〇 「精神的自由を希求し、同レベルの知識と財力を持った人たちを多数集めて、まっさらな土地に住まわせてみたら、かれらはいったいどんな政治体制を作りあげるだろうか」という実験をしてみた・・・米国ニューイングランドの歴史はこんなようなものだ、と著者は言う。
〇 その実験の結果はどうだったかと言えば、(1)人口2,3千人の直接民主制の自治組織「タウン」がいくつも形成された、(2)そのタウンがいくつも集まって上位の「州」を組織した、(3)すべての出発点となる「タウン」では徹底的に権力の分散が図られる。つまり19名の公務員を選挙で選んで、それぞれに徴税、教育、治安維持、道路整備などの個別業務を分担させる。かれらを監督する上司(町長など)は置かれない。
〇 このタウンのような「デモクラシー」は、もちろんアメリカのものなのだが、普遍性あるデモクラシー・モデルとも見ることができる。だから200年近く前に書かれた本書が「デモクラシーの教科書」として今日でもみずみずしい新鮮さと意義を持ち続けているのだと思う。
〇 これに対して本書の後半で説明される「連邦政府」の仕組みは特殊アメリカ的というべきかもしれない。賢人たちが熟慮を重ね工夫を凝らして「小さな共和国の住みやすさ」と、「大国の偉大さ」とを兼ね備える連邦国家を作り上げたのだから。
〇 それにしても、トクヴィルの観察の鋭さ、洞察の深さはどうだろう。彼は、母国フランスの政治制度やイギリスの政治制度を熟知しているからそれとの比較で、新鮮な発見もあり奥行きのある議論にもなるのだが、それを別にしても目の付け所がちょっと違う。人間の弱さや感情をよく知ったうえで政治を議論している。それに25年後におこる南北戦争の可能性を予感していたかのような議論。その眼力には感服するしかない。
〇 全4分冊の1冊目を読み終えておなか一杯、話がこれで完結したような気がする。2冊目にはいったい何が書いてあるのだろう?
〇 翻訳はすばらしい。そもそも原著自体がそう込み入ったことや抽象的なことは言っていないように見えるが、用語は平易で議論はよく流れ、読んでストレスを感じることはまったくなかった。翻訳者には深く感謝します。
■ 本書のポイントを私なりにまとめてみました。長文ですが、よろしければご覧ください。
(ニューイングランド)
・・ アメリカも北部と南部ではすこし事情が違うが、本書では北部のイギリス人の植民地、いわゆるニューイングランドに焦点を当てる。
・・ ニューイングランドにやってきたイギリス人においては、精神的な自由を求める宗教的情熱と民主的共和的思想が一体化していた。また彼らはほぼ同じくらいの財産と教養を持っていた。ニューイングランド植民地の発展経緯を克明にたどることができるが、これはまっさらな土地に財力と教養が同水準の人々を移住させたらどんな政治社会をつくるか、という実験を行ったようなものだと言うことができる。(第2章)
・・ そのうえ彼らは長子相続制を取らなかったから成功して大地主になったとしてもそれから数代を経れば土地は分割されて目立たない普通の資産家になった。こうして名門の出現と存続をゆるさなかったので、イエの意識は育たず個人主義が徹底した。こうした社会状況は政治的には何よりも平等を、それから自由を求める気風を育て、人民主権の原理がすべての出発点となった。(第3,4章)
(基礎自治体「タウン」)
・・ ニューイングランドの政治と行政はタウンから始まった、フランスのように中央の権力が地方に委譲されるというのではなく、地方自治体タウンが形成され、それが集まって協議のうえで上位の州政府を作り、州がさらに上位の連邦政府を作るという道順をたどった。人々はタウンで生まれ、そこで民主政の訓練を受けた。
・・ タウンにおける政治と行政は次のように行われた。①全市民が参加するタウンミーティングで政治的な意思決定を行う、②それを執行する行政は19名の公務員を選挙して、それぞれに教育、治安、道路整備、徴税などの明確な役割を果たさせる。これらはピラミッド型の行政組織ではないから、監督者を持たない。③もしこれらの公務員に違法な行為があれば住民は裁判を起こす。(第5章)
(裁判所の憲法判断)
・・ アメリカの裁判所が法律の合憲性を判断できることは注目に値する。これは裁判所の強力な権限である。しかし裁判が起こされて争点にならない限りは判断できないこと、違憲と判断してもその法律が依然として効力を有することで、裁判所が強くなりすぎないようバランスを取っている(第7章)。
(連邦政府)
・・ 独立戦争の熱狂がおわると13の植民州はバラバラになり連邦政府は無力化してしまった。それではいけないとワシントン他の賢人が集まって起草審議した現在の連邦憲法は2年後に発効する。そこには連邦制度を機能させるためのたくさんの知恵が詰まっている。そのおかげで、アメリカは、外国に対しては堅く団結した一つの共和国であり、国内では各州がそれぞれ国民に身近な共和国として機能する、そんな連邦国家となった。
