新品:
¥1,210 税込
ポイント: 73pt  (6%)
無料配送5月28日 火曜日にお届け
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
¥1,210 税込
ポイント: 73pt  (6%)  詳細はこちら
無料配送5月28日 火曜日にお届け
詳細を見る
または 最も早いお届け日時指定便 明日 8:00 - 12:00の間にお届け(4 時間 50 分以内にご注文の場合)
詳細を見る
在庫あり。 在庫状況について
¥1,210 () 選択したオプションを含めます。 最初の月の支払いと選択されたオプションが含まれています。 詳細
価格
小計
¥1,210
小計
初期支払いの内訳
レジで表示される配送料、配送日、注文合計 (税込)。
出荷元
Amazon.co.jp
出荷元
Amazon.co.jp
販売元
販売元
支払い方法
お客様情報を保護しています
お客様情報を保護しています
Amazonはお客様のセキュリティとプライバシーの保護に全力で取り組んでいます。Amazonの支払いセキュリティシステムは、送信中にお客様の情報を暗号化します。お客様のクレジットカード情報を出品者と共有することはありません。また、お客様の情報を他者に販売することはありません。 詳細はこちら
支払い方法
お客様情報を保護しています
Amazonはお客様のセキュリティとプライバシーの保護に全力で取り組んでいます。Amazonの支払いセキュリティシステムは、送信中にお客様の情報を暗号化します。お客様のクレジットカード情報を出品者と共有することはありません。また、お客様の情報を他者に販売することはありません。 詳細はこちら
¥450 税込
【迅速発送】 ★多少の使用感がありますが、良好なコンディションです。(中古品のため日焼け・折れ・キズ、汚れ・書き込み等がある場合がございます。) ★クリーニング済み、防水梱包にて発送いたします。 ★発送は主にゆうメールまたはクリックポストにてポスト投函となります。Amazonの注文番号は追跡番号ではありませんので、ご注意ください。 ★ゆうメールは土日祝の配達がないため、到着予定日が土日祝の場合、翌平日の到着となります。Amazonのお届け予定日は郵便局が公表している到着日数により算出しております。郵便事情により到着が遅れる場合がございますので、予めご了承ください。 【迅速発送】 ★多少の使用感がありますが、良好なコンディションです。(中古品のため日焼け・折れ・キズ、汚れ・書き込み等がある場合がございます。) ★クリーニング済み、防水梱包にて発送いたします。 ★発送は主にゆうメールまたはクリックポストにてポスト投函となります。Amazonの注文番号は追跡番号ではありませんので、ご注意ください。 ★ゆうメールは土日祝の配達がないため、到着予定日が土日祝の場合、翌平日の到着となります。Amazonのお届け予定日は郵便局が公表している到着日数により算出しております。郵便事情により到着が遅れる場合がございますので、予めご了承ください。 一部を表示
無料配送 5月28日-30日にお届け
詳細を見る
残り1点 ご注文はお早めに 在庫状況について
¥1,210 () 選択したオプションを含めます。 最初の月の支払いと選択されたオプションが含まれています。 詳細
価格
小計
¥1,210
小計
初期支払いの内訳
レジで表示される配送料、配送日、注文合計 (税込)。
Kindleアプリのロゴ画像

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません

ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。

携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。

KindleアプリをダウンロードするためのQRコード

何か問題が発生しました。後で再度リクエストしてください。

純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3) 文庫 – 1961/8/25

4.4 5つ星のうち4.4 75個の評価

{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,210","priceAmount":1210.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,210","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"ybnIsyYKa2YRsLwhh18aWhsfTngJeTSFE6FUVeVP2dTlo5WzibSLW3RwLSvALq5cSGda6v2sW3x1Gf9cY4oUrQzO6fvBf%2FYzkqSWA3ysueVSnP4%2BS9MnvOOgSRpZtZT%2F","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥450","priceAmount":450.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"450","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"ybnIsyYKa2YRsLwhh18aWhsfTngJeTSF2Idy1dI%2BOgmlNk9E20nNKJHsYqNi978n%2BKp8wCtB2hAPRRysnz3ABM76aRUCQQ05GNyPr%2FqmaYxCqo%2FkksCnAovK57NWFibotjugYs77iYfGbk9Tb8ojJROkixkDv6tSuKALiVwa7WDg525Ggge5lA%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}

