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イギリスと日本: その教育と経済 (岩波新書 黄版 29) ペーパーバック – 2003/1/21
森嶋 通夫
(著)
日本は高度成長を遂げて経済大国になったが,一方,英国はかつての大英帝国から小さな福祉国家へと変貌した.長年,ロンドン大学で理論経済学を講じている著者は,英国の中等・高等教育の実際の姿と,日本の画一的な教育の現状とを対比しながら,教育の社会における在り方を論じ,これからの日本の教育と経済の方途を示す.
- 本の長さ200ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2003/1/21
- ISBN-104004200296
- ISBN-13978-4004200291
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店; 第25版 (2003/1/21)
- 発売日 : 2003/1/21
- 言語 : 日本語
- ペーパーバック : 200ページ
- ISBN-10 : 4004200296
- ISBN-13 : 978-4004200291
- Amazon 売れ筋ランキング: - 133,603位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 642位岩波新書
- - 1,967位政治 (本)
- - 15,327位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年7月27日に日本でレビュー済み
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故・森嶋通夫は経済学者としてLSEで教えていたが、経済学だけでなく教育論でも積極的に発言していた。この本以外にも
続 イギリスと日本 (岩波新書 黄版 67)
や
学校・学歴・人生―私の教育提言 (岩波ジュニア新書 93)
といった著作がある。彼は長く海外にいたため、日本の教育の現状については不正確な認識も見られるが、彼の多くの主張は鋭く傾聴に値するものである。
2015年1月27日に日本でレビュー済み
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何故 もっと早く読んでいなかったのか と悔やむこと頻り
歴史を含めて外の世界の事を知ることは 多様性を理解する「補助線」
大学教育の見直しが文科省から提起されているが 英独仏風にであり ここにそれが書かれている
歴史を含めて外の世界の事を知ることは 多様性を理解する「補助線」
大学教育の見直しが文科省から提起されているが 英独仏風にであり ここにそれが書かれている
2020年12月25日に日本でレビュー済み
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ロンドン大学のコレッジの一つであり、政治経済の分野では世界的屈指のLondon School of Economicsで教鞭をとられた筆者による日英比較論。1章 英国病私見、2章 イギリスの中等教育、3章 イギリスの大学、4章 新日本列島改造論の4部構成からなる。講演が元になっているので文章は読みやすいのだが、話が脇道に逸れることが多々ある。初版が1977年で、教育制度がそれ以降変革されているため、自分で調べることが必要となる(例えば、1988年の改革でGCEやOレベルはGCSEに改組された)。戦前の日本教育との比較が多いのだが、戦前教育を受けていない現代の読者からすると、むしろわかりづらい。
学生時代に『サッチャー時代のイギリス』を面白く読んだものだが、2020年に読むと情報は古いものの、逆にサッチャリズム以前のイギリスを知るには良いかもしれない。池田潔の『自由と規律』と合わせて読むと、20世紀のイギリス、特にパブリックスクールやオックスブリッジを雰囲気を知ることができる。
学生時代に『サッチャー時代のイギリス』を面白く読んだものだが、2020年に読むと情報は古いものの、逆にサッチャリズム以前のイギリスを知るには良いかもしれない。池田潔の『自由と規律』と合わせて読むと、20世紀のイギリス、特にパブリックスクールやオックスブリッジを雰囲気を知ることができる。
2010年5月2日に日本でレビュー済み
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本書は、英国滞在経験のある大学教授による日英文化比較である。古い著書であるが、著者の視点がユニークであるため、21世紀の今日でも十分に堪能できる。
