ショーペンハウアーは「自殺の哲学者」。
その著作を読み解くに以下のような感想を持つ。
ショーペンハウアーは「人間の生は苦悩と退屈の間を揺れ動く」ものであり、
「人間界は偶然と誤謬の国である個々人の生涯は苦難の歴史」と断定する。
しかし「神に救いを求めるのは無駄であり、地上に救いがないという
このことこそが常態」である。
そしてショーペンハウアーにとっては「生きんとする意志を否定する」ことが
キリスト教的あるは仏教的「悟り」に近づく。
もともと彼にとって、「意志は表象から自由であり」・「意志にはいかなる
目標も限界もない」、とする。彼は鋭い「西欧的理性信奉者」である。
そして、自殺について、「自殺は意志の否定であるどころか、むしろ意志の
強烈な肯定のひとつの現象である。…。もともと自殺者は生を欲しているのだ。
自殺するのはただ、現在の自分の置かれている諸条件に満足できないという
だけの話なのである。」と論ずる。
(意思と表象としての社会'T〜'V)
元々仏教には「生病老死」は苦悩であるとの感覚があるが、
「生きることは確かに苦悩の連続であり」ショーペンハウアーの論は
非常に「腑に落ちる」。
ありふれた論のように感じられるが、彼は「意志と表象」をキリスト教的社会に
おいて考え続けた哲学者である。
しかしながら、「自殺の哲学=ショーペンハウアー」の論としては、
少し「深みに欠ける」のは私の読解力のないためか。
どのような読み方をするのも可能な著作であろう。
デュケームの「自殺論」やヒュームの「自殺論」を併せて読むのも面白い。
お勧めの1冊。
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自殺について 他四篇 (岩波文庫 青 632-1) 文庫 – 1979/4/1
A. ショウペンハウエル
(著),
斎藤 信治
(翻訳)
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- 本の長さ112ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1979/4/1
- 寸法10.5 x 0.8 x 14.8 cm
- ISBN-104003363213
- ISBN-13978-4003363218
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1979/4/1)
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- 言語 : 日本語
- 文庫 : 112ページ
- ISBN-10 : 4003363213
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2016年8月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自殺に関する本を集めていたら、この本に出合えました。
以前、ショウペンハウエルの「読書について」という本を読みましたが、
その中で新書ではなく古典を読めといった内容がありました。
自殺について考えるのなら一読する価値があると思います。
以前、ショウペンハウエルの「読書について」という本を読みましたが、
その中で新書ではなく古典を読めといった内容がありました。
自殺について考えるのなら一読する価値があると思います。
2014年8月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
われわれの存在は「現在」以外にはどこにもない。しかし、現在は時間の移動に伴って常に動いている。生活は山道を駆け下りる人間の足取りと同じである。途中で止まれば倒れてしまうので、絶えず駆け続けているほかはない。ゆえに、常に精神的には動揺している。こういった状態は、幸福とは程遠い。幸福を装っている人間は多いが、実際のところ幸福な人間など誰もいない。