購入オプションとあわせ買い

よく一緒に購入されている商品

¥1,210
最短で5月28日 火曜日のお届け予定です
在庫あり。
この商品は、Amazon.co.jpが販売および発送します。
+
¥1,243
最短で5月28日 火曜日のお届け予定です
残り12点(入荷予定あり)
この商品は、Amazon.co.jpが販売および発送します。
+
¥1,067
最短で5月28日 火曜日のお届け予定です
残り12点(入荷予定あり)
この商品は、Amazon.co.jpが販売および発送します。
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計: pt
詳細
追加されました
spCSRF_Control
これらの商品のうちのいくつかが他の商品より先に発送されます。
一緒に購入する商品を選択してください。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (1961/8/25)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1961/8/25
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 372ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4003362535
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003362532
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.5 x 2.2 x 14.8 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.4 5つ星のうち4.4 75個の評価

著者について

著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
カント
Brief content visible, double tap to read full content.
Full content visible, double tap to read brief content.

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう

カスタマーレビュー

星5つ中4.4つ
5つのうち4.4つ
75グローバルレーティング

この商品をレビュー

他のお客様にも意見を伝えましょう

上位レビュー、対象国: 日本

2022年11月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「~つまり判断力は正得の知恵の特殊なものであり、~学校教育は、乏しい知力の人にも他人の知解から借りてきた規則を詰め込むことはできるが、~こういう天成の能力が生徒自身に欠けている場合はどんな規則でも誤用されないとは限らないのである。」等々。なるほど現代社会に生きる我々に思い当たる点が多々ある。本当に難解だが、人生において一度は必読と私は思います。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年11月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『純粋理性批判(上)』(岩波文庫)を読んだ。

カントの「実体」についての考えは、まさに「場の理論」である。カントは生成消滅を生み出す常住不変であるものとして実体を捉えていた。
脳科学においては、カントの認識論はその研究の方向を導いているようだ。
認知科学の観点からは、カントの感性、直観、知覚、外延、内包量ということについては脳科学との対応が大分つけられてきている。これからの脳科学においてのハードプロブレムは、カントのいう内感、自発、統覚、構成力、総合、カテゴリー、思惟、判断力、悟性、そして、悟性による思惟の複合である「(現代的な言い方で)メタ意識」であろう。

デカルトが外的な実体を疑い、「われ思う」ということを疑い得ない基礎にしたことについて、カントは、「われ思う」ということは外的実体の認識なくしては生じ得ないとする。
また、カントは空間と時間をアプリオリな形式として捉えており、実体の外延ではないという。

カントは「認識と客観との一致が真理」であるというが、カントの時代には、アインシュタインの時空、ゲーデルの不完全性定理、量子力学、直観を超えた現代数学の諸分野はなかった。『純粋理性批判』が1787年に出版された時代には、アインシュタインもリーマンもまだ生まれていない。カントの哲学は、ニュートン力学、ユークリッド幾何学に大きな影響を受けたようだ。
例えば、カントは、総合的判断の最高原理として、直観の形式である空間と時間、カテゴリー、構想力、統覚を考えているが、現代物理学において時空は直観の形式というよりも研究の対象である。現代物理学では熱力学的実体から時空の性質を導き出す研究がある。(参考:『重力とエントロピー』サイエンス社)
カントは感性的直観を超えるものとして、物自体である可想的存在を捉える『知性的直観』をあげているのは抜け目がない。しかし、カントは知性的直観は我々の認識の範囲外だといっている。ライプニッツは知性哲学体系を築いたが、カントはライプニッツによる「物自体である可想的実体の関係が時間と空間である」という考えも論駁しようとする。カントの思想では時間と空間は直観の形式として感性に先立つものである。ライプニッツの「概念的に区別されないものは同一である」という考えは現代物理学の一般相対性原理やポアンカレ不変性につながると思うのだが、カントはこの考えも否定している。すでにカントの時代に、ニュートン的な絶対時空の考えの他に、『ライプニッツ』によるアインシュタイン的な時空の考えがあった。
カントはライプニッツの思想では「可想的実体は蓋然的なものとなる」と言って否定しているが、これはカントによる量子論的な考えの否定である。

「それ自体で矛盾のない体系」への批判から『ゲーデル』が生まれた。
「直観の形式としての時空」の批判から『マッハ』や『アインシュタイン』が生まれた。
「物自体は直観や悟性による我々の認識の範囲外にある」ことへの批判として「ホログラフィー原理」を捉えることができるのではないか。

