若き日のソクラテスを描いた古典の名著
当時のソフィスト(知識人)の頭でもあるようなプロタゴラスに対して、ソクラテスはソフィストでもなければ立場も肩書のない、いわば丸腰の状態で切りかかっているようなものだ。
読んでいるこちらまでヒヤヒヤさせられる。しかしそこはソクラテス、おびえることなくプロタゴラスに問答を仕掛け、逆にプロタゴラス自身の盲点を突く。
有名な「ソクラテスの弁明」でもそうだが、当時の社会常識に対して自身の命がかけられても臆することなく発言するソクラテスは今でいう「ロック」そのものだと思う。
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プロタゴラス: ソフィストたち (岩波文庫 青 601-9) 文庫 – 1988/8/25
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- ISBN-104003360192
- ISBN-13978-4003360194
- 出版社岩波書店
- 発売日1988/8/25
- 言語日本語
- 本の長さ204ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1988/8/25)
- 発売日 : 1988/8/25
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 204ページ
- ISBN-10 : 4003360192
- ISBN-13 : 978-4003360194
- Amazon 売れ筋ランキング: - 38,040位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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- - 85位西洋哲学入門
- - 262位岩波文庫
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上位レビュー、対象国: 日本
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2013年4月19日に日本でレビュー済み
本書はプラトンの最も初期の作品の一つであり、思想的にはまだ固まっていないのだと推察される。テーマである「徳は教えられるものなのか」という問いの答えには全く達していないし、ソクラテス自身が述べている通り、話に矛盾しているような部分もある。
だが、本書はプラトンの理論ではなく感情面がはっきりと表れた作品だと言えよう。プロタゴラスはソクラテスに論破され、恥をかいているように読者に思わせている。作中でソクラテスはプロタゴラスに対してとても謙虚に振る舞うのだが、それは読者に対してソクラテスの印象を良くし、相対的にプロタゴラスを下に置くためではないだろうか。私はこの作品に、若きプラトンの抑えきれないほどの情念――ソクラテスへの思慕と、彼を処刑したソフィスト達への怒り――をまざまざと感じた。
だが、本書はプラトンの理論ではなく感情面がはっきりと表れた作品だと言えよう。プロタゴラスはソクラテスに論破され、恥をかいているように読者に思わせている。作中でソクラテスはプロタゴラスに対してとても謙虚に振る舞うのだが、それは読者に対してソクラテスの印象を良くし、相対的にプロタゴラスを下に置くためではないだろうか。私はこの作品に、若きプラトンの抑えきれないほどの情念――ソクラテスへの思慕と、彼を処刑したソフィスト達への怒り――をまざまざと感じた。
2018年11月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
インタビュー形式に進んでいきます。とても興味深い。
2020年12月12日に日本でレビュー済み
本書は、30代後半のソクラテスが、その当時最大のソフィスト(知者)である
プロタゴラスと「徳は教えられるか」というテーマについて問答をしたもの。
プロタゴラスは、「徳は教えられる」という立場にたち、若者に弁論術などを
教えて、高額の報酬を得ている。それに対して、ソクラテスは「徳は教えられ
ない」という立場から、ペリクレスのようなすぐれた人物でも自分の息子に徳
を教えられていないことを理由にして、プロタゴラスを批判していく。
現代で言えば、学校の教師や警察官(仮にすぐれた人物だとして)の息子でも
非行に走っているではないか。そんな学校の教師が生徒たちに道徳を教えるこ
となんてできるのか、という古くて新しいテーマについて議論は、展開されて
おり、それゆえ、特に職業教師の方たちに本書を読んでもらいたい。
本書の本筋とは外れるが、議論の途中でソクラテスがシモニデスの詩の解釈を
