明治維新から明治43年の韓国併合までの道のりを丹念に描いた作品です。
日本、清、ロシアの三国の帝国主義的野心の中で、独自の軍事力を持たず、古い儒教的な考え方に拘泥され右往左往する朝鮮の姿が、主に日朝関係を中心に描かれます。
清の支配を排除するために、朝鮮の独立を名目に日清戦争を戦い、ロシアの支配を排除するために、再び朝鮮の独立を名目に日露戦争を戦う。そして両戦争の中で朝鮮を実質支配していく日本。そして、保護国化、併合と突き進みます。
ただし、その道の中には日本国内でも様々な意見の対立が存在し、朝鮮内でも様々な勢力のぶつかり合いが起こります。義兵蜂起も頻発し日本を悩ませます。
そして総仕上げが併合。筆者はこの併合が、道義的な問題があるものの、合法的に行われたと主張します。
全体的には、事実を丹念に追っており冷静な筆致です。
伊藤博文が当初は併合に反対していたとか、知らないことも多くてためになります。
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韓国併合 (岩波新書 新赤版 388) 新書 – 1995/5/22
海野 福寿
(著)
一九一○年,日本は韓国を「併合」する.明治維新以来,朝鮮をみずからの権益圏にとりこむことを国策としてきた近代日本は,列強との利害調整をくりかえしつつ,日清・日露戦争をへて併合を強行した.朝鮮国家と民衆の抵抗を排除しつつおしすすめた植民地化の全過程はどのようなものであったか.戦後五十年を考えるためにも必読の書.
- ISBN-104004303885
- ISBN-13978-4004303886
- 出版社岩波書店
- 発売日1995/5/22
- 言語日本語
- 本の長さ246ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1995/5/22)
- 発売日 : 1995/5/22
- 言語 : 日本語
- 新書 : 246ページ
- ISBN-10 : 4004303885
- ISBN-13 : 978-4004303886
- Amazon 売れ筋ランキング: - 395,874位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年12月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
隣国へ武力侵攻し、多くの農民や王妃を虐殺しつつ「正当な権利」を主張した明治日本は、皇帝や閣僚を脅し乙巳条約を結ぶ。著者は強制調印や国際法違反を認める一方で「形式的には適法」の愚を主張。
2006年8月31日に日本でレビュー済み
明治維新以降、日本がどのようにして朝鮮半島に勢力を伸ばし、
韓国併合を行ったのか。また、朝鮮半島の人々は、日本に対してど
のように抵抗したのかをまとめた本。
日本と朝鮮半島との近代史を知る上で、一読してもらいたい良書。
当時の日本のやり方に、作者は批判的な立場であるが、それは史実に
対する冷静な意見として受け止める事ができる。
本気で日本を悪にしたければ、過酷な弾圧や差別の事例を、あれこれ
並べ上げればよさそうなものだが、そのような手法は使われていない。
それどころか「韓国併合は形式的適法性有していた、つまり国際法上
合法であり、日本の朝鮮支配は国際的に承認された植民地である」
(P244)という見解を語っている。
史実を研究した上での、作者の冷静な意見に共感を覚えた。
韓国併合を行ったのか。また、朝鮮半島の人々は、日本に対してど
のように抵抗したのかをまとめた本。
日本と朝鮮半島との近代史を知る上で、一読してもらいたい良書。
当時の日本のやり方に、作者は批判的な立場であるが、それは史実に
対する冷静な意見として受け止める事ができる。
本気で日本を悪にしたければ、過酷な弾圧や差別の事例を、あれこれ
並べ上げればよさそうなものだが、そのような手法は使われていない。
それどころか「韓国併合は形式的適法性有していた、つまり国際法上
