〈前提〉
私は、この書物から「フィロナス主義」または「バークリ主義」をではなく、「非物質主義」を受けとる。
「非物質主義」というけれど、これは消極的な主義ですよね。つまり、「物質に始まり物質に終わるというのは、私の哲学にあらず」という意思の表明です。
「では、物質を退ける君は、何を語り何を考えるのかね、真理について?哲学というものが、知への愛、すなわち真理の追求だとするならば、そして君が哲学を志す者ならば」
「非物質主義」を表明する者は、このような問いを投げ掛けられて然るべきです。
この対話がその価値を大にするのは、ここにおいてです。「物質」という概念に束縛されていては見ることのできない光景があります。「物質」というものを意識していなくとも、自明のこととして意識するまでもない真理として、「物質」という名前を用いなくとも、あなたの思考が「物質」に支配されているかもしれない。つまり、あなたの思考は本来もっともっと広く深くなりゆけるはずなのだ、「物質」をも越えてゆくはずなのだ、という希望と予感。
ただしあくまでも、「物質」を越えるのであって、「物質」を消滅させるということではありません。そんなことは、この対話から読み取れません。
この対話は、開かれた窓のような対話です。ただし、その開かれた窓の先にどのような景色を見るかは、わたしたち各人すなわち知を愛する者にゆだねられているのです。
そして、なによりも焦ってはなりません。開いた窓へは余すことなく陽光が差し込みますが、暗室にいたため闇に慣れ親しんだ眼は陽光を拒み恐れます。しかしやがてきっと、徐々に陽光と打ち解けてゆき、陽光に誘われ手を引かれ野に出て、陽に包まれる丘に抱かれて、かつまた丘を抱きながら安らうときが訪れるでしょう。
そのときまで、焦らず、誠実に知を愛し求めましょう、自分の信じる道を守りながら、誠実に。
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ハイラスとフィロナスの三つの対話 (岩波文庫 青 618-2) 文庫 – 2008/4/16
- ISBN-104003361822
- ISBN-13978-4003361825
- 出版社岩波書店
- 発売日2008/4/16
- 言語日本語
- 本の長さ280ページ
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商品の説明
著者について
バークリ
George Berkeley1685-1753 英経験論の哲学者
George Berkeley1685-1753 英経験論の哲学者
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2008/4/16)
- 発売日 : 2008/4/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 280ページ
- ISBN-10 : 4003361822
- ISBN-13 : 978-4003361825
- Amazon 売れ筋ランキング: - 419,984位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 185位西洋近現代思想
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年6月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2019年7月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『ハイラスとフィロナスの三つの対話』は、バークリ哲学の要点が集約された本です。プラトンの対話篇のような対話形式で書かれた本で、バークリが文才に恵まれた人物だったことが窺い知れる一冊でした。この本は、題名の通り三つの対話で構成されています。
第一対話では、観念がみな心の中にあることが語られています。私たちが感覚器官によって直接知覚できる可感的事物や、可感的事物にそなわった可感的性質をバークリは観念と呼びます。そして、観念は心の中にあるものであって心の外にはないということが示されます。
第二対話からは、神の存在が語られます。バークリにとって神は、「可感的世界を含み、支えている無限で遍在する精神」です。神がすべてのものを知覚しているので、可感的事物は本当に存在しているとされています。神は純粋に能動的な存在であり、神の意志は私たちが知覚する観念を生み出します。精神は観念の能動的な原因であり、観念は受動的なものです。知覚されるものだけでなく、想像されているものも、心の中にある観念です。
第三対話には、心や精神や魂は思考し・活動し・知覚するものだということが書いてあります。心と観念は別物で、心は観念を知覚し・考え・意志します。私たちは精神の観念を持つことができませんが、反省によって精神の思念を持ちます。また、神の存在は理性によって推理されるものです。神は純粋な精神であり、感覚器官によっては何も知覚しないとされています。
