エンゲルスが、唯物史観論を、16世紀のドイツ農民戦争に適用した本。
当時のドイツの農民が、どのような経済的立場に置かれていたか、
ドイツが他のヨーロッパに比べて、どんな経済的な特長を持っていたか、
そして、農民戦争の結果、誰が勝利者となったか、などを論じている。
経済的な状況に基づいて、歴史を研究することは、現在では至極当然だが、
当時は、こうしたアプローチが画期的だったのだろう。
しかし、この本では、ルソーとミュンツァーの思想的な違いなど、経済的な背景以外にもにも目配りされており、
経済的な側面だけを強調する後世のマルクス主義歴史家達とは、一線を画しているのが、面白かった。
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ドイツ農民戦争 (岩波文庫 白 128-4) 文庫 – 1950/9/30
1848‐49年の反革命の直後,同じ運命に終結した約300年前のドイツ農民戦争を分析批判し,そこから当時の革命のための教訓と力づけをなしたもの.革命勢力としての農民の意義を側面から明らかにした点,唯物史観の立場を具体的な歴史の叙述に適用した点において,マルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」と双璧をなす.
- 本の長さ275ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1950/9/30
- 寸法10.6 x 1.2 x 15 cm
- ISBN-104003412842
- ISBN-13978-4003412848
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1950/9/30)
- 発売日 : 1950/9/30
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 275ページ
- ISBN-10 : 4003412842
- ISBN-13 : 978-4003412848
- 寸法 : 10.6 x 1.2 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 710,734位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,935位岩波文庫
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年4月29日に日本でレビュー済み
2017年11月30日に日本でレビュー済み
非常に感銘を受けることが出来る本であった。
15世紀に今のドイツで発生した「ドイツ農民戦争」についての、唯物論的かつ実証的な探求の本である。
ドイツ農民戦争の元々の発端は、もちろん苛斂誅求をきわめた貢租にたえきれなかったからであるが、そもそも農民とは革命的分子なのであろうか?とエンゲルスは問うている。目先の利益にとらわれず、長い目で見た利益を鑑みない限りは、農奴は革命的になりえないのである。実際ドイツ農民戦争のときは、農奴は諸侯と妥協し、一定の関係改善の協定を結んで帰ってしまうこともあった。しかし諸侯はたやすくその後、その協定を破棄してしまう。
またドイツ農民戦争と同時期に起こった、宗教改革にも触れられている。宗教改革というとルターの活躍ばかりが目に留まるが、実際は革命的であったのはトマス・ミュンツァーであった。ルターはどちらかというと改良主義的で、貴族と妥協することもあった。ただしミュンツァーは聖書を革命的に解釈するなどのことをし、ドイツ農民戦争の時もその指揮を執った。
フランス・イギリスは商工業の発達と共に中央集権的な国家を成立せしめたが、ドイツでは商工業が発達すると却って地方分権的に商工業の中心地が発達し、相互に独立し、利害の一致もあまりなく、少しずつ重なりあうだけであった。またあらゆる面でイギリス、フランス、オランダの後塵を拝していた。エンゲルスはそのドイツの後進性を際立たせている。
このように、唯物弁証法的なドイツの歴史を探求している著作でもある。
15世紀に今のドイツで発生した「ドイツ農民戦争」についての、唯物論的かつ実証的な探求の本である。
