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西洋哲学史 上 (岩波文庫 青 636-1) 文庫 – 1958/3/5
哲学者の言葉を引用して、簡明にその学説の根本思想を要約した哲学史の古典である。
- 本の長さ313ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1958/3/5
- ISBN-104003363612
- ISBN-13978-4003363614
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1958/3/5)
- 発売日 : 1958/3/5
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 313ページ
- ISBN-10 : 4003363612
- ISBN-13 : 978-4003363614
- Amazon 売れ筋ランキング: - 208,369位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年1月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
良品で、丁寧に梱包されており、迅速に発送されていました。
2022年11月4日に日本でレビュー済み
タイトルのとおり、岩波文庫で唯一の西洋哲学史の本。ソクラテスから哲学が始まり、徐々に発展して、ヘーゲルで頂点に達するという近代哲学のストーリー。現代哲学(思想)はその後ヘーゲル批判から再出発するので,いわば哲学史の最終章の記載を欠く。
でも分かり易い。今読んでも十分面白い。「理性を信頼して生きよう」という(現代哲学では受けが悪いけれども十分に正当性のある)メッセージを感じる。訳も分からず現代哲学(思想)に手を出す前に一読しておく価値はあると思う(大体、ヘーゲル以降の哲学史は非常に錯綜していて、一本のストーリーにまとめるには無理がある)。
しかし問題は、永らく廃版になってる。そのため、現在、岩波文庫に西洋哲学史の本は一冊もない。はたしてこのままで良いのだろうか(私はもう古本で買ったから良いんだけどさ…)。他の本を文庫化するにしても、なかなか良い候補は思い浮かばない(一瞬、岩崎武雄『西洋哲学史』が脳裏をよぎったけど、まだ単行本で普通に売ってる)。岩波新書の熊野純彦『西洋哲学史(2冊)』ではこの本の代わりは多分つとまらない。
ちなみに,訳者の一人である谷川徹三は、谷川俊太郎(詩人)の父。哲学者であると同時に、宮沢賢治の研究者でもあり、岩波文庫の『宮沢賢治詩集』の編者でもある。谷川俊太郎の詩が哲学的なのは、父の影響があるに違いない。哲学が好きな人は、谷川俊太郎や宮沢賢治の詩も読んでみては(宮沢賢治は青空文庫でも結構読めます。『春と修羅』の「序」など、デイヴィッド・ヒュームの人間観を彷彿とさせます)。
でも分かり易い。今読んでも十分面白い。「理性を信頼して生きよう」という(現代哲学では受けが悪いけれども十分に正当性のある)メッセージを感じる。訳も分からず現代哲学(思想)に手を出す前に一読しておく価値はあると思う(大体、ヘーゲル以降の哲学史は非常に錯綜していて、一本のストーリーにまとめるには無理がある)。
しかし問題は、永らく廃版になってる。そのため、現在、岩波文庫に西洋哲学史の本は一冊もない。はたしてこのままで良いのだろうか(私はもう古本で買ったから良いんだけどさ…)。他の本を文庫化するにしても、なかなか良い候補は思い浮かばない(一瞬、岩崎武雄『西洋哲学史』が脳裏をよぎったけど、まだ単行本で普通に売ってる)。岩波新書の熊野純彦『西洋哲学史(2冊)』ではこの本の代わりは多分つとまらない。
ちなみに,訳者の一人である谷川徹三は、谷川俊太郎(詩人)の父。哲学者であると同時に、宮沢賢治の研究者でもあり、岩波文庫の『宮沢賢治詩集』の編者でもある。谷川俊太郎の詩が哲学的なのは、父の影響があるに違いない。哲学が好きな人は、谷川俊太郎や宮沢賢治の詩も読んでみては(宮沢賢治は青空文庫でも結構読めます。『春と修羅』の「序」など、デイヴィッド・ヒュームの人間観を彷彿とさせます)。
2015年2月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文章だけでここまでわかりやすくまとめられているのが驚きです。
ニーチェについてはふれられていません。
ニーチェについてはふれられていません。
2018年9月8日に日本でレビュー済み
まずこういったものを書くのは素人ではなく「哲学者」である。
