イスラームを知るのに、これ以上に読みやすくて明快な本があったら教えてほしい、と言いたくなるくらい良い本だと思う。
世界史や宗教史の文脈でイスラームにはもちろん触れられるけど、概説を読んでもいまいち掴みづらかった部分を、これを読んでくっきりとしたイメージを持って吸収することができた。多分、勉強を重ねていきながらまたこの本は読み返すだろう。
副題に「その根底にあるもの」と書かれているように、イスラーム文化を構造的に規定している要素を解説し、全体的な像を浮かび上がらせるような論旨になっている。「宗教」「法と倫理」「内面への道」という三つの角度から、イスラーム文化を読み解いていく。
ユダヤ・キリスト教的な世界観との違いや、スンニ派とシーア派の違いであったり、イスラームの宗教や文化が世界に広がっていく過程をただ時系列的・概論的に説明しているのではなく、より根源的・精神的な部分に焦点が当たっているから面白く感じるのだと思う。
昨今、過激派によるテロ事件が多発し、イスラームそのものが偏見や間違ったイメージを受けているのではないか。
もちろん、宗派間の争いや断絶が多くの血を流してきたという事実はある。しかし、そこで理解を止めてしまったら、なぜここまでイスラームが世界宗教として影響を与え、そしていまなお政治的・宗教的な問題の火種になっているのかが分からなくなるだろう。
イスラームには二面性がある。現世において神の言葉通りの世界を実現するべく、法を守り、生活の隅々まで神聖さで満たし、よりよい政治体制や社会を実現させるために外的な方向に力を注ぐという面。それと、スーフィズムの倫理に見られるように、修行を通して内面的な探求を掘り下げていくという面。
根底には聖典コーランがあり、それを補足するものとしてハディースがある。しかし、キリスト教の聖書や仏教の経典などのように原典だけで色々な人が手を加えてるものと違い、コーランやハディースはあくまでも神の言葉と、ムハンマドの言行録であり、その解釈がきわめて重要な問題となる。
だからこそ、イスラームの誕生以来、解釈の問題であらゆる宗派間の争いが生まれてきたのだといえる。
イスラーム文化から何を学べるだろうか?表層的な理解に留まらず、その根底にあるものを見つめることによって、世界で起きていることや、自分たちの文化も相対化して見て新たな理解が得られるかもしれない。
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イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫) 文庫 – 1991/6/17
井筒 俊彦
(著)
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イスラーム文化を真にイスラーム的ならしめているものは何か.――著者はイスラームの宗教について説くことからはじめ,その実現としての法と倫理におよび,さらにそれらを支える基盤の中にいわば顕教的なものと密教的なものとの激しいせめぎ合いを認め,イスラーム文化の根元に迫ろうとする.世界的な権威による第一級の啓蒙書.
- ISBN-10400331851X
- ISBN-13978-4003318515
- 出版社岩波書店
- 発売日1991/6/17
- 言語日本語
- 寸法10.5 x 0.9 x 14.8 cm
- 本の長さ240ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1991/6/17)
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- 言語 : 日本語
- 文庫 : 240ページ
- ISBN-10 : 400331851X
- ISBN-13 : 978-4003318515
- 寸法 : 10.5 x 0.9 x 14.8 cm
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- - 588位岩波文庫
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著者について
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1914年東京・四ツ谷生まれ。
1937年慶應義塾大学英語英文学科卒業、同大学文学部助手。
1941年『アラビア思想史』、49年『神秘哲学』。
1959年から2年間にわたって中近東・欧米でイラスーム研究に従事。
1961年マギル大学客員教授、69年同大学イスラーム学研究所テヘラン支部教授、75年イラン王立研究所教授。
1979年イラン革命激化のためテヘランから日本に帰国。『意識と本質』(1980-82年)、『意味の深みへ』(1985年)、『コスモスとアンチコスモス』(1989年)、『超越のことば』(1991年)、絶筆『意識の形而上学』(1993年)など代表著作を発表。
1993年北鎌倉の自宅にて逝去(78歳)。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年3月11日に日本でレビュー済み
