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方法序説 (岩波文庫 青 613-1) 文庫 – 1997/7/16
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すべての人が真理を見いだすための方法を求めて、思索を重ねたデカルト(1596-1650)。「われ思う、ゆえにわれあり」は、その彼がいっさいの外的権威を否定して達した、思想の独立宣言である。本書で示される新しい哲学の根本原理と方法、自然の探求の展望などは、近代の礎を築くものとしてわたしたちの学問の基本的な枠組みをなしている。[新訳]
目次
方法序説
第一部
第二部
第三部
第四部
第五部
第六部
解 説
訳 注
目次
方法序説
第一部
第二部
第三部
第四部
第五部
第六部
解 説
訳 注
- ISBN-104003361318
- ISBN-13978-4003361313
- 出版社岩波書店
- 発売日1997/7/16
- 言語日本語
- 寸法0.57 x 10.5 x 14.8 cm
- 本の長さ160ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1997/7/16)
- 発売日 : 1997/7/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 160ページ
- ISBN-10 : 4003361318
- ISBN-13 : 978-4003361313
- 寸法 : 0.57 x 10.5 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 12,147位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 7位フランス・オランダの思想
- - 24位西洋哲学入門
- - 40位岩波文庫
- カスタマーレビュー:
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イメージ付きのレビュー
5 星
西暦2422年の人類文明を考察するための400年前のゼロトラストを発見
最近、IoT、AI、XR、そして、これらを基本としたDXを如何に自分の所属するコミュニティで実現してゆくかを考える機会が増えてきました。その中で頻出するようになってきた「ゼロトラスト」という言葉。初めて見た時、非常にショックを受けました。そして、ソリューションとしての性善説に対する性悪説的アプローチ。これらを考えているうちに学生時代夢中になって読み漁っていた西洋哲学、東洋哲学の書の中で出会ったデカルトの懐疑について触れられていた「方法序説」のタイトルが頭に浮かんできました。2022年の385年前、1637年41才のデカルトが「方法序説」を発表。実践的哲学。これは、科学の基礎とも言えます。すぐに、読み返すことにしました。ちょうど、audibleを始めたところだったので調べるとなんとaudibleのコンテンツライブラリーにあり感激。デカルトの示した「4つの規則」。明証、分析、総合、枚挙。代数学で使われているx、yやa のようなアルファベットを変数として初めて使ったのはデカルトだと言われています。XR、IoT、AIを構築するためのコンピュータプログラミングにおいても、言語の種類に関わらず「変数」の存在なしにはコーディング出来ません。デカルトの時代。約400年前。17世紀。16世紀の終わり頃から、世の中の常識や価値観が大きく変わる時代でもありました。天動説が常識だった時代に1543年コペルニクスが地動説提唱、キリスト教がカトリックとプロテスタントへ分離。当たり前が当たり前でなくなったコトで溢れていたように思います。そして西暦2022年の今、デカルトの「方法序説」をDX視点、ゼロトラスト視点で読み直すことで、2422年の人類の思想が見えてきそうな気がしています。audible版聴読終わったので、kindle版でも読み直しています。人類の知的資産は、時間の流れの順方向(著者が生きた時代、場所に戻り、著者の隣に寄り添っているような視点)と逆方向(自分が生きている時代、場所から振り返るような視点)での双方向トレース解読することでより多くのことを学べ、気付くことができます。今から、400年後、2422年頃には、「昔、DXとかゼロトラストって言ってたらしいよ。なんか、発想が今と似てるよね。400年ひと昔か。。。」と言われている世界かもしれません。2022年、Society5.0推進を考えるためにも2読されることをお薦めします。
