無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
サッチャー時代のイギリス: その政治、経済、教育 (岩波新書 新赤版 49) 新書 – 1988/12/20
森嶋 通夫
(著)
- 本の長さ232ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1988/12/20
- 寸法10.7 x 1 x 17.3 cm
- ISBN-104004300495
- ISBN-13978-4004300496
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1988/12/20)
- 発売日 : 1988/12/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 232ページ
- ISBN-10 : 4004300495
- ISBN-13 : 978-4004300496
- 寸法 : 10.7 x 1 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 326,752位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2021年10月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
イギリスの本をいっぱいあるので、まとめて読みたいです。
2015年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
イギリス初の女性首相となったマーガレット・サッチャーが老女となった現在の心境と若き日の自分の回想が入り交じった作品である。確かに彼女は「イギリス病」と称された自国経済を立て直し、IRAのテロに対しても断固として闘い、アルゼンチンから一方的に仕掛けられたフォークランド紛争にも勝利をもたらした。文字通り「鉄の女」の一徹さと言ってよい。だがその反面、労働組合を社会主義の巣窟と見なし富裕層にも困窮した貧民層にも一律の税金を課し累進課税制度を廃止して貧富の差を決定的に押し広げた。金融街シティーはビッグバンによって栄えたが鉱工業は効率性がないとして容赦なく切り捨てられた。困窮したスコットランドが英連邦からの独立を要求して国民投票を断行したのには正当な理由がある。ロンドン・スクール・オブ・エコノミッククスの森嶋通夫名誉教授は『サッチャー時代のイギリス――その政治、経済、教育』(岩波新書,1988年)で当時のイギリスの貧民層の困窮ぶりを理論経済学の深い学識にと実際にイギリスで暮らして見聞した事実に基づいて明らかにしている。彼女が夫や子供たちの情愛に溢れた女性であったことは事実だが、彼女の経済政策の功罪については科学的根拠を示して公正に明らかにすべきである。
2017年10月8日に日本でレビュー済み
「すべてを正と邪、善玉と悪玉の二色に分類」し、「黒白以外の色の見えない中間色色盲」のマーガレット・サッチャー時代における英国を文字通り現地での実生活を通じ批評した良書。日本で一般化された「英国病を一刀両断した鉄の女」といった単純明快なイメージとは裏腹に、英国それ自体にとっては彼女の施策が大きな禍根を残すものであったことを下記の諸政策などを例示しながら解説していく。
・フォークランド紛争
・対ソ強硬路線(反マルクス主義政策)
・「何でも彼でも私企業化」
・教育体制への利潤原理の導入
・1984年の炭坑争議潰し
・富者のための「サッチャー減税」
・モスクワ五輪に出場した「国賊」への制裁
面白いのは、サッチャーの諸政策はシュンペーター革命論(マルクスの共産主義革命を新たな切り口で論じたもの)に徹頭徹尾逆らう「シュンペーター反革命」である、つまり共産主義から資本主義へと是が非でも立ち戻っていくもの(「私は共産主義を憎む」)だという視点から彼女を批評している点である。政治関係で固くなりがちな内容を秀れたユーモアを交えつつ一気に読ませる一冊であり、国際政治に大きな揺らぎが起きている現在を再考するうえでも意味を持つ書ではないだろうか。
・フォークランド紛争
・対ソ強硬路線(反マルクス主義政策)
・「何でも彼でも私企業化」
・教育体制への利潤原理の導入
・1984年の炭坑争議潰し
・富者のための「サッチャー減税」
