結婚論はイギリスの貴族であるラッセルによって
1929年に書かれた。
ということは85年前の著作となる。
内容を読むと父親の役割が国家に奪われ
結婚における父の存在意義(レゾンデートル)が
どんどんなくなって行くであろうと予言されている。
現在の男性を見ると草食化及び同性愛が
増えており、非生物に対する愛情も
目立ち始めている。これはもちろん少子化の
原因でもある。
俯瞰的に見ると、世界はどんどん機械化に
向かっている。男女差をなくしてとにかく
みんなに効率よく働いてもらいたい。
効率化における次の段階は人工知能をもった
人型ロボットである。そうすると人は必要なくなる。
すなわち人口減は人が機械にとって変わる
予兆である。
ラッセルは貴族であり、余裕があるため
4度も結婚し、70歳をすぎてようやく満足の行く
結婚に到達したという。
結婚とはラッセルにとってもそんなものなのである。
ところでラッセルは愛というものをイデアとして
考え過ぎである。生物の本能としてのどろどろした
ところを意識しながらも夢見がちなところがある。
これは貴族の余裕に由来する。
とは言え試験結婚をせよとか、
子どもが生まれなかったら離婚してもよいとか
若者の性に自由な風潮を賛嘆する等
先進的なところが多く見られ一読に値する書である。
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結婚論(ラッセル) (岩波文庫 青 649-4) 文庫 – 1996/1/16
B.(バートランド) ラッセル
(著),
安藤 貞雄
(翻訳)
現代イギリスを代表する思想家であり,活動的な平和主義者として活動し続けたバートランド・ラッセル(1872-1970)が,結婚と性道徳の諸問題を,個人のレベルから,夫婦,家族,国家,国際社会のレベルにわたって情熱的に論じたロングセラー.既刊の『ラッセル幸福論』『ラッセル教育論』とともに,ラッセルの人間観を伝える三部作.
- 本の長さ344ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1996/1/16
- ISBN-104003364945
- ISBN-13978-4003364949
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1996/1/16)
- 発売日 : 1996/1/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 344ページ
- ISBN-10 : 4003364945
- ISBN-13 : 978-4003364949
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2018年9月28日に日本でレビュー済み
およそ100年も前に書かれたものだが、現代の社会が抱える「結婚」について予言を越えた警告の書でもある。人間社会は子供を産み育てるためと、その発端である性行為の道徳的制御のために「結婚という制度」を作ったのだ。
だから子供産まない結婚は「結婚」とは言えないとするが、それでも文明社会は少子化に向かうだろうと云う結論めいたものに至っている。現代からすれば著者も出版社もただでは済まないような内容だが、ノーベル賞受賞の対象となった著作である。
少子化の理由は明確である。
子供を産み育てることは、女性が受け持つ事業としては割に合わないということに、当の女性が目覚めたからに他ならない。女性の社会進出が進み、経済的に自立すれば夫という男に服従する理由は無くなる。出産についての主役は女性であり、男は単なるきっかけに過ぎない。だれが好き好んでさしたる見返りもない出産・子育て・教育に自分の人生を賭けるだろうか。苦労して育てた子は、自立することで親の干渉を認めず、別の個体となる。その故に親は尊敬もされず、老人として疎んじられる運命である。年老いた母親としての彼女に、一体何が残されるのだろうか。
嘗ての男社会が、女性に「母性本能」なる如何わしいものを押し付け、「無知」であることを求めたのは、女性が人生における生き甲斐を見つけることで「母性」なるものを離れ、出産を忌避する事を恐れたからに他ならない。
現代の少子化を巡っては失言や失策が多い。
これは「結婚」の主役である女性の地位と価値観が変わったにも関わらず、それを深く考察する意欲も知性もないままに、古い価値観とそれに対する個人の権利と自由という、これもまた「古い価値観」同士の実りのない喧騒の故である。
障害者は子供を産むべきではない、子供が出来ないなら離婚すべしなど、多くの課題を突き付けた内容だが、未熟な知性しか持たない者同士が感情論で言い争うよりも、この本をテキストにして議論をした方が遥かにましだと云う気がする。
だから子供産まない結婚は「結婚」とは言えないとするが、それでも文明社会は少子化に向かうだろうと云う結論めいたものに至っている。現代からすれば著者も出版社もただでは済まないような内容だが、ノーベル賞受賞の対象となった著作である。
少子化の理由は明確である。
子供を産み育てることは、女性が受け持つ事業としては割に合わないということに、当の女性が目覚めたからに他ならない。女性の社会進出が進み、経済的に自立すれば夫という男に服従する理由は無くなる。出産についての主役は女性であり、男は単なるきっかけに過ぎない。だれが好き好んでさしたる見返りもない出産・子育て・教育に自分の人生を賭けるだろうか。苦労して育てた子は、自立することで親の干渉を認めず、別の個体となる。その故に親は尊敬もされず、老人として疎んじられる運命である。年老いた母親としての彼女に、一体何が残されるのだろうか。
嘗ての男社会が、女性に「母性本能」なる如何わしいものを押し付け、「無知」であることを求めたのは、女性が人生における生き甲斐を見つけることで「母性」なるものを離れ、出産を忌避する事を恐れたからに他ならない。
現代の少子化を巡っては失言や失策が多い。
これは「結婚」の主役である女性の地位と価値観が変わったにも関わらず、それを深く考察する意欲も知性もないままに、古い価値観とそれに対する個人の権利と自由という、これもまた「古い価値観」同士の実りのない喧騒の故である。
障害者は子供を産むべきではない、子供が出来ないなら離婚すべしなど、多くの課題を突き付けた内容だが、未熟な知性しか持たない者同士が感情論で言い争うよりも、この本をテキストにして議論をした方が遥かにましだと云う気がする。
2008年5月7日に日本でレビュー済み
バートランドラッセルといえばヴィトゲンシュタインのおまけぐらいにしか思ってなかった
私ですが、このオヤジが男女の仲と性道徳について語りだすとこれだけ饒舌になるとは!