披露する場面があり、そこでのソクラテス(プラトン)の深く丁寧な読解の仕
方が参考になった。またその後にこのような書評を書いている者には耳の痛い
一言が放たれる。それは以下の通り(表記の一部変更)。( )は引用者。
多くの者が彼ら(詩人)を話の中に引き合いに出して、ある者は詩人の言葉の
意味はこうであると言い、ある者は、いやこうなのだと主張しながら、いたず
らにはっきり証明できない事柄について、互いにがやがやと論じ合うだけなの
です。すぐれた人々なら、そんな付き合いは真っ平だと言うでしょう。そして、
自分自身の語る言葉において互いの力量を試し試されつつ、自分自身の持って
いるものだけを頼りに、互いに直接相手と触れ合うのです。このような人々こ
そ、私(ソクラテス)とあなた(プロタゴラス)は見習うべきだと思われます。
この一節だけでなく、教えることで収入を得ている者にとって、職業それ自体
について再考を促す言葉に満ちている1冊である。
プロタゴラスと「徳は教えられるか」というテーマについて問答をしたもの。
プロタゴラスは、「徳は教えられる」という立場にたち、若者に弁論術などを
教えて、高額の報酬を得ている。それに対して、ソクラテスは「徳は教えられ
ない」という立場から、ペリクレスのようなすぐれた人物でも自分の息子に徳
を教えられていないことを理由にして、プロタゴラスを批判していく。
現代で言えば、学校の教師や警察官(仮にすぐれた人物だとして)の息子でも
非行に走っているではないか。そんな学校の教師が生徒たちに道徳を教えるこ
となんてできるのか、という古くて新しいテーマについて議論は、展開されて
おり、それゆえ、特に職業教師の方たちに本書を読んでもらいたい。
本書の本筋とは外れるが、議論の途中でソクラテスがシモニデスの詩の解釈を
披露する場面があり、そこでのソクラテス(プラトン)の深く丁寧な読解の仕
方が参考になった。またその後にこのような書評を書いている者には耳の痛い
一言が放たれる。それは以下の通り(表記の一部変更)。( )は引用者。
多くの者が彼ら(詩人)を話の中に引き合いに出して、ある者は詩人の言葉の
意味はこうであると言い、ある者は、いやこうなのだと主張しながら、いたず
らにはっきり証明できない事柄について、互いにがやがやと論じ合うだけなの
です。すぐれた人々なら、そんな付き合いは真っ平だと言うでしょう。そして、
自分自身の語る言葉において互いの力量を試し試されつつ、自分自身の持って
いるものだけを頼りに、互いに直接相手と触れ合うのです。このような人々こ
そ、私(ソクラテス)とあなた(プロタゴラス)は見習うべきだと思われます。
この一節だけでなく、教えることで収入を得ている者にとって、職業それ自体
について再考を促す言葉に満ちている1冊である。
2007年6月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
徳などが人に伝えられるかということを主張するソフィストの主張にたいしてソクラテスが検証していきます。
これはメノンとの関係がありそうですが、メノンで掘り下げられたところまで話しは進まず、途中までであえて話を止めているような感じがあります。
場面構成が、非常に考えられています。イデアにまで話がいきそうな場面もありながら
あえてすぐに核心的なところには近づかずに、読者の思考を誘っているような感じがする構成をとっています。
ソフィストとは機械的になりがちな人間存在そのものでもあるのでしょうか。
これはメノンとの関係がありそうですが、メノンで掘り下げられたところまで話しは進まず、途中までであえて話を止めているような感じがあります。
場面構成が、非常に考えられています。イデアにまで話がいきそうな場面もありながら
あえてすぐに核心的なところには近づかずに、読者の思考を誘っているような感じがする構成をとっています。
ソフィストとは機械的になりがちな人間存在そのものでもあるのでしょうか。
2009年6月9日に日本でレビュー済み
プラトンを読んだのはこれが初めて。読む前、ソクラテスには「おじいさん」のイメージを持っていたのだが、ここでは自分のことを「ぼく」と言う若者として登場する。この話は、有名人に簡単に自分の大切な魂をゆだねてしまおうとする友人を引き止めた話で、若さや友情や熱さを感じた。
ソフィストであるプロタゴラスに、大金を投じて弟子入りしようとしているヒッポクラテスに、ソクラテスは、「自分自身の魂の世話を、よく知らない人にゆだねようとしているのだぞ」と警告する。「プロタゴラスのような職業的なソフィストは、魂の糧食である学識を商品として売るような人物なのだから警戒したほうがよい」と、やんわり伝える。
