正真正銘の名著だと思います。
訳もいいんでしょうが、エミール・マールさんから直接話しかけられているような気がしました。
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ヨ-ロッパのキリスト教美術: 12世紀から18世紀まで (上) (岩波文庫 青 565-1) 文庫 – 1995/11/16
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帯有りません。若干のスレはありますがほぼ普通です。中身は少しヤケはありますが比較的きれいです。
- 本の長さ263ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1995/11/16
- ISBN-104003356519
- ISBN-13978-4003356517
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1995/11/16)
- 発売日 : 1995/11/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 263ページ
- ISBN-10 : 4003356519
- ISBN-13 : 978-4003356517
- Amazon 売れ筋ランキング: - 310,610位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,114位岩波文庫
- - 2,378位アート・建築・デザイン作品集
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年2月9日に日本でレビュー済み
フランスの美術史家エミール・マールが、自らの4つの大著のハイライトをコンパクトにまとめた本の上巻。
上巻では、12世紀と13世紀のキリスト教芸術がテーマになっている。
ヨーロッパのという副題がついているが、上巻ではフランスについて取り上げられていることが多い。
中世のヨーロッパの人々は、世界の物事や出来事は、全てが何かの象徴だと考えており、それが教会の彫刻やレリーフにも表れているという。
多くの写真が白黒だが掲載されているのでとても読みやすく理解もしやすい。
上巻では、12世紀と13世紀のキリスト教芸術がテーマになっている。
ヨーロッパのという副題がついているが、上巻ではフランスについて取り上げられていることが多い。
中世のヨーロッパの人々は、世界の物事や出来事は、全てが何かの象徴だと考えており、それが教会の彫刻やレリーフにも表れているという。
多くの写真が白黒だが掲載されているのでとても読みやすく理解もしやすい。
2019年10月17日に日本でレビュー済み
美術史の大家エミール・マールが、「12世紀から18世紀(に至る)まで」のキリスト教美術(フランスの「聖堂」が中心)を、「図像学(=画像に込められた意味を、解き明かす学問)」によって解説した本。本書は「ヨーロッパのキリスト教美術」の歴史全体を包括するものではない。しかし、宗教美術が盛んに制作された時期を扱っているのであるから、おおよそのキリスト教美術の「図像」のパターンを網羅したものといえる。中世から近世までの、教会堂の彫刻や絵画などの美術の変化から、ヨーロッパの人々の“宗教的な感受性”がどのように移り変わっていったのか、がよく分かる名著。
「聖堂」は、字を読めない人々のために「目で見る聖書」として建てられた。建物を飾るステンドグラスや彫刻、堂内に飾られた絵画などを使って、信者たちに“キリストや聖書の教え”を説くのである。
このように、教化のために聖書を“視覚化”するということは、旧約・新約・聖人伝などの膨大なキリスト教文献の記述の中からでも、“教育的な機能を持った、宗教的な出来事”が選ばれて描写されるようになるだろう。本書で扱われる「(象徴的な)図像」からは、二つの特徴が見られる。一つは、“一定のパターン=決まった表現の型が、繰り返される”こと。もう一つは、“時代の変化の反映=社会の転換に伴って変遷していく信者たちの要望に応えることによって、表現のスタイルが変化する”ことである。
例えば、“キリストの一連の物語=地上世界での生涯・死からの復活・天上での栄光”はキリスト教美術の重大な「図像」パターンの一つであるが、時代によって、“キリストの一連の物語”のどのシーンがよく描かれるようになるのか、或いはどんな工夫をこらした表現で描かれるようになるのか、が変化するのである。
12世紀は、(ローマ帝国のコンスタンティヌス帝が、キリスト教を公認宗教にして以来の)キリスト教美術が、一定の「図像」様式(=聖書などから引用される主題のパターンや、「図像」の形式)を取り揃えた時代だった。西洋史では、ローマ教皇の権力が世俗の王侯よりも強く、民衆はローマなどへの「(聖地の)巡礼」を(商業の発達によって整備された「大街道」を通って)、盛んに行っていた。
13世紀は、中世文化の最盛期であり、聖堂は“キリスト教の秩序による世界”を表現した。例えば、黄道十二宮(星座)は、天上の国が地上世界に示す“秩序の現れ”である。この十二の月に「六月の仕事、草刈り」や「九月の仕事、葡萄しぼり」などの人間の仕事が割り振られていることを、“季節の労働に従事する人間の像”として、聖堂の壁にレリーフ(浮彫)で刻ませた。このような、12・13世紀のキリスト像は、天上・地上世界を統べるのにふさわしい、堂々とした姿で表現されることが多かった。