時は1929年、ヒトラーの大暴れもまだまだの頃に書かれているだけあって、無造作に優生学の思想が述べられていて、結構、ぎょっとします。あとは売春OK!といったモラルなんて、
どこ吹く風なところ。さすが英国の貴族は違うわいと思いつつ、一方で、こういう人だから
こそ80歳越えて反戦運動して捕まったりするのかいねーと思ったりもしました。
岩波ということでぱっと見、哲学者が書いた教養書ですが、読んで思ったのは、結構過激な意見じゃということです。トルストイのクロイツェルソナタがそこまで禁欲はムリやろと突っ込みたくなるのと似てます。
私ですが、このオヤジが男女の仲と性道徳について語りだすとこれだけ饒舌になるとは!
時は1929年、ヒトラーの大暴れもまだまだの頃に書かれているだけあって、無造作に優生学の思想が述べられていて、結構、ぎょっとします。あとは売春OK!といったモラルなんて、
どこ吹く風なところ。さすが英国の貴族は違うわいと思いつつ、一方で、こういう人だから
こそ80歳越えて反戦運動して捕まったりするのかいねーと思ったりもしました。
岩波ということでぱっと見、哲学者が書いた教養書ですが、読んで思ったのは、結構過激な意見じゃということです。トルストイのクロイツェルソナタがそこまで禁欲はムリやろと突っ込みたくなるのと似てます。
2008年11月1日に日本でレビュー済み
哲学者の本がノーベル文学賞を受賞しているのは意外な気がしますが、本作を対象に1950年に受賞しています。本作は文学作品として傑出しているのかと言うと、そうではありません。内容もたいしたことありません。第一次大戦で反戦運動をしたせいで、ケンブリッジ大学を追われて、投獄され、生活費を稼ぐために、愛人、レディ・オットラインの影響で書かれた、一連の一般向けの読み物のひとつです。本当の受賞理由はラッセル・アインシュタイン宣言等の核兵器反対運動についてですね。今だったら平和賞だったでしょう。当時は未だ平和賞なんてありませんでしたからね。
最近ではノーベル文学賞というと、優れた文学作品に対して与えられるものだと思われていますが、過去の歴史をひも解いてみると、選定には2つの基準があったことが分かります。一つは、現在ふつうに思われている、純粋に文学的に優れた作品、もう一つは、人類の発展、進歩に寄与した人道主義・進歩主義的な作品です。本書は当然、後者の基準による受賞です。これで、ベルグソンンもサルトルも受賞対象になっています。もっともサルトルは辞退しましたけどね。
最近ではノーベル文学賞というと、優れた文学作品に対して与えられるものだと思われていますが、過去の歴史をひも解いてみると、選定には2つの基準があったことが分かります。一つは、現在ふつうに思われている、純粋に文学的に優れた作品、もう一つは、人類の発展、進歩に寄与した人道主義・進歩主義的な作品です。本書は当然、後者の基準による受賞です。これで、ベルグソンンもサルトルも受賞対象になっています。もっともサルトルは辞退しましたけどね。
2018年5月27日に日本でレビュー済み
こんなに前衛的な内容だとは思わなかった。しかし、彼が予見したものは今、その通りになっているし、まだそうなっていないものもその予見通りになりそうな気配がする。物事を深く考える人とはやはりすごい。この予見は必ずしも読者を良い気持ちにはしないだろうけど、ラッセルの言う問いは私たちがしっかり考えなければならないことだろ。