実際にソクラテスがプロタゴラスと討論するなかで、プロタゴラスが吟味されていく。「徳」はプロ教師による教育が可能なものだとするプロタゴラスと、人に教えられるようなものではないとするソクラテス。討論の途中、弁論の手法や論題の選択をめぐる駆け引きもある。ソクラテスは、ギャラリーを見方にしたり、年長で高名なプロタゴラスに礼を失さず、丁寧な態度をこころがけたりと、人心掌握もうまい。ときどき若者らしい直截さものぞかせて、わくわくさせられた。
最終的に勝敗を決することなくソクラテスは討論を終わるが、結果的にプロタゴラスを当初とは逆の主張に導いてしまう。ソフィストがお金をもらって教えているような「徳」が、はたして本当の徳なのだろうかと、プロタゴラスにすこしは考えさせることにも成功したようだ。ヒッポクラテスの弟子入り志願の熱も、いつのまにか冷めていたようだ。徳や知の価値や、魂は価値高いものだぞ、簡単に人にゆだねるな、というソクラテスの熱い思いが伝わってきた。
ソフィストであるプロタゴラスに、大金を投じて弟子入りしようとしているヒッポクラテスに、ソクラテスは、「自分自身の魂の世話を、よく知らない人にゆだねようとしているのだぞ」と警告する。「プロタゴラスのような職業的なソフィストは、魂の糧食である学識を商品として売るような人物なのだから警戒したほうがよい」と、やんわり伝える。
実際にソクラテスがプロタゴラスと討論するなかで、プロタゴラスが吟味されていく。「徳」はプロ教師による教育が可能なものだとするプロタゴラスと、人に教えられるようなものではないとするソクラテス。討論の途中、弁論の手法や論題の選択をめぐる駆け引きもある。ソクラテスは、ギャラリーを見方にしたり、年長で高名なプロタゴラスに礼を失さず、丁寧な態度をこころがけたりと、人心掌握もうまい。ときどき若者らしい直截さものぞかせて、わくわくさせられた。
最終的に勝敗を決することなくソクラテスは討論を終わるが、結果的にプロタゴラスを当初とは逆の主張に導いてしまう。ソフィストがお金をもらって教えているような「徳」が、はたして本当の徳なのだろうかと、プロタゴラスにすこしは考えさせることにも成功したようだ。ヒッポクラテスの弟子入り志願の熱も、いつのまにか冷めていたようだ。徳や知の価値や、魂は価値高いものだぞ、簡単に人にゆだねるな、というソクラテスの熱い思いが伝わってきた。
2011年4月10日に日本でレビュー済み
プラトン初期の対話篇。
他の対話編にも云えることだが、ソクラテスはしばしば自分の主張にとって都合のいい恣意的な仕方で類推や比喩を持ち出しては相手を煙に巻くようなところがあり、彼の論理構成自体を厳密に検証しようという気にはなれない。思想内容如何は措くとしても、議論の運び方をみていると、彼も多分に詭弁的ではないか、ソフィスト然としていないか。
「人は、それが善であると知っていながら、なぜ悪の誘惑に負けて善を為さないのか」「人は、それが悪であると知っていながら、なぜ目先の快楽に目を奪われて悪を為してしまうのか」という逆説に対して、ソクラテスの答えは「そもそもそういう連中は、真の意味で善/悪を知ってはいない、真の意味で知っているならば必然的に善を選ぶ」
「徳は知である」徳の根本を知性に一点集約させる彼の思想は、何だか厳格で窮屈にも思われる。何故なら、悪は無知ゆえに為されるということだが、悪の悪性を知ったうえで敢えて悪を選びとる人間の自由意志というものの存在余地が全く残されていないからだ。無知ゆえでもなく病気ゆえでもなく悪霊に憑かれたからでもない、人間存在そのものの自由性に帰せられるものとしての悪という観念、換言すれば、悪たり得ることすら可能な人間の自由性という観念は、アウグスティヌスまで待たねばならない。
他の対話編にも云えることだが、ソクラテスはしばしば自分の主張にとって都合のいい恣意的な仕方で類推や比喩を持ち出しては相手を煙に巻くようなところがあり、彼の論理構成自体を厳密に検証しようという気にはなれない。思想内容如何は措くとしても、議論の運び方をみていると、彼も多分に詭弁的ではないか、ソフィスト然としていないか。
「人は、それが善であると知っていながら、なぜ悪の誘惑に負けて善を為さないのか」「人は、それが悪であると知っていながら、なぜ目先の快楽に目を奪われて悪を為してしまうのか」という逆説に対して、ソクラテスの答えは「そもそもそういう連中は、真の意味で善/悪を知ってはいない、真の意味で知っているならば必然的に善を選ぶ」
「徳は知である」徳の根本を知性に一点集約させる彼の思想は、何だか厳格で窮屈にも思われる。何故なら、悪は無知ゆえに為されるということだが、悪の悪性を知ったうえで敢えて悪を選びとる人間の自由意志というものの存在余地が全く残されていないからだ。無知ゆえでもなく病気ゆえでもなく悪霊に憑かれたからでもない、人間存在そのものの自由性に帰せられるものとしての悪という観念、換言すれば、悪たり得ることすら可能な人間の自由性という観念は、アウグスティヌスまで待たねばならない。