・・ 連邦と州の権限の配分については、連邦政府の権限がひとつひとつ定められ、それ以外の仕事はすべて州政府の仕事とされた。
・・ 連邦政府は外国関係、複数の州にまたがる事項なとについて法律を作り、それを執行し、争いがあれば連邦裁判所で処理することができる。とりわけ連邦最高裁判所の権威と権限は強大である。ただし具体的な事案がある場合にしか判断することができないから、その力が乱用されるおそれは小さい。
・・ 連邦政府の執行権を握る大統領の権限は強くない。だから大統領が選挙を意識して政策を曲げたとしても国の利益が大きく損なわれることはない。
・・ 連邦議員は州議会議員よりも任期が長く、上院は人民ではなく州を代表している。したがって一時的な民意に抗うこともできる。デモクラシーでありすぎることの危険も考慮されているのだ。
・・ このように連邦と州、連邦の三権相互、立法府と国民はお互いに制限し制限される関係にある。これは立法者が自由の乱用をおそれ、むしろ自由を制限しようとしたからである。彼らは独立革命を終えた祖国には今後は大きな動乱は生じないだろうと見きわめたのである。
・・ 一般に大国の方が対外的には大きな役割を果たせるが、小国の方が個々の国民は平和裡に暮らせる。合衆国はこの大国のメリットと小国のメリットを実現しようというものである。これも周辺に強国がいないという地理的環境に恵まれているから可能になる。(第8章)
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アメリカのデモクラシ- (第1巻 上) (岩波文庫) 文庫 – 2005/11/16
アレクシ-・シャルル・アンリ・モリス・クレレル・トクヴィル
(著),
松本礼二
(著)
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19世紀フランスの政治思想家 アレクシ=シャルル=アンリ・クレレル・ド・トクヴィル(1805.7.29〜1859.4.16)。裁判官や国会議員、外務大臣など三権をそれぞれ経験した政治家でもあるが、1831年4月から1832年の2月まで、ジャクソン大統領時代のアメリカ合州国の諸地方を旅して実地に取材し、アメリカ社会全般の透徹した分析を通して広い視野で近代デモクラシーを論じたのが本書である。現代の民主主義を考えるにあたって読み直すべき古典的名著であるが、1835年に刊行された第1巻(第2巻は1840年刊)では、アメリカ社会の具体的な分析を行なっている。
- ISBN-104003400925
- ISBN-13978-4003400920
- 出版社岩波書店
- 発売日2005/11/16
- 言語日本語
- 本の長さ400ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2005/11/16)
- 発売日 : 2005/11/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 400ページ
- ISBN-10 : 4003400925
- ISBN-13 : 978-4003400920
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2024年5月15日に日本でレビュー済み
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2023年7月22日に日本でレビュー済み
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アメリカのデモクラシーを良くぞこの時代に調べ上げたものだ。
2016年10月2日に日本でレビュー済み
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デモクラシー第1巻上下を読んで、第2部・第10章が一番面白かった。何が、面白かったかと言えば、それはアメリカのインディアン政策を教えてくれたからである。
読み通して思うのは論理と警句である(論理は法律家としての、警句は社会学者の先駆としての)。また、構築した見解を自ら、壊しているようなところがあるように私には思えた。貴族である作者が民主主義に抱く、分裂症気味な思いが時に噴出するのではないか。それが、逆に論文に止まらない、ジレンマに立ち向かう思想書となっていると思える。
読み通して思うのは論理と警句である(論理は法律家としての、警句は社会学者の先駆としての)。また、構築した見解を自ら、壊しているようなところがあるように私には思えた。貴族である作者が民主主義に抱く、分裂症気味な思いが時に噴出するのではないか。それが、逆に論文に止まらない、ジレンマに立ち向かう思想書となっていると思える。
2020年9月8日に日本でレビュー済み
