訳者解説によると、ボルヘス自身、本書について《わたしの好みからいえば、おそらく最上の作品なのである》と述べているという。
彼の《最上の作品》であるかどうかはともかく、ごくごく短い散文と詩を集めた本書が、ボルヘスの<エッセンス>だけから成り立っていることは確かである。
<死><鏡><迷宮><無限><書物><時><夢>……といったモチーフが、本書ではぎりぎりに圧縮されたかたちで語られ、ボルヘスの原型が透けて見える。
それだけに、時に難解なボルヘス作品を読み解くうえで、きわめて有用な詩文集だと感じた。
本書を読みながら傍線を引いた箇所をいくつかご紹介しておきたい。
《一つの映像がカレイドスコープのなかで永遠に消える》(69ページ)
万華鏡に映し出されるイメージは筒を一回まわすごとに変化する。同じ図柄があらわれることは、おそらくない。万華鏡をのぞいたときに見るこのイメージが、まったく一回かぎりだと考えると……。
《時間の流れのなかには、キリストの姿を見た最後の眼を消した一日がある》(58ページ)
生身のイエスを見たことのある最後のひとりが死んだのは、西暦何年何月何日のことだったのか? そう考えるボルヘスは、イエス・キリストの再臨を信じてはいないはずだ。
《槍が黄色い砂の上に投げる黒い影》(14ページ)
飛んでゆく槍が砂の上に落とす影が見えるだろうか? 飛ぶ矢も、微分に微分を重ねたある一瞬には止まっているといったゼノンのパラドクスを思い出させる一行だが、ボルヘスはそうした<一瞬>ないしは<永遠>を書きとめたいという願望をひそかに懐いていたのではあるまいか。
《二十歳余でロンドンに出たが、そのときすでに、何者でもないという己れの有りようを他人に気取られぬため、何者かであるかのごとく振る舞うすべを身に付けてしまった》(77ページ)
彼、シェイクスピアは、役者になり別人を演じ、劇作に転じるとハムレットやリヤ王やイアゴーの気持ちになって数多くのキャラクター(人物類型)を生み出した。
《その死の前であったか後であったか、彼は神の前に立って……「今や、ただ一人の人間、わたくし自身でありたいと思っております」》(80ページ)
その《わたくし自身》とは《何者でもない》のではなかったか。
シェイクスピアはほんとうにそういったのだろうか。
ひょっとすると、この述懐はボルヘス自身のものなのではないだろうか。
それより、《わたくし自身》とは何か? そういうものがあるのだろうか。
そんな<よしなしごと>を考えさせるのがボルヘスの作品の特徴だと思う。
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創造者 (岩波文庫 赤 792-2) 文庫 – 2009/6/16
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- 本の長さ206ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2009/6/16
- 寸法10.5 x 0.9 x 15 cm
- ISBN-104003279220
- ISBN-13978-4003279229
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- 出版社 : 岩波書店 (2009/6/16)
- 発売日 : 2009/6/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 206ページ
- ISBN-10 : 4003279220
- ISBN-13 : 978-4003279229
- 寸法 : 10.5 x 0.9 x 15 cm
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2014年5月10日に日本でレビュー済み
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ボルヘスの想像の秘密を明かすようなとても興味深い内容でした。
2013年10月12日に日本でレビュー済み
表題作の第一段落にやられました、かっこよすぎです。ボルヘスのすべてを理解するほどの頭も教養もありませんが巨大な知のと想像力の一片に触れる喜びを感じさせてくれる作品です。
ボルヘスの作品はそれぞれが論理的な言語によって丁寧に作られていますが、そのすべてを理解できなくとも雰囲気に浸るだけで楽しめます
機械式時計の仕組みは理解できなくとも、それが精密に動いているのを見てワクワクする感じといえば分かりやすいかもしれません。
ボルヘスの作品はそれぞれが論理的な言語によって丁寧に作られていますが、そのすべてを理解できなくとも雰囲気に浸るだけで楽しめます
機械式時計の仕組みは理解できなくとも、それが精密に動いているのを見てワクワクする感じといえば分かりやすいかもしれません。
2009年11月28日に日本でレビュー済み
私には、次に紹介する二篇が印象に残った。
一篇は、「天国篇、第31歌、108行」。ダンテ「神曲」(あるいは、「神の喜劇」と呼ばれるそうだが、それは、ともかく)よりの、引用なのだろうか?