哲学者が自分の哲学を以て他人の哲学を論ずるのだから、僕の様な素人向けに分かりやすく書く気づかいは無い。ショーペンハウエルなどは、自分の著作が世の中で評価されないのは、それを読む者が哲学者しかいないからであり、哲学者という人種は他人の著作を認めないことを誇りとしているからだと明言(釈明?嘆き?)しているほどである。
要するに素直じゃない人が、アリストテレスやプラトンを論ずるわけだから、初学者向けに書かれたアリストテレスのガイドブックを読んだ程度ではとても歯が立たない。
というわけで哲学史を読むには、読む方にも相応の準備と忍耐が求められるのだが、この本は哲学史の古典と云われるだけあって「一般的・良心的」に書かれていてわかりやすい。
理由は以下の通りです。
1. 哲学と哲学史を考えるための方法と基準が初学者向けに説明されていること。
2. 哲学の始まりをどこに置くか明記されていること。
3. 扱うテーマと範囲が明記されていること(認識論と西洋に限る)。
4. 従って扱われる哲学者とその思想もその枠内に制限されていること。
5. 思想の流れに沿って、扱われる哲学のそのままを紹介していること。
イオニアに端を発した「哲学」(世界を構成している根源は何か)は、神と人との関係を経て、自然科学の発展に伴い、人はそれ(世界の根源)を如何にして正しく知り得るか、と云う認識論となり、最終的に経験論と観念論の対決となる。
そこに登場したのがカントなのだが、此処に至るまでの流れはなかなかドラマティックで、とくにカントが登場する場面の興奮と云うか興味は、芝居の幕開きに似て、恐らくカントだけ読んでいたのでは分からないのだろうと思います。
思想の流れと云うエネルギーが、まるでそれが意図的であるかのようにカントに流れ込み、そこにカントが生まれた、と云うような感じで書かれています。
平家から家康に至る武家政権の勃興と貴族政権の没落を思わせるような構成です。
哲学で迷った人、これから哲学を始める人には最適の一書です。
哲学者が自分の哲学を以て他人の哲学を論ずるのだから、僕の様な素人向けに分かりやすく書く気づかいは無い。ショーペンハウエルなどは、自分の著作が世の中で評価されないのは、それを読む者が哲学者しかいないからであり、哲学者という人種は他人の著作を認めないことを誇りとしているからだと明言(釈明?嘆き?)しているほどである。
要するに素直じゃない人が、アリストテレスやプラトンを論ずるわけだから、初学者向けに書かれたアリストテレスのガイドブックを読んだ程度ではとても歯が立たない。
というわけで哲学史を読むには、読む方にも相応の準備と忍耐が求められるのだが、この本は哲学史の古典と云われるだけあって「一般的・良心的」に書かれていてわかりやすい。
理由は以下の通りです。
1. 哲学と哲学史を考えるための方法と基準が初学者向けに説明されていること。
2. 哲学の始まりをどこに置くか明記されていること。
3. 扱うテーマと範囲が明記されていること(認識論と西洋に限る)。
4. 従って扱われる哲学者とその思想もその枠内に制限されていること。
5. 思想の流れに沿って、扱われる哲学のそのままを紹介していること。
イオニアに端を発した「哲学」(世界を構成している根源は何か)は、神と人との関係を経て、自然科学の発展に伴い、人はそれ(世界の根源)を如何にして正しく知り得るか、と云う認識論となり、最終的に経験論と観念論の対決となる。
そこに登場したのがカントなのだが、此処に至るまでの流れはなかなかドラマティックで、とくにカントが登場する場面の興奮と云うか興味は、芝居の幕開きに似て、恐らくカントだけ読んでいたのでは分からないのだろうと思います。
思想の流れと云うエネルギーが、まるでそれが意図的であるかのようにカントに流れ込み、そこにカントが生まれた、と云うような感じで書かれています。
平家から家康に至る武家政権の勃興と貴族政権の没落を思わせるような構成です。
哲学で迷った人、これから哲学を始める人には最適の一書です。
2017年5月22日に日本でレビュー済み
ヘーゲル派のシュヴェーグラーによる、コンパクトな西洋哲学史。
上巻では、古代ギリシャから、中世を経て、ベーコンまでが扱われている。
量的には、プラトンとアリストテレスがかなりの量を締めている。
その一方で、プラトン以前の哲学者や、中世のスコラ哲学やベーメなども、少ないながらカバーされていて、コンパクトながら、西洋哲学史全体を概観できる内容になっている。
上巻では、古代ギリシャから、中世を経て、ベーコンまでが扱われている。
量的には、プラトンとアリストテレスがかなりの量を締めている。
