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沖繩ノート (岩波新書 青版 762) 新書 – 1970/9/21
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- 本の長さ228ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1970/9/21
- ISBN-104004150280
- ISBN-13978-4004150282
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1970/9/21)
- 発売日 : 1970/9/21
- 言語 : 日本語
- 新書 : 228ページ
- ISBN-10 : 4004150280
- ISBN-13 : 978-4004150282
- Amazon 売れ筋ランキング: - 40,419位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
1935年愛媛県生まれ。東京大学仏文科卒。大学在学中の58年、「飼育」で芥川賞受賞。以降、現在まで常に現代文学をリードし続け、『万延元年のフット ボール』(谷崎潤一郎賞)、『洪水はわが魂に及び』(野間文芸賞)、『「雨の木」を聴く女たち』(読売文学賞)、『新しい人よ眼ざめよ』(大佛次郎賞)な ど数多くの賞を受賞、94年にノーベル文学賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 「伝える言葉」プラス (ISBN-13: 978-4022616708 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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まず、この本の文章はとても読みづらい。そのため、私はほとんどの箇所を2回読まなければならなかった。だが、読みづらい文章ゆえの奥深さもある。私は基本的には文章は読みやすいほどいいと思っているが、大江健三郎さんの生々しい感情とか懊悩とかを表現するには複雑な文章とならざるを得なかったのだろうと思う。
本書の読み始め、私は、大江さんの執拗で自虐的な表現に違和感を覚えた。根暗な自己陶酔にすぎないのではないかと思った。しかし読み終わった今、彼の一見不毛な追求姿勢は、実際的な意味のあるものだと思うに至った。なぜなら、そのような追求を怠った結果として、日本が今の姿で在るからだ。「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか(p.15 他)」と問い続けることを怠った日本人の延長線上に、戦後生まれの私という日本人が居るからだ。沖縄と日本と、それらの歴史に無知で無邪気なままでいられる私が居るのだ。私は、今回の沖縄旅行まで、江戸時代の薩摩の琉球侵攻や明治時代の琉球処分についてほとんど何も知らなかった。今回、首里城や県立博物館を巡りつつ本書を読み進めていくと、新しい世界が開けるようだった。というか、今まで何も知らなかった自分に唖然とした。これが、1970年当時、大江さんが恐れていた結果なのであろう。「…それはすでに払拭してしまうことのできぬ汚点である。したがって、それについて無知であることが、精神の健康あるいは単なる無邪気さの維持のためには望ましい。しかし、無知の酷たらしさということもある。再び、きみたちはこれをくりかえすぞ、現にいまそれをくりかえしているのだぞ、…(p.90)」
そして未だに私たちは沖縄の米軍基地を放置し、議論を避けはぐらかし、沖縄の人々を危機に晒して平然としているのだ。沖縄が基地マネーで成り立っているという侮りも、400年の本土による沖縄破壊の歴史を無視すればこそ言えることである、というのが今やっとわかった。「無知による、沖縄イメージの単純化は広くゆきわたっている。(p.190)」
第二次世界大戦の侵略戦争に限らず、歴史上大きな過ちを繰り返しながら、そのひとつにも責任を取ってこなかった国。どうして私たちはこうなのか。「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」という問いは、時間を超えて切実に聞こえてくる。是非、私のような無知な日本人に広く読んでほしい本である。
なお、裁判に関連してだが、集団自決が日本軍の守備隊長による命令であったのか、はたまた住民の意志によるものであったのか、という事実関係については、私はこの著書以外の関連書を読んでいないのでわからない。この問題自体は歴史上とても重要で明らかにされるべきものだと思うけれど、しかしそれがこの本の評価を大きく変えるかというとそうではないと思う。なぜなら悲惨な集団自決が沖縄で起こったということと、それを引き起こした直接的あるいは間接的原因が大日本帝国軍にあるという、もっと大きな視野での関係性は動かないのであり、これこそが大江さんが本書の中で語りたかった本質だと思うからだ。本書の別の部分では、当時の沖縄人が「動物的訓練による忠誠心」とまで揶揄されるような、本土の日本人以上に厚い忠誠心を示したことについても論じられている(p.75~)。そしてそのような精神を沖縄に醸成したのが、本土に対するコンプレックスとか、戦前戦中教育とか、簡単な言葉で表せるものではないことも本書を読めばわかる。「琉球処分以後のすべての歪みひずみが、単に歴史にきざまれたもの、物質として把握できるものをこえて、なぜ沖縄の日本人が本土の日本人よりもなお『忠誠心』に燃えるにいたったか(p.191)」と作者は問う。それはすでに薩摩の琉球侵攻からはじまる長い長い歴史の帰結として生まれたものであり、日本の帝国主義あるいは「中華思想」的感覚(p.92)が沖縄の民衆に強要したものだと言っても差し支えないと思う。よって本書にとっては、何某守備隊長というのは日本の国としての態度を具象化する役割でしかないと考えられる。
また、他のレビューのなかに、本書の中に現れる「屠殺者(p.211)」、「土民(p.211)」という言葉が沖縄人に対する差別用語だと指摘する意見があるが、正しくない。「屠殺者」という言葉は、殺戮者が家畜を殺すがごとく人間を殺すことの酷たらしさを表現するものであって、被害者を家畜と見なしているのは殺戮者であり作者ではない。また、「土民」も、「あの渡嘉敷島の『土民』のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受けいれるほどにおとなしく、…(p.211)」という文のなかで括弧つきで用いられており、やはり渡嘉敷島の人々を「土民」と見なしているのは「若き将校」であり作者ではない。いずれも文中の人物の差別的視線を強烈に描き出すための表現に過ぎない。高校生くらいの読解力のある人物が、本書を実際に読んだのであれば、大江さんが沖縄の人々を家畜呼ばわり、土民呼ばわりしている、というような批判は決して生まれないだろう。
周知のように、沖縄ノートの次の記載が問題とされ争われた。「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。」
大江の陳述書での「罪の巨塊」の説明が一般に流布し論議を巻き起こしたため、他の記述がぼけてしまったが、特に第三戦隊隊長の赤松が自己欺瞞と他者への瞞着の試みをたえずくりかえしてきたことは実証的に究明されている。 赤松隊長は、復員局へ提出した資料などを他の資料と照合すると、当初から那覇方面へマルレを転進できなかった責任を転嫁することに腐心していた。 大本営は、米軍の台湾陽動爆撃終了と同時に4/1近辺に沖縄上陸がありうることを察知し、急いで大町大佐に通信隊を携えて慶良間に派遣した。 大町大佐は、那覇帰還途中米軍の攻撃を受け、渡嘉敷島に非難上陸した。 そこで無傷だった第三戦隊の転進を命じた。 しかし、赤松は留利加波基地放棄のつけで、米軍上陸が間近いことを知りつつも(「殉国日記」皆本証言)基地艇が北山陣地構築を続けることを黙認し、朝鮮人軍夫をマルレ格納壕付近に待機させなかった。 このことが、泛水が遅れ、出撃できなかった根本的理由であった。
赤松は、自衛隊の史料編纂室に元の部下が在籍していることを利用し、まんまと戦史改竄を行った。さらに曽野綾子という謀略軍師の知己を得て、集団自決の事実関係において嘘をほしいままにした。
大江健三郎は以上のような経過を実証的に研究したわけではないが、赤松が過去の事実の改変に力をつくしたという指摘は完全に正しく、当たっていた。
広島の核に対するほどの強烈なメッセージはありませんでした。
あくまでも沖縄の人を活動をつぶさに描いた文章で、
本州の人が少しの間そこを訪問したという体裁なのがもの足りなかった。