わたしたちはこの眼で見ていながら、それと気付かないのかもしれない。地下鉄で乗り合わせたユダヤ人の横顔が、ひょっとすると、キリストのそれであるかもしれないのだ。(中略)ひょっとすると、十字架にかけられた顔のある特徴が、鏡の一枚一枚に潜んでいるのではないだろうか。ひょっとすると、その顔が命を失い、消えていったのは、神が万民となるためではなかったのか。
二篇目は、「ルカス伝、33章」。ルカ伝二十三章三十三節以下をボルヘスが解釈、創作したものであろう。
おお友よ、イエス・キリストのこの仲間の/天真さこそ、恥ずべき磔刑のさなかに/彼をして天国に願わせ、それを/得させたあの正直さこそ、実は/いくたびも彼を罪に落とし入れた、/血塗られた事件に巻き込まれた原因だったのだ。
〈彼〉は生来の〈正直さ〉・〈天真さ〉ゆえに、幾度も〈血塗られた事件に巻き込まれ〉、罪を重ねた、というボルヘスの解釈は新鮮だ。
しかし私は、〈彼〉はマイナスのカードを集めた(罪を重ねた)おかげで、プラスに転ずる(天国に入る)ことができた、と太宰流に解釈しておきたい。
一篇は、「天国篇、第31歌、108行」。ダンテ「神曲」(あるいは、「神の喜劇」と呼ばれるそうだが、それは、ともかく)よりの、引用なのだろうか?
わたしたちはこの眼で見ていながら、それと気付かないのかもしれない。地下鉄で乗り合わせたユダヤ人の横顔が、ひょっとすると、キリストのそれであるかもしれないのだ。(中略)ひょっとすると、十字架にかけられた顔のある特徴が、鏡の一枚一枚に潜んでいるのではないだろうか。ひょっとすると、その顔が命を失い、消えていったのは、神が万民となるためではなかったのか。
二篇目は、「ルカス伝、33章」。ルカ伝二十三章三十三節以下をボルヘスが解釈、創作したものであろう。
おお友よ、イエス・キリストのこの仲間の/天真さこそ、恥ずべき磔刑のさなかに/彼をして天国に願わせ、それを/得させたあの正直さこそ、実は/いくたびも彼を罪に落とし入れた、/血塗られた事件に巻き込まれた原因だったのだ。
〈彼〉は生来の〈正直さ〉・〈天真さ〉ゆえに、幾度も〈血塗られた事件に巻き込まれ〉、罪を重ねた、というボルヘスの解釈は新鮮だ。
しかし私は、〈彼〉はマイナスのカードを集めた(罪を重ねた)おかげで、プラスに転ずる(天国に入る)ことができた、と太宰流に解釈しておきたい。
2023年1月8日に日本でレビュー済み
ボルヘスが描いた世界観がもっとも多く詰め込まれている作品。他のボルヘスの語り口とは違い流暢で透明感のある文体に感じた。
2009年9月18日に日本でレビュー済み
200頁弱の小さな詩文集。同時期発売の『続審問』は巻末注なので、参照がちょいめんどいが、本作品『創造者』は脚注が各頁毎で読みやすい。
各作品非常に短く数頁程度だが、各々の作品が(例によって)「迷宮」あるいは「小宇宙」あるいは「合わせ鏡」のような永劫回帰的無限性をたたえている。小さな作品にこれほどの「濃度」で「世界」を封じ込めることができるのはボルヘスならでは。ジャンルを超越した博識もさることながら、その縦横無尽に乱れ飛ぶ想像力と感性が、ボルヘスの強烈な魅力だろう。例えば、本書中の一作品「鏡」。「そこでは、奇怪なユダヤの律師のように、わたしたちは右から左へと書物を読むのだ」(109頁)。私的なことで恐縮だが、私がへブル語のクラスを取ったとき、新しい言語を学ぶ困難さに加え、右から左へ読むという生理的困難さに閉口したものだ。ここでボルヘスは、「奇怪なユダヤの律師のように」という不安な感性を刺激する表現で、鏡に映った左右逆のめくるめく不思議な世界を我々に開陳する。実に見事ではないだろうか。
私自身、ボルヘスを理解するのに恵まれた環境にあった。文学についてはそれほど見識は広くなくとも、病ともいえる知的欲求と共に、古今東西のキリスト教書、哲学書を読み漁った。それでもなお、ボルヘスを完全に理解するにはほど遠いと実感している。
