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善悪の彼岸 (岩波文庫 青 639-5) 文庫 – 1970/4/16
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- 本の長さ326ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1970/4/16
- ISBN-104003363957
- ISBN-13978-4003363959
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対象商品: 善悪の彼岸 (岩波文庫 青 639-5)
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1970/4/16)
- 発売日 : 1970/4/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 326ページ
- ISBN-10 : 4003363957
- ISBN-13 : 978-4003363959
- Amazon 売れ筋ランキング: - 29,639位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 31位ドイツ・オーストリアの思想
- - 69位西洋哲学入門
- - 166位岩波文庫
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年2月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
有名な本だったので買いました。ぼくは面白かったですが。人によっては途中でやめてしまう人もいるのかなという印象です
2021年9月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
雰囲気で買ってみました!電子書籍で!
まだ全ての内容を読んでないですが飽きました!
どうせなら文庫本で買って本棚とかに飾っておいたほうがインテリアになったなと少し後悔しております。
もう少し読書力が付いてからまた読みたいと思います!
まだ全ての内容を読んでないですが飽きました!
どうせなら文庫本で買って本棚とかに飾っておいたほうがインテリアになったなと少し後悔しております。
もう少し読書力が付いてからまた読みたいと思います!
2011年2月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ニーチェ自身曰く、ニーチェの全ての作品のうち、「最初に読むべき作品」。
哲学というよりは、詩的。読んで絶対に退屈しないことは保障します。なかには爆笑と苦笑を交えずに読むのが難しい部分も。
ひところで言うならば、「道徳批判」の本。
「同情」「他人に迷惑をかけない」「犠牲愛」「神のために人を愛す」「義務」etc
特にニーチェはこれらの道徳(曰く畜群道徳)を徹底的に攻撃します。
彼によると、能動的な人物が「健康で、富裕で、賢く、強い」自分自身を「善い」とし、自分のようでない他の人々を「悪い」とする。これをより高貴な道徳とします。
逆に、一般の小市民たちが、自分たちを抑圧する能動的な人物(国家元首、富裕な人、賢い人)を見る場合に、「彼らは悪い」とし、その上で「彼らのようでない私は善い」とする価値判断を、ルサンチマンに基づく低俗な価値判断だとするのです。
彼が批判するものの中には、キリスト教、プラトン主義、近代民主主義、近代思想、そしてヨーロッパの文化などがありますが、全ては「畜郡道徳の批判」だと考えることができると思います。
「善悪の彼岸」というタイトルには、「所与の善悪判断なんて存在しない。その向こう岸まで行こう。」という我々への語りかけが感じられます。そのためには、多くの価値判断の形式を横断しなければならないことも示唆されています。
全ての所与の道徳(「服を着るべき」という道徳さえも!!)を拒絶した上で、彼は「力への意思」「非真理の受容」そして「生に対する絶対的肯定」を「不道徳者=自由な人」の指針として示しているように思います。
‾〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「認識の樹があるところには、常に楽園がある。」大昔の蛇も最近の蛇もこう言うのだ。
‾〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その上で批判するとしたら、ニーチェの言う「高貴な人」とか「自由な人」とか「超人」が、コミュニティーで生まれたとすると(それ以外はありえないのだが)、彼は結局のところ「俺は善い。お前は悪い」というスーパーナルシストお兄さん以上でも以下でもない存在となる。
ですので、「善悪の彼岸」に立つだけでは問題を克服できないと思われます。
コミュニティーもしくは自然との関係を考慮しつつニーチェの思想を補完することを考えなくては、「自由な人間」にはなれないのではないだろうか。
哲学というよりは、詩的。読んで絶対に退屈しないことは保障します。なかには爆笑と苦笑を交えずに読むのが難しい部分も。
ひところで言うならば、「道徳批判」の本。
「同情」「他人に迷惑をかけない」「犠牲愛」「神のために人を愛す」「義務」etc
特にニーチェはこれらの道徳(曰く畜群道徳)を徹底的に攻撃します。
彼によると、能動的な人物が「健康で、富裕で、賢く、強い」自分自身を「善い」とし、自分のようでない他の人々を「悪い」とする。これをより高貴な道徳とします。
逆に、一般の小市民たちが、自分たちを抑圧する能動的な人物(国家元首、富裕な人、賢い人)を見る場合に、「彼らは悪い」とし、その上で「彼らのようでない私は善い」とする価値判断を、ルサンチマンに基づく低俗な価値判断だとするのです。
彼が批判するものの中には、キリスト教、プラトン主義、近代民主主義、近代思想、そしてヨーロッパの文化などがありますが、全ては「畜郡道徳の批判」だと考えることができると思います。
「善悪の彼岸」というタイトルには、「所与の善悪判断なんて存在しない。その向こう岸まで行こう。」という我々への語りかけが感じられます。そのためには、多くの価値判断の形式を横断しなければならないことも示唆されています。
全ての所与の道徳(「服を着るべき」という道徳さえも!!)を拒絶した上で、彼は「力への意思」「非真理の受容」そして「生に対する絶対的肯定」を「不道徳者=自由な人」の指針として示しているように思います。
‾〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「認識の樹があるところには、常に楽園がある。」大昔の蛇も最近の蛇もこう言うのだ。
‾〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その上で批判するとしたら、ニーチェの言う「高貴な人」とか「自由な人」とか「超人」が、コミュニティーで生まれたとすると(それ以外はありえないのだが)、彼は結局のところ「俺は善い。お前は悪い」というスーパーナルシストお兄さん以上でも以下でもない存在となる。
ですので、「善悪の彼岸」に立つだけでは問題を克服できないと思われます。
コミュニティーもしくは自然との関係を考慮しつつニーチェの思想を補完することを考えなくては、「自由な人間」にはなれないのではないだろうか。
2019年12月29日に日本でレビュー済み
ニーチェの「超人思想」は、20 代の時に好きだった。個人的にはニーチェの代表作である「ツァラトゥストラ かく語りき」よりも、こちらの「善悪の彼岸」の方が好きかな。
でも、今改めて読むと、ニーチェは青くて未熟に思えてしまう。そう感じる人は、意外と多いのではなかろうか?