特徴は、英国の学校教育制度の解説が充実している点である。作品当時、英国病がよく話題に上っていたようで、本書でも、英国病の原因についての考察がある。著者曰く、英国の教育に原因があるという。英国では、優秀が大卒者は教育部門あるいは公共部門に職を求め、概して実業界に興味を示さないという。何故か。英国人は、教育を将来への投資と考えず、消費財として考える。そして、教育そのものをエンジョイすることを欲し、お金は儲からなくても、「楽しい世界に一生住んでいたい」と思うからこそ教育界に職を求めるのだという。そして「イギリスの高等教育機関が産業に奉仕していないという悩みは、教育が悪いからではなくて、逆に教育が成功しているからである」と断じる。「英国を没落させたのは英国人の教養であった」と結論する。
本書のもう一つの特徴は、戦争への言及が散りばめられている点である。戦争への言及を通じて、平和の貴さを説いている。海軍に所属していた著者は、1945年8月15日を鹿児島県の垂水海軍航空隊で迎える。特攻隊が出撃していた海軍基地に近い場所である。本書執筆当時、報道を騒がせていた日欧間の「貿易戦争」にも言及し、「大半の戦争が経済紛争に原因している」と述べ、懸念を表明している。戦争体験をした経済学者らしい表明であった。 (2009/9/1)
特徴は、英国の学校教育制度の解説が充実している点である。作品当時、英国病がよく話題に上っていたようで、本書でも、英国病の原因についての考察がある。著者曰く、英国の教育に原因があるという。英国では、優秀が大卒者は教育部門あるいは公共部門に職を求め、概して実業界に興味を示さないという。何故か。英国人は、教育を将来への投資と考えず、消費財として考える。そして、教育そのものをエンジョイすることを欲し、お金は儲からなくても、「楽しい世界に一生住んでいたい」と思うからこそ教育界に職を求めるのだという。そして「イギリスの高等教育機関が産業に奉仕していないという悩みは、教育が悪いからではなくて、逆に教育が成功しているからである」と断じる。「英国を没落させたのは英国人の教養であった」と結論する。
本書のもう一つの特徴は、戦争への言及が散りばめられている点である。戦争への言及を通じて、平和の貴さを説いている。海軍に所属していた著者は、1945年8月15日を鹿児島県の垂水海軍航空隊で迎える。特攻隊が出撃していた海軍基地に近い場所である。本書執筆当時、報道を騒がせていた日欧間の「貿易戦争」にも言及し、「大半の戦争が経済紛争に原因している」と述べ、懸念を表明している。戦争体験をした経済学者らしい表明であった。 (2009/9/1)
2010年5月22日に日本でレビュー済み
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日本の4年生大学は殆ど短大化し、若者を早く社会へ送り出せ。同感。森嶋さんに文部大臣をお願いしたい。
2015年11月26日に日本でレビュー済み
『イギリスと日本――その教育と経済』(森嶋道夫著、岩波新書。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を、大学時代に著者の森嶋道夫の講義を受けたことを懐かしく思い出しながら読みました。
本書は1977年に出版され、著者が、「日本でいま教育問題が大きな社会問題になっていますが、その解決策とまではいかなくても、せめて改善策を見つけるための、一つの資料を提供するという意図で、イギリスの教育についてお話したいと思います」と、その目論見を語っていますが、現在でも十分参考になります。
「イギリスの教育はパブリック・スクールが中心であると、しばしば言われ、すべての人はそう信じております。外国人だけでなく、イギリス人もそう信じております。けれどもパブリック・スクールとは何であるかということになると、法律的に明確な定義はイギリスにはありません。パブリック・スクールはアメリカでは公立校を意味しますが、イギリスでは逆に私立校のことをいいます。いかにイギリス人が天の邪鬼でも、パグリック・スクールを私立校と訳するのは、意訳がすぎますから、おそらく公衆学校と訳すべきでないかと思います」。
「このように一部の親が非常に教育熱心で子どもたちをよい学校にやるために多大の犠牲を支払うのは、他の親が子どもの教育に無頓着であるとするならば、よい学校は教育熱心な階級の人たちによって占領され、それ以外の階級に生れた子どもたちは、よい教育を受ける機会を与えられません。このような教育の機会の不均等は親がつくったのであって、根本的には子どもの意志とは関係ありません。勉強したいという意志を現実に持っているのに(あるいは潜在的に持っているのに)、親が無関心であるために教育を受ける機会にめぐまれない子どもは、まことに可哀そうであります。このような不平等をどうしてなくすかは、すべての近代国家で大問題でありますが、果して子どもに教育の機会を均等に与えることは可能でしょうか」。教育を受ける機会があったか否かで、その子供の将来が影響されてしまうというような状況は、我が国の喫緊の最重要課題として具体的な対応策が練られ、実施されるべきと、私も考えています。
