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社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫 白 209-2) 文庫 – 1998/8/17
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今世紀初頭,社会科学に巨大な業績をのこしたヴェーバーが,社会科学の方法論について論じた記念碑的論文(1904).認識理想としての「価値自由」と方法概念としての「理念型」を定式化し,後世に大きな影響を与えた.本文の理解を助けるための付録3篇,詳細な解説・注,索引を付す.旧版「社会科学方法論」の補訳新版.
- ISBN-104003420926
- ISBN-13978-4003420928
- 出版社岩波書店
- 発売日1998/8/17
- 言語日本語
- 本の長さ358ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1998/8/17)
- 発売日 : 1998/8/17
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 358ページ
- ISBN-10 : 4003420926
- ISBN-13 : 978-4003420928
- Amazon 売れ筋ランキング: - 121,195位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 887位岩波文庫
- - 1,494位社会一般関連書籍
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上位レビュー、対象国: 日本
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2019年12月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
類型。理念型。知るためにはこの本を何度も読むこと。解説を読むのも貴重ですが、思考実験については今やAIの分野です。これからヴェーバーの再評価が、新たな切り口で出てくるでしょう。そのためにも必読の書です。
2005年10月3日に日本でレビュー済み
有名な「プロテスタンティズムと資本主義の精神」と比べた重要性は落ちると思います。その理由は
1)論述が冗長、同内容の反復が多く理解し難い
2)社会科学の哲学として今やこの内容だけでは不十分
という二点です。
「新書でも読んだ方がいい」という意見はあながち乱暴とは思いません。また、大塚久雄や小室直樹師の影響もあり、その重要度以上に日本ではもてはやされている気がしてなりません(むしろ欧米ではドュルケムや論敵ゾンバルトの方が評価が高い由)。
1)論述が冗長、同内容の反復が多く理解し難い
2)社会科学の哲学として今やこの内容だけでは不十分
という二点です。
「新書でも読んだ方がいい」という意見はあながち乱暴とは思いません。また、大塚久雄や小室直樹師の影響もあり、その重要度以上に日本ではもてはやされている気がしてなりません(むしろ欧米ではドュルケムや論敵ゾンバルトの方が評価が高い由)。
2016年3月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書はヴェーバーの方法論の核心部分というべき価値自由や理念型について論じられており、これを読まずして「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のような個別分野をあつかった論文は理解できません。その意味でヴェーバーの著作を読んでいくうえで必読の本です。
そればかりでなく、本書は社会科学や社会政策の根底にかかわる問題も論じており、社会科学全体の基礎理論といってもよいと思われます。
それだけに、決してわかりやすい著書ではありませんが、幸いなことに本書は後半のほぼ半分を費やして折原氏の解説というよりは注解というべき詳細な解説が付されていて、理解の手助けをしてくれます。本書に限らず折原氏の良心的な著作は、ヴェーバーの著書を理解するうえで必読だと思います。
そればかりでなく、本書は社会科学や社会政策の根底にかかわる問題も論じており、社会科学全体の基礎理論といってもよいと思われます。
それだけに、決してわかりやすい著書ではありませんが、幸いなことに本書は後半のほぼ半分を費やして折原氏の解説というよりは注解というべき詳細な解説が付されていて、理解の手助けをしてくれます。本書に限らず折原氏の良心的な著作は、ヴェーバーの著書を理解するうえで必読だと思います。
2014年5月13日に日本でレビュー済み
ウェーバーが、自らが関わる雑誌の編集方針として、社会科学の方法論についての見解をまとめた文章。
いわゆる、”理念型”の概念を、丁寧に説明している。
特に、マルクス経済学の唯物論に対しては、その単純な理論を、徹底的に批判している。
