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蘭学事始 (岩波文庫 青 20-1) 文庫 – 1982/3/1
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- 本の長さ196ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1982/3/1
- 寸法10.5 x 0.9 x 14.8 cm
- ISBN-10400330201X
- ISBN-13978-4003302019
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1982/3/1)
- 発売日 : 1982/3/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 196ページ
- ISBN-10 : 400330201X
- ISBN-13 : 978-4003302019
- 寸法 : 10.5 x 0.9 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 268,685位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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- 2012年3月10日に日本でレビュー済み鎖国の江戸時代において、実にわずかな情報だけで、西洋の医学をどんよくに吸収した日本人たちがいた。
杉田の文章は、江戸時代の中期の文章ながら、現代人でも、翻訳なしで読める。
前田良沢、平賀源内などのおなじみの名前も登場する。
『ターヘル・アナトミア』というオランダの医学書を見ながら、刑死した死体を解剖し、その内容の正確さを確かめる箇所は、この本のハイライト。
時代を超えた、日本人の知の獲得への執念が直接感じられ、感動させられる。
- 2017年1月6日に日本でレビュー済みAmazonで購入① 中学校の国語の教科書に抜粋が乗っていましたが、「昔の人は大変だったのだな」と感じた程度でした。
② 現役を引退した今、改め読んで見ると、途方もない事に挑んだ人たちの情熱に深く感じるものがあり、消え去りがたい余韻が残ります。
③ 本書の著者や、その同輩の士には及びもつきませんが、夢中で走り切ることが出来れば、よい人生であったと思える日が来ることを教えてくれる本です。
- 2013年8月19日に日本でレビュー済みAmazonで購入初めて全部読んでみました。
なかなかおもしろいと思います。
歴史好きになれるかもしれません。
- 2017年3月24日に日本でレビュー済み新版序にあるように、国語の教科書で一部を読んだことがある。多分、現代語訳だったのだろうと思うが、記憶の彼方だ。
毎日新聞の書評で、『折りたく柴の記』と並んで紹介されていて、一度も読んでいない『折りたく柴の記』を先に読んだが、今回、『蘭学事始』を原文で読んで、やはり原文の方がいいと思った。調子というか文字の座り方というか、そもそも、話の始め方、上之巻,下之巻という構成の仕方など、現代語に翻訳してはなかなか気分が出ないだろうと感じる。
あるいは、1814年ごろの息吹が伝わるというか、原文に接して感じるところが多い。それにしても、かつて、横文字を読むことすら禁じられたということは、戦時中の「敵性言語」という標語にもあるけれど、愚かとしか言いようがないのだが、不思議なものだ。「奇人」という言葉も不思議な味わいがある。そのような奇特な人々の系譜が延々と述べられていて、なるほど、82歳という年齢での覚書とはこのようなものかと妙に納得する。大槻玄沢の補筆がどのようであったかとか、細かい話は色々あるだろうけれど、文化史、科学史の一コマとしていつまでも残るものだと感じた。
ページ数もそう多くない。ぜひ通読を勧めたい。