カントが言っていることが間違いではないのはニュートン力学が間違いではないのと同じだ。矛盾のない理論的枠組みの中で正しいのである。『カント』の方向で探求しても興味深いことが得られる。『カオス理論』はニュートン力学の範囲である。

現代物理学における1960年代の『場の量子論』は有効場理論であると考えられ、それを超える根源的な理論が模索されているのと同じように、『純粋理性批判』を「批判」することにも『カント』の現代的意味があると思う。
-------------------------------------------------------------------------
以下、2014年11月16日追加;
『純粋理性批判(上)』では『直観』と『悟性』について説明された。
『純粋理性批判(中)』では、『理性』について考察されている。
理性はその対象を理念に従ってのみ考察し、また悟性を理念に従って規定する。そうしてから、悟性はその純粋な概念を経験的に使用する。理念と現象を混同することにより理性のアンチノミー(自己矛盾)が生じる。統制的原理が構成的原理にすりかえられることに注意が必要である。人間の認識はすべて直観をもって始まり、直観から概念にいたり、理念を持って終わる。理性の一切の思弁的使用が、純粋直観、カテゴリー、理念の3要素をもって可能的経験の領域の外へ出ることは全く不可能である。理性が仮象にこころを奪われるのは自然なことではあるが、我々は仮象に欺かれないようにしなければならない。それが純粋理性批判である。
(理性的心理学)
「私は思惟する(という実在である)」における『私』には内感と経験が入り込んでいる。『私』にアプリオリに自発性をあたえるものは「道徳的法則」である。
(先験的宇宙論)
悟性は概念を経験と結び付けようとするが、理性は無条件性、絶対的全体性を要請する。
先験的宇宙論においては次の2つの対立する命題が証明されるがそれはアンチノミー(自己矛盾)である。
'1. 宇宙には無条件的な始まり、究極の単純なもの、絶対的な自発性である自由がある。
'2. 宇宙の原因は無限にさかのぼり対象は無限に分割できて、自由はなく自然法則だけがある。
前者はプラトン的な考え方であり、後者はエピクロス的な考え方(経験論)である。
先験的宇宙論における3段論法について、その大前提における条件付のものは物自体の条件としてのみ妥当するところの絶対的全体性という「理念」であり、小前提における条件付のものは「現象」であって、先験的宇宙論ではそこに誤りがあり、そこからでる結論について議論をするのは無意味である。
つまり、先験的宇宙論の自己矛盾は「可能的経験とは無縁の理念」と「経験による現象」を混同するところから生じるのであり、仮象に対する弁証的対当に基づくアンチノミーである。
一切の現象の総括である「世界」はそれ自体実在する全体であるという命題は偽であり、現象一般は我々の表象の外では全く無である(現象の先験的観念性)。
理性が理念と現象を混同して無条件性や絶対的全体性を要請すると自己矛盾に陥った。理性は理念に客観的実在を与えるのではなく「規則」を与えるものとすれば自己矛盾は解消する。つまり、不定的な経験的背進である。
自由と自然についての自己矛盾については、物自体に対する「仮想的性格」と現象に対する「経験的性格」によって解決される。自由は仮想的性格がもつものである。
(現代科学は無条件性、絶対的全体性、無限性を要求しません。137億年前の初期宇宙の姿が観測されていること、現在の宇宙は加速度膨張をしていることをカントが知ったら驚くでしょう。)

