命令委任と自由委任のこと(命令委任は身分制議会においてでの話)、議員の免責特権のこと(これは行政権を行使する国王の横暴から勝ち取ったもの)、また特筆すべきは、ケルゼンはここで比例代表制を支持していることだ。これは選挙において勝ち負けがないこと、小選挙区は勝ち負けの要素が大きく、その区割りを決めるにあたって偶然の要素が大きくなること、また小党分立の有害さは、これは「大同小異」の要素を国民の間から議会に持ち込むだけであることで、大したことではないという(よく挙げられるワイマール共和政は、大統領に非常大権が認められていたことが問題であると思うが。)。また行政国家現象も、これは民主国家を補完するものとして顕れるであろう、とする(すくなくとも日本には当てはまらないだろうが)。民主主義には指導者が適応していることも、プラトンの「国家篇」を引用し確認している。
また最後に、ナザレ人イエスが処刑されることを、民主主義の悲劇として語っている。これは皮肉なのか、キリスト教に対する非難なのかは、推し測り難いが。
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デモクラシーの本質と価値 (岩波文庫 白 16-1) ペーパーバック – 1966/1/1
- 本の長さ157ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1966/1/1
- ISBN-104003401611
- ISBN-13978-4003401613
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1966/1/1)
- 発売日 : 1966/1/1
- 言語 : 日本語
- ペーパーバック : 157ページ
- ISBN-10 : 4003401611
- ISBN-13 : 978-4003401613
- Amazon 売れ筋ランキング: - 42,044位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2017年11月30日に日本でレビュー済み
2014年3月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
難しい内容なので私が一言で要約するのは非常に困難である。あえて言えば、古本で購入したので、昭和の時代の香りがする名作です。
2008年1月24日に日本でレビュー済み
非常にスタンダードな民主主義擁護論。
内容それ自体はあちこちで聞くものも多い。
ただ、これが書かれた時の時代背景(ナチスの台頭)を考えれば、また違ったようにも読めるのかもしれない。
民主主義を独裁と対峙させながら、最善の手段としての多数決原理、政党制の必然、自由の必要性、議会制度のあり方などを論ずる。
最終的には、相対主義的な立場から民主主義を擁護する。
書かれていることは堅実かつ常識的である。
しかしときどき驚かされる記述もある。
彼は民主主義と独裁の差異として「自分が服従せねばならない法律が自分によって選ばれた者によって議決され、彼の同意をうるか、または少なくともその内容をある程度決定する彼の参与の下に成立したという意識は、おそらくある種の服従への快諾を達成するだろう。」(p93)と述べる。
この民主主義にともなう心理的要素は、なかなかに興味深い。
というのも、この論に従えば、我々が自分の意志を全体に伝えたと「思い込んでいる」ことが重要であるのであって、本当に自分の意志が決定に反映されているかは関係ないからである。(ケルゼンも民主主義の擬制的側面を認めている)
そうすると、国民に「自分たちは民主的に決定している」と錯覚させておけば、こっそりと管理社会的統治を行うことも十分に可能なのである。(レッシグ「CODE」のアーキテクチャなど)
もう一つ、官僚制について彼は「官僚政治化は、むしろある前提の下においてはデモクラシーの保持を意味する」(p102)と述べて、官僚制と民主制を決定的に対立するものだとは考えていない点も新鮮である。
非常にスタンダードであるので、妥当性は高いが、その分刺激は少ないかもしれない。
ケルゼンの論敵でもあったカール・シュミット「現代議会主義の精神史的地位」(強力な議会制批判と独裁の擁護の本)とあわせて読んでみると、面白いだろう。
内容それ自体はあちこちで聞くものも多い。
ただ、これが書かれた時の時代背景(ナチスの台頭)を考えれば、また違ったようにも読めるのかもしれない。
民主主義を独裁と対峙させながら、最善の手段としての多数決原理、政党制の必然、自由の必要性、議会制度のあり方などを論ずる。
最終的には、相対主義的な立場から民主主義を擁護する。
書かれていることは堅実かつ常識的である。
しかしときどき驚かされる記述もある。
彼は民主主義と独裁の差異として「自分が服従せねばならない法律が自分によって選ばれた者によって議決され、彼の同意をうるか、または少なくともその内容をある程度決定する彼の参与の下に成立したという意識は、おそらくある種の服従への快諾を達成するだろう。」(p93)と述べる。
この民主主義にともなう心理的要素は、なかなかに興味深い。
というのも、この論に従えば、我々が自分の意志を全体に伝えたと「思い込んでいる」ことが重要であるのであって、本当に自分の意志が決定に反映されているかは関係ないからである。(ケルゼンも民主主義の擬制的側面を認めている)
そうすると、国民に「自分たちは民主的に決定している」と錯覚させておけば、こっそりと管理社会的統治を行うことも十分に可能なのである。(レッシグ「CODE」のアーキテクチャなど)
もう一つ、官僚制について彼は「官僚政治化は、むしろある前提の下においてはデモクラシーの保持を意味する」(p102)と述べて、官僚制と民主制を決定的に対立するものだとは考えていない点も新鮮である。
非常にスタンダードであるので、妥当性は高いが、その分刺激は少ないかもしれない。
ケルゼンの論敵でもあったカール・シュミット「現代議会主義の精神史的地位」(強力な議会制批判と独裁の擁護の本)とあわせて読んでみると、面白いだろう。