合法であり、日本の朝鮮支配は国際的に承認された植民地である」
(P244)という見解を語っている。
史実を研究した上での、作者の冷静な意見に共感を覚えた。
2010年1月19日に日本でレビュー済み
読み進むうちに沸々と怒りが込み上げてくる著作。
何に対してかというと、伊藤を始めとする明治維新の元勲ども。第二次日韓協約締結時の伊藤を見よ。人間のクズとしか言いようがない。
こんな奴が初代首相だったとは、日本人として本当に恥ずかしい。
三浦某、杉村某も酷い奴らだ(しかも無罪放免!)。日本の場合で言えば、皇居に乗り込んで皇后を惨殺したんだからね。
日本の品位を落としたという意味でこいつらが本物の売国奴。
しかし、カスタマー氏のレビューは面白い。すぐに「左翼」の匂いを嗅ぎつける。戦時中だったら優秀な憲兵になれることは確実だ。
何に対してかというと、伊藤を始めとする明治維新の元勲ども。第二次日韓協約締結時の伊藤を見よ。人間のクズとしか言いようがない。
こんな奴が初代首相だったとは、日本人として本当に恥ずかしい。
三浦某、杉村某も酷い奴らだ(しかも無罪放免!)。日本の場合で言えば、皇居に乗り込んで皇后を惨殺したんだからね。
日本の品位を落としたという意味でこいつらが本物の売国奴。
しかし、カスタマー氏のレビューは面白い。すぐに「左翼」の匂いを嗅ぎつける。戦時中だったら優秀な憲兵になれることは確実だ。
2012年12月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
後書きで著者が記しているように、この本は「韓国併合は合法ではあるが、正当ではない」という立場で書かれ、日朝・日韓関係の外交史を中心にまとめられたものである。
「外交史」とあるので、明治維新後の日本の富国強兵策による海外進出、特に韓国併合に向けての「外交」には、「朝鮮蔑視」が根底にあり、権謀術数を重ね、時には狡猾・非合法な手段をもって日本が朝鮮・韓国を搾取したと記述してある。
外交だけを観ると、この問題の大切な視点を見落とすことになる。それは、当時の李氏朝鮮王朝、両班階級及び市井の民との関係性であり、いわゆる国としてのありようなのだ。国力の差といってもよいかもしれない。これは、当時としては致し方のない実態だったはず。
大きな歴史の流れから見ると、当時の帝国主義的風潮は全世界的なものであり、まさに弱肉強食ではなかったか。人間3人寄ったらリーダーとフォロワーの関係が出来上がるのである。
中道右派からすると、その点ももう少し触れてもらわないと、物足りないと思うのだ。
「外交史」とあるので、明治維新後の日本の富国強兵策による海外進出、特に韓国併合に向けての「外交」には、「朝鮮蔑視」が根底にあり、権謀術数を重ね、時には狡猾・非合法な手段をもって日本が朝鮮・韓国を搾取したと記述してある。
外交だけを観ると、この問題の大切な視点を見落とすことになる。それは、当時の李氏朝鮮王朝、両班階級及び市井の民との関係性であり、いわゆる国としてのありようなのだ。国力の差といってもよいかもしれない。これは、当時としては致し方のない実態だったはず。
大きな歴史の流れから見ると、当時の帝国主義的風潮は全世界的なものであり、まさに弱肉強食ではなかったか。人間3人寄ったらリーダーとフォロワーの関係が出来上がるのである。
中道右派からすると、その点ももう少し触れてもらわないと、物足りないと思うのだ。
2007年2月4日に日本でレビュー済み
現在に至るまで日韓・日朝間の関係をこじらせている最大のタブーである「日韓併合」。戦後50年を迎える1995年という時期に書かれたこの本は、「久保田発言」などの「妄言」を否定し、正しい日朝国交正常化や補償問題を解決するための前提となる歴史認識を提供するためにかかれたもののようである。
「日本は朝鮮半島にいいこともした」という主張を根底からしりぞけるなど、日本に対して批判的な観点や資料にもとづく記述が多く、日本人としてはためらわれるところも多く、その点において非常に「左より」な「岩波」らしい本ではあるといえる。