(先験的神学)
純粋理性の理想は先験的神学の対象となる。理性は一切のものの根源的根拠としての最高存在者が絶対に必然的に存在すると推論する。最高存在者の現実的存在を概念的に証明しようとする存在論的証明は不可能である。総合的認識が可能である標徴は常に経験に求められねばならないが、これに反して理念の対象は経験には属しないためである。
ライプニッツによる神の存在の宇宙論的証明に対しては経験を装っているだけなのであり、結局は存在論的証明になるといって論駁する。
カントは「私は始めなく終わりなく永遠に存在を続ける、私のほかには、また私の意志によってのみ存在するもののほかには、何一つ存在しない、しかしこの私はいったいどこから来たのか」という疑問を投げかける。
(神学とは関係なく、現代宇宙論では真空のゆらぎから宇宙が始まったという考えがあり、循環宇宙、マルチバースの考えがあります)
絶対的全体性に達するには経験的な道によるのでは全く不可能であるが、自然神学的証明はこの道を行く。
しかしながら、カントは、最高存在者の客観的実在性を反駁することもまた不可能であると言っている。
(平成26年11月16日追加)
-----------------------------------------------------------------
平成26年11月19日追加
『純粋理性批判(下)』;
哲学と数学の違いについて考える。数学が定義から始まるのに対して、哲学は概念から始まる。数学が概念を構成的に用いて図形や記号によって証明するのに対して、哲学は言葉によって論証的に証明する。カントの考えでは、哲学に数学的方法を持ち込むことはできないということである。理性の限界設定が哲学のなすべきことであるという。
理性の誤りは理念と現象を混同するところから生じる。(質点の概念を現実に持ち込むと発散という困難が生じる。カント的には直感的時空のなかで弦やブレーンを考えることになるし、ライプニッツ的には時空の最小単位が生み出される)
「自由」、「心の不死」、「神」は理性の純粋哲学的問題であるが、これらは物自体の世界に関することであり、経験的な現象世界と混同することは自己矛盾を生じる。そこで、もし意志が自由であり、来世と神が存在するならば何をするべきかという実践的なことに焦点が移る。
1. 私は何を知り得るか
2. 私は何をなすべきか
3. 私は何を希望することが許されるか
『私は何を知り得るか』についてはすでにその限界について考究された。
実用的法則は幸福であると感じる経験に基づくが、道徳的法則は理性の理念に関するアプリオリに認識せられるはずの定言的なものである。理性の思弁的原理は証明されないが、純粋理性の原理は、その実践的な、しかし特に道徳的な使用において、客観的実在性を持つ。
『私は何をなすべきか』の解答は『幸福を受けるに値するように行為せよ』である。幸福を受ける希望は道徳的法則に従うことによって与えられる。そのような可想的世界には最高善と来世が存在しなければならない(道徳神学)。
結局、カントは道徳的信により神の存在と来世とを信ぜざるを得ないとしている。
「最高の哲学といえども、人性の本質的目的(道徳)に関しては自然が常識にも与えたところの手引き以上のことを成就し得るものではない」
最後に、形而上学についてと純粋理性の歴史についてまとめられている。
(平成26年11月19日)
42人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年10月9日に日本でレビュー済み
よくこの岩波文庫の翻訳は誤訳が多いとか悪訳だとか言われるがその批判は、ドイツ語で純粋理性批判を読んで理解し、次にこの岩波文庫で純粋理性批判を読んで理解した後でようやく出来るものだ。(無論、そんなことが出来る人はそうはいないことは明らか)よって私はこの翻訳を信じて読んでみたが確かに噂通り難しい。しかしそれでも理解できた部分はあるので、そこは要約してみようと思う。

大前提として、我々は物自体を認識することは出来ない。出来るのは時間と空間によって位置づけられ、感覚が映し出す表象である。
感性的な直観によって表象を得たら、純粋悟性概念(カテゴリー)によって統一(綜合)され、経験となり、概念となる。
つまり、感性的直観と悟性があってはじめて認識、経験が可能となる。
感性的直観だけでは表象があるだけで思惟されることも概念化されることもない。悟性だけでは思惟はできても思惟する対象が無い。
また、悟性的直観は想像であり、蓋然的でしかない。この想像を「仮想的存在」という。
カントは100%確かなものしか認めないので、このような蓋然的なものは排斥する。

一応このようにまとめてみたが、どこまで妥当かは分からない。
図式だとか同時的存在とかも一応読んだがよく分からなかった。
また、よく意味のわからない単語が多く出てくるが、下巻に索引があるので、この単語はどういう使われ方をしているのかを見たい時に便利なので読みながらこの下巻を横に置いておくと便利だと思う。