ドイツ農民戦争の元々の発端は、もちろん苛斂誅求をきわめた貢租にたえきれなかったからであるが、そもそも農民とは革命的分子なのであろうか?とエンゲルスは問うている。目先の利益にとらわれず、長い目で見た利益を鑑みない限りは、農奴は革命的になりえないのである。実際ドイツ農民戦争のときは、農奴は諸侯と妥協し、一定の関係改善の協定を結んで帰ってしまうこともあった。しかし諸侯はたやすくその後、その協定を破棄してしまう。
またドイツ農民戦争と同時期に起こった、宗教改革にも触れられている。宗教改革というとルターの活躍ばかりが目に留まるが、実際は革命的であったのはトマス・ミュンツァーであった。ルターはどちらかというと改良主義的で、貴族と妥協することもあった。ただしミュンツァーは聖書を革命的に解釈するなどのことをし、ドイツ農民戦争の時もその指揮を執った。
フランス・イギリスは商工業の発達と共に中央集権的な国家を成立せしめたが、ドイツでは商工業が発達すると却って地方分権的に商工業の中心地が発達し、相互に独立し、利害の一致もあまりなく、少しずつ重なりあうだけであった。またあらゆる面でイギリス、フランス、オランダの後塵を拝していた。エンゲルスはそのドイツの後進性を際立たせている。
このように、唯物弁証法的なドイツの歴史を探求している著作でもある。
2019年4月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書はプロイセンによるドイツ統一以前、まだドイツ諸侯が存在し、ドイツが革命に揺れる時代にエンゲルスが書いた著作だ。16世紀初頭宗教改革の波に乗り起きたドイツ農民戦争を引き合いに、執筆当時と比較する。ドイツ封建制が英仏と比較して発展が遅れる原因と捉え、封建制打倒の試みが失敗に終わったドイツ農民戦争を考察している。
ドイツの前身、神聖ローマ帝国は民族大移動でやってきた遊牧民をローマ教会が皇帝とし、懐柔することで成立した。遊牧民は騎士となり、後のモンゴル帝国同様定住民を農奴化した。そこに教会が入り、皇帝以下の諸侯を煽ることにより、統一をさせず、農民は皇帝、諸侯、教会の3重搾取の下にいた。また、後の統一ドイツの起点であるプロイセンには非キリスト教徒のプロイセン人がいて、そこにチュートン騎士団による東欧十字軍が行われ、彼らもまた農奴化された。ここからは本書でも書かれていることだが、英仏西が発展し、ローマ教会の影響力を排除することで、ローマ教会の搾取はドイツに集中し、農民は追い詰められた。それが宗教改革、そして農民戦争の原因となった。結果は教会は排除されるが諸侯はプロテスタントとなることで残り、農民の待遇は改善されなかった。
中国においてはこのような農民反乱は王朝交代の度に起きており、農民側が勝利することが多数起きている。易姓革命とも言われるが、農民戦争による革命という点ではまさに革命で、本著では肯定的に捉えられる中央集権国家を樹立している。それが本当にいい事なのかはわからないが、本著にはドイツで中央集権国家を樹立できなかったルサンチマンが感じられる。
ルンペン・プロレタリアートという言葉が多数使用されている。革命を裏切るプロレタリアートという意味だが、農民戦争でも内ゲバが起きており、それを領主に利用されたというのがエンゲルスの主張だが、さじ加減で排除したいプロレタリアートにいくらでも使える便利な言葉だ。
農民戦争の前の騎士戦争、ウール・リッヒ・フッテンは騎士というだけで酷評されている。諸侯、僧侶に対しては糾弾の対象としたが農民の権利については語らなかったということを理由にしているが、ルターが諸侯に迎合した後も農民側について戦い、命を落としている。革命の主体はむしろフッテンのように私利私欲でない戦いにあったのではないだろうか。チェ・ゲバラも没落貴族出身だ。社会構造からの被抑圧者は結局、自分の権利のために戦っているのでルンペン・プロレタリアートという側面を多かれ少なかれ持っていたのではないのではないか。