ジェームズ・C.スコット『実践 日々のアナキズム―世界に抗う土着の秩序の作り方』(岩波書店)に、トクヴィルがアナキストの一人として紹介されていた(p.xxv)。正直驚いた。トクヴィルのどこがアナキストなのかを考えてみた。
1.アナキストとは
先日9月2日に亡くなったデヴィッド グレーバーの『アナーキスト人類学のための断章』(以文社)に、ピヨートル・クロポトキンによる説明が引用されている(p.32)。
「政府なき社会において「生」と「行い」に関する原理あるいは理論に与えられた名前である。そのような社会における調和は、法への服従や権威への従属によってではなく、生産と消費のために自由に形成された地域的/職業的なさまざまな集団の間で獲得される自由合意によって、かつ市民的存在のための千変万化の必要性や希望を満足させるために、得られるものである。」
どうだろう、これを聖人クロポトキンの言葉でなく、トクヴィルの言葉だとしても納得してしまうのではないだろうか。くれぐれもアナキストを無政府主義者と訳されるからといって、テロリストと同一視するべきではない。
2.トクヴィルは王政主義者か
アナキズムも誤解されていれば、トクヴィルも誤解されている。「民主主義においては、人々は自分たちにふさわしい政府を持つ」が、トクヴィルの言葉とされているが、正しくはジョゼフ・ド・メーストルのものだそうだ(ウィキペディア;「アレクシ・ド・トクヴィル」2020/9/7閲覧)。
ふさわしい政府とは、この言葉を発した者が属する政府ということで、アメリカ民主党の大統領候補者が発すれば、民主党の大統領ということになる。トクヴィルは特定の政治体制がよいとはいっていない。中央政府から距離を置いた、地方自治を、小さな政治の場を志向した。そして自発的結社を志向した。この辺がアナキストぽいところだ。
本書の第一巻下と『旧体制と大革命』では、フランス革命前に王権の下で、王権を除く他の平等はかなり実現していたと報告される。従って王権を評価しているように見える。
民俗学者の柳田国男は文化勲章を授与されており、およそ過激な印象のアナキズムとは縁遠い存在であるが、彼は明治の国家官僚、しかも宮廷官僚であった。そして柳田はアナキストであったとする論文がある(絓(すが) 秀実, 木藤亮太『アナキスト民俗学: 尊皇の官僚・柳田国男』筑摩選書)。トクヴィルも官僚(外相)であったし、ナポレオン三世のクーデターに巻き込まれて逮捕されるところなどアナキストぽい。
王権を評価しているように見えるのは、七月王政期(1847-1848)の首相をつとめたフランソワ・ギゾーのソルボンヌ大学での講義に、トクヴィルは多大な影響を受けたことからも類推できる。その講義は、フランソワ・ギゾー『ヨーロッパ文明史―ローマ帝国の崩壊よりフランス革命にいたる』(みすず書房)として出版されている。ギゾーの言葉、「どの時代にあっても権力が自分の力を過信すれば、必ず誤りを犯す」を、トクヴィルも信じていたのだろう。この点もアナキストらしい。
3.多数者による専制
アメリカの特徴を、隅々に及ぶ平等主義とトクヴィルは捉えた。人々は平等であるが故に個性もなく大衆の中に埋没し、多数派であることが唯一の権威になる。デモクラシーの危機は、無政府的な弱さにあるのではなく、この平等主義が生む「多数者の専制」の気まぐれに起因する。大衆化した個人は頼るものがなく、個人を保護する後見人たる国家に依存するようになり、国家の権力はますます大きなものとなる。こう分析するトクヴィルもアナキストらしい。
以上、トクヴィルはアナキストであるというスコットの指摘は正しい。ただ、「平等な社会」を志向するトクヴィルだが、「自由」を加えればもっとアナキストらしくなる。その際、アナキストを無政府主義者とくれぐれも訳さないで頂きたい。
1.アナキストとは
先日9月2日に亡くなったデヴィッド グレーバーの『アナーキスト人類学のための断章』(以文社)に、ピヨートル・クロポトキンによる説明が引用されている(p.32)。
「政府なき社会において「生」と「行い」に関する原理あるいは理論に与えられた名前である。そのような社会における調和は、法への服従や権威への従属によってではなく、生産と消費のために自由に形成された地域的/職業的なさまざまな集団の間で獲得される自由合意によって、かつ市民的存在のための千変万化の必要性や希望を満足させるために、得られるものである。」
どうだろう、これを聖人クロポトキンの言葉でなく、トクヴィルの言葉だとしても納得してしまうのではないだろうか。くれぐれもアナキストを無政府主義者と訳されるからといって、テロリストと同一視するべきではない。
2.トクヴィルは王政主義者か
アナキズムも誤解されていれば、トクヴィルも誤解されている。「民主主義においては、人々は自分たちにふさわしい政府を持つ」が、トクヴィルの言葉とされているが、正しくはジョゼフ・ド・メーストルのものだそうだ(ウィキペディア;「アレクシ・ド・トクヴィル」2020/9/7閲覧)。