われわれがこうした不幸の状態にあっても動き続ける理由は、飢餓と性欲である。しかしこうした欲求は常に限界がないものであり、果て知らぬ困窮が伴っている。しかし、こうした意志・欲求こそが世界の主であり、この連続によって世界は形成されたきた。個々人は生活のために働かなければならない。そして、課題がクリアされたときには退屈が襲う。退屈とは、現存在が空虚であることの正しい認識である。その認識から目を背けようとしてまた働く。このように個々人は世界によって支配されている。だが、個々人は死の間際になって、自らの抱いた希望に欺かれた状態のまま、死の中に飛び込むという気持ちになる。
人生とは、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続である。現在それ自体は、ないほうがましのようなものであり、一種の錯誤である。人間である限り、すでに間違いの中にいる。
なすべきことがあるときは苦しいし、なすべきことがないときは退屈になる。しかも報酬はきわめて少ない。幸福な人生などというものは不可能である。前世で罪を犯したからこそ現生があるのであって、世の中は刑務所の中と同じである。
退屈さを紛らわそうとする行為に性行為がある。しかし、性行為は女性にとっては借金である。ゆえにすべての女性は性行為の最中は恥ずかしいそぶりを見せる。借金の返済行為が妊娠である。妊娠の際には女性は誇らしげな表情を見せる。子供は、父親からは意志を、母親からは認識(知性)を受け継ぐ。意志は束縛の原点であり、知性は救済である。
意志や欲望はすべての罪の原点である。だが、生命の出発点は意志である。
救いはないのか。徹頭徹尾、自分が間違っていたと洞察することが救済である。その上で、他人の幸福ではなく不幸を羨むべきである。人生は単なる現象であって、何の真実的な意味があるものでもない。
総括;幸福など存在しないという言葉に納得感あり。また、意志の力は生存上必要ではあるものの、あらゆる欲求と困窮の前提となることを改めて認識しないといけない。女性=知性という認識には若干の違和感あり。生死に対する女性側の認識も得る必要がありそう。
われわれがこうした不幸の状態にあっても動き続ける理由は、飢餓と性欲である。しかしこうした欲求は常に限界がないものであり、果て知らぬ困窮が伴っている。しかし、こうした意志・欲求こそが世界の主であり、この連続によって世界は形成されたきた。個々人は生活のために働かなければならない。そして、課題がクリアされたときには退屈が襲う。退屈とは、現存在が空虚であることの正しい認識である。その認識から目を背けようとしてまた働く。このように個々人は世界によって支配されている。だが、個々人は死の間際になって、自らの抱いた希望に欺かれた状態のまま、死の中に飛び込むという気持ちになる。
人生とは、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続である。現在それ自体は、ないほうがましのようなものであり、一種の錯誤である。人間である限り、すでに間違いの中にいる。
なすべきことがあるときは苦しいし、なすべきことがないときは退屈になる。しかも報酬はきわめて少ない。幸福な人生などというものは不可能である。前世で罪を犯したからこそ現生があるのであって、世の中は刑務所の中と同じである。
退屈さを紛らわそうとする行為に性行為がある。しかし、性行為は女性にとっては借金である。ゆえにすべての女性は性行為の最中は恥ずかしいそぶりを見せる。借金の返済行為が妊娠である。妊娠の際には女性は誇らしげな表情を見せる。子供は、父親からは意志を、母親からは認識(知性)を受け継ぐ。意志は束縛の原点であり、知性は救済である。
意志や欲望はすべての罪の原点である。だが、生命の出発点は意志である。
救いはないのか。徹頭徹尾、自分が間違っていたと洞察することが救済である。その上で、他人の幸福ではなく不幸を羨むべきである。人生は単なる現象であって、何の真実的な意味があるものでもない。
総括;幸福など存在しないという言葉に納得感あり。また、意志の力は生存上必要ではあるものの、あらゆる欲求と困窮の前提となることを改めて認識しないといけない。女性=知性という認識には若干の違和感あり。生死に対する女性側の認識も得る必要がありそう。