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年4月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
皆さんに是非読んで貰いたいです
2016年12月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
正直、一読しただけですべてを理解するのは難しい、というのが個人的な印象である。
1部~3部と4部~6部で構成が大きく異なるので、読み進める際に上手く頭を切り替えるのが重要である。
個人的には、デカルトの提示する「方法」は、今日のビジネスにおいても有用な示唆を与えてくれるものと思う。
1.明証的に真であると認めたもの以外、決して受け入れないこと。(明証)
- 何よりも、ファクトを重視すること。1次情報に自らあたり、ファクトの質を徹底的に高める
2.検討する問題を問題解決に必要な小さい部分にわけること。(分析)
- イシューを解くことの出来る粒度まで分解したサブイシューを設計すること
3.もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めるように、思考を順序に従って導くこと。(総合)
- いきなりイシューに答えを出しにいくのではなく、サブイシューから解を出していくことで、最終的に総合的にイシューに解を出すこと
4.何も見落とさなかったか、全てを見直し、確信すること。(枚挙 / 吟味)
- これらのプロセスにおいて、十分性・網羅性が担保されていたか、検証すること
1部~3部と4部~6部で構成が大きく異なるので、読み進める際に上手く頭を切り替えるのが重要である。
個人的には、デカルトの提示する「方法」は、今日のビジネスにおいても有用な示唆を与えてくれるものと思う。
1.明証的に真であると認めたもの以外、決して受け入れないこと。(明証)
- 何よりも、ファクトを重視すること。1次情報に自らあたり、ファクトの質を徹底的に高める
2.検討する問題を問題解決に必要な小さい部分にわけること。(分析)
- イシューを解くことの出来る粒度まで分解したサブイシューを設計すること
3.もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めるように、思考を順序に従って導くこと。(総合)
- いきなりイシューに答えを出しにいくのではなく、サブイシューから解を出していくことで、最終的に総合的にイシューに解を出すこと
4.何も見落とさなかったか、全てを見直し、確信すること。(枚挙 / 吟味)
- これらのプロセスにおいて、十分性・網羅性が担保されていたか、検証すること
2019年1月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自身に対しても可能な限り誠実に真理を見出していこうとするデカルトの姿勢に、改めて感服の念を抱きました。
以下、やや長くなりますが、デカルトが到達した認識の極北であるコギト「我思う、ゆえに我在り」について、私なりに現代的にバリエーション化して、そしてそこからさらにニーチェが高らかに宣言した思想に結び付けて展開してみようと思います。
まず、件のコギトを、PとQという2つの命題に分けます。
命題Pが「我思う」、命題Qが「我在り」です。
これに数理論理学の演算を適用していきます。
ちなみにデカルトのコギトは、論理積(AND)を用い、P∧Qと記述することができます。
論理和(OR)では、P∨Qとなり、排他的論理和(XOR)では、¬P∧Q+P∧¬Qとなります。
分かりやすく整理すると、
X1:論理積(AND)P∧Q→「我思う、ゆえに我在り」
X2:論理和(OR)P∨Q→「我思う、または我在り」
X3:排他的論理和(XOR)¬P∧Q+P∧¬Q→「我思う、ほかに我在り」
と図式化され、こうしてみると、命題P「我思う」と命題Q「我在り」の関係性がよりクリアになり、自我の「あり方」のある種の真実が見えてくるような気がします。
以上が、コギトをバリエーション化したものです。
ここからさらに、上記のように明らかになったPとQの「あり方」を、もう一歩踏み込んで考察してみたいと思います。
それは、この演算を働かせるものはなにか、ということです。
この演算の元となる原因を探ろうとすると、因果論的な思考にはまってしまいますが、とはいえ、始原からP∧Q、P∨Q、¬P∧Q+P∧¬Qを成立させることが間違っているのも、明らかではあります。
X1、X2、X3のコギト(たち)を下位対象とすると、その生成を促すメタレベルはなにか。
それは「我在り」から「我」をとった、「在り」ではないかというのが、ひとつの仮説です。