「パブリック・スクールの体系外に、政府は1944年の教育法にもとづく新しい中等教育体系を確立すべく全力を尽し、紆余曲折の後に総合学校と国家検定試験を定着させ、学校差を無効にすることに努めました。こうして、どんな階級に生れ、どんな学校に入学した子どもにも、能力に応じた未来がひらかれるようになりました。階層間の風通しをよくし、階級制を無効にするには、公正な中等教育機構を整備し、学校で人材を養成して、親の階級に関係なく、適切な部署に人々を配置しなければなりません。第二次大戦後、そのような平和革命が、イギリスでおこりつつあると考えるべきでありましょう」。
教育以外では、夏目漱石に関する興味深い言及が印象に残りました。「高等遊民の哲学は、漱石の完全な独創ではないと思います。おそらく彼は、イギリス留学中にこのようなタイプの人たちに会い、高等遊民の世界をイギリスの社会の中に見て、そういう理想郷を小説の中に築いたのではないでしょうか。事実、漱石は留学中、クレイグ先生の個人指導を毎週受けておりましたが、クレイグ先生はどこにも勤めていない理想的な英国型高等遊民でありました。クレイグ先生は『三四郎』の広田先生や『我輩は猫である』の苦沙弥のある部分の原型と見られます。はじめのうち漱石は、どこの大学の先生でもないクレイグ氏の偉さをはかりかねて、彼をどう処遇したらよいかわからず、また彼のエクセントリックな振舞に抵抗すら感じたようですが、時がたつにしたがって彼の人柄に魅せられて、ついには彼の家に下宿させくれと願い出ています。・・・漱石の小説において高等遊民的主人公たちは、イギリスのリアリティを日本的環境で再現するために漱石が考案したものだと私は考えます」。
本書は1977年に出版され、著者が、「日本でいま教育問題が大きな社会問題になっていますが、その解決策とまではいかなくても、せめて改善策を見つけるための、一つの資料を提供するという意図で、イギリスの教育についてお話したいと思います」と、その目論見を語っていますが、現在でも十分参考になります。
「イギリスの教育はパブリック・スクールが中心であると、しばしば言われ、すべての人はそう信じております。外国人だけでなく、イギリス人もそう信じております。けれどもパブリック・スクールとは何であるかということになると、法律的に明確な定義はイギリスにはありません。パブリック・スクールはアメリカでは公立校を意味しますが、イギリスでは逆に私立校のことをいいます。いかにイギリス人が天の邪鬼でも、パグリック・スクールを私立校と訳するのは、意訳がすぎますから、おそらく公衆学校と訳すべきでないかと思います」。
「このように一部の親が非常に教育熱心で子どもたちをよい学校にやるために多大の犠牲を支払うのは、他の親が子どもの教育に無頓着であるとするならば、よい学校は教育熱心な階級の人たちによって占領され、それ以外の階級に生れた子どもたちは、よい教育を受ける機会を与えられません。このような教育の機会の不均等は親がつくったのであって、根本的には子どもの意志とは関係ありません。勉強したいという意志を現実に持っているのに(あるいは潜在的に持っているのに)、親が無関心であるために教育を受ける機会にめぐまれない子どもは、まことに可哀そうであります。このような不平等をどうしてなくすかは、すべての近代国家で大問題でありますが、果して子どもに教育の機会を均等に与えることは可能でしょうか」。教育を受ける機会があったか否かで、その子供の将来が影響されてしまうというような状況は、我が国の喫緊の最重要課題として具体的な対応策が練られ、実施されるべきと、私も考えています。
「パブリック・スクールの体系外に、政府は1944年の教育法にもとづく新しい中等教育体系を確立すべく全力を尽し、紆余曲折の後に総合学校と国家検定試験を定着させ、学校差を無効にすることに努めました。こうして、どんな階級に生れ、どんな学校に入学した子どもにも、能力に応じた未来がひらかれるようになりました。階層間の風通しをよくし、階級制を無効にするには、公正な中等教育機構を整備し、学校で人材を養成して、親の階級に関係なく、適切な部署に人々を配置しなければなりません。第二次大戦後、そのような平和革命が、イギリスでおこりつつあると考えるべきでありましょう」。