- 2007年2月5日に日本でレビュー済みろくに辞書もない状態で、世界の最先端の知識を貪欲に取り込もうとした杉田玄白の蘭学創始の苦労をつづった記録。わずか一語の訳に苦労しながらも、ついに「ターヘル・アナトミア」の翻訳をなしとげるまでの闘いは、我々の胸に訴えかけるものがある。
どんな本屋でも安い辞書が並び、中高生が電子辞書をおもちゃのように持ち遊んでいる今日、辞書のありがたみや外国文化を導入する苦労について改めて振り返るのは意義あることであろう。
- 2022年3月24日に日本でレビュー済み『蘭学事始』(杉田玄白著、緒方富雄校註、岩波文庫)を書斎の書棚から引っ張り出してきて、46年ぶりに再読しました。
「然るにこの節不思議にかの国解剖の書手に入りしことなれば、先づその図を実物に照し見たきと思ひしに、実にこの学開くべきの時至りけるにや、この春その書の手に入りしは、不思議とも妙ともいはんか。そもそも頃は三月三日の夜と覚えたり。時の町奉行曲淵甲斐守殿の家士得能万兵衛といふ男より手紙もて知らせ越せしは、明日手医師何某といへる者、千住骨ケ原にて腑分いたせるよしなり。お望みあらばかのかたへ罷り越されよかしといふ文をこしたり。・・・よき折あらば翁(玄白)も自ら観臓してよと思ひ居たりし。この時和蘭解剖の書も初めて手に入りしことなれば、照らし視て何れかその実否を試むべしと喜び、一かたならぬ幸の時至れりと彼処へ罷る心にて殊に飛揚せり。・・・かの(前野)良沢へも知らせ越したり。さて、良沢は翁よりも齢十ばかりも長じ、われよりも老輩のことにてありしゆえ、相識にこそあれ、つねづねは往来も稀に、交接うとかりしかど、医事に志篤きは互ひに知り合ひたる仲なれば、この一挙に漏らすべき人にはあらず」。罪人の解剖を見学する機会を得た杉田玄白は、時至れりと喜び、10歳年上の前野良沢にも声をかけたのです。
解剖場所にて、「良沢一つの蘭書を懐中より出だし、披き示して曰く、これはこれターヘル・アナトミアといふ和蘭解剖の書なり、先年長崎へ行きたりし時求め得て帰り、家蔵せしものなりといふ。これを見れば、即ち翁がこの頃手に入りし蘭書と同書同版なり。これ誠に奇遇なりとて、互ひに手をうちて感ぜり」。何と、良沢もターヘル・アナトミアを入手していたのです。
解剖見学を終えて、「翁、申せしは、何とぞこのターヘル・アナトミアの一部、新たに翻訳せば、身体内外のこと分明を得、今日治療の上の大益あるべし」。
「その翌日、良沢が宅に集まり、前日のことを語り合ひ、先づ、かのターヘル・アナトミアの書にうち向ひしに、誠に艪舵なき船の大海に乗り出だせしが如く、茫洋として寄るべきかたなく、たゞあきれにあきれて居たるまでなり」。いざ翻訳と意気込んだものの、オランダ語が分からぬ玄白たちの戸惑いぶりが伝わってきます。
「前後一向にわからぬことばかりなり。たとへば、眉(ウエインブラーウ)といふものは目の上に生じたる毛なりとあるやうなる一句も、彷彿として、長き春の一日には明らめられず、日暮るゝまで考へ詰め、互ににらみ合ひて、僅か一二寸ばかりの文章、一行も解し得ることならぬことにてありしなり。また或る日、鼻のところにて、フルヘッヘンドせしものなりとあるに至りしに、この語わからず。これは如何なることにてあるべきと考へ合ひしに、如何ともせんやうなし。その頃ウヲールデンブック(釈辞書)といふものなし。漸く長崎より良沢求め帰りし簡略なる一小冊ありしを見合せたるに、フルヘッヘンドの訳註に、木の枝を断ち去れば、その跡フルヘッヘンドをなし、また庭を掃除すれば、その塵土聚まりフルヘッヘンドすといふやうに読み出だせり。これは如何なる意味なるべしと、また例の如くこじつけ考へ合ふに、弁へかねたり。時に、翁思ふに、木の枝を断りたる跡癒ゆれば堆くなり、また掃除して塵土聚まればこれも堆くなるなり。鼻は面中に在りて堆起せるものなれば、フルヘッヘンドは堆(ウヅタカシ)といふことなるべし。然ればこの語は堆と訳しては如何といひければ、各ゝこれを聞きて、甚だ尤もなり、堆と訳さば正当すべしと決定せり。その時の嬉しさは、何にたとへんかたもなく、連城の玉をも得し心地せり。かくの如きことにて推して訳語を定めり」。『蘭学事始』を執筆当時82歳の玄白の手で、41年前に漸く発刊に漕ぎ着けた『解体新書』の苦労、そして感激が臨場感豊かに、生き生きと綴られています。