この「在り」というのは、ひとことでいうなら「質量」になります。
もちろんこの「質量」とは、エネルギーの一形態のことでありますが、ここでやっかいなのは、エネルギーはエントロピーの法則によって、否が応でも散逸していくということです。
畢竟、人間とは、そんなメタレベルの散逸を運命付けられた「在り」と下位対象のコギト(たち)によって、恒常的に分裂している存在であるといえますが、もっと突き詰めて考えると、人間として生存するということは、その二重性に常にさらされているのみならず、メタレベルと下位対象の階層が、実は入れ替わっている状態にあるのかもしれないという直感が頭をもたげます。
それはつまり、コギト(たち)が先にあって、「在り」が後にくるということです。
存在論としては、演算を行使する「在り」が先になりますが、認識論としては、それが後に来る。
こんな奇妙な理屈を展開しているのには、ちょっとした理由があって、それは、ここまでいってきた内容を前提として話を広げると、「アート」と「宗教」の発端が見えてくるということです。
その発端とは、認識論としての「在り」を存在論としての「在り」にしようとする、ある種の欲望になります。
別のいい方をすれば、「人間から人間以前へ遡行させる」という、その無謀な企てを行おうとするのが「アート」であり「宗教」です。
その意味で、この両者は、機能的にみると等価であるともいえます。
ここで、ニーチェです。
ニーチェが見出した「永劫回帰」とは、人間が生存するということの最大の肯定形式で、ニーチェ自身がいう「聖なる嘘」ですが、存在論としての「在り」=「人間から人間以前へ遡行させる」ことを企てる「アート」と「宗教」は、文字通り「回帰」のための営為であり、それが不可能であるがために「永劫」繰り返されることを余儀なくされるという、これこそがこれからの時代の「永劫回帰」であると、改めて定義し直したい誘惑にかられます。
以下、やや長くなりますが、デカルトが到達した認識の極北であるコギト「我思う、ゆえに我在り」について、私なりに現代的にバリエーション化して、そしてそこからさらにニーチェが高らかに宣言した思想に結び付けて展開してみようと思います。
まず、件のコギトを、PとQという2つの命題に分けます。
命題Pが「我思う」、命題Qが「我在り」です。
これに数理論理学の演算を適用していきます。
ちなみにデカルトのコギトは、論理積(AND)を用い、P∧Qと記述することができます。
論理和(OR)では、P∨Qとなり、排他的論理和(XOR)では、¬P∧Q+P∧¬Qとなります。
分かりやすく整理すると、
X1:論理積(AND)P∧Q→「我思う、ゆえに我在り」
X2:論理和(OR)P∨Q→「我思う、または我在り」
X3:排他的論理和(XOR)¬P∧Q+P∧¬Q→「我思う、ほかに我在り」
と図式化され、こうしてみると、命題P「我思う」と命題Q「我在り」の関係性がよりクリアになり、自我の「あり方」のある種の真実が見えてくるような気がします。
以上が、コギトをバリエーション化したものです。
ここからさらに、上記のように明らかになったPとQの「あり方」を、もう一歩踏み込んで考察してみたいと思います。
それは、この演算を働かせるものはなにか、ということです。
この演算の元となる原因を探ろうとすると、因果論的な思考にはまってしまいますが、とはいえ、始原からP∧Q、P∨Q、¬P∧Q+P∧¬Qを成立させることが間違っているのも、明らかではあります。
X1、X2、X3のコギト(たち)を下位対象とすると、その生成を促すメタレベルはなにか。
それは「我在り」から「我」をとった、「在り」ではないかというのが、ひとつの仮説です。
この「在り」というのは、ひとことでいうなら「質量」になります。
もちろんこの「質量」とは、エネルギーの一形態のことでありますが、ここでやっかいなのは、エネルギーはエントロピーの法則によって、否が応でも散逸していくということです。
畢竟、人間とは、そんなメタレベルの散逸を運命付けられた「在り」と下位対象のコギト(たち)によって、恒常的に分裂している存在であるといえますが、もっと突き詰めて考えると、人間として生存するということは、その二重性に常にさらされているのみならず、メタレベルと下位対象の階層が、実は入れ替わっている状態にあるのかもしれないという直感が頭をもたげます。
それはつまり、コギト(たち)が先にあって、「在り」が後にくるということです。
存在論としては、演算を行使する「在り」が先になりますが、認識論としては、それが後に来る。
こんな奇妙な理屈を展開しているのには、ちょっとした理由があって、それは、ここまでいってきた内容を前提として話を広げると、「アート」と「宗教」の発端が見えてくるということです。