・モスクワ五輪に出場した「国賊」への制裁
面白いのは、サッチャーの諸政策はシュンペーター革命論(マルクスの共産主義革命を新たな切り口で論じたもの)に徹頭徹尾逆らう「シュンペーター反革命」である、つまり共産主義から資本主義へと是が非でも立ち戻っていくもの(「私は共産主義を憎む」)だという視点から彼女を批評している点である。政治関係で固くなりがちな内容を秀れたユーモアを交えつつ一気に読ませる一冊であり、国際政治に大きな揺らぎが起きている現在を再考するうえでも意味を持つ書ではないだろうか。
2015年3月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本ではサッチャーを持ち上げる自称知識人が多いが、
これほどサッチャーをボロクソに批判した人を初めてお目にかかりました。
筆者は「ソ連が責めてきたら、白旗を揚げてその後赤旗を揚げろ」と発言するかなりの赤で変人であるが、
サッチャー政権に対する批判の内容はかなり納得できる内容だと思う。
筆者はあまり恵まれた環境でない人が努力して成功した場合に二つのタイプに分かれると述べている。
出世しても貧しい労働者のために働くタイプと、
秀吉・ヒトラー・サッチャーのように英雄気取りで支配者意識の塊になるタイプと。(笑)
ハイエクの「隷従への道」を聖書として手元に置いてるとかもかなり笑えました。
きちんと彼女のしたことの経済的な評価(功罪)も述べられていてためになる本だと思います。
これほどサッチャーをボロクソに批判した人を初めてお目にかかりました。
筆者は「ソ連が責めてきたら、白旗を揚げてその後赤旗を揚げろ」と発言するかなりの赤で変人であるが、
サッチャー政権に対する批判の内容はかなり納得できる内容だと思う。
筆者はあまり恵まれた環境でない人が努力して成功した場合に二つのタイプに分かれると述べている。
出世しても貧しい労働者のために働くタイプと、
秀吉・ヒトラー・サッチャーのように英雄気取りで支配者意識の塊になるタイプと。(笑)
ハイエクの「隷従への道」を聖書として手元に置いてるとかもかなり笑えました。
きちんと彼女のしたことの経済的な評価(功罪)も述べられていてためになる本だと思います。
2003年12月6日に日本でレビュー済み
若かったといえばそれまでだが、巷間流布されてきた為政者たちの虚飾を実感する端緒となった著作。
イギリス初の女性宰相とまばゆいばかりの脚光を浴びていた「鉄の女」の心奥・・・志何処にあるや???
を見事に噛み砕いて紹介してくれている・・・貧富の拡大固定化を旨とし、国民などではなく、資本家の代理人なのだと・・・
民主主義もひと皮めくれば鬼どもの住処なり・・・なるほど、世襲貴族華やかなりし、王侯貴族のお国柄である。
自助努力といえば聞こえはいいが、今日のイギリスにおける医療・教育・福祉の荒廃を招いた弱者切捨ての民営化推進政策には、
自己責任をキャッチフレーズに後追いする我が日本を彷彿とする思いである。
経済学の要諦は、富の拡大と公平な分配にあると思考するが、後者の欠落こそが資本主義の実像のようである・・・・
イギリス初の女性宰相とまばゆいばかりの脚光を浴びていた「鉄の女」の心奥・・・志何処にあるや???
を見事に噛み砕いて紹介してくれている・・・貧富の拡大固定化を旨とし、国民などではなく、資本家の代理人なのだと・・・
民主主義もひと皮めくれば鬼どもの住処なり・・・なるほど、世襲貴族華やかなりし、王侯貴族のお国柄である。
自助努力といえば聞こえはいいが、今日のイギリスにおける医療・教育・福祉の荒廃を招いた弱者切捨ての民営化推進政策には、
自己責任をキャッチフレーズに後追いする我が日本を彷彿とする思いである。
経済学の要諦は、富の拡大と公平な分配にあると思考するが、後者の欠落こそが資本主義の実像のようである・・・・
2018年5月15日に日本でレビュー済み
「サッチャー回顧録」と並行して、岩波新書の「サッチャー時代のイギリス」を読んだ。このように同じテーマの複数の本を読むと、取り扱っている事件や時代が重なるので、非常にわかりやすく、読みやすいという大きなメリットがある。