各作品非常に短く数頁程度だが、各々の作品が(例によって)「迷宮」あるいは「小宇宙」あるいは「合わせ鏡」のような永劫回帰的無限性をたたえている。小さな作品にこれほどの「濃度」で「世界」を封じ込めることができるのはボルヘスならでは。ジャンルを超越した博識もさることながら、その縦横無尽に乱れ飛ぶ想像力と感性が、ボルヘスの強烈な魅力だろう。例えば、本書中の一作品「鏡」。「そこでは、奇怪なユダヤの律師のように、わたしたちは右から左へと書物を読むのだ」(109頁)。私的なことで恐縮だが、私がへブル語のクラスを取ったとき、新しい言語を学ぶ困難さに加え、右から左へ読むという生理的困難さに閉口したものだ。ここでボルヘスは、「奇怪なユダヤの律師のように」という不安な感性を刺激する表現で、鏡に映った左右逆のめくるめく不思議な世界を我々に開陳する。実に見事ではないだろうか。
私自身、ボルヘスを理解するのに恵まれた環境にあった。文学についてはそれほど見識は広くなくとも、病ともいえる知的欲求と共に、古今東西のキリスト教書、哲学書を読み漁った。それでもなお、ボルヘスを完全に理解するにはほど遠いと実感している。
2005年2月23日に日本でレビュー済み
ボルヘス。このなんとも奇妙な響きの名をもつ怪物は、図書館と呼ばれる宇宙に住んでいる。彼の短篇は20世紀世界文学の最良の収穫として名高い(実際、相反する命題同士を結びつける手腕は見事と言うしかない)が、その詩作の評価はどうであろうか。多くの読者には小説のオマケくらいにしか認識されていないのではないだろうか。
周知のことかもしれないが、ボルヘスは1923年「ブエノス・アイレスの熱狂」を発表し、詩人として創作活動を出発した。そして、以来ボルヘスは生涯自身の事を詩人と称し続けた。本書『創造者』は、詩人ボルヘスが自ら最高傑作であると認める作品である。その中にはボルヘスを語るうえで欠かせない「鏡」「分身」「時間」「ドン・キホーテ」などが詩語のうちに濃密に凝縮されている。
本書によって、詩人・ボルヘスが「再発見」されることを強く望みたい。
周知のことかもしれないが、ボルヘスは1923年「ブエノス・アイレスの熱狂」を発表し、詩人として創作活動を出発した。そして、以来ボルヘスは生涯自身の事を詩人と称し続けた。本書『創造者』は、詩人ボルヘスが自ら最高傑作であると認める作品である。その中にはボルヘスを語るうえで欠かせない「鏡」「分身」「時間」「ドン・キホーテ」などが詩語のうちに濃密に凝縮されている。
本書によって、詩人・ボルヘスが「再発見」されることを強く望みたい。
2020年11月23日に日本でレビュー済み
20世紀アルゼンチンの詩人ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899-1986)の詩文集、1960年。
訳者による「解説」によると、「文体においてつねに精確と簡潔をめざし、個人としての具体的な経験から生じた根源的な感情も抽象化と普遍化をとおしてしか表現しないボルヘス」は、「この世界についての経験のすべてを調和的かつ観念的なヴィジョンによって、或いは絶対的な価値への信仰によって可能なかぎり整序し、純粋な形式もしくは元型を追い求めてきた」(p199)。
□
ボルヘスがこの極限まで切り詰められた詩篇によって繰り返し表現しようと試みているもののひとつは、彼も作品中で書いているように「人間という存在者のその影のような虚しさ」であろう。「鏡」「夢」「死」「記憶」「迷宮」「転生」「無限循環」「無限遡行」といったモチーフも、人間のアイデンティティなるものの幻想性を淡々と表出させるために配置されているのだと思う。