2021年3月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
細かめに章立てされているのと、断片的であることから、本当に理解して読めているのかが不安になる作品。
2019年12月31日に日本でレビュー済み
ショーペンハウアーの言いたいことを一言でまとめると、「我々の現存在は、物自体であり不生不滅であるところの『生きんとする意志』の現象にすぎず、したがって二次的・派生的なものであり、その意味では無価値である」ということ。この論理からいくと自殺も許容される。ショーペンハウアーのコスモロジーは徹頭徹尾ペシミスティックで、人間存在(また、その人間の表象であるところの世界)は「むしろそれがあるよりはなかった方がよかったようなもの」として捉えられており、読めば読むほど暗い気持ちになっていく代物ですw
ショーペンハウアーの哲学が厭世的なのは今に始まったことではありませんが、知らずに読むと大変なことになるのでご注意くださいw毒のある思想なので鬱の気がある方にはお勧めできませんw
「ショーペンハウアーは実は自殺を肯定しているわけではない」といったような解釈が稀に見受けられますが、どう読んでも彼は自殺を肯定していますw
ただ、「自らの生命と身体に対する当然の権利」でもって行う「時宜を得た自死」 については私も賛意を表すものであります。
ショーペンハウアーの哲学が厭世的なのは今に始まったことではありませんが、知らずに読むと大変なことになるのでご注意くださいw毒のある思想なので鬱の気がある方にはお勧めできませんw
「ショーペンハウアーは実は自殺を肯定しているわけではない」といったような解釈が稀に見受けられますが、どう読んでも彼は自殺を肯定していますw
ただ、「自らの生命と身体に対する当然の権利」でもって行う「時宜を得た自死」 については私も賛意を表すものであります。
2020年8月29日に日本でレビュー済み
生と死に関する興味深い洞察に満ちた本作。
本作の特徴は厭世的かつ諦観的ともいえる目線で考察に臨んでいる点であろう。
しかし、不思議と読んでいて暗澹たる気持ちにはならなかった。
むしろ非常に独創的で核心をついており、人生に対して過度に期待することなく、あるがままを受け入れる重要性を学べた。
現在を享楽することは人生において最も大切なことである。
なぜなら現在だけが実存的なもので他のものは虚妄にすぎないためである。
しかし同時に現在を享楽することは人生において最も愚かであるともいえる。
なぜならすぐその次の瞬間には消え去っていしまうもの、あたかも夢の様に跡形もなく消え去ってしまうものに対して真剣な努力をすることに値しないためである。
本作では、この様に人生においての矛盾に対して否定も肯定もするのではなく、矛盾が存在する事実を独自の目線で示していく。
労働、心労、困苦、困窮等の我々を悩ませる出来事と退屈との関係性も非常に興味深かった。
その他にも、苦痛の積極性と安楽や幸福の消極性に関して述べていた部分も素晴らしかった。
また、自殺を否定するのではなく、むしろ自殺を否定する宗教などを否定していたのは新鮮に思えた。
自殺が社会問題となっている現代では、自殺はタブー視されておりそれが当たり前となっている。
何よりも大切なのは、自殺を肯定するか否定するかではなく、自らの頭で考えてそれに対する結論を出すことだと思った。
本作の特徴は厭世的かつ諦観的ともいえる目線で考察に臨んでいる点であろう。
しかし、不思議と読んでいて暗澹たる気持ちにはならなかった。
むしろ非常に独創的で核心をついており、人生に対して過度に期待することなく、あるがままを受け入れる重要性を学べた。
現在を享楽することは人生において最も大切なことである。
なぜなら現在だけが実存的なもので他のものは虚妄にすぎないためである。
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なぜならすぐその次の瞬間には消え去っていしまうもの、あたかも夢の様に跡形もなく消え去ってしまうものに対して真剣な努力をすることに値しないためである。