この本を最後まで読むと、バークリの哲学は「物質否定論」だとか「観念論」だとか一概に言えるものではないということがおわかりいただけるかと思います。バークリは心の外にある物質の存在を否定しましたし、直接に知覚されるものは心の中の観念だと言いました。この点では、確かにバークリの哲学は「物質否定論」であり「観念論」です。しかし、バークリは心の中にある可感的事物の存在を肯定しましたし、直接に知覚されるものは実在すると言っています。その点では、バークリの哲学は「物質肯定論」であり「実在論」だといえるのです。
第一対話では、観念がみな心の中にあることが語られています。私たちが感覚器官によって直接知覚できる可感的事物や、可感的事物にそなわった可感的性質をバークリは観念と呼びます。そして、観念は心の中にあるものであって心の外にはないということが示されます。
第二対話からは、神の存在が語られます。バークリにとって神は、「可感的世界を含み、支えている無限で遍在する精神」です。神がすべてのものを知覚しているので、可感的事物は本当に存在しているとされています。神は純粋に能動的な存在であり、神の意志は私たちが知覚する観念を生み出します。精神は観念の能動的な原因であり、観念は受動的なものです。知覚されるものだけでなく、想像されているものも、心の中にある観念です。
第三対話には、心や精神や魂は思考し・活動し・知覚するものだということが書いてあります。心と観念は別物で、心は観念を知覚し・考え・意志します。私たちは精神の観念を持つことができませんが、反省によって精神の思念を持ちます。また、神の存在は理性によって推理されるものです。神は純粋な精神であり、感覚器官によっては何も知覚しないとされています。
この本を最後まで読むと、バークリの哲学は「物質否定論」だとか「観念論」だとか一概に言えるものではないということがおわかりいただけるかと思います。バークリは心の外にある物質の存在を否定しましたし、直接に知覚されるものは心の中の観念だと言いました。この点では、確かにバークリの哲学は「物質否定論」であり「観念論」です。しかし、バークリは心の中にある可感的事物の存在を肯定しましたし、直接に知覚されるものは実在すると言っています。その点では、バークリの哲学は「物質肯定論」であり「実在論」だといえるのです。
2008年4月27日に日本でレビュー済み
「絶好の哲学入門書」というキャッチコピーに違わぬ、一緒に考えながら読める良書です。翻訳も読みやすさを配慮した丁寧な仕事だと思います。
振り回された一方の対話者(ハイラス)が第三対話の冒頭でふてくされていたり、もう一方の対話者(フィロナス)もおんなじことを何遍も言わされるのでイラついてたり、対話篇ならではのやりとりが面白く、時にはこっち、今度はあっちと、感情移入しながら読んでいると、いつの間にか自分でもおんなじ問題を考えることになります。
同文庫にある『人知原理論』の普及版と一応は言えますが、解説にもあるとおり、『原理論』に対する反論などもふまえて新たに加えられた議論があり、これがまた新たな問題を提起する箇所だったりします。両方の邦訳が文庫で読めるようになったのは何よりです。
振り回された一方の対話者(ハイラス)が第三対話の冒頭でふてくされていたり、もう一方の対話者(フィロナス)もおんなじことを何遍も言わされるのでイラついてたり、対話篇ならではのやりとりが面白く、時にはこっち、今度はあっちと、感情移入しながら読んでいると、いつの間にか自分でもおんなじ問題を考えることになります。
同文庫にある『人知原理論』の普及版と一応は言えますが、解説にもあるとおり、『原理論』に対する反論などもふまえて新たに加えられた議論があり、これがまた新たな問題を提起する箇所だったりします。両方の邦訳が文庫で読めるようになったのは何よりです。
2008年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著名だったが長く翻訳が流通していなかった本。翻訳出たので嬉しい。翻訳は平明な上に、注が丁寧で、とてもお買い得だと思う。内容は結構込み入っている上に、「対話体」ならではの不明瞭さが付きまとうので、注が助けになる。バークリは、知覚を離れて物質の実在は無いことを説く徹底的な観念論で、その極端さ・ユニークさゆえに、「哲学史」ではカントの前座扱いされた損な思想家。だがヒュームと同様、結構、常識の痛いところを衝いていて、ハイラスでなくても困ってしまう展開が楽しい。尤も来る日もこんなことに付き合わされて、帰宅後考え込んでしまうハイラスも、よくこんなフィロナス(著者の化身)と友達で居るもんだなと失笑する。