著者はかって、同じ岩波新書で「イギリスと日本」を2冊書き、著者の主張である「経済至上主義はいけない」という論拠にしたがって、労働党政権下のイギリスが日本に比べて経済的発展には遅れをとっても、文化的、精神的にはるかにゆとりある豊かな社会を形成しているということを述べた。ところが、1979年以来政権交代があり、サッチャー首相が率いる保守党が政治を行うようになって、政治、経済、教育が大きく変化した。著者にしてみると、日本の人々に見習ってほしいと考えたイギリスの良さが、急速に失われていくことを直近に見たために、前書の訂正、あるいは労働党時代との比較のために、あえて出版したというのが本書である。
この本の特徴は次の3点である。
まず、経済学者としてマネタリズム的な政策を主張するとされるサッチャーが、実は節々のポイントではケインズ的施策を導入し、経済状況を改善して成果をあげていること、統計の見方によっては自由主義的経済政策が労働党の社会主義的経済政策に比べてさほどの効率改善を実現していないこと、などを数字をあげて冷静に説明している。
次に、経済思想史という自分の専門的視点から、世界の自由主義経済はマクロにはシュンペーター的革命を行い、エリート労働者の官僚化やイノベーションによる企業の発展と行き詰まりを示しているが、労働党の政策はその流れに沿った歴史的必然の方向であるのに対し、サッチャーの政策はこれに真っ向から背く恐れが多いものであると説く。サッチャーはその上に反マルクス主義的であるため、2つの歴史的進展の仮説に同時に背く極めて成功確率の少ない試みであるという。
最後に、サッチャーは由緒正しいイギリス社会の中流の下あたりから這い上がった「ディスエスタブリッシュメント」すなわち成り上がりであり、趣味が悪く、学生時代の成績も大して良くなく、若いころから人気のない、要するに卑しく大した人間ではないということを各種の資料から引いて学者的に細々と説明している。
最初の、経済学者としてのサッチャー政策の経済学的分析というのは、説得性があり、それがすべて正しいか否かは別として、示唆に富むひとつの意見であると考える。このような分析と主張こそ、経済学者が社会に貢献できる主要な活動であろう。この内容については大いに敬意を表すことができる。
次の経済思想史からの考察は、学者としての見識を述べたものであり、それ自体は意味あるものであろう。ただし、我々のような実務側に立つ人間から客観的に見ると、現実の問題というものは学者のいうような「後付け的」議論では解決できない要素が多く、実際にさまざまな問題に取組み、身をはって厳しい決断を下し、つぎつぎに解決していったサッチャーの方が、机上で考えるだけの森島先生よりも分があるように思う。
最後の感情的サッチャー論ともいうべきサッチャーの個人的批評の部分は、この本の汚点である。このような記述をすべて削除しても、著者のこの本の出版の目的は達成できたであろう。この部分は、むしろ結果としてこの本の良い点をおおいに汚すような結果となってしまっている。森島先生もやはり俗っぽい意味で貴族趣味的な人間だったのかと思ってしまう。
この著者がサッチャーに対して最も激怒している教育政策にしても、冷静に考えるとサッチャーの方に分がある。教育は企業のように競争原理、経済価値重視、効率主義では運営できないというが、サッチャー首相の思想は本質的には効率至上主義というよりも、教育という活動の評価を、児童の親、社会、経済的支援の主体である納税者など、周囲の関係者全体へ開くことであると思う。学者のことはすべて学者に任せろというのは、学問の自立・自由という説明のもとに安易に受け入れられがちであるが、そのような聖域をつくることは必ず堕落の危険を伴うというのは歴史の示すところである。
森島先生の著書は、論点が明確で独創性もあり、これまで尊敬していたが、この本では図らずも頭の良い学者の、大きな限界の一面を垣間見た思いであった。
著者はかって、同じ岩波新書で「イギリスと日本」を2冊書き、著者の主張である「経済至上主義はいけない」という論拠にしたがって、労働党政権下のイギリスが日本に比べて経済的発展には遅れをとっても、文化的、精神的にはるかにゆとりある豊かな社会を形成しているということを述べた。ところが、1979年以来政権交代があり、サッチャー首相が率いる保守党が政治を行うようになって、政治、経済、教育が大きく変化した。著者にしてみると、日本の人々に見習ってほしいと考えたイギリスの良さが、急速に失われていくことを直近に見たために、前書の訂正、あるいは労働党時代との比較のために、あえて出版したというのが本書である。
この本の特徴は次の3点である。
