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視覚的人間: 映画のドラマツルギー (岩波文庫 青 557-1) 文庫 – 1986/12/16

3.2 5つ星のうち3.2 10個の評価

19世紀末に発明されて以来、映画はまたたく間に人々の生活に欠かせぬ娯楽の一つとなった。本書は、D.W.グリフュスらが旺盛な制作活動を行い、無声映画がその絶頂の登路にさしかかった1924年に発表された先駆的映像論。クローズ・アップ、モンタージュ論を中心に映画という新しい視覚芸術の持つ独自の表現、原理、可能性を追求する。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (1986/12/16)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1986/12/16
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 212ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4003355717
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003355718
  • カスタマーレビュー:
    3.2 5つ星のうち3.2 10個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2007年11月17日に日本でレビュー済み
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 バラージュ(ハンガリー人)の映画理論書は、この『視覚的人間』1924と『映画の精神』1930、『映画の理論』1949の三冊が日本語で読めます。
 おそらくこの本がいちばん有名ですが、それはエイゼンシュテインより早くモンタージュに着目したという映画理論史上の理由であって、内容的には、あくまで映画創生期当時のサイレント作品を対象としているために、実例など、かならずしも初学者にわかりやすいものではありません。
 バラージュの理論を学ぶなら、むしろ最後の『映画の理論』から入った方がよいのではないでしょうか。そのうえで、サイレント時代の集大成『映画の精神』、そして、その原点となったこの『視覚的人間』へ戻ってくるとよいでしょう。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年9月26日に日本でレビュー済み
映画ができて20年目あたりは、瞬く間に生活の一部となった時代であろう。この1924年、無声映画の時代に書かれた先駆的な映画論である。
ベラ・バラージュは、ハンガリー出身の作家・映画理論家、ウィーンでの映画批評家としての体験を糧に、映画の芸術哲学の試みとして1924年に出版した書物。クローズアップや、モンタージュ理論から、新しい視覚芸術の独特な表現方法と、その原理、そして、可能性を示唆した。

ベラ・バラージュは、印刷術の発明以来、言葉という概念的なものに頼りすぎるようになっていた西洋の文化は、映画の登場によって、視覚的なもののほうへと根底から転換した。
「視覚的人間」(それは、目に見える人と理解できる)とは、映画に映し出される表情や、その人の身振りによって、人間の精神や魂が直接目に見えるものになったという事態を要約する言葉である。
こうした展望に基づいて、文学や演劇といった先行する諸芸術と映画との根本的な異質性を強調しながら、とりわけ映画における俳優の様相や表情の重要性、それらの表象にとって不可欠な、現実の隠された細部を啓示するクロース・アップという技法が、具体例と共に論じられる。

この書籍は、後年の「映画の理論」のように体系だった理論の形態を取っていない。
ただ、それが、むしろ、映画における風景、労働、動物、人間像、子供、スポーツなどといったテーマについての明敏な記述が、今、尚、さまざまな示唆を与えてくれる。
2021年1月13日に日本でレビュー済み
無声映画時代に作られた論考であり、
現代の映画に直接当てはめられない点も存在する。しかし、無声映画そのものの可能性について夢見るような心地であった。というのも、エクリチュール文化が内面化している中、肉体のコミュニケーションに強制的に目を向けさせ、初めて国際言語を獲得したという術を映画が持っていたからである。
私は映画経験が浅く傲慢かもしれないが、「白黒映画はある種の表現である」と割り切れても、無声映画に対して、「技術の無い時代のもの」と、グリフィスといった巨匠を自覚しながらも、瑣末な抵抗感を持っていた。しかし、これは現代人の為の無声映画に対する一つの視点として、周知すべき理論なのではないかと感じたのである。
ぜひ、ご一読を願いたい。
2013年10月30日に日本でレビュー済み
 書かれたのが1924年、サイレント映画華やかなりし頃、映画が大衆娯楽の王様として銀幕から華々しく魔力を放射していた頃の映画論。旧来の芸術観に囚われて映画を一個の芸術として見ていない読者に向かって、映画の「創造的享受」を訴える。「我々観客は我々の鑑賞力によってその美の創造者になるだろう。」観客の鑑賞力を鍛えることによって、「民衆の魂の健康」を論じようと云う野心的な試みである。