「夢をよそおう夜とさまざまな形の/鏡を神がお造りになったその目的は、/影のような虚しい存在だということを人間に/悟らせるためだった。/それ故わたしたちは怯えるのだ」(p110「鏡」)。
ボルヘスの作品には、時間、空間、属性といった具象性の重みが、どこまでも無化されていくような印象がある。超-属。しかし、人間存在の一切の規定が取り去られてしまおうとするまさにそのとき、そこには何もなくなくなってしまうのではなくて、最も elementary な無内容な何か(哀しみなど)が残るような気がする。無内容に到達してしまうそのぎりぎりの境界、透明になって消失してしまうその直前に、最後に残る何か。ボルヘスがそこを目指していたのかどうかはわからないが、彼の作品を読んで感じるあの特有の戦慄は、この「何か」が垣間見えてしまったということに由来するのかもしれない。
メルロ・ポンティは『知覚の現象学』において、人間の経験や言語の根底にはその前提条件として「身体」があることを明らかにしたそうだが、ボルヘスを読んでいると、それと類比的な人間存在の前提条件、人間が最後までそれをなぞらずにはおれない「形式」があるような気がしてくる。ボルヘスはそこに表現を与えようとしているのではないかと想像してしまう。
「わたしは思ったが、詩人というのは、/楽園の赤毛のアダムのように、/それぞれの事物に、正しい真実の/いまだ知られざる名称を与える人間なのだ」(p121「月」)。
訳者による「解説」によると、「文体においてつねに精確と簡潔をめざし、個人としての具体的な経験から生じた根源的な感情も抽象化と普遍化をとおしてしか表現しないボルヘス」は、「この世界についての経験のすべてを調和的かつ観念的なヴィジョンによって、或いは絶対的な価値への信仰によって可能なかぎり整序し、純粋な形式もしくは元型を追い求めてきた」(p199)。
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ボルヘスがこの極限まで切り詰められた詩篇によって繰り返し表現しようと試みているもののひとつは、彼も作品中で書いているように「人間という存在者のその影のような虚しさ」であろう。「鏡」「夢」「死」「記憶」「迷宮」「転生」「無限循環」「無限遡行」といったモチーフも、人間のアイデンティティなるものの幻想性を淡々と表出させるために配置されているのだと思う。
「夢をよそおう夜とさまざまな形の/鏡を神がお造りになったその目的は、/影のような虚しい存在だということを人間に/悟らせるためだった。/それ故わたしたちは怯えるのだ」(p110「鏡」)。
ボルヘスの作品には、時間、空間、属性といった具象性の重みが、どこまでも無化されていくような印象がある。超-属。しかし、人間存在の一切の規定が取り去られてしまおうとするまさにそのとき、そこには何もなくなくなってしまうのではなくて、最も elementary な無内容な何か(哀しみなど)が残るような気がする。無内容に到達してしまうそのぎりぎりの境界、透明になって消失してしまうその直前に、最後に残る何か。ボルヘスがそこを目指していたのかどうかはわからないが、彼の作品を読んで感じるあの特有の戦慄は、この「何か」が垣間見えてしまったということに由来するのかもしれない。
メルロ・ポンティは『知覚の現象学』において、人間の経験や言語の根底にはその前提条件として「身体」があることを明らかにしたそうだが、ボルヘスを読んでいると、それと類比的な人間存在の前提条件、人間が最後までそれをなぞらずにはおれない「形式」があるような気がしてくる。ボルヘスはそこに表現を与えようとしているのではないかと想像してしまう。
「わたしは思ったが、詩人というのは、/楽園の赤毛のアダムのように、/それぞれの事物に、正しい真実の/いまだ知られざる名称を与える人間なのだ」(p121「月」)。