本作では、この様に人生においての矛盾に対して否定も肯定もするのではなく、矛盾が存在する事実を独自の目線で示していく。
労働、心労、困苦、困窮等の我々を悩ませる出来事と退屈との関係性も非常に興味深かった。
その他にも、苦痛の積極性と安楽や幸福の消極性に関して述べていた部分も素晴らしかった。
また、自殺を否定するのではなく、むしろ自殺を否定する宗教などを否定していたのは新鮮に思えた。
自殺が社会問題となっている現代では、自殺はタブー視されておりそれが当たり前となっている。
何よりも大切なのは、自殺を肯定するか否定するかではなく、自らの頭で考えてそれに対する結論を出すことだと思った。
2013年3月24日に日本でレビュー済み
この世が夢想していたような楽園ではない、と気づき始める青年期に本書に目を通せば、相当なショックを受けるかも知れない。しかし同時に蒙を啓かれる可能性もある。
疲れ果てた人生の黄昏時に読めば、何度も頷かされるフレーズに出くわし、感慨もひとしおだろう。
この偉大なる人類侮辱者による批判はそれほど凄まじく、この世の暗黒面を舌鋒鋭く喝破している。
「世界はまさしく地獄にほかならない」をはじめ、薄い冊子の中に世界批判がふんだんに盛り込まれ、それは厭世を通り越して<憎世>とでも名付けたくなる程であり、今でも世の楽天家を発狂させるだけのパワーを秘めている。
一方、学校はおろかマスメディアでも忌避するこうした内容を、時には洒脱な比喩を交えて明快に綴っているところなど、人類は嫌いでも読者に対するサービス精神は旺盛(?)な著者の一面も垣間見えております。最後の方には、世界精神との対話(!)なる軽妙な小対話篇まで登場し、読者の肩を揉みほぐしてもくれます。
注意したいのが、ともすれば自殺肯定論とも捉えかねない内容なのに、著者の主著作(第四巻) 意志と表象としての世界〈3〉 (中公クラシックス) では「自殺はまったく無駄で愚かしい行為」とはっきり述べられていること、そしてキーワードでもあり本書でも頻出する「意志」という語が、世間一般で流通している意味とはかなり違うこと、また何故この哲学者が、現世の悲惨な側面ばかりをかくも徹底的にあげつらっているのかが本書だけでは不明瞭なため、ただの偏屈な哲学者、と勘違いしかねないこと。
・・・この辺のウヤムヤはとてもひと言では解消できないので、やはり最終的には、先に刊行された主著の通読が必要となってくるかと思います。
尤も、本来は主著から先に読むのが基本であり本書はその付録と補遺、という位置づけのようでありますが、さすがにあの重厚な哲学書からいきなり入るのはかなり勇気がいるかと・・・
「人生はどこまでも我々にほどこされる厳格な躾と看做されるべきものである」
箴言の宝庫でもある本書ですが、こんな一文だけでも慄然とさせられます。
しかしながらショウペンハウエル自身は、親の遺産を引き継いで暖衣飽食の優雅な生活を送っていたのも事実であり、本書から連想されるような禁欲主義者でも知行合一の高徳の士でもありません。
<ペシミズムは金持ちの道楽>という通説をある程度裏付けているわけでもあります。
疲れ果てた人生の黄昏時に読めば、何度も頷かされるフレーズに出くわし、感慨もひとしおだろう。
この偉大なる人類侮辱者による批判はそれほど凄まじく、この世の暗黒面を舌鋒鋭く喝破している。
「世界はまさしく地獄にほかならない」をはじめ、薄い冊子の中に世界批判がふんだんに盛り込まれ、それは厭世を通り越して<憎世>とでも名付けたくなる程であり、今でも世の楽天家を発狂させるだけのパワーを秘めている。
一方、学校はおろかマスメディアでも忌避するこうした内容を、時には洒脱な比喩を交えて明快に綴っているところなど、人類は嫌いでも読者に対するサービス精神は旺盛(?)な著者の一面も垣間見えております。最後の方には、世界精神との対話(!)なる軽妙な小対話篇まで登場し、読者の肩を揉みほぐしてもくれます。