後半は、補訳者の折原による、本文とほぼ同じ量という、詳細な解説が収録されている。
ウェーバーの解説と合わせて、現在の社会科学の考え方なども紹介されている。
合わせて読むと、社会科学の理論的な入門書としても読める。
いわゆる、”理念型”の概念を、丁寧に説明している。
特に、マルクス経済学の唯物論に対しては、その単純な理論を、徹底的に批判している。
後半は、補訳者の折原による、本文とほぼ同じ量という、詳細な解説が収録されている。
ウェーバーの解説と合わせて、現在の社会科学の考え方なども紹介されている。
合わせて読むと、社会科学の理論的な入門書としても読める。
2014年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
40数年前の学生時代を思い出しながら、時々にページをめくっています。
2014年5月29日に日本でレビュー済み
岩波文庫の復刻版で マックス・ヴェーバー著 「社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」」という本に取り組んでいます。
*この本は社会科学は科学としてなりたつのかという命題の考察です。
*19世紀のおわりのデカタンといわれる10数年間にハインリッヒ・ブラウンという社会学者が「アルヒーフ」という社会科学の同人的雑誌を主催して ここで 科学的テーマになる「素材さがし」と「意義さがし」を募り、研究論文や論説議論を掲載しました。
*1903年に彼は後継としてヴェーバー等3人に引きつぎます。 この本はヴェーバーがここの主宰者として 投稿した社会科学の認識の「客観性」つまり科学性についての論文です。
*全体としてみえるのは、理念(理性・自由)と概念(悟性・経験)との関係をきちんと引き継ぐところに 彼自身 カントの認識哲学の流れにあることを自認しています。
*これをすこし丹念に読み通してみて 総じて私の理解は以下でした。
*問題仮説(「意義さがし」)に対して 統計的な仮説をたてて要因分析をして その結果が統計的有意であれば「理念的」位置を与える。
*しかし それを法則や原理として 一般化してしまうことに強い警告をあたえています。
*このところは 私自身、企業で化学プロセスや品質保証などの数理モデリング解析研究に長年携わってきたものにとって ぴんとくるものがあります。(たくさん語りたいものがあり)、刺激をうけました。
* データによる数理統計解析(多変量変数解析)と現象論理(理論)構造モデル(微分方程式など)を 併用する世界でした。 特に 前者については 所与のデータ群の範囲内での信頼度はあるにしても このデータ集積範囲の外 ;外挿性については 慎重であったことは当然でした。
*ヴェーバーは、かれの有名な「定説」?として(プロテスタンティズムとカトリック)と近代資本主義との関係の仮説をデータ解析して 判別して プロテスタントとの相関を統計的に有意と結論しています。 この解析への考察は緻密で説得力があり 啓蒙的でさえありました。
*ところが これはまだ統計的「仮説」の検定での結論であり、一般普遍化する信頼性を獲得しえていない。にもかかわらず 世俗では それを科学が保障した「理念」として 実践的な場で 文化価値として理解して全面に押し出してしまう危険性があります。
*ヴェーバーは この本のなかで口酸っぱく 経験的な事実が 理念を確定するものではないと 警告しています。とはいえ 彼もこの辺りの峻別については特に実践的な場面を添うてして 明快(articurate)ではないとみました。
*そして この本の最終の第66段のところで これが露呈してきて 読者に混乱を与えます。 この文章を 以下に参考までに上げます。この日本版でのは解説が丁寧であり、解説者折原 浩氏は原文(ドイツ語)と対応する日本語訳を2つ、英訳定番で日本語訳2つ、仏訳定番で日本語訳を3つを対比しています。要はドイツ語のunmoechlich 英語の impossible 仏語のimpossibleの訳を 固有の不可能性なのか技術的不可能性なのか, ほとんど解釈学的な「落とし穴」のなかに落ち込んで留まってしまっていると読みました。(私、個人的にはummoeglichの意味は 「できそうもない」程度で、この語を使う本人は あまり確固たる自信のもとで使ったことばでない表現と感じています。向こうの読者は、彼の根底はカントの認識哲学の枠組みにあり そもそも「理念」の発生は、非経験的なnoumenon(可想体)からであるという考えに立つという前提であるので、それ以上は言わなくてもわかるということでこのような余韻をのこす表現になったとおもいました)
ご参考のため この本での訳と折原氏が支持している英文を 以下に併記しておきます;
*日本語訳 「社会科学的認識の「客観性」は、経験的所与はつねに価値理念-これのみが社会科学的認識を与える―に基づいて規整され、この価値理念からその意義が理解されるのであるが、しかも認識の妥当の証明という経験的には不可能なことの足場とされることは断じてない、という事情に依存しているのである。[p.106]
