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ベトナム戦争―サイゴン・ソウル・東京 (岩波新書) 新書 – 1986/5/1

5.0 5つ星のうち5.0 2個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (1986/5/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1986/5/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4004150353
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4004150350
  • カスタマーレビュー:
    5.0 5つ星のうち5.0 2個の評価

カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2018年12月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ベトナム戦争に関する著作はあまたあるが、この本は読者に我々日本人の大きな責任を感じさせる。
ベトナム人(北も南も)の考え方、民族独立への強靭な意志、そして多大な苦悩、そして他のアジアの国々:
フィリピン、タイ、韓国など色々とお国事情(政治・経済など)などの責任や状況など、様々なことを
教示してくれるが、それら以上に日本のベトナム戦争への責任が重大であることを確信させる。
なぜあのように卑屈にもアメリカ追従だったのか(現在も然りであるが)、なぜ他のアジアの国々に
シンパシーを感じられないのか、いつも金儲け第一主義でアジア人としてのプライドはないのか、などなど
ベトナム戦争から学ぶことはあまりにも大きい。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2015年8月23日に日本でレビュー済み
本書は、朝鮮半島に生まれの通信社の記者が、日本人として取材し感じたベトナム戦争を綴った文章である。韓国特派員として、ソウル駐在経験がある著者ならではの韓国および朝鮮半島への言及が、ベトナム戦争を扱った書物としては非常に新鮮である。
本書では、以下の点が記憶に残った。
・当時のサイゴン(現ホーチミンシティー)では、女性が一家のため米兵相手の売春バーで働くことも多かった。姉のために客を呼ぶ少年、女房に客を取らせる男、孫のために客を引く老婆等の例は珍しいことではなかった。
・サイゴンの南東約100キロに位置するコンソン島の刑務所では政治犯に対する拷問が日常的に行われていた。その中でもひどいものが「とらの檻」と呼ばれている雑居房で
あった。(注:2014年現在、ホーチミンシティーの観光名所の一つとなっている戦争証跡博物館では、この「とらの檻」が再現され、展示されている。)
・米軍が1965年から1971年3月までにインドシナ3カ国で使用した爆弾は579万ドン、一方太平洋戦争中に米軍が日本に対して投下した爆弾は15万トン。
・1950年9月、米国は植民地支配継続を狙うフランスを支援しているとの批判を避けるため、フランスに働きかけ、ベトナムに形式的に独立を与え、かつて日本軍が皇帝に据えたバオダイを大統領に就任させた。
・1954年のジュネーブ会議での停戦宣言に米国とバオダイ政権は調印への参加を拒否。ベトナム代表団は、インドシナ全域の5分の4を支配していながら、17度線での南北境界線を受け入れざるを得なかった。ジュネーブ協定が調印された時、ベトミンの指導者はいずれ米国との過酷な戦争が待っていることを決意していた。(注:ジェネー会議への参加国は、仏、米、英、ベトナム国(バオダイ政権)、カンボジア、ラオス、ベトナム民主共和国、中華人民共和国、ソ連である)
・米国のケイディ大統領は、1961年5月、米特殊部隊400名と軍事顧問団100名の南ベトナム派遣を決定。ケネディ大統領時代に、米軍事顧問団は16,000名まで増員され、北ベトナムに対しては情報収拾、攪乱、誘拐、宣伝工作などのための工作員を侵入させていた。
・1964年8月、トンキン湾事件。米国は、米駆逐艦「マドックス」が北ベトナム魚雷艇に「理由なき攻撃」を受けたと発表し、北ベトナム沿岸に初めて限定報復爆撃を行う。しかし、「マドックス」は北部ベトナム沿岸2島に対する南ベトナム軍の軍事行動を支援していたため、攻撃されて当然の状況にあった。
・1965年3月2日以降、米国は恒常的な北爆を開始し、同年3月6日に米海兵隊3500名のダナン派遣を決定し、地上戦闘部隊を初めて南ベトナムに投入した。同年初頭、韓国軍の南ベトナム派遣も決定され、2月25日にサイゴンに上陸。米軍戦闘部隊のダナン上陸より、10日も前であった点は、ベトナム派兵に対する韓国軍の積極性を示すものである。
・ベトナム戦争の最中、米国陸軍では、脱走、出勤拒否、麻薬中毒、上官暗殺が多発した。ワシントン・ポスト紙によれば、上官暗殺は未遂を含まれば、1969年が126件、70年は271件、71年は400件超であったという。
・在越韓国軍兵士の給与は月60ドル程度、士官で150ドル程度、全て米国が支払っている。ほとんどの韓国兵士が故国に仕送りをしていたという。
・1967年~68年当時に、約2万人の韓国民間人が仕事で南ベトナムに来ていたという。タイソンニャット空軍基地内になるゴルフ・クラブの会員数は米国人に次いで、韓国人が2番目に多かった。
・1968年のテト攻勢後、サイゴンに対するロケット砲撃が激化し、日本経済新聞社の酒井特派員がロケット弾の破片を頭部に受けて即死。
・南ベトナム解放戦線には、1機の飛行機も、1台の戦車もなかった。
・戦争の中、ベトナム人は、解放戦線兵士も南ベトナム軍兵士も、黙って死んでいった。著者は彼らが傷を負って泣き叫ぶ姿をほとんど見たことがなかった。(注:開高健氏の著書「ベトナム戦記」の中でも同様の記述がある。)
・1940年、日本軍の仏印進駐。翌1941年、ホーチミンは、ベトナム独立同盟(ベトミン)を結成した。その闘争の目標は、フランス植民地主義と日本帝国主義であった。
本書は、1972年に発行されたものであり、今から40年以上も前の書物である。しかし、ベトナム戦争を理解するには、有益な、非常に読みやすい一冊である。是非、一読をお薦めする。(2014/5/19)
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