ったが、短いやつをさらにいくつか読んだら面白くなってきて、結局、解説まで全部読んでしまった。
小説の世界がいまの作家では書けない世界だし、無骨さが本物という感じ。
いろんな思いがけない話しがあるし、小説も構成も面白い。
次は「ペドロ・パラモ」を読んでみようと思う。
2018年9月17日に日本でレビュー済み
今まで読んだ短編集、いや、小説でもずぬけて好きです。
文庫にしてくれてありがとう。
(単行本持ってるけどwww)
文庫にしてくれてありがとう。
(単行本持ってるけどwww)
2014年8月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中々面白い本です。海外旅行する時は、現地の小説を読んでから出かけると、一味変わった旅になる様な気がします。お試し下さい。
2018年5月31日に日本でレビュー済み
本書が書肆風の薔薇から出されているのは知っていましたが、「ペドロ・パラモ」を何度も読み返しているうちに、結局文庫化された今日の今日まで未読のままでした。タイミングが合わなかったと言えばそれまでですが、中毒性のある、濃密な断片で構成されている「ペドロ・パラモ」に比べれば、短編集は緊密さであったり、そこから喚起されるイメージであったりの点でどうしても見劣りしてしまうのではないかと危惧してのことでもありました。しかし、そうした取り越し苦労は本書においては無用で、簡潔な文章と明確な意匠で構成された、これら17篇の作品は、「ペドロ・パラモ」とはまた違った豊穣な魅力を湛えており、本書もまたこれから幾度となく読み返すであろうことを予感させられます。
ただひとつ残念なのは、いずれの作品も、暴力や運命的なものへの諦めから「死」に縁取られていて、その重要な舞台装置になっていると思われる、たとえば木や植物等の固有名詞が、こちらの知識不足から隔靴痛痒といいますか、今ひとつ効果を感じ切れない感を拭えなかったことです。
とは言え、「わしらが行っちまったら、いったいおれたちの死んじまった家族はどうなるんだ?あいつらはここに住んでおるし、ひとりぼっちで残すわけにゃいかねえよ」(『ルビーナ』)や、「人間にとって時間ほど重い荷物はほかにねえよな。」(『マティルデ・アルカンヘルの息子』)といった、フアン・ルルフォの作品を理解する上で重要な鍵が散見されたり、身もふたもない聖と俗との対比、と思いきやの展開が読み物として単純に笑えて楽しめる「アナクレト・モローネス」等、この上なく秀逸な作品集です。
ところで、「覚えてねえか」の中に出てくる讃美歌「主よ、かわいい天使をもうひとり御許にお送りします」は、タイトルだけで泣けてきました。
ただひとつ残念なのは、いずれの作品も、暴力や運命的なものへの諦めから「死」に縁取られていて、その重要な舞台装置になっていると思われる、たとえば木や植物等の固有名詞が、こちらの知識不足から隔靴痛痒といいますか、今ひとつ効果を感じ切れない感を拭えなかったことです。
とは言え、「わしらが行っちまったら、いったいおれたちの死んじまった家族はどうなるんだ?あいつらはここに住んでおるし、ひとりぼっちで残すわけにゃいかねえよ」(『ルビーナ』)や、「人間にとって時間ほど重い荷物はほかにねえよな。」(『マティルデ・アルカンヘルの息子』)といった、フアン・ルルフォの作品を理解する上で重要な鍵が散見されたり、身もふたもない聖と俗との対比、と思いきやの展開が読み物として単純に笑えて楽しめる「アナクレト・モローネス」等、この上なく秀逸な作品集です。
ところで、「覚えてねえか」の中に出てくる讃美歌「主よ、かわいい天使をもうひとり御許にお送りします」は、タイトルだけで泣けてきました。