しかし、14・15世紀になると、英仏百年戦争の勃発や感染症のペストが流行するなど、ヨーロッパでは社会不安が蔓延した。ローマ教皇の権勢も徐々に(世俗の国王に対して)弱まり、中世は終焉する。この頃のキリスト像は、「受難(逮捕・十字架にない・磔刑などの一連の物語)」の図像での表現が多い。「彼ら(芸術家たち)が栄光を与えようと望んだものは苦しみではなく、愛なのであった。なぜなら、彼らが私たちに示しているのは、私たち(人間)のために(犠牲となって)死ぬ神の苦しみなのであるから。従って、苦しみに意義があるのは、苦しみが愛と共に受け入れられる場合、苦しみが愛に姿を変える場合だけなのである」。
そして16・17世紀になると、ルネサンスのような人文主義運動に続いて、宗教改革(ローマカトリックを批判して、プロテスタント教会をたてた宗教運動)が起こった。カトリック教会は「トレント公会議」によって(プロテスタントに反論するために)教義の強化を図った。その一環で、宗教美術の活用を奨励した。信者が“カトリックの礼拝儀式や聖母や聖人の奇跡に対して(プロテスタントは、聖書に書いていないことを理由に否定した)、より共感の気持ちを抱く”ことを、期待したからである。キリスト像は、ルネサンスで磨きをかけられた絵画・彫刻技術(遠近法や、死体解剖による人体構造の研究など)によって、他の諸聖人らと同じように、生涯のエピソードを(信者たちが、より感情移入をしやすくするために)劇的に表現されるようになった。
このような、キリストの「図像」の変化の他にも、本書では聖母や聖人らの「図像」や中世の王侯や騎士の「墓碑」などが図版多数で解説されている。キリスト教美術や西洋絵画・彫刻に興味がある人に、おすすめの本。
「聖堂」は、字を読めない人々のために「目で見る聖書」として建てられた。建物を飾るステンドグラスや彫刻、堂内に飾られた絵画などを使って、信者たちに“キリストや聖書の教え”を説くのである。
このように、教化のために聖書を“視覚化”するということは、旧約・新約・聖人伝などの膨大なキリスト教文献の記述の中からでも、“教育的な機能を持った、宗教的な出来事”が選ばれて描写されるようになるだろう。本書で扱われる「(象徴的な)図像」からは、二つの特徴が見られる。一つは、“一定のパターン=決まった表現の型が、繰り返される”こと。もう一つは、“時代の変化の反映=社会の転換に伴って変遷していく信者たちの要望に応えることによって、表現のスタイルが変化する”ことである。
例えば、“キリストの一連の物語=地上世界での生涯・死からの復活・天上での栄光”はキリスト教美術の重大な「図像」パターンの一つであるが、時代によって、“キリストの一連の物語”のどのシーンがよく描かれるようになるのか、或いはどんな工夫をこらした表現で描かれるようになるのか、が変化するのである。
12世紀は、(ローマ帝国のコンスタンティヌス帝が、キリスト教を公認宗教にして以来の)キリスト教美術が、一定の「図像」様式(=聖書などから引用される主題のパターンや、「図像」の形式)を取り揃えた時代だった。西洋史では、ローマ教皇の権力が世俗の王侯よりも強く、民衆はローマなどへの「(聖地の)巡礼」を(商業の発達によって整備された「大街道」を通って)、盛んに行っていた。
13世紀は、中世文化の最盛期であり、聖堂は“キリスト教の秩序による世界”を表現した。例えば、黄道十二宮(星座)は、天上の国が地上世界に示す“秩序の現れ”である。この十二の月に「六月の仕事、草刈り」や「九月の仕事、葡萄しぼり」などの人間の仕事が割り振られていることを、“季節の労働に従事する人間の像”として、聖堂の壁にレリーフ(浮彫)で刻ませた。このような、12・13世紀のキリスト像は、天上・地上世界を統べるのにふさわしい、堂々とした姿で表現されることが多かった。
しかし、14・15世紀になると、英仏百年戦争の勃発や感染症のペストが流行するなど、ヨーロッパでは社会不安が蔓延した。ローマ教皇の権勢も徐々に(世俗の国王に対して)弱まり、中世は終焉する。この頃のキリスト像は、「受難(逮捕・十字架にない・磔刑などの一連の物語)」の図像での表現が多い。「彼ら(芸術家たち)が栄光を与えようと望んだものは苦しみではなく、愛なのであった。なぜなら、彼らが私たちに示しているのは、私たち(人間)のために(犠牲となって)死ぬ神の苦しみなのであるから。従って、苦しみに意義があるのは、苦しみが愛と共に受け入れられる場合、苦しみが愛に姿を変える場合だけなのである」。
そして16・17世紀になると、ルネサンスのような人文主義運動に続いて、宗教改革(ローマカトリックを批判して、プロテスタント教会をたてた宗教運動)が起こった。カトリック教会は「トレント公会議」によって(プロテスタントに反論するために)教義の強化を図った。その一環で、宗教美術の活用を奨励した。信者が“カトリックの礼拝儀式や聖母や聖人の奇跡に対して(プロテスタントは、聖書に書いていないことを理由に否定した)、より共感の気持ちを抱く”ことを、期待したからである。キリスト像は、ルネサンスで磨きをかけられた絵画・彫刻技術(遠近法や、死体解剖による人体構造の研究など)によって、他の諸聖人らと同じように、生涯のエピソードを(信者たちが、より感情移入をしやすくするために)劇的に表現されるようになった。