その発端とは、認識論としての「在り」を存在論としての「在り」にしようとする、ある種の欲望になります。
別のいい方をすれば、「人間から人間以前へ遡行させる」という、その無謀な企てを行おうとするのが「アート」であり「宗教」です。
その意味で、この両者は、機能的にみると等価であるともいえます。
ここで、ニーチェです。
ニーチェが見出した「永劫回帰」とは、人間が生存するということの最大の肯定形式で、ニーチェ自身がいう「聖なる嘘」ですが、存在論としての「在り」=「人間から人間以前へ遡行させる」ことを企てる「アート」と「宗教」は、文字通り「回帰」のための営為であり、それが不可能であるがために「永劫」繰り返されることを余儀なくされるという、これこそがこれからの時代の「永劫回帰」であると、改めて定義し直したい誘惑にかられます。
2021年1月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は6部構成で、
前半は、誤謬を見分けるために自身が世俗の中で学んだことについてのまとめ、
後半は、心臓の構造、仕組みといったような自身が学んだ自然真理と諸器官との関係性に対しての、
考察の一部を述べている。
ガリレオにせよデカルトにせよ、
この時代は物理への探究と理論形成自体が、
異端とされていたようである。 ( ガリレオ裁判参照 )
デカルトは暖炉部屋を出て、9年間は世間を見て歩き、
隠遁生活を経て方法序説を公刊したようである。 ( 自然の真理と形而上学的な事象の境界設定基準の模索 )
【デカルト - オランダでの隠棲時代 - 】
1628年にオランダに移住する。
その理由は、この国が八十年戦争によって立派な規律を生み出しており、
最も人口の多い町で得られる便利さを欠くことなく、
「孤独な隠れた生活」を送ることができるためであった。
32歳のデカルトは、自己の使命を自覚して本格的に哲学にとりかかる。
この頃に書かれたのが『世界論』(『宇宙論』)である。
これは、デカルトの機械論的世界観をその誕生から解き明かしたものであった。
しかし、1633年にガリレイが地動説を唱えたのに対して、
ローマの異端審問所が審問、そして地動説の破棄を求めた事件が起こる。
これを知ったデカルトは、『世界論』の公刊を断念した。
1637年、『方法序説』を公刊する。
自身が考察した推測を表に出すことができない環境の中で、
理論形成を書として残していく、といった状況であろうか。
デカルトはガリレイの事実を知り、
社会情勢を読みながら、後に自身の理論を残したようである。
こういった事実がありながらも、隠れ身で命を懸けるような行動をしてしてきたのは、
算術によって物理法則を残すといった真理の探究を、
自身で証明する為だったのかもしれない。
( 時代背景と、デカルト座標のようなものが残っていることを考えると、
5-6部が骨格で、4部までは公刊するための一部、囮の記述であったのかもかもしれない )
数学で関数は学んだが、
デカルトがなぜこれを残したのかは考察してこなかった。
この出来事は、理論物理学の中の部分理論としての、
世俗と命が懸けるような事象を躱しながら形成した歴史的な一歩であるともいえる。
同じように世を観てわたって、隠遁or出家生活を経た後に理論形成した人物として、
釈尊やニュートンが挙げられる。
釈尊は時に出家の後、ニュートンはペスト理由で故郷に帰った後に、
それぞれ理論形成しているようである。
前半は、誤謬を見分けるために自身が世俗の中で学んだことについてのまとめ、
後半は、心臓の構造、仕組みといったような自身が学んだ自然真理と諸器官との関係性に対しての、
考察の一部を述べている。
ガリレオにせよデカルトにせよ、
この時代は物理への探究と理論形成自体が、
異端とされていたようである。 ( ガリレオ裁判参照 )
デカルトは暖炉部屋を出て、9年間は世間を見て歩き、
隠遁生活を経て方法序説を公刊したようである。 ( 自然の真理と形而上学的な事象の境界設定基準の模索 )
【デカルト - オランダでの隠棲時代 - 】
1628年にオランダに移住する。
その理由は、この国が八十年戦争によって立派な規律を生み出しており、
最も人口の多い町で得られる便利さを欠くことなく、
「孤独な隠れた生活」を送ることができるためであった。
32歳のデカルトは、自己の使命を自覚して本格的に哲学にとりかかる。
この頃に書かれたのが『世界論』(『宇宙論』)である。
これは、デカルトの機械論的世界観をその誕生から解き明かしたものであった。
しかし、1633年にガリレイが地動説を唱えたのに対して、
ローマの異端審問所が審問、そして地動説の破棄を求めた事件が起こる。
これを知ったデカルトは、『世界論』の公刊を断念した。
1637年、『方法序説』を公刊する。