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他の方も仰っているように、現在のイスラームを取り巻く情勢や教科書的に体系化された知識が得られる訳ではないと思いますが、元来のイスラームのあり方が初めて見聞する方にも分かりやすく、しかも根源にまで遡って説明されています。
イスラームとは?との問いに何か述べるにはほど遠いですが、イスラームに関して見聞きする情報なり意見なりに対し、それは本来のイスラームからするとどうなのだろう?との疑問などは抱くことが出来るようになったと思います。報道などの情報や識者の意見などを盲目的に受け入れることから離れられただけでも、非常に有意義な読書体験になりました。
同じく井筒俊彦先生による「イスラーム生誕」とともに、初学者にお勧めします。
イスラームとは?との問いに何か述べるにはほど遠いですが、イスラームに関して見聞きする情報なり意見なりに対し、それは本来のイスラームからするとどうなのだろう?との疑問などは抱くことが出来るようになったと思います。報道などの情報や識者の意見などを盲目的に受け入れることから離れられただけでも、非常に有意義な読書体験になりました。
同じく井筒俊彦先生による「イスラーム生誕」とともに、初学者にお勧めします。
2024年1月20日に日本でレビュー済み
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自分が哲学的な意味において最も印象的に思ったのは、本書のほぼ最後、220ページだった。
自我意識の完全なる払拭の後に、突然、燦然と輝きだす神の顔を見る、というその部分であった。
神との遭遇という意味では、まさに回心、無の境地など、キリスト教、仏教にも通じる心理状態ではないだろうか。
自分の心から、自分ならぬものを見出そうとする態度。その最後に自分はなくなり、神と出会う。
自分とは環境に造られた人格である。そういった、他に依拠する自分というものをすべて脱落させていくと、きっと真なるものが見えるに違いない。そういう風に理解した。
自我意識の完全なる払拭の後に、突然、燦然と輝きだす神の顔を見る、というその部分であった。
神との遭遇という意味では、まさに回心、無の境地など、キリスト教、仏教にも通じる心理状態ではないだろうか。
自分の心から、自分ならぬものを見出そうとする態度。その最後に自分はなくなり、神と出会う。
自分とは環境に造られた人格である。そういった、他に依拠する自分というものをすべて脱落させていくと、きっと真なるものが見えるに違いない。そういう風に理解した。
2020年6月23日に日本でレビュー済み
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イスラム文化の入門書として全体像を捕らえ易い。スンニ派、シーア派、神秘主義の差異について明確に解説している。文章に独特の癖、1文節が長いなど、読み返しが必要なことが難点である。
2021年1月1日に日本でレビュー済み
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この人は社会学や経済・歴史にあまり興味がないようだ。どこまでも文化=宗教と割り切っている。だから、シーア派とスンニ派が表に出てくる。領土争いには経済的なものが多いのではないか。どうも机の学者のようである。
2019年4月5日に日本でレビュー済み
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イスラム世界の成り立ちを知りたくて購入した。名著、日本人にとってのイスラム理解の基本書!! そのように言っても過言ではないだろう。イスラムがより身近になった今、一読しておくべき必須の一冊である。
2016年7月28日に日本でレビュー済み
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イスラーム研究の泰斗・井筒氏がビジネスマン向けの講演会で話したことを、まとめた本。サブタイトルに、「その根底にあるもの」と、あるように、「イスラームという文化はいったいどんな本質構造をもっているのか」が、書かれている。
この本から読み取れるイスラーム教の主な世界観は、①アブラハムの宗教、②絶対帰依、③終末論、④神が創造した世界は祝福されている、というものだ。
①「アブラハムの宗教」というのは、他の宗教(ユダヤ教・キリスト教)に対する、イスラーム教の位置づけである。人類の父祖であるアダムから、人格神的絶対一神教の伝統=「永遠の宗教」は続いてきたのだが、ユダヤ教もキリスト教も神の啓示を歪曲してとらえた信徒たちによって、純正な一神教から道を踏み外した、とイスラーム教は解釈する。(例えば、イエスを“神の子”とするキリスト教については、完全な一神を二つの神に増やして多神教に堕落したもの、とイスラームは考える)
イスラーム教は、新たに起こされた宗教なのではなく、“昔の最も純正な一神教に戻した”もの、「アブラハムの宗教」の復活なのである。
②絶対帰依は、神に対するイスラームの態度である。井筒氏は、「自分をすっかり相手(神)に任せきること、奴隷のように、奴隷が主人に対するように、何をどうされても、ただひたすら向こうの思いのままという絶対他力信仰的態度」と説明している。(ここで、主人と奴隷というのは、あくまでも神と人間との関係であって、人間どうし=信者どうしは平等、とされている)