このような、キリストの「図像」の変化の他にも、本書では聖母や聖人らの「図像」や中世の王侯や騎士の「墓碑」などが図版多数で解説されている。キリスト教美術や西洋絵画・彫刻に興味がある人に、おすすめの本。
2006年10月10日に日本でレビュー済み
本書の副題は「12世紀から18世紀まで」。つまり、封建社会であった中世中期から、王政を経て大衆社会が芽生えんとするくらいまでの、ヨーロッパ美術について書かれております。私見によればヨーロッパが最も面白い時代です。
中世から近世への移行期を、キリスト教史を中心に見ていくならば、中心の潮目は疑いなく「宗教改革」と「反宗教改革」の潮流により出来たものであります。そしてキリスト教(カソリック)美術は、伝統的キリスト教に批判的なプロテスタントの攻撃からの防遏も求められたが故に大きく変容します。有り体にいえば弾丸に晒される聖母、聖人、教皇の権威などを、造型美術で示すことによって擁護する、そういう役割を示すことになります。これは大きな転換点です。
しかしそもそも「美術は(庶民の)教育」(マール)であった頃から考えると、芸術家自我の芽生えや印刷術の発達、新しい時代の宗教感情への対応、などにより、絶えずキリスト教美術は変容し続けて来たのであります。
本書は、以下のような、基本的には時系列に基づいた章立てで、キリスト教美術の変容と発展についてあっさりと捌いていきます。「1 12世紀の宗教美術」「2 13世紀の宗教美術」「'3 中世末期の宗教美術」「4 トレント公会議以降の宗教芸術」。それぞれの章中には時代考察の為の興味深い小テーマ(「巫女」「死の舞踏」など)が掲げられており、ちびちび読むみみっちい読み方にも対応しております。
文章は平易で、上述のように小テーマの集まりのような形式で取っつきやすい上に小導入文なども(著者によって)付加されており、更に訳者による註が充実しております。不案内な読書においては、往々読みながら迷子になる危険があるのですが、本書を読む我々は迷子センターのお世話になる心配は恐らく、ありますまい。
たまたま今は秋ですが、秋の夜長にでもじっくり読みましょう。味わいがありますよ。
中世から近世への移行期を、キリスト教史を中心に見ていくならば、中心の潮目は疑いなく「宗教改革」と「反宗教改革」の潮流により出来たものであります。そしてキリスト教(カソリック)美術は、伝統的キリスト教に批判的なプロテスタントの攻撃からの防遏も求められたが故に大きく変容します。有り体にいえば弾丸に晒される聖母、聖人、教皇の権威などを、造型美術で示すことによって擁護する、そういう役割を示すことになります。これは大きな転換点です。
しかしそもそも「美術は(庶民の)教育」(マール)であった頃から考えると、芸術家自我の芽生えや印刷術の発達、新しい時代の宗教感情への対応、などにより、絶えずキリスト教美術は変容し続けて来たのであります。
本書は、以下のような、基本的には時系列に基づいた章立てで、キリスト教美術の変容と発展についてあっさりと捌いていきます。「1 12世紀の宗教美術」「2 13世紀の宗教美術」「'3 中世末期の宗教美術」「4 トレント公会議以降の宗教芸術」。それぞれの章中には時代考察の為の興味深い小テーマ(「巫女」「死の舞踏」など)が掲げられており、ちびちび読むみみっちい読み方にも対応しております。
文章は平易で、上述のように小テーマの集まりのような形式で取っつきやすい上に小導入文なども(著者によって)付加されており、更に訳者による註が充実しております。不案内な読書においては、往々読みながら迷子になる危険があるのですが、本書を読む我々は迷子センターのお世話になる心配は恐らく、ありますまい。
たまたま今は秋ですが、秋の夜長にでもじっくり読みましょう。味わいがありますよ。
2002年1月22日に日本でレビュー済み
海外旅行を前にしたガイドブックは役に立つ。
これはそれとは別にヨーロッパに行くときは、
是非とも手にして欲しい一冊だ。
この本は感動をもっと心を豊かにさせてくれるものがある。
例えば沢山の人たちとノートルダムの入り口に立つとき、
その素晴しさに圧倒されるだろう。
しかし、この本を知ったときにはその意味する力の強さを見ることができる。
湧き出る感動はきっと周りの人たちと異なるものになるにちがいない。
唯一の難は、あまりに多くの内容を凝縮しているため、
小説のような速さで読み進められない。
致し方ない、深いものにはそれなりに時を要するものだ。
これはそれとは別にヨーロッパに行くときは、
是非とも手にして欲しい一冊だ。
この本は感動をもっと心を豊かにさせてくれるものがある。
例えば沢山の人たちとノートルダムの入り口に立つとき、
その素晴しさに圧倒されるだろう。
しかし、この本を知ったときにはその意味する力の強さを見ることができる。
湧き出る感動はきっと周りの人たちと異なるものになるにちがいない。
唯一の難は、あまりに多くの内容を凝縮しているため、
小説のような速さで読み進められない。
致し方ない、深いものにはそれなりに時を要するものだ。