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意識と本質: 精神的東洋を索めて (岩波文庫 青 185-2) 文庫 – 1991/8/8
井筒 俊彦
(著)
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東洋哲学の諸伝統の分析から得た根元的思想パターンを己れの身にひきうけて主体化し、その基盤の上に新しい哲学を生み出さなければならない。本書はこうした問題意識を独自の「共時的構造化」の方法によって展開した壮大な哲学的営為であって、その出発点には自分の実存の「根」が東洋にあるという著者の痛切な自覚があった。
目次
意識と本質──東洋哲学の共時的構造化のために
本 質 直 観──イスラーム哲学断章
禅における言語的意味の問題
対話と非対話──禅問答についての一考察
後 記
注
目次
意識と本質──東洋哲学の共時的構造化のために
本 質 直 観──イスラーム哲学断章
禅における言語的意味の問題
対話と非対話──禅問答についての一考察
後 記
注
- ISBN-104003318528
- ISBN-13978-4003318522
- 出版社岩波書店
- 発売日1991/8/8
- 言語日本語
- 寸法2.5 x 10.5 x 14.8 cm
- 本の長さ416ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1991/8/8)
- 発売日 : 1991/8/8
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 416ページ
- ISBN-10 : 4003318528
- ISBN-13 : 978-4003318522
- 寸法 : 2.5 x 10.5 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 18,509位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1914年東京・四ツ谷生まれ。
1937年慶應義塾大学英語英文学科卒業、同大学文学部助手。
1941年『アラビア思想史』、49年『神秘哲学』。
1959年から2年間にわたって中近東・欧米でイラスーム研究に従事。
1961年マギル大学客員教授、69年同大学イスラーム学研究所テヘラン支部教授、75年イラン王立研究所教授。
1979年イラン革命激化のためテヘランから日本に帰国。『意識と本質』(1980-82年)、『意味の深みへ』(1985年)、『コスモスとアンチコスモス』(1989年)、『超越のことば』(1991年)、絶筆『意識の形而上学』(1993年)など代表著作を発表。
1993年北鎌倉の自宅にて逝去(78歳)。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年12月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
圧倒的な知識、経験、洞察力を駆使して東洋思想の大草原を縦横無尽に駆け巡る井筒俊彦の代表作。自らの狭い世界だけにとどまらず、より広い世界に目を向けることの重要さや楽しさを教えてくれる。異なる思想の比較や過度の一般化を批判する声もあるが、自らの学問を一般化して他の領域に適用することから得られるものは少なくないはずである。本書を読んでいてこれまでは考えたこともなかった多くの点に気づかされた思いである。
2023年1月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書を読むのは三回目になる。読むたびに気づく点が違うということは、読み手として多少進歩しているのだろう。
私には妙な仮説がある。
それは、イランのスーフィズムにおける意識の深層段階の深層部(≒元型、本質)が、ユダヤ教のカバラのセフィロート(≒元型)と似ているということから、この対立する二つの民族は深層のところで響き合えば共鳴し合うのではないか、というものだ。
前者は『イスラーム哲学の原像』に詳しく、後者は『意識と本質』に詳しいので、それぞれを読み比べながら読むということになる。
自らが一次情報を読む力がないため、井筒俊彦氏の頭の中(「元型」を一種独特の「本質」と考える立場)を介して、この仮説を検証してみると、やはり、似ているのである。
ついでに、この本の以下の文によって、さらに宿題を抱えることになってしまった。
1)概念的普遍者ではなく、実存的普遍者としての「本質」が、いかにして実存する個体の個体的「本質」でもありえるのか。言いかえれば、「不易」がいかにして「流行」しえるのか。
2)精神分析におけるマンダラ体験の意義を強調したユングは、密教的教養とはおおよそ無縁の患者が、夢や異常心理状態において、不思議な心象図形を経験し、それを絵画に書くのを見た。それらの絵画が驚くほど密教のマンダラに似ていた。
1)は松尾芭蕉の不易流行、2)は空海の真言密教からの一文になる。
ということで、『意識と本質』の4回目の読書は、松尾芭蕉と空海の真言密教に触れた後になりそうだ。