宗教改革の中でユダヤ人のような少数者は犠牲の対象となった。ナチズム台頭の原因はワイマール憲法のせいという言説がただの言いがかりでしかないのと同様に、階級を前提にして憎悪を煽る手法は足が地につかないファシズムの温床となってしまう。経済面での歴史考察という点では有意義だが、農民軍にも見られる人種(P.196)、宗教(P.148)のエゴイズムは到底肯定出来るものでは無かった。
ドイツの前身、神聖ローマ帝国は民族大移動でやってきた遊牧民をローマ教会が皇帝とし、懐柔することで成立した。遊牧民は騎士となり、後のモンゴル帝国同様定住民を農奴化した。そこに教会が入り、皇帝以下の諸侯を煽ることにより、統一をさせず、農民は皇帝、諸侯、教会の3重搾取の下にいた。また、後の統一ドイツの起点であるプロイセンには非キリスト教徒のプロイセン人がいて、そこにチュートン騎士団による東欧十字軍が行われ、彼らもまた農奴化された。ここからは本書でも書かれていることだが、英仏西が発展し、ローマ教会の影響力を排除することで、ローマ教会の搾取はドイツに集中し、農民は追い詰められた。それが宗教改革、そして農民戦争の原因となった。結果は教会は排除されるが諸侯はプロテスタントとなることで残り、農民の待遇は改善されなかった。
中国においてはこのような農民反乱は王朝交代の度に起きており、農民側が勝利することが多数起きている。易姓革命とも言われるが、農民戦争による革命という点ではまさに革命で、本著では肯定的に捉えられる中央集権国家を樹立している。それが本当にいい事なのかはわからないが、本著にはドイツで中央集権国家を樹立できなかったルサンチマンが感じられる。
ルンペン・プロレタリアートという言葉が多数使用されている。革命を裏切るプロレタリアートという意味だが、農民戦争でも内ゲバが起きており、それを領主に利用されたというのがエンゲルスの主張だが、さじ加減で排除したいプロレタリアートにいくらでも使える便利な言葉だ。
農民戦争の前の騎士戦争、ウール・リッヒ・フッテンは騎士というだけで酷評されている。諸侯、僧侶に対しては糾弾の対象としたが農民の権利については語らなかったということを理由にしているが、ルターが諸侯に迎合した後も農民側について戦い、命を落としている。革命の主体はむしろフッテンのように私利私欲でない戦いにあったのではないだろうか。チェ・ゲバラも没落貴族出身だ。社会構造からの被抑圧者は結局、自分の権利のために戦っているのでルンペン・プロレタリアートという側面を多かれ少なかれ持っていたのではないのではないか。
宗教改革の中でユダヤ人のような少数者は犠牲の対象となった。ナチズム台頭の原因はワイマール憲法のせいという言説がただの言いがかりでしかないのと同様に、階級を前提にして憎悪を煽る手法は足が地につかないファシズムの温床となってしまう。経済面での歴史考察という点では有意義だが、農民軍にも見られる人種(P.196)、宗教(P.148)のエゴイズムは到底肯定出来るものでは無かった。
2015年1月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
農民の戦いはある日突然に始まったのではなく、それより100年以上前から各地で燻っていた炎が1524年燃え上がったものと分かりました。それとエンゲルスは、その革命思想の多くの部分をトマス・ミュンツァーから影響を受けていることがよく理解できました。(復刻版のため文字が小さくて、特に注釈の文字は豆粒みたいで難儀しました)
2014年12月11日に日本でレビュー済み
15~16世紀のドイツを中心とするヨーロッパにこんなドラマがあったとは知らなかった。
叙述も素晴らしく、一気にエンゲルスの大ファンになりました。
現代に通じる記述にあふれていて、現代人必読の本だと思います。
青木裕司の世界史講義実況中継で熱っぽく推薦されていたので、
興味を催して読んだのですが、これがアタリだったので、
イブン・ハルドゥーンの「歴史序説」もいつか読みたいと思っています。
叙述も素晴らしく、一気にエンゲルスの大ファンになりました。
現代に通じる記述にあふれていて、現代人必読の本だと思います。
青木裕司の世界史講義実況中継で熱っぽく推薦されていたので、
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イブン・ハルドゥーンの「歴史序説」もいつか読みたいと思っています。