*英訳 ”The ‘objectivity’ of the social sciences depends rather on the fact that the empirical data that empirical data always related to those evaluative ideas which alone make them worth knowing and the significance of the empirical data is derived from evaluative ideas. But these data can never become the foundation for the empirically impossible proof of the validity of the evaluative ideas”[p.111] (340頁 解説注(99))
*原文 “Die ‘objectitaet’ sozialwissenschaftlicher Erkenntnis haengt vielmehr Davon ab, dass das empirisch Gegebene zwar stets auf jene Wertideen, die ihr allein Erkenntniswert verleien, ausgerichtet, in ihrer Bedeutung aus ihnen verstanden, dennoch aber niemals zum Piedestal fuer den empirisch unmoeglichen Nachweis ihrer Geltung gemacht wird” [S.213](340頁 解説注(99))
この「アルヒーフ」にヴェーバーは歴史的な論文をぞくぞく出したようです。
*この本の補訳者 折原 浩氏のこの本の長い解説をよむと、この「アルヒーフ」がもたらした貢献は 仮説モデル(「意義さがし」)と統計モデル(「素材さがし」)の解析の意義を広め その結果、各国の政府機関が問題別の分析をおこなう動機を与えたことであるといいます。
*この邦訳版の訳者は 富永祐二・立野保男の両氏ですが、その先生筋の折原 浩氏が補訳者として 訳に目を光らせています。 原著が190頁ほどで 折原氏の解説も190頁ほどで まことに丁寧なものです。
*モデル論という観点から参考になったのは 折原氏の解説で データ群を「実験群」と「対照群」とに比較対照法(「層別法」)を 解説していたところです。 (生命科学などの研究ではもっともよくお目にかかる実験手法です)
おわり
*この本は社会科学は科学としてなりたつのかという命題の考察です。
*19世紀のおわりのデカタンといわれる10数年間にハインリッヒ・ブラウンという社会学者が「アルヒーフ」という社会科学の同人的雑誌を主催して ここで 科学的テーマになる「素材さがし」と「意義さがし」を募り、研究論文や論説議論を掲載しました。
*1903年に彼は後継としてヴェーバー等3人に引きつぎます。 この本はヴェーバーがここの主宰者として 投稿した社会科学の認識の「客観性」つまり科学性についての論文です。
*全体としてみえるのは、理念(理性・自由)と概念(悟性・経験)との関係をきちんと引き継ぐところに 彼自身 カントの認識哲学の流れにあることを自認しています。
*これをすこし丹念に読み通してみて 総じて私の理解は以下でした。
*問題仮説(「意義さがし」)に対して 統計的な仮説をたてて要因分析をして その結果が統計的有意であれば「理念的」位置を与える。
*しかし それを法則や原理として 一般化してしまうことに強い警告をあたえています。
*このところは 私自身、企業で化学プロセスや品質保証などの数理モデリング解析研究に長年携わってきたものにとって ぴんとくるものがあります。(たくさん語りたいものがあり)、刺激をうけました。
* データによる数理統計解析(多変量変数解析)と現象論理(理論)構造モデル(微分方程式など)を 併用する世界でした。 特に 前者については 所与のデータ群の範囲内での信頼度はあるにしても このデータ集積範囲の外 ;外挿性については 慎重であったことは当然でした。
*ヴェーバーは、かれの有名な「定説」?として(プロテスタンティズムとカトリック)と近代資本主義との関係の仮説をデータ解析して 判別して プロテスタントとの相関を統計的に有意と結論しています。 この解析への考察は緻密で説得力があり 啓蒙的でさえありました。
*ところが これはまだ統計的「仮説」の検定での結論であり、一般普遍化する信頼性を獲得しえていない。にもかかわらず 世俗では それを科学が保障した「理念」として 実践的な場で 文化価値として理解して全面に押し出してしまう危険性があります。
*ヴェーバーは この本のなかで口酸っぱく 経験的な事実が 理念を確定するものではないと 警告しています。とはいえ 彼もこの辺りの峻別については特に実践的な場面を添うてして 明快(articurate)ではないとみました。