 従来の芸術は「読む」ことが基本で、現代風に言えばエクリチュール重視なのだが(著者は触れていないが、これが文学や演劇のみならずクラシック音楽や絵画にも当て嵌まる)、映画は「見る」ことが基本。表層に現れたものが全てであり、従来の芸術とは文法がまるで違う。映画に於ては「外的なものが内的なものを暗示するものになった。」人類はここで「概念の文化」から一転し、曾ての「視覚の文化」を新たな形で取り戻したのである。原題は"Der sichtbare Mensch oder die Kultur des Films"で、『視覚的人間』と云うよりは「目に見える人間」、或いは「見ることが出来る人間」(これは"The Invisible Man"の反対である!)。映画はスクリーンに映されたものが全てであるが、だからこそ映画は「バベルの呪いからの救済を我々に約束している」ものであると著者は論じている。映画は「精神が直接に肉体化したもの」であって、詰まりは「最初の国際言語」、「唯一の世界共通語」、「白人のある標準心理学」とまで断言する(チャップリンが台詞の無い映画に拘った理由を想起せよ)。そして矢継ぎ早に、クローズ・アップや表情の動き、映像構成や各種シンボル、風景や事物等の持つ意義について、(エイゼンシュタイン等に比べると原始的ではあるが)鋭い考察を繰り広げる。小気味良い文体で読んで行くのが実に快い。

 映画がまだ台詞や音楽や色彩を持たなかった時代に、それがどの様な夢や幻想、華美や富や大資本主義への秘かな畏怖等を紡いでいたかと云うことが良く解る、時代の生々しい息遣いが感じられる名著。小著なので直ぐ読める。映画ファンは是非読むべし。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2010年4月30日に日本でレビュー済み
 著者及び著書についての予備知識が全くなく、新古書店で手にしたのだが、非常にすばらしい内容に感動した。

 1924年に発表されたもので、副題に「映画のドラマツルギー」とあるように無声映画当時の映画についての映像論が大部分を占めているが、先行の演劇・文学・絵画・写真との比較の上に立って動画としての映像が本来的に持っている意味合いについて筆を走らせている内容で、音楽・字幕が介在していない映像論であるだけ映像単体の作用についてより深い理解を促す議論になっている。それは映像に常に現前する意味の過剰さと多義性についての詳細を示し、その過剰さをどう構成して統御するかというテクニックについて多くを語っている。この考察は組写真がもつ多方向の意味をどう編集するかという誌面レイアウトの技術にも通じ、そこから考えると音声・字幕つきの映画が組写真に付くキャプションに一定の意味の枠付けをさせるのと同じ構造を持っていることに通じると思ったが、動画映像にはより強い現在性と同時性があることが語られている。写真から動画映像への跳躍についても思いが広がっていくし、テレビは音声・字幕つきの映画の技術をより洗練させていることにも気づいてくる。

 著者の履歴を見るとジンメル、ディルタイ、ベルグソン、ルカーチ、マルクスといった人々に影響されていて、この著書を読んでいくとやがて頭に浮かんできたのはヴァルター・ベンヤミンのことだった。ベンヤミンも上に挙げた思想家には大きい影響を受けていたし、ベラ・バラージュの文章のタッチ、対象の扱い方がベンヤミンの評論ととても似ていて、ベンヤミンのものした「言語一般及び人間の言語について」(1916年)の方法論を適用したかのような内容なのには驚いたし、面白いと思った。バラージュがベンヤミンより8歳年上で、同じような影響を受けているとはいえ、方法論や全体的なタッチまで共通しているのは何らかの影響を思わせる。この二人には何か接点はあったのだろうか。どちらもどこかしら「異邦人」的なスタンスから論を立てている気がするし、その点でも二人は魅力的だ。

 現在の映画につながる映画論というより、広義の映像論といった味わいがあって楽しめる一冊。、
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2003年10月12日に日本でレビュー済み
「雰囲気」というものについてこれほどまで語った本はないでしょう。
すばらしい一冊です。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2004年1月23日に日本でレビュー済み
「雰囲気」に対する考察はすばらしい!原著で読みたい一冊。[...]
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2002年5月3日に日本でレビュー済み
この本が1924年にオーストリアで出版された当時、映画は大衆娯楽として存在し、芸術論で語られるようなものではなかったようです。
しかし、様々な表現手法が生み出され、特に活字文化で失われた表情の復権など、新たな文化として分析するという試みで本書は編まれています。
当時の映画を丹念に研究した様子が伺えて、内容がすごい充実しています。クローズアップやモンタージュ論を中心に据え、映画の表現力や可能性を追及しています。
普段何気なく見ていた映画も見方が変わり、精神的にも豊かになったような気がします。
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