井筒俊彦氏の本質が元型であるという考えは、ユダヤ教(カバラ)やイスラーム(スーフィズム)だけでなく、本書にもある「易」や「老荘思想」、「不易流行」「真言密教」のすべてを串刺しできる。学問を縦割りで捉えないからこそ生まれた東洋哲学だが、ここらに人類の未来への光明を感じるのは私だけではないだろう。
私には妙な仮説がある。
それは、イランのスーフィズムにおける意識の深層段階の深層部(≒元型、本質)が、ユダヤ教のカバラのセフィロート(≒元型)と似ているということから、この対立する二つの民族は深層のところで響き合えば共鳴し合うのではないか、というものだ。
前者は『イスラーム哲学の原像』に詳しく、後者は『意識と本質』に詳しいので、それぞれを読み比べながら読むということになる。
自らが一次情報を読む力がないため、井筒俊彦氏の頭の中(「元型」を一種独特の「本質」と考える立場)を介して、この仮説を検証してみると、やはり、似ているのである。
ついでに、この本の以下の文によって、さらに宿題を抱えることになってしまった。
1)概念的普遍者ではなく、実存的普遍者としての「本質」が、いかにして実存する個体の個体的「本質」でもありえるのか。言いかえれば、「不易」がいかにして「流行」しえるのか。
2)精神分析におけるマンダラ体験の意義を強調したユングは、密教的教養とはおおよそ無縁の患者が、夢や異常心理状態において、不思議な心象図形を経験し、それを絵画に書くのを見た。それらの絵画が驚くほど密教のマンダラに似ていた。
1)は松尾芭蕉の不易流行、2)は空海の真言密教からの一文になる。
ということで、『意識と本質』の4回目の読書は、松尾芭蕉と空海の真言密教に触れた後になりそうだ。
井筒俊彦氏の本質が元型であるという考えは、ユダヤ教(カバラ)やイスラーム(スーフィズム)だけでなく、本書にもある「易」や「老荘思想」、「不易流行」「真言密教」のすべてを串刺しできる。学問を縦割りで捉えないからこそ生まれた東洋哲学だが、ここらに人類の未来への光明を感じるのは私だけではないだろう。
2021年11月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
確も分かりやすく、意識と本質という壮大なテーマの真理に迫るこの1冊を、母国語である日本語で読めて本当に良かったと思います。
2020年3月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
難解な書物でした。しかし知的な刺激が非常に強く、充実した読書になった。
2018年4月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読んだけれども、眺めただけに終わってしまったかと思われる。いずれ再読したい。
2018年6月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
イスラーム哲学全般に関する記述は本質を簡潔に表しており、とても勉強になりました。そして、禅についての表記が多いのですが、ここもとても素晴らしかった。サルトルの嘔吐から、禅における物事の本質を演繹していく内容は白眉といえるでしょう。禅の入門書はいろいろありますが、公案などの説明を読んで理解はしても、納得まで至らないものが多かったですが、禅の本質について、著者の説明を読んで初めて納得できたと思います。目を開いてくれた大切な一冊です。
2019年7月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自戒を込めて、断言します。
哲学の世界にあまり詳しくない方は、本書を読むと、おそらく挫折感を味わいます。
文体はさほど難しくないですが、古今東西の哲学、宗教、文芸などを含め、縦横無尽に、いや「共時的」に井筒ワールドが展開されています。
しかし、ひとつひとつが深すぎて、生半可では、読みこなせません。
とはいえ、サルトルの「嘔吐」体験や、本居宣長や芭蕉の句など、断片的にではありますが、感性的に理解できる箇所も少なくありません。
井筒ワールドのあらましを知りたければ、まずは、若松英輔の「井筒俊彦 叡智の哲学」(慶応大学出版会)からはいるのがよろしいかと思います。
「意識と本質」についても1章がさかれ、そこで若松氏は、井筒にとっての「意識」とは、自分の外へ滑り出すこと(「脱自」)であり、「外」で「意識」を待ち構えているのは、「本質」である。脱自と同時に「神充」が起こる。と紹介している。これは観念論ではなく、井筒の個人的体験にも根ざしているとか。
「意識と本質」は、1回読んだ(眺めた?)だけでは、私のような浅学の徒には理解できなかったため。現在は、★4つだが、何年か後には、★5つになっていることを期待したい。
哲学の世界にあまり詳しくない方は、本書を読むと、おそらく挫折感を味わいます。
文体はさほど難しくないですが、古今東西の哲学、宗教、文芸などを含め、縦横無尽に、いや「共時的」に井筒ワールドが展開されています。
しかし、ひとつひとつが深すぎて、生半可では、読みこなせません。
とはいえ、サルトルの「嘔吐」体験や、本居宣長や芭蕉の句など、断片的にではありますが、感性的に理解できる箇所も少なくありません。