*そして この本の最終の第66段のところで これが露呈してきて 読者に混乱を与えます。 この文章を 以下に参考までに上げます。この日本版でのは解説が丁寧であり、解説者折原 浩氏は原文(ドイツ語)と対応する日本語訳を2つ、英訳定番で日本語訳2つ、仏訳定番で日本語訳を3つを対比しています。要はドイツ語のunmoechlich 英語の impossible 仏語のimpossibleの訳を 固有の不可能性なのか技術的不可能性なのか, ほとんど解釈学的な「落とし穴」のなかに落ち込んで留まってしまっていると読みました。(私、個人的にはummoeglichの意味は 「できそうもない」程度で、この語を使う本人は あまり確固たる自信のもとで使ったことばでない表現と感じています。向こうの読者は、彼の根底はカントの認識哲学の枠組みにあり そもそも「理念」の発生は、非経験的なnoumenon(可想体)からであるという考えに立つという前提であるので、それ以上は言わなくてもわかるということでこのような余韻をのこす表現になったとおもいました)
ご参考のため この本での訳と折原氏が支持している英文を 以下に併記しておきます;
*日本語訳 「社会科学的認識の「客観性」は、経験的所与はつねに価値理念-これのみが社会科学的認識を与える―に基づいて規整され、この価値理念からその意義が理解されるのであるが、しかも認識の妥当の証明という経験的には不可能なことの足場とされることは断じてない、という事情に依存しているのである。[p.106]
*英訳 ”The ‘objectivity’ of the social sciences depends rather on the fact that the empirical data that empirical data always related to those evaluative ideas which alone make them worth knowing and the significance of the empirical data is derived from evaluative ideas. But these data can never become the foundation for the empirically impossible proof of the validity of the evaluative ideas”[p.111] (340頁 解説注(99))
*原文 “Die ‘objectitaet’ sozialwissenschaftlicher Erkenntnis haengt vielmehr Davon ab, dass das empirisch Gegebene zwar stets auf jene Wertideen, die ihr allein Erkenntniswert verleien, ausgerichtet, in ihrer Bedeutung aus ihnen verstanden, dennoch aber niemals zum Piedestal fuer den empirisch unmoeglichen Nachweis ihrer Geltung gemacht wird” [S.213](340頁 解説注(99))
この「アルヒーフ」にヴェーバーは歴史的な論文をぞくぞく出したようです。
*この本の補訳者 折原 浩氏のこの本の長い解説をよむと、この「アルヒーフ」がもたらした貢献は 仮説モデル(「意義さがし」)と統計モデル(「素材さがし」)の解析の意義を広め その結果、各国の政府機関が問題別の分析をおこなう動機を与えたことであるといいます。
*この邦訳版の訳者は 富永祐二・立野保男の両氏ですが、その先生筋の折原 浩氏が補訳者として 訳に目を光らせています。 原著が190頁ほどで 折原氏の解説も190頁ほどで まことに丁寧なものです。
*モデル論という観点から参考になったのは 折原氏の解説で データ群を「実験群」と「対照群」とに比較対照法(「層別法」)を 解説していたところです。 (生命科学などの研究ではもっともよくお目にかかる実験手法です)
おわり
2016年4月22日に日本でレビュー済み
僕は若いころ、思いこみが激しすぎて、色々な方から視野が狭いことを注意されてきました。あのころに出会っていたら、ちょっとは人生変わったかもしれない。このように思える本が本書です。社会学になじみのない方でも、『職業としての学問』、『職業としての政治』を読んだことがあるならば、本書に対してさほど抵抗なく、頁をめくることができるかもしれません。ただ、タイトルから読み取れるよう、専門的でかなり難しい内容でした。読むにあたっては、気合を入れたほうがいいかもしれません。
もともと本書は、著者が編集していた社会学専門雑誌が目指す立場・姿勢に加え、社会学を研究するにあたっての正しい方法の模索、についてまとめた論文です。専門用語や、哲学、宗教史にも触れているため、読むのに大変苦労させられます(途中何度あきらめかけたことか)。しかし、訳者が懇切丁寧な解説をまとめてくれているので(本書の半分にもなる頁数)、これを大きな助けとして活用しない手はありません。ヴェーバーは難しいけれど、読んで絶対に損しないから、ぜひとも挑戦してほしい。訳者の真剣さ、情熱がひしひしと伝わってきます。実際僕も解説に助けられ、何とか読了させることが出来ました。