自身が考察した推測を表に出すことができない環境の中で、
理論形成を書として残していく、といった状況であろうか。
デカルトはガリレイの事実を知り、
社会情勢を読みながら、後に自身の理論を残したようである。
こういった事実がありながらも、隠れ身で命を懸けるような行動をしてしてきたのは、
算術によって物理法則を残すといった真理の探究を、
自身で証明する為だったのかもしれない。
( 時代背景と、デカルト座標のようなものが残っていることを考えると、
5-6部が骨格で、4部までは公刊するための一部、囮の記述であったのかもかもしれない )
数学で関数は学んだが、
デカルトがなぜこれを残したのかは考察してこなかった。
この出来事は、理論物理学の中の部分理論としての、
世俗と命が懸けるような事象を躱しながら形成した歴史的な一歩であるともいえる。
同じように世を観てわたって、隠遁or出家生活を経た後に理論形成した人物として、
釈尊やニュートンが挙げられる。
釈尊は時に出家の後、ニュートンはペスト理由で故郷に帰った後に、
それぞれ理論形成しているようである。
2020年2月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
to be smart, but he was also a talent at the time, so he had to discount it.
2019年12月2日に日本でレビュー済み
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哲学書としては見ない方が良いです.
"物事の考え方"というめちゃくちゃふわっとしたものを,極めて理系的に,順序立てて説明した本.めっちゃ文系科目が得意な理系って感じです.
イメージで言うと,プログラムがバグった時に,関数分けしてたらバグは見つけやすいし,とりあえず切り分ければいいよね,みたいは話です.
あと批判されがちな神についての話ですが,これ一周なにも知らずに読んでから,次にデカルトが宗教ってクソだなって考えてる前提で読めば,たぶん言いたい事は分かる気がします.
まぁただ,デカルト自身が「私の書について誰かから話を聞いても,真に受けるな」って言ってるので,自分で読んでくださいって感じですが.
とにかく,考え方について参考になるので,読んでみるべきです.
"物事の考え方"というめちゃくちゃふわっとしたものを,極めて理系的に,順序立てて説明した本.めっちゃ文系科目が得意な理系って感じです.
イメージで言うと,プログラムがバグった時に,関数分けしてたらバグは見つけやすいし,とりあえず切り分ければいいよね,みたいは話です.
あと批判されがちな神についての話ですが,これ一周なにも知らずに読んでから,次にデカルトが宗教ってクソだなって考えてる前提で読めば,たぶん言いたい事は分かる気がします.
まぁただ,デカルト自身が「私の書について誰かから話を聞いても,真に受けるな」って言ってるので,自分で読んでくださいって感じですが.
とにかく,考え方について参考になるので,読んでみるべきです.
2019年4月28日に日本でレビュー済み
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半端じゃない天才が、本気で何年も考え抜いた末に「方法」を確立することの重要性を見出し、それを説いたのが本書です。前半部分は自分が生きていく上で参考になるような内容でしたが、後半部分になると、自分の理解力のなさとキリスト系の思考についての知識の乏しさもあったためかあまり内容を掴むことができなかったのが残念です。
2020年4月20日に日本でレビュー済み
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「我思う故に我あり」に代表される理性による考察のみならず、デカルトのあらゆる学問に対する姿勢を窺い知ることができる一冊。
我々が観察、認識できることから自らの理性によって否定できない域まで推測し、理論を構築していくという数学的な理論を基礎付けている。
また言語や動物の習性による人間の理性の証明、人間を自然の主人たらしめる事による医学の発展、我々の生命機能を論拠とする理性と身体の二元論といった近代から現代に至る思考の基礎が述べられている。
我々が観察、認識できることから自らの理性によって否定できない域まで推測し、理論を構築していくという数学的な理論を基礎付けている。
また言語や動物の習性による人間の理性の証明、人間を自然の主人たらしめる事による医学の発展、我々の生命機能を論拠とする理性と身体の二元論といった近代から現代に至る思考の基礎が述べられている。