ムハンマドにとって、アブラハムは人類史上最初の「ムスリム=絶対的に帰依した人」だ。長い歴史のなかで、預言者や使徒が何人も神から遣わされてきたが、絶対帰依=イスラーム、を宗教の原理として掲げたのは、アブラハムが初めてであった。そして、ムハンマドは「永遠の宗教」を「アブラハムの宗教」へと回帰させ、人類に遣わされた“最後の預言者(神の言葉を預かった人)・最後の使徒(神の言葉を伝えるという特別の使命を負わされた人)”として、「永遠の宗教」を「イスラーム(絶対的に帰依すること)」として固定した。イスラームという信仰形態が、世界の終末まで続くのである。
③終末論は、イスラームの歴史観である。現世は、いつの日か終末を迎え、死者がよみがえり、審判が行われて天国行きか地獄行きかに人間が割り振られてから来世が始まる、というものだ。この終末論(最後の審判)への意識が、信徒に自分自身をかえりみて反省するようにうながす契機となるのである。井筒氏は、「神の前に立つ人間が、己の現実的姿、現実のあり方をぜんぜん粉飾なしに真剣に反省するならば、己のいかに罪深い存在であるかという痛切な自覚をもたざるをえない」と説明する。「ユダヤ人が神と契約を結んでおきながら、背き去った、その同じ契約を、あらたに神と結びなおして、今度こそそれを完全に履行し、そうすることによって「神を怖れる」人々を再び地上に出現させる――それがムハンマドの構想したイスラームという宗教の本来の使命なのでありました。」
④神が創造した世界は祝福されている、というのは、現世に対するイスラームの態度である。全知全能の神が創造した世界は素晴らしい、というのが、イスラームの基本的なスタンスだ。井筒氏の説明によると、「現世がもし汚れているのなら、汚れないものにしようと、現実の社会が不義不正の社会であるならば、神の意志に従って正義の社会につくり直していこうという積極的態度」をイスラームはとる。ここから「聖俗不分」という考え方が出てくる。キリスト教のように、「神の国」と「地上の国」という聖なる領域と俗なる領域の区別をしない。だから、『コーラン』や『ハディース(ムハンマドの言行録)』、イスラーム法の解釈や運用をするウラマー(学者たち)はいるが、聖職者はいないし、修道院は存在しないのである。
この考え方を押し進めてイスラーム法を整備したのが、スンニー派(アラブ的文化パターン)である。イスラーム法とは、ムハンマドの死後に編纂された『コーラン』と『ハディース』を解釈して作成されたもので、「神の意志に基づいて、人間が現世で生きていく上での行動の仕方、人間生活の正しいあり方を残りなく規定する一般規範の体系」となっている。それは、「メッカ巡礼のやり方とか、ラマダーン月の断食の仕方、(中略)はては食事のあとのつま楊枝の使い方、トイレットの作法まである。」というふうに、刑法などの法的なことから日常生活の行為まであらゆることが決まっている。イスラーム法を無視することは、「単に社会秩序を乱すというようなことではなくて、宗教的背信行為」とみなされるのである。
これに対して、シーア派(イラン的文化パターン)は、イスラーム法順守=宗教的な態度とみなすスンニー派の態度を、表面的なものとして批判する。イラン的感性では、聖=俗ではなく、聖は俗よりも高い次元にある。だから、『コーラン』と『ハディース』の内面に踏み込んで、その字面の奥にある“隠された意味”を読み込まなくてはならない、ということになる。それが、スンニー派からすると、“勝手な神秘主義的解釈”に思えるのである。
このように宗派がそれぞれに分かれていても、ときの政治体制にウラマー(イスラーム学者たち)が協調して、イスラーム法を運営してきたという国家統治のあり方は、イスラーム諸国に共通したスタイルだった。長きにわたって聖俗を二分割してこなかった歴史が、イスラーム諸国の政教分離を困難なものにしてきたのである。
中東が混迷状態にある今、政治・経済がうまくいかない、と人々が感じたときに、求心力になっていくのは、イスラーム教なのか、ナショナリズムなのか、ほかの価値観であるのか、は国によって異なるだろう。ただ一つ言えるのは、共同体を構成する基本は変わらない、ということだ。共同体は、同じ価値観(例えば民主主義とか文化とか)を分かち合う人々が、集団的責任感で一体となって協力でき、政治や経済や社会などをよりよくしていこう、と思えるところに本領がある。今、混迷状態にある国の人々が、これからどのような価値観を見出し、協力していけるのか、に注目していきたい。
この本から読み取れるイスラーム教の主な世界観は、①アブラハムの宗教、②絶対帰依、③終末論、④神が創造した世界は祝福されている、というものだ。
①「アブラハムの宗教」というのは、他の宗教(ユダヤ教・キリスト教)に対する、イスラーム教の位置づけである。人類の父祖であるアダムから、人格神的絶対一神教の伝統=「永遠の宗教」は続いてきたのだが、ユダヤ教もキリスト教も神の啓示を歪曲してとらえた信徒たちによって、純正な一神教から道を踏み外した、とイスラーム教は解釈する。(例えば、イエスを“神の子”とするキリスト教については、完全な一神を二つの神に増やして多神教に堕落したもの、とイスラームは考える)