ふさわしい政府とは、この言葉を発した者が属する政府ということで、アメリカ民主党の大統領候補者が発すれば、民主党の大統領ということになる。トクヴィルは特定の政治体制がよいとはいっていない。中央政府から距離を置いた、地方自治を、小さな政治の場を志向した。そして自発的結社を志向した。この辺がアナキストぽいところだ。
本書の第一巻下と『旧体制と大革命』では、フランス革命前に王権の下で、王権を除く他の平等はかなり実現していたと報告される。従って王権を評価しているように見える。
民俗学者の柳田国男は文化勲章を授与されており、およそ過激な印象のアナキズムとは縁遠い存在であるが、彼は明治の国家官僚、しかも宮廷官僚であった。そして柳田はアナキストであったとする論文がある(絓(すが) 秀実, 木藤亮太『アナキスト民俗学: 尊皇の官僚・柳田国男』筑摩選書)。トクヴィルも官僚(外相)であったし、ナポレオン三世のクーデターに巻き込まれて逮捕されるところなどアナキストぽい。
王権を評価しているように見えるのは、七月王政期(1847-1848)の首相をつとめたフランソワ・ギゾーのソルボンヌ大学での講義に、トクヴィルは多大な影響を受けたことからも類推できる。その講義は、フランソワ・ギゾー『ヨーロッパ文明史―ローマ帝国の崩壊よりフランス革命にいたる』(みすず書房)として出版されている。ギゾーの言葉、「どの時代にあっても権力が自分の力を過信すれば、必ず誤りを犯す」を、トクヴィルも信じていたのだろう。この点もアナキストらしい。
3.多数者による専制
アメリカの特徴を、隅々に及ぶ平等主義とトクヴィルは捉えた。人々は平等であるが故に個性もなく大衆の中に埋没し、多数派であることが唯一の権威になる。デモクラシーの危機は、無政府的な弱さにあるのではなく、この平等主義が生む「多数者の専制」の気まぐれに起因する。大衆化した個人は頼るものがなく、個人を保護する後見人たる国家に依存するようになり、国家の権力はますます大きなものとなる。こう分析するトクヴィルもアナキストらしい。
以上、トクヴィルはアナキストであるというスコットの指摘は正しい。ただ、「平等な社会」を志向するトクヴィルだが、「自由」を加えればもっとアナキストらしくなる。その際、アナキストを無政府主義者とくれぐれも訳さないで頂きたい。
2012年6月15日に日本でレビュー済み
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他のレヴュアーは恐らく全体を通読した上でレヴューされているものと思われますが、当方はこの第1巻上巻しか読めていません。
その上で本書の内容を振り返ると、当時のアメリカが「政教分離とDIY精神」から成り立っていたことが、一貫して述べられているように思われます。
まず、建国に関わったピューリタンはイギリス本国での下克上に失敗した敗残兵です。当初はアングリカンに取って代わろうとしていたものの、敗れたことから自分たちの信仰も容認してもらいたい、と考えます。そういう人達が自由な信仰を求めて移住、建国したわけですから、結果的にはピューリタンで一枚岩ながらも、「自由な信仰」、つまり、政治によって国教を押し付けるのではなく、国民が自由に選択した宗教を信仰する、という形で政教分離が実現します。フランス革命では絶対王政とカトリックが自由の敵と目されましたが、アメリカでは政教分離を通じてむしろ自由な信仰が保証され、そのような信教の自由を通じて自由一般が実現します。宗教信仰と自由の協調が見出されたわけです。
また(若干第1巻下巻も絡みますが)、連邦政府が国家主権の一部しか備えず、そのほとんどは飽くまで州が保持しています。その州自体、タウンからのボトムアップで成立しています。では、タウンはどう機能するのかというと、個人の協調によって、です。そもそも個人が自分のことは自分でやるというDIY精神を備え、その裏返しとして、だからこそ他人にはとやかく言われない自由を保持しています(その大本は下克上失敗の怪我の功名、政教分離です)。そのような自由で自立した個人が、近隣住民同士で利害の一致を見出します。つまり、生活する境遇が類似すれば、類似した利害にさらされ、同じような不便を覚えれば、その不便を克服するために近隣住民同士が協力する。そのように協力した人たちの集まりが、結果としてタウンとなるのであり、そのタウンの集まりから州が構成されるわけです。中間規模の郡は、むしろ、タウンが非力な場合に助力する州の出先機関のような位置づけのようです。
なお、ある著名人がトクヴィルが言う「平等」が機会の平等である、とブログで述べていましたが、これはどうなんでしょうか? 均分相続による名家の消失と経済的な画一化、これに伴うエリート教育の消失と広範になされる初等教育、こうして生まれる圧倒的多数の平均的な民衆の話など、トクヴィルは結果の平等についてこそ述べている、とは言えないでしょうか?