評価の星の数だが、よく意味の分からない点も多いので評価のしようがないが、興味深い点もあったので一応このようにした。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2007年4月28日に日本でレビュー済み
本書は哲学に関心を持つ人なら一度は通読していないと話にならない、と言われている。これは、デカルトやプラトンやアリストテレスを読んでいないと駄目だ、というのとは違う意味合いがあるように思える。それは付き合い程度に読んでおけば何とかなる、ということではなく、一応潜り抜けておかないことには、近現代哲学がチンプンカンプンになってしまうという類の強制力を伴った必読書になっている、と思える。事実、ここで語られる「感性」「悟性」「理性」「直観」「先験的(超越的)」「判断」などの概念は、カントより遥か以前からの伝統があるとはいえ、本書で改めて確固たる意味付けに整えられている。そして何よりも認識という「主体」からのアプローチの手順としてきちんと整えられている。従ってカント以前もカント以降も、ここに帰って意味を認識して、その偏差で他の時代も見るような、そんなことになってしまっているように思える。でも、本書を通読してその理解を完成させることは容易ではなく、「スタンダード」と言うことを憚らざるを得ない。ところで、本書そのものは、或る意味当初のカントの目的が果たされていない。つまり理性について語るべき書物が、感性と悟性の精密な説明に終始し、その上の理性については、「弁証論」にて、誤用のパターンが論じられ、結局は、積極的な何かとしては語られない。regulativer Gebrauchとかkonstitutiver Gebrauchとか意味のない「整理整頓」もお好きなようだ。人間の能力では、現象面での整合性に限界づけられ、真理には到達せず、現象面以上のこと、つまり経験以上の何かを語ろうとする「理性」本来の領域に足を踏み入れるや、途端に失敗するかのような流れである。結局、実践理性、それに判断力へ問題を先送りして、未決のままとなった。けれどもそのことが却って開かれた議論となり恒久的な生命力を有しているかのごときカント哲学となっている。未決の問題に対するヘーゲルの哲学はその一つの回答だと言われているが、独断論への頽落という危険な方向が顔を出している。が、ヘーゲルのカント批判はとても妥当でもある。結局、カントとヘーゲルの間を行ったり来たりするかのようなことに思考は陥っていくような気がする。もっと言えばこれにマルクスが加わると、ほぼ、いろいろな議論は、この中のどこかに場所を占めているような気がする。
21人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年5月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
程度良好で、思った通りの製品でした
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年8月12日に日本でレビュー済み
本書には「悟性」と「理性」という二つのキーワードがある。
ユークリッドからガウスの手前くらいまでの数学は、我々の感覚から自然に延長された世界の把握の仕方である。
一方、19世紀初頭、リーマン、ガロアあたりから登場した現代数学の基底となったアイディアは、一見、実世界では観察されえないものの、人間のもつアプリオリな思考からは確実に真相を表していると考えられる世界・宇宙のとらえ方である。前者は「悟性」、後者は「理性」に相当するのではないか、と解釈しながら読んだ。

「AはBである」という命題には「分析的命題」と「総合的命題」の2種類あることが示されている。
「分析的命題」は、言い換えのようなもので、Aをよく吟味すれば、Bであることがわかる。「総合的命題」は、「理性」を必要とし、思考の飛躍が必要である。つまりAをいくら眺めたところで、Bはなかなか出てこない。BはAの世界の外にある。

昔、大学初年のころ「数学は単なる式変形や定義のトートロジー(言い換え)であるからつまらない」と言っていた友人がいた。彼はその後数学科から哲学科に転向した。
中学生のころ、速く動くと時間が遅れるとか、空間が曲がっているとか、そういう相対性理論の話を聞きかじったときに、なぜそういうことが人間にわかったのか不思議に思った。
「悟性」の単なる延長上で、数学を進めていっても、数学がトートロジーであったならば、現代物理でわかっている宇宙や素粒子の構造は理解できなかったに違いない。つまり、現代の数学や理論物理は「分析的命題」によるのではなく、「総合的命題」の積み重ねによっている。

この本は、なぜ、このような理解が可能であるか、を説明しようとしている本なのではないか。本書のすごいところは、現代数学や現代物理学が誕生する以前に書かれたにもかかわらず、現代数学の諸概念を考えるきっかけを作ったのではないかと思えるところだ。実際、リーマンやガロアが出現した時代は、この本が出た直ぐ後であり、本書が、まるでその後の現代数学の誕生を予見していたかのように見える。さらに、現実の宇宙がまさに、それらの現代数学によってしか記述てきないものであることを発見したアインシュタインや、物質の状態に不確定性を見たハイゼンベルクなどドイツ系の理論物理学者は、若い頃にカントを読んでいた節がある。

現在では、宇宙が量子場の曲がった多次元空間であり、群の対称性から素粒子とはまさにその多次元空間の変換の規約表現そのものであることが発見され、物質の質量は後天的に獲得されたものであることがわかり、人間の思考と実験によって、「理性」による「総合的命題」が積み重なり、驚くべき宇宙の理解が進んできている。

この現代の数学、物理学の飛躍的発展に、本書が間接的に果たした役割は、かなり大きいのではないか。人類の残した書物の金字塔の一つであろう。
26人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート