可成り古い同文庫本を所有しているのですが、改めて読み直す為に、購入しました。
ボケ防止の為に、マルクスを読もうと思ったので、買い直したのですが、流石にバリューブックスさんで、読書に意欲の湧く、高品質の本でした。有難う御座いました。
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経済学・哲学草稿 (岩波文庫 白 124-2) 文庫 – 1964/3/16
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マルクスが初めて市民社会の根底たる資本主義経済に鋭いメスを加え、真の人間解放の道を明らかにしようとした研究の草稿である。後に『資本論』に見事に結実する若きマルクスの鋭い問題意識と洞察に貫かれた本書は、マルクスを研究する上に欠くことのできない文献である。詳細な注釈および解説を付す。
- 本の長さ311ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1964/3/16
- 寸法10.5 x 1.9 x 14.8 cm
- ISBN-104003412427
- ISBN-13978-4003412428
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1964/3/16)
- 発売日 : 1964/3/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 311ページ
- ISBN-10 : 4003412427
- ISBN-13 : 978-4003412428
- 寸法 : 10.5 x 1.9 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 198,861位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,429位岩波文庫
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2012年2月12日に日本でレビュー済み
AMAZON 書評
マルクス「経済学・哲学草稿」城塚登、 田中吉六訳、岩波文庫、1964. (原著1844年)について
マルクス「経済学・哲学草稿」の訳書で求めやすいのは、岩波文庫、国民文庫、青木文庫の三冊であろう。私の最も読んだのは国民文庫であるが、本訳も悪くない。本岩波文庫には、ヘーゲルからの抜き書きだけである第4手稿も入っている。
1. 理想社会と26歳のマルクスが見ていたもの
マルクスの「経済学・哲学手稿」を2007年に再読してみた。人間と対象の関係、人間と共同体との関係、資本と労働の矛盾を、適切な粒度,密度と内容で考察しその対策を提案した驚嘆すべき本である。偉大な現実認識,問題発見,問題解決の展望の書である。今は,労働の内容が人間の本質諸力を発展させるという内容とそれに我々はどう対処すべきかの比重が大きくなっている(精神的労働の比重が大きくなっている)。しかしそれは述べられない。このことを含め,展開される論理に十分な説得力がある場合もあるが,ない場合も多い。
しかし,人間と対象の関係、人間と共同体との関係、労働と資本と矛盾について,考えられなければならない関係がほぼ網羅されているように思えた。分業を含めた労働の内容が人間の本質諸力を発展させる面等は,二次の問題である。
その中で、「現実は常に合理的である」。本書で、マルクスは、1. あるものと別のもの間、2.あるものと時間的、空間的全体間には常に相互作用があり、それゆえ、3. 目的と解は同時に得られるという困難があり、その変革と生成は、常に同時に行われるということを教えてくれた。これがこのノートから学んだ最大のものだった。
(以下、最初の数字は手稿番号、次はページ)
理想的に必要なものの網羅である下記の項目の全てが本書で触れられる。しかしマルクスは全内容を網羅できないままに終わった。それはマルクスのやり残したものである。それは根源的に網羅されなければならない。
1) 価値観について:私と他者が、理想の価値とは何かを求め続け、価値共有を求め続ける。価値は、種と個の生、自由、愛である。
2) 外部に対する機能について:全員、全共同体が、全共同体、全対象の価値実現のための行為をし続け、この自己と対象、共同体の同一性を求め続ける。技術、制度、主観の同時変革が必要である。
3) 主体内部に対する機能、および結果について:その価値実現のために行う認識を含む労働が、私と他者の対象的能力と感性をよりよく発揮したものになりつつあり、対象的能力と感性がよくなり続けるという自分と自分の行為の同一性、また行為結果が私と他者からなる全員に結実し自分の行為の結果が自分に敵対しないという自分の行為と結果の同一性を求め続ける。
本書は、ヘーゲルやフォイエルバッハの影響が強く、まだ「マルクス主義的定式化」に至っていない段階で書かれたとされる。そうであれば、全体性から「マルクス主義的定式化」によって失われたものも大きい。世の「マルクス主義者」は、マルクス自身が、「マルクス主義的定式化」を行ったものだけを「マルクス主義」と思い込む。弁証法的唯物論と史的唯物論という並置によってとらえられる主流の「マルクス主義」では、本書の目指したものはほとんど捨てられる。
解くべき課題の全内容があり、ついでマルクスが彼の時代の制約の中で問題意識を持って書き残したものがあり、その中に「マルクス主義的定式化」がされたと「マルクス主義者」が理解するものがあり、最後に「マルクス主義者」によるその「解説」がある。適切な数値化ではないかもしれないが、内容は一段階を経るごとに百分の一になり、この四段階を経た後に残っているのは、一億分の一になって香りの失せた残りかすである。哲学については、せめて原典を読まねばならない、それも自分で解くべき課題を解くという問題意識を持って読まないと読めない、身に付かない。
2. 内容抜粋1
対象とは何だろうかと考えていたのは、2003年から3年間くらいの間であった。最も参考になったのは、純粋理性批判のカントと、フォイエルバッハテーゼで、人間とは社会的関係の総体というマルクス、資本論冒頭で、商品とは諸属性の総体というマルクス、そして次のマルクスであった。時にマルクスは一般化が足りない。前の二つでは、一般化をしなければならない。次のマルクスは、ほとんどアニミズムに近いほど対象と一体化している。ここでの三つのマルクスの対象把握の側面は重要である。
「対象的,自然的,感性的であるということと,自己の外部に対象,自然,感性を持つということ,あるいは第三者に対して自らが対象,自然,感性であるということは,同一のことである」 岩波文庫、城塚登、田中吉六訳,3,p.206
「太陽は植物の対象(オブジェクト)であり,植物には不可欠の,植物の生命を保証する対象である.同様にまた植物は,太陽のもつ生命をよびさます力の発現,太陽の対象的な本質力の発現として,太陽の対象なのである」 同p.206-207
「それ自身が第三者にとって対象でない存在は,いかなる存在をも自分の対象として持たない.(中略) 非対象的な存在とは一つの非存在である」 同3,p.207
3. 内容抜粋2
次の文章を何十回読んだだろうか。人間、対象、社会(制度)三者の同時決定、相互依存関係は矛盾の新しい課題である。同じところの国民文庫訳も合わせて示す。両方を繰り返し読んでやっと理解できたところである。
「対象が人間にとって人間的な対象あるいは対象的な人間となる場合にだけ,人間は彼の対象の中で自己を失うことがない。このことはただ,社会がこの対象のなかで人間のための存在として生成するのと同様に,対象が人間にとって社会的な対象として生成し,また人間自身が自分にとって社会的な存在として生成することによってのみ可能である」経済学・哲学草稿、城塚訳,岩波文庫,p.139
「人間が彼の対象のうちに自己を失わないのはただ,この対象が彼にとって人間的な対象あるいは対象的な人間となるときだけである。このことが可能であるのはただ,対象が人間にとって社会的な対象となり,彼自身が自分にとって社会的な存在となり,同様に社会がこの対象において彼のための存在となるばあいだけである」 経済学・哲学手稿、国民文庫、p.153)
(本書の国民文庫書評も参考にされたい)
(高原利生 20120212,13,1221,20130223改)
マルクス「経済学・哲学草稿」城塚登、 田中吉六訳、岩波文庫、1964. (原著1844年)について
マルクス「経済学・哲学草稿」の訳書で求めやすいのは、岩波文庫、国民文庫、青木文庫の三冊であろう。私の最も読んだのは国民文庫であるが、本訳も悪くない。本岩波文庫には、ヘーゲルからの抜き書きだけである第4手稿も入っている。
1. 理想社会と26歳のマルクスが見ていたもの
マルクスの「経済学・哲学手稿」を2007年に再読してみた。人間と対象の関係、人間と共同体との関係、資本と労働の矛盾を、適切な粒度,密度と内容で考察しその対策を提案した驚嘆すべき本である。偉大な現実認識,問題発見,問題解決の展望の書である。今は,労働の内容が人間の本質諸力を発展させるという内容とそれに我々はどう対処すべきかの比重が大きくなっている(精神的労働の比重が大きくなっている)。しかしそれは述べられない。このことを含め,展開される論理に十分な説得力がある場合もあるが,ない場合も多い。
しかし,人間と対象の関係、人間と共同体との関係、労働と資本と矛盾について,考えられなければならない関係がほぼ網羅されているように思えた。分業を含めた労働の内容が人間の本質諸力を発展させる面等は,二次の問題である。
その中で、「現実は常に合理的である」。本書で、マルクスは、1. あるものと別のもの間、2.あるものと時間的、空間的全体間には常に相互作用があり、それゆえ、3. 目的と解は同時に得られるという困難があり、その変革と生成は、常に同時に行われるということを教えてくれた。これがこのノートから学んだ最大のものだった。
(以下、最初の数字は手稿番号、次はページ)
理想的に必要なものの網羅である下記の項目の全てが本書で触れられる。しかしマルクスは全内容を網羅できないままに終わった。それはマルクスのやり残したものである。それは根源的に網羅されなければならない。
1) 価値観について:私と他者が、理想の価値とは何かを求め続け、価値共有を求め続ける。価値は、種と個の生、自由、愛である。
2) 外部に対する機能について:全員、全共同体が、全共同体、全対象の価値実現のための行為をし続け、この自己と対象、共同体の同一性を求め続ける。技術、制度、主観の同時変革が必要である。
3) 主体内部に対する機能、および結果について:その価値実現のために行う認識を含む労働が、私と他者の対象的能力と感性をよりよく発揮したものになりつつあり、対象的能力と感性がよくなり続けるという自分と自分の行為の同一性、また行為結果が私と他者からなる全員に結実し自分の行為の結果が自分に敵対しないという自分の行為と結果の同一性を求め続ける。
本書は、ヘーゲルやフォイエルバッハの影響が強く、まだ「マルクス主義的定式化」に至っていない段階で書かれたとされる。そうであれば、全体性から「マルクス主義的定式化」によって失われたものも大きい。世の「マルクス主義者」は、マルクス自身が、「マルクス主義的定式化」を行ったものだけを「マルクス主義」と思い込む。弁証法的唯物論と史的唯物論という並置によってとらえられる主流の「マルクス主義」では、本書の目指したものはほとんど捨てられる。
解くべき課題の全内容があり、ついでマルクスが彼の時代の制約の中で問題意識を持って書き残したものがあり、その中に「マルクス主義的定式化」がされたと「マルクス主義者」が理解するものがあり、最後に「マルクス主義者」によるその「解説」がある。適切な数値化ではないかもしれないが、内容は一段階を経るごとに百分の一になり、この四段階を経た後に残っているのは、一億分の一になって香りの失せた残りかすである。哲学については、せめて原典を読まねばならない、それも自分で解くべき課題を解くという問題意識を持って読まないと読めない、身に付かない。
2. 内容抜粋1
対象とは何だろうかと考えていたのは、2003年から3年間くらいの間であった。最も参考になったのは、純粋理性批判のカントと、フォイエルバッハテーゼで、人間とは社会的関係の総体というマルクス、資本論冒頭で、商品とは諸属性の総体というマルクス、そして次のマルクスであった。時にマルクスは一般化が足りない。前の二つでは、一般化をしなければならない。次のマルクスは、ほとんどアニミズムに近いほど対象と一体化している。ここでの三つのマルクスの対象把握の側面は重要である。
「対象的,自然的,感性的であるということと,自己の外部に対象,自然,感性を持つということ,あるいは第三者に対して自らが対象,自然,感性であるということは,同一のことである」 岩波文庫、城塚登、田中吉六訳,3,p.206
「太陽は植物の対象(オブジェクト)であり,植物には不可欠の,植物の生命を保証する対象である.同様にまた植物は,太陽のもつ生命をよびさます力の発現,太陽の対象的な本質力の発現として,太陽の対象なのである」 同p.206-207
「それ自身が第三者にとって対象でない存在は,いかなる存在をも自分の対象として持たない.(中略) 非対象的な存在とは一つの非存在である」 同3,p.207
3. 内容抜粋2
次の文章を何十回読んだだろうか。人間、対象、社会(制度)三者の同時決定、相互依存関係は矛盾の新しい課題である。同じところの国民文庫訳も合わせて示す。両方を繰り返し読んでやっと理解できたところである。
「対象が人間にとって人間的な対象あるいは対象的な人間となる場合にだけ,人間は彼の対象の中で自己を失うことがない。このことはただ,社会がこの対象のなかで人間のための存在として生成するのと同様に,対象が人間にとって社会的な対象として生成し,また人間自身が自分にとって社会的な存在として生成することによってのみ可能である」経済学・哲学草稿、城塚訳,岩波文庫,p.139
「人間が彼の対象のうちに自己を失わないのはただ,この対象が彼にとって人間的な対象あるいは対象的な人間となるときだけである。このことが可能であるのはただ,対象が人間にとって社会的な対象となり,彼自身が自分にとって社会的な存在となり,同様に社会がこの対象において彼のための存在となるばあいだけである」 経済学・哲学手稿、国民文庫、p.153)
(本書の国民文庫書評も参考にされたい)
(高原利生 20120212,13,1221,20130223改)
2019年11月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
広松氏に共感するものではありませんが、マルクスとエンゲルスの相違がかなり正確にされており、訳はともかく分かりやすく助けになります。
2009年12月23日に日本でレビュー済み
聞こえてくるような気がします。「労働という基礎が確立されていない議論なんて『ただもの論』に過ぎないですよ。」
2007年7月15日に日本でレビュー済み
初期マルクス研究のテキストとなった本書は、いろいろと問題があるけれども、「疎外」という概念は、現在も通じる考え方だと思う。
疎外された労働という概念は、マルクスを「救う」新しい概念であったが、アルチュセール等によって、「本当のマルクス」ではないと批判された。しかし、現代の労働が、自己実現や積極的な仕事というよりも、苦痛で生きるための手段という側面が強いことは、否定できない。ただ、そもそも「労働」の本質が、「疎外された」活動であるならば、いくら社会を変えたとしても変わらないと世界を否定することも可能であろう。どうしても、ノートを無理やり編集したものであるために、多くの解釈を生み出してしまうから、「疎外」もまた多くの形を生み出すだろう。
ちなみに御茶ノ水書房から『パリ手稿』が出ている。
疎外された労働という概念は、マルクスを「救う」新しい概念であったが、アルチュセール等によって、「本当のマルクス」ではないと批判された。しかし、現代の労働が、自己実現や積極的な仕事というよりも、苦痛で生きるための手段という側面が強いことは、否定できない。ただ、そもそも「労働」の本質が、「疎外された」活動であるならば、いくら社会を変えたとしても変わらないと世界を否定することも可能であろう。どうしても、ノートを無理やり編集したものであるために、多くの解釈を生み出してしまうから、「疎外」もまた多くの形を生み出すだろう。
ちなみに御茶ノ水書房から『パリ手稿』が出ている。
2002年3月22日に日本でレビュー済み
学生のころからの愛読書です。会社で中枢的な仕事をするようになった今でも時折読み返します。
働くとはどういうことなのか?働くことは自己実現=喜びのはず。それが(マルクスが生きていた時代の)資本主義社会では、自己疎外になっているという現実。いかにそれを克服していくのか、という思想的格闘。その中でたどり着いた結論--社会主義は、資本主義の対立軸としてあるのではなく、この自己疎外という問題を克服したステージにある、という考え。この指摘は、いまだに通用する鋭い問題意識であると思います。
資本論に展開されるような「マルクスの経済学」は理論経済学としては、限界が露呈されて久しいですが、この、「経哲草稿」で展開されている思想は若く、ほとばしっていて、生きる意味を考える上で、さまざまなヒントになります。とにかく、「働くことの意味」を考えたい人にはオススメです。
働くとはどういうことなのか?働くことは自己実現=喜びのはず。それが(マルクスが生きていた時代の)資本主義社会では、自己疎外になっているという現実。いかにそれを克服していくのか、という思想的格闘。その中でたどり着いた結論--社会主義は、資本主義の対立軸としてあるのではなく、この自己疎外という問題を克服したステージにある、という考え。この指摘は、いまだに通用する鋭い問題意識であると思います。
資本論に展開されるような「マルクスの経済学」は理論経済学としては、限界が露呈されて久しいですが、この、「経哲草稿」で展開されている思想は若く、ほとばしっていて、生きる意味を考える上で、さまざまなヒントになります。とにかく、「働くことの意味」を考えたい人にはオススメです。
2017年11月30日に日本でレビュー済み
マルクスの著作は久しぶりに読んだ。「草稿」とあるとおり、下書きでのようである。
ごく大筋は他のマルクスやエンゲルス、レーニンの著作で読んだので特に真新さはなかった、といえばかなり大雑把ではあるけども、「賃労働と資本」や「賃金・価値及び利潤」で触れられていたような内容に深く立ち入っている。(逐一説明せよと云われると、それは困ってしまうが・・・。)
ただマルクスの全ての体系は、彼のオリジナルであるわけではなく、随所にアダム・スミスの著作やリカードウの著作を引用しつつ比較検討しているようである。彼の研究の深さがうかがい知れる。
特に「地代論」と第二草稿と第三草稿の私有財産に関するところは非常に興味深かった。
しかし最後のヘーゲル哲学のところは難解であったけども。どうも哲学というものは難しい。
確実に本意は汲み取れていないように思う。最近光文社古典新訳文庫で出版されているようなので、そちらも早いうちに読んでみたい。
ごく大筋は他のマルクスやエンゲルス、レーニンの著作で読んだので特に真新さはなかった、といえばかなり大雑把ではあるけども、「賃労働と資本」や「賃金・価値及び利潤」で触れられていたような内容に深く立ち入っている。(逐一説明せよと云われると、それは困ってしまうが・・・。)
ただマルクスの全ての体系は、彼のオリジナルであるわけではなく、随所にアダム・スミスの著作やリカードウの著作を引用しつつ比較検討しているようである。彼の研究の深さがうかがい知れる。
特に「地代論」と第二草稿と第三草稿の私有財産に関するところは非常に興味深かった。
しかし最後のヘーゲル哲学のところは難解であったけども。どうも哲学というものは難しい。
確実に本意は汲み取れていないように思う。最近光文社古典新訳文庫で出版されているようなので、そちらも早いうちに読んでみたい。
2001年11月28日に日本でレビュー済み
かつて盛んだった初期マルクス研究や疎外論・主体性論の研究で本書は最も重要な文献の一つとされ、大変な熱意を持って研究されたのであるが、今の私たちにはその熱気を感じることができない。恐らくその原因にはソ連の崩壊が大きいのであろうが、そのことで本書の内容が薄れるということはない。特に私はマルクスによる労働過程の優れた考察として「疎外された労働」を紹介したい。これは1,生産物からの疎外。2,労働からの疎外。3,類(種族的存在)からの疎外。4,人間からの疎外の4つの論点に分類できるだろう。このような労働過程の考察から人間社会の構成までを把握することができるのはマルクすらしいスケールの大きい哲学である。現代的に問題提起されてきている企業の内部組織の問題にもぜひ生かされたい視軸であると思う。