まず、経済学者としてマネタリズム的な政策を主張するとされるサッチャーが、実は節々のポイントではケインズ的施策を導入し、経済状況を改善して成果をあげていること、統計の見方によっては自由主義的経済政策が労働党の社会主義的経済政策に比べてさほどの効率改善を実現していないこと、などを数字をあげて冷静に説明している。
次に、経済思想史という自分の専門的視点から、世界の自由主義経済はマクロにはシュンペーター的革命を行い、エリート労働者の官僚化やイノベーションによる企業の発展と行き詰まりを示しているが、労働党の政策はその流れに沿った歴史的必然の方向であるのに対し、サッチャーの政策はこれに真っ向から背く恐れが多いものであると説く。サッチャーはその上に反マルクス主義的であるため、2つの歴史的進展の仮説に同時に背く極めて成功確率の少ない試みであるという。
最後に、サッチャーは由緒正しいイギリス社会の中流の下あたりから這い上がった「ディスエスタブリッシュメント」すなわち成り上がりであり、趣味が悪く、学生時代の成績も大して良くなく、若いころから人気のない、要するに卑しく大した人間ではないということを各種の資料から引いて学者的に細々と説明している。
最初の、経済学者としてのサッチャー政策の経済学的分析というのは、説得性があり、それがすべて正しいか否かは別として、示唆に富むひとつの意見であると考える。このような分析と主張こそ、経済学者が社会に貢献できる主要な活動であろう。この内容については大いに敬意を表すことができる。
次の経済思想史からの考察は、学者としての見識を述べたものであり、それ自体は意味あるものであろう。ただし、我々のような実務側に立つ人間から客観的に見ると、現実の問題というものは学者のいうような「後付け的」議論では解決できない要素が多く、実際にさまざまな問題に取組み、身をはって厳しい決断を下し、つぎつぎに解決していったサッチャーの方が、机上で考えるだけの森島先生よりも分があるように思う。
最後の感情的サッチャー論ともいうべきサッチャーの個人的批評の部分は、この本の汚点である。このような記述をすべて削除しても、著者のこの本の出版の目的は達成できたであろう。この部分は、むしろ結果としてこの本の良い点をおおいに汚すような結果となってしまっている。森島先生もやはり俗っぽい意味で貴族趣味的な人間だったのかと思ってしまう。
この著者がサッチャーに対して最も激怒している教育政策にしても、冷静に考えるとサッチャーの方に分がある。教育は企業のように競争原理、経済価値重視、効率主義では運営できないというが、サッチャー首相の思想は本質的には効率至上主義というよりも、教育という活動の評価を、児童の親、社会、経済的支援の主体である納税者など、周囲の関係者全体へ開くことであると思う。学者のことはすべて学者に任せろというのは、学問の自立・自由という説明のもとに安易に受け入れられがちであるが、そのような聖域をつくることは必ず堕落の危険を伴うというのは歴史の示すところである。
森島先生の著書は、論点が明確で独創性もあり、これまで尊敬していたが、この本では図らずも頭の良い学者の、大きな限界の一面を垣間見た思いであった。
2005年11月13日に日本でレビュー済み
9月11日の衆議院選直後に読み始めたので、第一章のイギリスの二大政党制を説明したあたりでは思わず苦笑してしまった。昨今の日本ではマニフェストなる用語を輸入し、イギリスを手本にしようという姿勢を強く印象付けていたのは民主党であったはずだが、「党首の力は強大で」「党員には団結と忠誠が要求される」というイギリス的政党の重要な特徴をより忠実に取り入れたのは小泉首相だったわけだ。1983年(?)にサッチャー率いる保守党が大勝した総選挙の解説はまるで直近の日本の選挙結果分析のようだ。
はしがきで著者は「できるだけ公平にサッチャー論を展開することに努めた」と述べているので、本当は激しいサッチャー嫌いということ。読み進めていると少々辟易してくるが、本書の内容にあるように教育界・大学をそこまで冷遇した政権であれば無理もなかろう。第二章に出てくる「シュンペーター反革命」という見方は面白かった。
はしがきで著者は「できるだけ公平にサッチャー論を展開することに努めた」と述べているので、本当は激しいサッチャー嫌いということ。読み進めていると少々辟易してくるが、本書の内容にあるように教育界・大学をそこまで冷遇した政権であれば無理もなかろう。第二章に出てくる「シュンペーター反革命」という見方は面白かった。