いくらニーチェが頭が良くても、執筆当時はまだ若かったし、人生経験が豊富なわけでもない、ただの机上の空論家だったわけだし。
20 代の時に読んだヒトラーの「我が闘争」は、明らかにニーチェの影響を受けていると感じたけれども、超長文で読了までにかなり時間を要した割には、得るところは全く無い本だった。
基本的にドイツの哲学は「机上の空論」で、読むだけ時間のムダだと思う。近年、日本だけでなく海外でも読まれなくなって来ているのが、その証左だと思う。
でも、今改めて読むと、ニーチェは青くて未熟に思えてしまう。そう感じる人は、意外と多いのではなかろうか?
いくらニーチェが頭が良くても、執筆当時はまだ若かったし、人生経験が豊富なわけでもない、ただの机上の空論家だったわけだし。
20 代の時に読んだヒトラーの「我が闘争」は、明らかにニーチェの影響を受けていると感じたけれども、超長文で読了までにかなり時間を要した割には、得るところは全く無い本だった。
基本的にドイツの哲学は「机上の空論」で、読むだけ時間のムダだと思う。近年、日本だけでなく海外でも読まれなくなって来ているのが、その証左だと思う。
2017年1月10日に日本でレビュー済み
真理への認識の在り方を、
口説きを切り口に、まず、斬る。
「愛から為されることは、常に善悪の彼岸に起こる」
がキメ台詞の本。
しかし、著者が現実に口説き落とせた女の数は?
「数ではないのだよ!君!
私は、世界認識の確信を口説き落としたのだから!」
ハハーッ!
口説きを切り口に、まず、斬る。
「愛から為されることは、常に善悪の彼岸に起こる」
がキメ台詞の本。
しかし、著者が現実に口説き落とせた女の数は?
「数ではないのだよ!君!
私は、世界認識の確信を口説き落としたのだから!」
ハハーッ!
2016年7月13日に日本でレビュー済み
ニーチェは避けていたのですが、読んでみると面白いです。
もっと、早く読めば良かったです。
もっと、早く読めば良かったです。
2021年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
道徳の系譜と同様に途中で読む事を中断しましたが、私にはまだニーチェのこの二つの書は強く訴えかけてきません。ニーチェの時代背景が誘発したのか、自身の思考が現れたのか、私には分かりませんが、とにかく読んでいて苦しくなりました。数年後に私の変化を感じたら、改めて手に取りたいと思います。
2008年1月8日に日本でレビュー済み
もともと“ツァラトゥストラ”の解説書として書かれたというだけあって、この本は分かりやすいです。 なんといっても読むべきは第二、第三章で、ニーチェ思想の入り口として、最低限必要な事はここに書いてあると思います。 第四章では彼の残した見事なアフォリズムを楽しめます。 有名な“怪物と闘う者は、そのため己自身も怪物にならぬよう気をつけるがよい”もここにあります。
しかしながら第五章以降は、果たして読む必要があるのかどうか私にはなんとも言えません。 ニーチェという人はとにかく戦闘的な人で、戦う相手がキリスト教だとかそれに付随する道徳だとかという、強大かつ明確なものである場合、彼の論旨は冴えに冴え、まさに尋常ならざる論理の一斉射撃が発動しますが、“ドイツ人というものは”“イギリス人というものは”“学者というものは”はたまた“女というものは”と、不特定多数を十把一からげにして罵詈雑言を浴びせるとき、読んでいる方としてはなんともやりきれない反発心が胸にわいてくるのを抑えることが出来ません。 一言で言えば“天上天下唯我独尊さん、じゃあ、あんた自分はどうなんだよ!”ということです。 この本の第五章以降はまさにそのような文章が多いのです。 ある意味、こういう文章によって誤解され、彼の本質を理解しない勘違い野郎たち(ナチスとか)に利用される宿命を負ってしまったのではないでしょうか。
しかしながら第五章以降は、果たして読む必要があるのかどうか私にはなんとも言えません。 ニーチェという人はとにかく戦闘的な人で、戦う相手がキリスト教だとかそれに付随する道徳だとかという、強大かつ明確なものである場合、彼の論旨は冴えに冴え、まさに尋常ならざる論理の一斉射撃が発動しますが、“ドイツ人というものは”“イギリス人というものは”“学者というものは”はたまた“女というものは”と、不特定多数を十把一からげにして罵詈雑言を浴びせるとき、読んでいる方としてはなんともやりきれない反発心が胸にわいてくるのを抑えることが出来ません。 一言で言えば“天上天下唯我独尊さん、じゃあ、あんた自分はどうなんだよ!”ということです。 この本の第五章以降はまさにそのような文章が多いのです。 ある意味、こういう文章によって誤解され、彼の本質を理解しない勘違い野郎たち(ナチスとか)に利用される宿命を負ってしまったのではないでしょうか。