その一方で、プラトン以前の哲学者や、中世のスコラ哲学やベーメなども、少ないながらカバーされていて、コンパクトながら、西洋哲学史全体を概観できる内容になっている。
2011年5月10日に日本でレビュー済み
ドイツ人の精神性の深さ、不抜の構築性には本当におどろいてしまう。
これはヘーゲル学徒による西洋哲学通史で、上巻はピタゴラス、エンペトクレス、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、エピクロスなどをあつかう。
名著なんだけどわりと抽象的なんだ。
でもその抽象性っていうのは分かりにくさってことじゃなくて、本質をするどく見抜くってことなんだ。
よくわかんないな。
とにかく読んでるとすごく気分がいい。
それは著者の清新な精神と交感できるからなんだと思う。
攻撃的なところが少しもなくて、この哲学者は何を言ってるんだろうね、いっしょに探求してみようよと誘われるようだ。
著者が生きてるんだったらカフェでいろいろ質問してみたいよ。
案外気難しいひとだったりして。
とにかくこの人がやろうとしたこと、やり方が好きだ。
内容はともかく。
なんたって明治維新より前の業績なんだからさ。
これはヘーゲル学徒による西洋哲学通史で、上巻はピタゴラス、エンペトクレス、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、エピクロスなどをあつかう。
名著なんだけどわりと抽象的なんだ。
でもその抽象性っていうのは分かりにくさってことじゃなくて、本質をするどく見抜くってことなんだ。
よくわかんないな。
とにかく読んでるとすごく気分がいい。
それは著者の清新な精神と交感できるからなんだと思う。
攻撃的なところが少しもなくて、この哲学者は何を言ってるんだろうね、いっしょに探求してみようよと誘われるようだ。
著者が生きてるんだったらカフェでいろいろ質問してみたいよ。
案外気難しいひとだったりして。
とにかくこの人がやろうとしたこと、やり方が好きだ。
内容はともかく。
なんたって明治維新より前の業績なんだからさ。
2013年2月24日に日本でレビュー済み
哲学って難しいなと相変わらず思う。
私が生きるこの世界は一見当たり前のようなものなのに、その解釈がこうも多様であるか、そこうも複雑であるかと思わされる。
この本はほかの本に比べて特に抽象的で、具体例を挙げて説明すると思ったら、そのまま抽象的説明に流れてるなんて事も多々ある。
しかし、ここまで抽象的に書かれていると、何か哲学の問題がその抽象性ゆえにすぐ矛盾や問題を生み出してしまっているんじゃないかと思ってしまう。
イデアとか神のような、今のこの私が決して実感できないものを取り入れることは確かに体系化しやすいだろうし、なんとなくそんなものがあるんだろうなというと考えるのは人間の常であるのだろうが、そこに整合性を生むために今度は実世界が果てしなく疎んじられ軽視されすぎているような気がする。
ただ、哲学は言葉の上でも難しいから、実感という言葉を使ったところでその実感とは何だという話になってまた分けがわからなくなるから、上の自分の考えもおかしい意見てことになるんだろうな思う。
本書に関して言えば、私は哲学額と出ないからそんなに詳しいことも知らないし、わかってもいないが、ヘーゲルの弁証法という側面に強く影響されて哲学史が解釈されているような気がする。
哲学は概ね弁証法的に成立してきたという考えの基で書かれている感じがした。
私が生きるこの世界は一見当たり前のようなものなのに、その解釈がこうも多様であるか、そこうも複雑であるかと思わされる。
この本はほかの本に比べて特に抽象的で、具体例を挙げて説明すると思ったら、そのまま抽象的説明に流れてるなんて事も多々ある。
しかし、ここまで抽象的に書かれていると、何か哲学の問題がその抽象性ゆえにすぐ矛盾や問題を生み出してしまっているんじゃないかと思ってしまう。
イデアとか神のような、今のこの私が決して実感できないものを取り入れることは確かに体系化しやすいだろうし、なんとなくそんなものがあるんだろうなというと考えるのは人間の常であるのだろうが、そこに整合性を生むために今度は実世界が果てしなく疎んじられ軽視されすぎているような気がする。
ただ、哲学は言葉の上でも難しいから、実感という言葉を使ったところでその実感とは何だという話になってまた分けがわからなくなるから、上の自分の考えもおかしい意見てことになるんだろうな思う。
本書に関して言えば、私は哲学額と出ないからそんなに詳しいことも知らないし、わかってもいないが、ヘーゲルの弁証法という側面に強く影響されて哲学史が解釈されているような気がする。
哲学は概ね弁証法的に成立してきたという考えの基で書かれている感じがした。