『蘭学事始』(杉田玄白著、緒方富雄校註、岩波文庫)を書斎の書棚から引っ張り出してきて、46年ぶりに再読しました。
「然るにこの節不思議にかの国解剖の書手に入りしことなれば、先づその図を実物に照し見たきと思ひしに、実にこの学開くべきの時至りけるにや、この春その書の手に入りしは、不思議とも妙ともいはんか。そもそも頃は三月三日の夜と覚えたり。時の町奉行曲淵甲斐守殿の家士得能万兵衛といふ男より手紙もて知らせ越せしは、明日手医師何某といへる者、千住骨ケ原にて腑分いたせるよしなり。お望みあらばかのかたへ罷り越されよかしといふ文をこしたり。・・・よき折あらば翁(玄白)も自ら観臓してよと思ひ居たりし。この時和蘭解剖の書も初めて手に入りしことなれば、照らし視て何れかその実否を試むべしと喜び、一かたならぬ幸の時至れりと彼処へ罷る心にて殊に飛揚せり。・・・かの(前野)良沢へも知らせ越したり。さて、良沢は翁よりも齢十ばかりも長じ、われよりも老輩のことにてありしゆえ、相識にこそあれ、つねづねは往来も稀に、交接うとかりしかど、医事に志篤きは互ひに知り合ひたる仲なれば、この一挙に漏らすべき人にはあらず」。罪人の解剖を見学する機会を得た杉田玄白は、時至れりと喜び、10歳年上の前野良沢にも声をかけたのです。
解剖場所にて、「良沢一つの蘭書を懐中より出だし、披き示して曰く、これはこれターヘル・アナトミアといふ和蘭解剖の書なり、先年長崎へ行きたりし時求め得て帰り、家蔵せしものなりといふ。これを見れば、即ち翁がこの頃手に入りし蘭書と同書同版なり。これ誠に奇遇なりとて、互ひに手をうちて感ぜり」。何と、良沢もターヘル・アナトミアを入手していたのです。
解剖見学を終えて、「翁、申せしは、何とぞこのターヘル・アナトミアの一部、新たに翻訳せば、身体内外のこと分明を得、今日治療の上の大益あるべし」。
「その翌日、良沢が宅に集まり、前日のことを語り合ひ、先づ、かのターヘル・アナトミアの書にうち向ひしに、誠に艪舵なき船の大海に乗り出だせしが如く、茫洋として寄るべきかたなく、たゞあきれにあきれて居たるまでなり」。いざ翻訳と意気込んだものの、オランダ語が分からぬ玄白たちの戸惑いぶりが伝わってきます。
「前後一向にわからぬことばかりなり。たとへば、眉(ウエインブラーウ)といふものは目の上に生じたる毛なりとあるやうなる一句も、彷彿として、長き春の一日には明らめられず、日暮るゝまで考へ詰め、互ににらみ合ひて、僅か一二寸ばかりの文章、一行も解し得ることならぬことにてありしなり。また或る日、鼻のところにて、フルヘッヘンドせしものなりとあるに至りしに、この語わからず。これは如何なることにてあるべきと考へ合ひしに、如何ともせんやうなし。その頃ウヲールデンブック(釈辞書)といふものなし。漸く長崎より良沢求め帰りし簡略なる一小冊ありしを見合せたるに、フルヘッヘンドの訳註に、木の枝を断ち去れば、その跡フルヘッヘンドをなし、また庭を掃除すれば、その塵土聚まりフルヘッヘンドすといふやうに読み出だせり。これは如何なる意味なるべしと、また例の如くこじつけ考へ合ふに、弁へかねたり。時に、翁思ふに、木の枝を断りたる跡癒ゆれば堆くなり、また掃除して塵土聚まればこれも堆くなるなり。鼻は面中に在りて堆起せるものなれば、フルヘッヘンドは堆(ウヅタカシ)といふことなるべし。然ればこの語は堆と訳しては如何といひければ、各ゝこれを聞きて、甚だ尤もなり、堆と訳さば正当すべしと決定せり。その時の嬉しさは、何にたとへんかたもなく、連城の玉をも得し心地せり。かくの如きことにて推して訳語を定めり」。『蘭学事始』を執筆当時82歳の玄白の手で、41年前に漸く発刊に漕ぎ着けた『解体新書』の苦労、そして感激が臨場感豊かに、生き生きと綴られています。
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