哲学が「意識」から出発するのがほんとうで、だとすれば、外界の存在を前提にするのは論点先取りだから、それはおかしい、としても、とはいえ、日常的確信は、著者の思想を全面的には承服したくないだろう。それと、読んでみると「対象の同一性」の件は、著者も苦心している感じはする。外的実在との思い込みがそうではないぞ、と指摘する「攻め」の論旨はユニークで鋭いけれど、だけど、人間が「或る範囲で」認識を同じくしている理由を、もっぱら観点や言葉の問題に帰している議論はかなり苦しいと思う。それと、徹底的な観念論は、廣松渉が言っていたように、結局論理構造上、徹底的な唯物論と同断で、それこそ言葉の問題だけになってしまう。それにしても、バークリ、ヒューム、時代はずれるがマルサスなど、イギリスには不思議で或る真理を衝く、風変わりな思想家が出るので面白い。何よりも、いろいろ想念を誘発してくれるだけでも「思想書」なのだと思う。尤も読んでみると難物で愛想の無いこと話のほかだ。本書はその中では良い方だと思う。
2009年10月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハイラスの改心のようすは突飛でいまいちついていけなかった。
釈然としないままなのは、何でだろう。
釈然としないままなのは、何でだろう。
2012年2月11日に日本でレビュー済み
知覚の原因物質が外界に存在することを否定し、一切は心の中の概念とする、いわゆる非物質主義哲学を、わかりやすく説明した書。
哲学史上、あまりに有名な書だが、同時代の同様の哲学書とは違って、対話編で哲学を楽しめるというのも、この書の大きな特徴だ。
対話編では、会話の間に、冗長な部分がある。
その冗長な合間で、読書は、自分の頭の中で、いろいろと、考えを巡らすことができる。
そんな対話編を読む楽しさを、この書は教えてくれる。
また、自分の感覚という物に意識を集中させ、今一度、私が見ているこの世界って何?と考えさせてくれる。
哲学史上、あまりに有名な書だが、同時代の同様の哲学書とは違って、対話編で哲学を楽しめるというのも、この書の大きな特徴だ。
対話編では、会話の間に、冗長な部分がある。
その冗長な合間で、読書は、自分の頭の中で、いろいろと、考えを巡らすことができる。
そんな対話編を読む楽しさを、この書は教えてくれる。
また、自分の感覚という物に意識を集中させ、今一度、私が見ているこの世界って何?と考えさせてくれる。
2009年7月13日に日本でレビュー済み
対話篇なのでスラスラ読めるかなと思っていたら、意外と時間がかかってしまった。やはり、同じような問いと論理が繰り返し出てきて冗長な面があるからだろう。しかし、第一対話は面白かった。物質は心の外には存在せず、私の感覚によって存在できるのだということを、わかりやすく納得させてくれる名作である。
だが、第二・第三対話のテーマに対しては、容易に批判できる。それは、物質の実在性を神の存在上に置いていることだ。そして神が全てを創ったということの根拠は、教会のドグマと『創世記』である。これは、時代を考慮すると仕方のないことなのだろう。しかし、哲学としては不完全である。この哲学を改善するには、カントとショーペンハウアーの出現を待たねばならない。
だが、第二・第三対話のテーマに対しては、容易に批判できる。それは、物質の実在性を神の存在上に置いていることだ。そして神が全てを創ったということの根拠は、教会のドグマと『創世記』である。これは、時代を考慮すると仕方のないことなのだろう。しかし、哲学としては不完全である。この哲学を改善するには、カントとショーペンハウアーの出現を待たねばならない。
2008年5月20日に日本でレビュー済み
B・ラッセルが、哲学入門用のテクストとして推薦している7冊の本のうちの1冊です。
バークリは、現代哲学のさまざまなトピックを考える上でも、非常に有益な思考を提供してくれますが、それを楽しみながら理解することができる稀有な哲学書です。
翻訳も正確で、研究書としては大変意義深いものだと思います。ただし,底本への参照が可能なページ番号がないのは、とても不便でした。これは、岩波書店の編集方針なのでしょうか。それから、正確な訳と引き換えに、エレガントな英語の雰囲気がなくなってしまっています。哲学書を正確に訳す技術と、文学作品を美しく訳す技術は、どうしてもトレードオフになってしまうのかもしれませんね。
バークリは、現代哲学のさまざまなトピックを考える上でも、非常に有益な思考を提供してくれますが、それを楽しみながら理解することができる稀有な哲学書です。
翻訳も正確で、研究書としては大変意義深いものだと思います。ただし,底本への参照が可能なページ番号がないのは、とても不便でした。これは、岩波書店の編集方針なのでしょうか。それから、正確な訳と引き換えに、エレガントな英語の雰囲気がなくなってしまっています。哲学書を正確に訳す技術と、文学作品を美しく訳す技術は、どうしてもトレードオフになってしまうのかもしれませんね。