現象学のハイデガー流発展として意図された「存在と時間」。それゆえ、読解に困った時は認識論の本として読み進めると意外に分かった気になれる。が、主体哲学としての実存主義の本として読んだ方がスラスラ行く箇所もあり、実際、この中巻はそんなパートが多いです。こういう風に読み方がフラフラする理由は、伝統的認識論における「主体/客体」という二項対立を存在論で一元的に超克しようという著者の意図があるためで、ズルイといえばズルイのだが、まさにそこがハイデガーの哲学的意図なのだと思う。
内容に関しては、「世界・内・存在」としての現存在にまつわる「不安」「死」「全体性」「良心」「覚悟」、、、といった概念が説明されており、殆ど後期フロイトを読んでるんじゃないかという気にすらなる。現存在と存在の間の永遠の亀裂についても、ソシュール言語学におけるシニフィアンとシニフィエの間の亀裂を連想させ、ハイデガーのアクチュアリティが感じられる箇所がこの中巻を占めている。驚くべきことは、ハイデガー自身は精神分析に全く言及しておらず、アリストテレス、カント、アウグストゥス、キルケゴールといった形而上学者/キリスト者の議論の延長でこの哲学を構築しており、その意味で「最後の偉大なる形而上学者」の真骨頂が感じられる巻だと言えよう。
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存在と時間 中 (岩波文庫 青 651-2) 文庫 – 1991/11/1
- 本の長さ383ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1991/11/1
- ISBN-104003365127
- ISBN-13978-4003365120
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1991/11/1)
- 発売日 : 1991/11/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 383ページ
- ISBN-10 : 4003365127
- ISBN-13 : 978-4003365120
- Amazon 売れ筋ランキング: - 209,989位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2002年9月8日に日本でレビュー済み
数ある『存在と時間』の翻訳の中でも、あまり勧められることがないのがこの岩波文庫の桑木訳です。同書の邦訳は戦後のものだけでも、桑木訳、松尾啓吉訳、細谷貞雄訳、辻村公一訳、原祐・渡邊二郎共訳、とざっと5種。特色は様々ですが、中でも桑木訳は異彩を放ちます。最大の理由は、哲学書には珍しく、訳文が「ですます調」だからでしょうか。この試みは、とても「柔らかい」印象ではあるものの、少し読み慣れた人が見ると、奇怪の念すら持つやも知れません。訳者曰く、「日本語ですらっと読めるように、また大意を知れば足ると思われる方には本文だけで要を得るように」注意したとのことで、原語の挿入はなくルビが多用され、素朴な日本語になっています。しかし、この訳本があまり人気がないのも実はこの点が原因で、カタカナのルビの連続が煩瑣だったり、日本語が素朴すぎて逆に読みにくかったりします。一言でこの訳本のイメージを言うなら、僕は「アバウト」と言いたい。
しかし! しかし僕はまたその「アバウト」さ加減に愛着を覚えるのです。例えば訳者が自分で撮影したハイデガーの近影が下巻の巻頭にあるのですが、珍しい服を着て写ってます。巻末の説明を見ると、ハイデガーの「機嫌の好いときをねらって、門下生たちが教授に南ドイツの農夫の服を着せて、撮ったもの」だそうです。変なところで微笑ましい。また、付録の訳語と原語の対照表には、自分以外の翻訳で用いられた訳語まで記載されているものの、その基準が「訳者の記憶にある限り」でだったりする。ここでもまた、「記憶次第かよ!」「ちゃんと確認しろよ!」というつっこみを許す……。星四つという僕の評価は、翻訳の正確さではなく、この訳本の雰囲気の「アバウトさ加減」や「ほのぼの」といった、別の魅力への一種の愛着のためです。
しかし! しかし僕はまたその「アバウト」さ加減に愛着を覚えるのです。例えば訳者が自分で撮影したハイデガーの近影が下巻の巻頭にあるのですが、珍しい服を着て写ってます。巻末の説明を見ると、ハイデガーの「機嫌の好いときをねらって、門下生たちが教授に南ドイツの農夫の服を着せて、撮ったもの」だそうです。変なところで微笑ましい。また、付録の訳語と原語の対照表には、自分以外の翻訳で用いられた訳語まで記載されているものの、その基準が「訳者の記憶にある限り」でだったりする。ここでもまた、「記憶次第かよ!」「ちゃんと確認しろよ!」というつっこみを許す……。星四つという僕の評価は、翻訳の正確さではなく、この訳本の雰囲気の「アバウトさ加減」や「ほのぼの」といった、別の魅力への一種の愛着のためです。