本書でヴェーバーが繰り返し訴えていたことは以下の6点です。
①人はなにかを考えたり、行動したり、ものごとを定義するときは必ず独自の価値観を備えているし、そうあらねばならない(規制の価値観にとらわれてはいけない、という価値自由の提唱)。
②客観性・第三者目線を意識しても、完全に自分の主観・偏見を払拭することはできない。
③現実に普遍的なもの・絶対的な真理・純粋な客観性というものはないが、理想論としてのこれらを意識することを放棄してはならない。
④相手の人格・価値観が気に入らないからといって、意見表明や寄稿の自由を奪ってはならない。
⑤学説・仮説・基準を決める際、観察した現実と自分の理想を織り交ぜてはいけない。既存のそれらを自分の都合だけで無視してもいけない(例・ある競技のルールを決めることと、反則への対応を軽んじたら、その競技はスポーツとして成り立たなくなる)。
⑥現実は常に新しい変化にさらされており、自分がかつて正しいとした定義・基準もことあるごとに変えざるを得ない(時代の変化に柔軟に対応できる思考力の要求)。
特に⑤と⑥についての説明に、ヴェーバーは論文の約三分の一を割いていました。学者はものごとの基準・仮説を決める際には理想と現実をはっきり区別して欲しい。過去正しいとされていた定義・学説も、時代が進むにつれ通用しなくなり、破棄されていった例はたくさんあるのだから、いつまでも同じことは正しいままだと思わないでほしい。『職業としての学問』、『職業としての政治』で述べられていた、現実との向き合い方・姿勢についてさらに詳しくまとめられているように思えました。先の 2 冊を読了したならば、ぜひ本書を手に取ってみてほしい。もちろん、そうでない方にもお勧めしたい一冊です。
もともと本書は、著者が編集していた社会学専門雑誌が目指す立場・姿勢に加え、社会学を研究するにあたっての正しい方法の模索、についてまとめた論文です。専門用語や、哲学、宗教史にも触れているため、読むのに大変苦労させられます(途中何度あきらめかけたことか)。しかし、訳者が懇切丁寧な解説をまとめてくれているので(本書の半分にもなる頁数)、これを大きな助けとして活用しない手はありません。ヴェーバーは難しいけれど、読んで絶対に損しないから、ぜひとも挑戦してほしい。訳者の真剣さ、情熱がひしひしと伝わってきます。実際僕も解説に助けられ、何とか読了させることが出来ました。
本書でヴェーバーが繰り返し訴えていたことは以下の6点です。
①人はなにかを考えたり、行動したり、ものごとを定義するときは必ず独自の価値観を備えているし、そうあらねばならない(規制の価値観にとらわれてはいけない、という価値自由の提唱)。
②客観性・第三者目線を意識しても、完全に自分の主観・偏見を払拭することはできない。
③現実に普遍的なもの・絶対的な真理・純粋な客観性というものはないが、理想論としてのこれらを意識することを放棄してはならない。
④相手の人格・価値観が気に入らないからといって、意見表明や寄稿の自由を奪ってはならない。
⑤学説・仮説・基準を決める際、観察した現実と自分の理想を織り交ぜてはいけない。既存のそれらを自分の都合だけで無視してもいけない(例・ある競技のルールを決めることと、反則への対応を軽んじたら、その競技はスポーツとして成り立たなくなる)。
⑥現実は常に新しい変化にさらされており、自分がかつて正しいとした定義・基準もことあるごとに変えざるを得ない(時代の変化に柔軟に対応できる思考力の要求)。
特に⑤と⑥についての説明に、ヴェーバーは論文の約三分の一を割いていました。学者はものごとの基準・仮説を決める際には理想と現実をはっきり区別して欲しい。過去正しいとされていた定義・学説も、時代が進むにつれ通用しなくなり、破棄されていった例はたくさんあるのだから、いつまでも同じことは正しいままだと思わないでほしい。『職業としての学問』、『職業としての政治』で述べられていた、現実との向き合い方・姿勢についてさらに詳しくまとめられているように思えました。先の 2 冊を読了したならば、ぜひ本書を手に取ってみてほしい。もちろん、そうでない方にもお勧めしたい一冊です。
2019年11月19日に日本でレビュー済み
「○○である、というわけではない」といったような記述が長文の最後に出てくるパターンが多く、「結局どっち?」と迷うことが多かったです。
前提知識がないとよく分からない内容が多かったように思いました。
古典にはありがちかもしれませんが、結論を分かりやすく明快に書けば5分の1以下のボリュームに納まってしかもわかりやすくなるのではと思いました。
前提知識がないとよく分からない内容が多かったように思いました。
古典にはありがちかもしれませんが、結論を分かりやすく明快に書けば5分の1以下のボリュームに納まってしかもわかりやすくなるのではと思いました。