教育以外では、夏目漱石に関する興味深い言及が印象に残りました。「高等遊民の哲学は、漱石の完全な独創ではないと思います。おそらく彼は、イギリス留学中にこのようなタイプの人たちに会い、高等遊民の世界をイギリスの社会の中に見て、そういう理想郷を小説の中に築いたのではないでしょうか。事実、漱石は留学中、クレイグ先生の個人指導を毎週受けておりましたが、クレイグ先生はどこにも勤めていない理想的な英国型高等遊民でありました。クレイグ先生は『三四郎』の広田先生や『我輩は猫である』の苦沙弥のある部分の原型と見られます。はじめのうち漱石は、どこの大学の先生でもないクレイグ氏の偉さをはかりかねて、彼をどう処遇したらよいかわからず、また彼のエクセントリックな振舞に抵抗すら感じたようですが、時がたつにしたがって彼の人柄に魅せられて、ついには彼の家に下宿させくれと願い出ています。・・・漱石の小説において高等遊民的主人公たちは、イギリスのリアリティを日本的環境で再現するために漱石が考案したものだと私は考えます」。
2020年3月15日に日本でレビュー済み
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主に日本とイギリスの教育について比較。
日本の教育は大量生産を目的とする近代工場制に適した教育。近代工場制がうまく回転するためには均質の労働者が多数存在しなければならない。
そのためには画一教育がなにより必要。
そうした教育は何かに似ている。
そうだ。軍隊の教育にそっくりだ。
近代戦の基礎は均質のよく訓練された兵士集団にあるが、同様に現代企業も均質の訓練された社員集団が必要。
西欧では個人の持っているいろいろの資質をカルティベイトすることを目的とするが、その対極に軍隊や共産圏での教育のように人間を型にはめる教育がある。
こうした教育では経済的効率は高くなるようだが、社会全体が軍隊のようになってしまうようだ。共産主義国家のように。
だから本当は日本は西欧のような自由主義国家ではなく、共産主義国家、全体主義国家に近いのだろう。
ところで明治維新を成し遂げたのちの明治の元勲たちは何を意図していたのか?
彼らの意図・目的は富国強兵の近代国家を建設することだった。
そうでなければ当時の欧米列強といわれた国々の植民地とされてしまっていただろう。
明治の教育が個人のためではなく近代国家建設のためだというのは明白。
それが現在でもまだ続いているのだろう。
現在の教育はもはや目的不明、意味不明になっていると思われるが、ブレーキのない大量生産マシンを動かすのみの「働き蟻」たちは
日本がなぜ崩壊前のソビエトのような状態になってしまったのかわけがわからず右往左往するばかりのようだ。
なぜなら彼らにはものを考えることは教えられてこなかったし、またものを考えないような人間に教育されてきたからだ。
日本人は結局、奴隷か家畜として生きていくしかないように私には思える。
日本の教育は大量生産を目的とする近代工場制に適した教育。近代工場制がうまく回転するためには均質の労働者が多数存在しなければならない。
そのためには画一教育がなにより必要。
そうした教育は何かに似ている。
そうだ。軍隊の教育にそっくりだ。
近代戦の基礎は均質のよく訓練された兵士集団にあるが、同様に現代企業も均質の訓練された社員集団が必要。
西欧では個人の持っているいろいろの資質をカルティベイトすることを目的とするが、その対極に軍隊や共産圏での教育のように人間を型にはめる教育がある。
こうした教育では経済的効率は高くなるようだが、社会全体が軍隊のようになってしまうようだ。共産主義国家のように。
だから本当は日本は西欧のような自由主義国家ではなく、共産主義国家、全体主義国家に近いのだろう。
ところで明治維新を成し遂げたのちの明治の元勲たちは何を意図していたのか?
彼らの意図・目的は富国強兵の近代国家を建設することだった。
そうでなければ当時の欧米列強といわれた国々の植民地とされてしまっていただろう。
明治の教育が個人のためではなく近代国家建設のためだというのは明白。
それが現在でもまだ続いているのだろう。
現在の教育はもはや目的不明、意味不明になっていると思われるが、ブレーキのない大量生産マシンを動かすのみの「働き蟻」たちは
日本がなぜ崩壊前のソビエトのような状態になってしまったのかわけがわからず右往左往するばかりのようだ。
なぜなら彼らにはものを考えることは教えられてこなかったし、またものを考えないような人間に教育されてきたからだ。
日本人は結局、奴隷か家畜として生きていくしかないように私には思える。
2013年10月13日に日本でレビュー済み
ロンドン大学教授が、イギリスと日本を対比しながら、英国病、イギリスの中等教育・大学、新日本列島改造について語る。経済企画庁、日本経済研究センター、関西経済連合会での講演を基に。著者の経験に基づいた感想。理論書ではない。