イスラーム教は、新たに起こされた宗教なのではなく、“昔の最も純正な一神教に戻した”もの、「アブラハムの宗教」の復活なのである。
②絶対帰依は、神に対するイスラームの態度である。井筒氏は、「自分をすっかり相手(神)に任せきること、奴隷のように、奴隷が主人に対するように、何をどうされても、ただひたすら向こうの思いのままという絶対他力信仰的態度」と説明している。(ここで、主人と奴隷というのは、あくまでも神と人間との関係であって、人間どうし=信者どうしは平等、とされている)
ムハンマドにとって、アブラハムは人類史上最初の「ムスリム=絶対的に帰依した人」だ。長い歴史のなかで、預言者や使徒が何人も神から遣わされてきたが、絶対帰依=イスラーム、を宗教の原理として掲げたのは、アブラハムが初めてであった。そして、ムハンマドは「永遠の宗教」を「アブラハムの宗教」へと回帰させ、人類に遣わされた“最後の預言者(神の言葉を預かった人)・最後の使徒(神の言葉を伝えるという特別の使命を負わされた人)”として、「永遠の宗教」を「イスラーム(絶対的に帰依すること)」として固定した。イスラームという信仰形態が、世界の終末まで続くのである。
③終末論は、イスラームの歴史観である。現世は、いつの日か終末を迎え、死者がよみがえり、審判が行われて天国行きか地獄行きかに人間が割り振られてから来世が始まる、というものだ。この終末論(最後の審判)への意識が、信徒に自分自身をかえりみて反省するようにうながす契機となるのである。井筒氏は、「神の前に立つ人間が、己の現実的姿、現実のあり方をぜんぜん粉飾なしに真剣に反省するならば、己のいかに罪深い存在であるかという痛切な自覚をもたざるをえない」と説明する。「ユダヤ人が神と契約を結んでおきながら、背き去った、その同じ契約を、あらたに神と結びなおして、今度こそそれを完全に履行し、そうすることによって「神を怖れる」人々を再び地上に出現させる――それがムハンマドの構想したイスラームという宗教の本来の使命なのでありました。」
④神が創造した世界は祝福されている、というのは、現世に対するイスラームの態度である。全知全能の神が創造した世界は素晴らしい、というのが、イスラームの基本的なスタンスだ。井筒氏の説明によると、「現世がもし汚れているのなら、汚れないものにしようと、現実の社会が不義不正の社会であるならば、神の意志に従って正義の社会につくり直していこうという積極的態度」をイスラームはとる。ここから「聖俗不分」という考え方が出てくる。キリスト教のように、「神の国」と「地上の国」という聖なる領域と俗なる領域の区別をしない。だから、『コーラン』や『ハディース(ムハンマドの言行録)』、イスラーム法の解釈や運用をするウラマー(学者たち)はいるが、聖職者はいないし、修道院は存在しないのである。
この考え方を押し進めてイスラーム法を整備したのが、スンニー派(アラブ的文化パターン)である。イスラーム法とは、ムハンマドの死後に編纂された『コーラン』と『ハディース』を解釈して作成されたもので、「神の意志に基づいて、人間が現世で生きていく上での行動の仕方、人間生活の正しいあり方を残りなく規定する一般規範の体系」となっている。それは、「メッカ巡礼のやり方とか、ラマダーン月の断食の仕方、(中略)はては食事のあとのつま楊枝の使い方、トイレットの作法まである。」というふうに、刑法などの法的なことから日常生活の行為まであらゆることが決まっている。イスラーム法を無視することは、「単に社会秩序を乱すというようなことではなくて、宗教的背信行為」とみなされるのである。
これに対して、シーア派(イラン的文化パターン)は、イスラーム法順守=宗教的な態度とみなすスンニー派の態度を、表面的なものとして批判する。イラン的感性では、聖=俗ではなく、聖は俗よりも高い次元にある。だから、『コーラン』と『ハディース』の内面に踏み込んで、その字面の奥にある“隠された意味”を読み込まなくてはならない、ということになる。それが、スンニー派からすると、“勝手な神秘主義的解釈”に思えるのである。
このように宗派がそれぞれに分かれていても、ときの政治体制にウラマー(イスラーム学者たち)が協調して、イスラーム法を運営してきたという国家統治のあり方は、イスラーム諸国に共通したスタイルだった。長きにわたって聖俗を二分割してこなかった歴史が、イスラーム諸国の政教分離を困難なものにしてきたのである。
中東が混迷状態にある今、政治・経済がうまくいかない、と人々が感じたときに、求心力になっていくのは、イスラーム教なのか、ナショナリズムなのか、ほかの価値観であるのか、は国によって異なるだろう。ただ一つ言えるのは、共同体を構成する基本は変わらない、ということだ。共同体は、同じ価値観(例えば民主主義とか文化とか)を分かち合う人々が、集団的責任感で一体となって協力でき、政治や経済や社会などをよりよくしていこう、と思えるところに本領がある。今、混迷状態にある国の人々が、これからどのような価値観を見出し、協力していけるのか、に注目していきたい。
2020年8月1日に日本でレビュー済み
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難しいけど、知らないとダメです。