飽くまでトクヴィルが観察した当時の話がなされているので、現代のアメリカには当てはまらないことも多々あります(周知の通り、現代アメリカの格差はひどいものです)。むしろ、だからこそ、トクヴィルの主張の生かせる点、批判されるべき点を見極める必要があるでしょう。
ともかく、政教分離による自由の確立と、その自由に基づいた各個人のDIY精神。これが本書の底流に、常に流れているように思われます。
その上で本書の内容を振り返ると、当時のアメリカが「政教分離とDIY精神」から成り立っていたことが、一貫して述べられているように思われます。
まず、建国に関わったピューリタンはイギリス本国での下克上に失敗した敗残兵です。当初はアングリカンに取って代わろうとしていたものの、敗れたことから自分たちの信仰も容認してもらいたい、と考えます。そういう人達が自由な信仰を求めて移住、建国したわけですから、結果的にはピューリタンで一枚岩ながらも、「自由な信仰」、つまり、政治によって国教を押し付けるのではなく、国民が自由に選択した宗教を信仰する、という形で政教分離が実現します。フランス革命では絶対王政とカトリックが自由の敵と目されましたが、アメリカでは政教分離を通じてむしろ自由な信仰が保証され、そのような信教の自由を通じて自由一般が実現します。宗教信仰と自由の協調が見出されたわけです。
また(若干第1巻下巻も絡みますが)、連邦政府が国家主権の一部しか備えず、そのほとんどは飽くまで州が保持しています。その州自体、タウンからのボトムアップで成立しています。では、タウンはどう機能するのかというと、個人の協調によって、です。そもそも個人が自分のことは自分でやるというDIY精神を備え、その裏返しとして、だからこそ他人にはとやかく言われない自由を保持しています(その大本は下克上失敗の怪我の功名、政教分離です)。そのような自由で自立した個人が、近隣住民同士で利害の一致を見出します。つまり、生活する境遇が類似すれば、類似した利害にさらされ、同じような不便を覚えれば、その不便を克服するために近隣住民同士が協力する。そのように協力した人たちの集まりが、結果としてタウンとなるのであり、そのタウンの集まりから州が構成されるわけです。中間規模の郡は、むしろ、タウンが非力な場合に助力する州の出先機関のような位置づけのようです。
なお、ある著名人がトクヴィルが言う「平等」が機会の平等である、とブログで述べていましたが、これはどうなんでしょうか? 均分相続による名家の消失と経済的な画一化、これに伴うエリート教育の消失と広範になされる初等教育、こうして生まれる圧倒的多数の平均的な民衆の話など、トクヴィルは結果の平等についてこそ述べている、とは言えないでしょうか?
飽くまでトクヴィルが観察した当時の話がなされているので、現代のアメリカには当てはまらないことも多々あります(周知の通り、現代アメリカの格差はひどいものです)。むしろ、だからこそ、トクヴィルの主張の生かせる点、批判されるべき点を見極める必要があるでしょう。
ともかく、政教分離による自由の確立と、その自由に基づいた各個人のDIY精神。これが本書の底流に、常に流れているように思われます。