井筒ワールドのあらましを知りたければ、まずは、若松英輔の「井筒俊彦 叡智の哲学」(慶応大学出版会)からはいるのがよろしいかと思います。
「意識と本質」についても1章がさかれ、そこで若松氏は、井筒にとっての「意識」とは、自分の外へ滑り出すこと(「脱自」)であり、「外」で「意識」を待ち構えているのは、「本質」である。脱自と同時に「神充」が起こる。と紹介している。これは観念論ではなく、井筒の個人的体験にも根ざしているとか。
「意識と本質」は、1回読んだ(眺めた?)だけでは、私のような浅学の徒には理解できなかったため。現在は、★4つだが、何年か後には、★5つになっていることを期待したい。
2013年7月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
東洋思想を深層意識レベルで深く読み解いた上で、現代人向けに体系化した解説書がここにあったのかと、一読して感嘆しました。噂に違わぬ名著でした。
東洋思想は、深層意識で観想しながら構築されたものが多いためか、表層意識のみに頼って日常を送る一般現代人には、難解に感じやすく、納得できる解説書は、ありそうでなかなか見あたりません。
しかし、著者は幼少期から禅に親しんでおられたとのことで、おそらく深層意識の相当深いレベルに達しながら、文献を深奥まで解読しつくされたのでしょう。各々の東洋思想のその真髄を、切れ味鋭い論理性で、さらりと解き明かしてくれます。
本書の主題は、意識のあり方と言葉の意味分節機能に着目しながら、我々が自明のこととしている事物の本質性が、実際に実在するのか、それともしないのかという観点で、極東から中近東までの様々な東洋思想を整理・類型化し、概観するものです。
日本人に馴染みの深い禅を初めとする大乗仏教や、老荘・孔子の思想、インドのヴェーダーンタ、イスラム哲学、ユダヤのカバラ、ユングの元型論に至るまで、論説の筆先は縦横無尽に駆けめぐり、奥深いその姿が鮮やかに顕現します。
既読の文献の一節が、深層意識に裏打ちされた著者の端的な解説により、思いもかけなかった形で面前に提示されて、これまでの自分の理解がいかに皮相なものだったかと、唸りたくなることが度々でした。
例えば、
「老子の『常無欲』とは、深層意識の本源的なあり方」、
「易の認める元型『八卦』は、それぞれ独自の方向に顕現可能性を持ったエネルギー体」
「趙州『狗子無仏性』は、犬にも事物を分節して個々別々に見る本性があるので、仏性が無いということ」、
「バカヴァト・ギーターの『純質的』『激質的』『闇質的』は、禅に当てはめた場合『無心』『有心』『執心』として現れてくる」 等々・・・。
時折挟まれる図説も素晴らしく、ユングの元型論など、それ専門の解説書よりも遙かに構造把握が進みました。
東洋に生まれた一人として、座右の参考書として今後折にふれ、一生をかけて繰り返し読み込んでいきたい、全く宝物のような一冊です。
著者がせめてあと十年、長くご存命であったならばと、残念でなりません。
個々の東洋思想を学ぶ中で、その深みに足を取られてしまった方が、一旦、鳥瞰的に体系を把握されるのにも、本書は最適です。是非一読をお薦めしたいと思います。
東洋思想は、深層意識で観想しながら構築されたものが多いためか、表層意識のみに頼って日常を送る一般現代人には、難解に感じやすく、納得できる解説書は、ありそうでなかなか見あたりません。
しかし、著者は幼少期から禅に親しんでおられたとのことで、おそらく深層意識の相当深いレベルに達しながら、文献を深奥まで解読しつくされたのでしょう。各々の東洋思想のその真髄を、切れ味鋭い論理性で、さらりと解き明かしてくれます。
本書の主題は、意識のあり方と言葉の意味分節機能に着目しながら、我々が自明のこととしている事物の本質性が、実際に実在するのか、それともしないのかという観点で、極東から中近東までの様々な東洋思想を整理・類型化し、概観するものです。
日本人に馴染みの深い禅を初めとする大乗仏教や、老荘・孔子の思想、インドのヴェーダーンタ、イスラム哲学、ユダヤのカバラ、ユングの元型論に至るまで、論説の筆先は縦横無尽に駆けめぐり、奥深いその姿が鮮やかに顕現します。
既読の文献の一節が、深層意識に裏打ちされた著者の端的な解説により、思いもかけなかった形で面前に提示されて、これまでの自分の理解がいかに皮相なものだったかと、唸りたくなることが度々でした。
例えば、
「老子の『常無欲』とは、深層意識の本源的なあり方」、
「易の認める元型『八卦』は、それぞれ独自の方向に顕現可能性を持ったエネルギー体」
「趙州『狗子無仏性』は、犬にも事物を分節して個々別々に見る本性があるので、仏性が無いということ」、
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時折挟まれる図説も素晴らしく、ユングの元型論など、それ専門の解説書よりも遙かに構造把握が進みました。
東洋に生まれた一人として、座右の参考書として今後折にふれ、一生をかけて繰り返し読み込んでいきたい、全く宝物のような一冊です。
著者がせめてあと十年、長くご存命であったならばと、残念でなりません。
個々の東洋思想を学ぶ中で、その深みに足を取られてしまった方が、一旦、鳥瞰的に体系を把握されるのにも、本書は最適です。是非一読をお薦めしたいと思います。