注意したいのが、ともすれば自殺肯定論とも捉えかねない内容なのに、著者の主著作(第四巻) 意志と表象としての世界〈3〉 (中公クラシックス) では「自殺はまったく無駄で愚かしい行為」とはっきり述べられていること、そしてキーワードでもあり本書でも頻出する「意志」という語が、世間一般で流通している意味とはかなり違うこと、また何故この哲学者が、現世の悲惨な側面ばかりをかくも徹底的にあげつらっているのかが本書だけでは不明瞭なため、ただの偏屈な哲学者、と勘違いしかねないこと。
・・・この辺のウヤムヤはとてもひと言では解消できないので、やはり最終的には、先に刊行された主著の通読が必要となってくるかと思います。
尤も、本来は主著から先に読むのが基本であり本書はその付録と補遺、という位置づけのようでありますが、さすがにあの重厚な哲学書からいきなり入るのはかなり勇気がいるかと・・・
「人生はどこまでも我々にほどこされる厳格な躾と看做されるべきものである」
箴言の宝庫でもある本書ですが、こんな一文だけでも慄然とさせられます。
しかしながらショウペンハウエル自身は、親の遺産を引き継いで暖衣飽食の優雅な生活を送っていたのも事実であり、本書から連想されるような禁欲主義者でも知行合一の高徳の士でもありません。
<ペシミズムは金持ちの道楽>という通説をある程度裏付けているわけでもあります。
2009年7月31日に日本でレビュー済み
ショーペンハウアーの哲学はしばしば厭世主義(ペシミスム)と評される。「ショーペンハウアーは自分の著作の中でペシミスムという言葉を使ったことはない」と西尾幹二は解説しているが、そのことは彼の哲学がペシミスムであることと何ら矛盾しない。事実「意志の否定」を説いた彼の哲学が否定に満ちていることは読めば一目瞭然であり、ニーチェがそのアンチテーゼとして「意志の肯定」を説いたことからも、ショーペンハウアー哲学が厭世主義的であることは歴史的といってもいい事実である。
恐らくはそのためであろう。『自殺について』というタイトルから、これはショーペンハウアーが自殺を肯定している本に違いない、と誤解している読者が多いようである。それどころかショーペンハウアー=自殺論者と考えている向きもあるようである。だがそれは全く違う。
本書においてはもちろんのこと主著『意志と表象としての世界』においても、ショーペンハウアーが自殺を肯定したことはただの一度もなく、むしろ否定している。「意志の否定」を説いた哲学者が自殺を肯定しないのはかえって不自然に思われるかも知れないが、驚くことは一つもない。なぜならショーペンハウアーにとって自殺とは「意志の否定」ではなく「意志の強烈な肯定」にほかならないからだ。
本書においてショーペンハウアーが糾弾しているのはむしろ、自殺を罪悪とみなすキリスト教的ドグマである。そもそも『自殺について』というタイトルとは裏腹に、本書において自殺に関する議論はほとんどない。「死」や「現存在の虚無性」や「世界の苦悩」といった言葉が並んでいるが、それは自殺とは直接関係がない。せめて『死について』というタイトルにでもしていれば、まだ誤解は防げたのではないかと思うのだが。
恐らくはそのためであろう。『自殺について』というタイトルから、これはショーペンハウアーが自殺を肯定している本に違いない、と誤解している読者が多いようである。それどころかショーペンハウアー=自殺論者と考えている向きもあるようである。だがそれは全く違う。
本書においてはもちろんのこと主著『意志と表象としての世界』においても、ショーペンハウアーが自殺を肯定したことはただの一度もなく、むしろ否定している。「意志の否定」を説いた哲学者が自殺を肯定しないのはかえって不自然に思われるかも知れないが、驚くことは一つもない。なぜならショーペンハウアーにとって自殺とは「意志の否定」ではなく「意志の強烈な肯定」にほかならないからだ。
本書においてショーペンハウアーが糾弾しているのはむしろ、自殺を罪悪とみなすキリスト教的ドグマである。そもそも『自殺について』というタイトルとは裏腹に、本書において自殺に関する議論はほとんどない。「死」や「現存在の虚無性」や「世界の苦悩」といった言葉が並んでいるが、それは自殺とは直接関係がない。せめて『死について』というタイトルにでもしていれば、まだ誤解は防げたのではないかと思うのだが。