ただし、海野氏は日韓併合は形式的・法律的に合法的であるとの立場をとっており、この点において韓国側の学者から批判を受けており、非常に歴史認識の難しさをうかがわせる。
この点に関する実証的な研究・議論はこれからも検討すべき点が多い。似たテーマをかなり異なった点から論じたものに呉善花「韓国併合への道」や鄭大均・古田博司編「韓国・北朝鮮の嘘を見破る」(ともに文春新書)などがある。こらを読み、できれば一次資料などに当たったう上で、各自で考え、取り組んでいくことが望まれる。
「日本は朝鮮半島にいいこともした」という主張を根底からしりぞけるなど、日本に対して批判的な観点や資料にもとづく記述が多く、日本人としてはためらわれるところも多く、その点において非常に「左より」な「岩波」らしい本ではあるといえる。
ただし、海野氏は日韓併合は形式的・法律的に合法的であるとの立場をとっており、この点において韓国側の学者から批判を受けており、非常に歴史認識の難しさをうかがわせる。
この点に関する実証的な研究・議論はこれからも検討すべき点が多い。似たテーマをかなり異なった点から論じたものに呉善花「韓国併合への道」や鄭大均・古田博司編「韓国・北朝鮮の嘘を見破る」(ともに文春新書)などがある。こらを読み、できれば一次資料などに当たったう上で、各自で考え、取り組んでいくことが望まれる。
2017年10月11日に日本でレビュー済み
著者の海野氏は自ら外交史の専門家ではない、という。なのになぜ外交史を軸とするこのような書を記すに到ったのかについて、1993年平壌で開催された「日本の戦後処理に関するピョンヤン国際討論会」に参加し、「従軍慰安婦問題」や「強制連行問題」を議論したところ、北朝鮮側の主張は「従軍慰安婦問題」「強制連行問題」などの個々の問題以前に「日本の朝鮮支配全体の責任」を問うものであった、という。日本の植民地支配そのものが正当性・道義性を欠いていたから、「従軍慰安婦問題」や「強制連行問題」をひきおこしたというのである。
海野氏は、これを問題提起として「にわか勉強」で研究の末「韓国併合は形式的適法性を有していたが、正当でもなく道義性もない」という結論に達したとする。
この書は、明治5年(1872)のわが国明治新政府使節の朝鮮派遣、続いて発生した江華島事件からはじまる。それに続く日本と朝鮮の間のやり取りについて、不平等条約、壬午軍乱、甲申政変、日清戦争、大韓帝国成立、日露戦争、大韓帝国の保護国化、朝鮮内の義兵闘争、そして韓国併合にいたる国際政治過程について、主に外交を軸に説いている。
海野氏は、明治初期の江華島事件から韓国併合まで、40年間一貫して日本は朝鮮の植民地化を目指し、朝鮮を見下しながら、常に侵略の推進に邁進してきたとする。清国に対しては前近代の「華夷秩序」を背景に朝鮮の宗主国を主張はしても、朝鮮を服属させてはいなかったし、朝鮮の内政。外交に介入してはいなかった、と一定度擁護するが、日本の政治家については、たとえば韓国の併合に反対して保護国化を主張し朝鮮の教育普及・殖産興業をはかった伊藤博文でさえ「思いあがった、独立冨強の名分をふりかざす侵略主義者」とする。海野氏からみると、明治時代から日本人は朝鮮に対して終始一貫して稚拙で卑怯で卑屈で悪意に満ちた存在であったかのようである。人数がかなり多かったわりにたいした成果もなかった義兵蜂起など朝鮮側の民衆運動に対して、過大とも思える評価をしているのも特徴である。
史実に対する評価の面では、以上のように首肯しかねるところが多々あるが、史料に基づく事実関係の部分については、得るところもある。
いわゆる「自虐史観」とは、こういう考えなのだろうと理解した。
海野氏は、これを問題提起として「にわか勉強」で研究の末「韓国併合は形式的適法性を有していたが、正当でもなく道義性もない」という結論に達したとする。
この書は、明治5年(1872)のわが国明治新政府使節の朝鮮派遣、続いて発生した江華島事件からはじまる。それに続く日本と朝鮮の間のやり取りについて、不平等条約、壬午軍乱、甲申政変、日清戦争、大韓帝国成立、日露戦争、大韓帝国の保護国化、朝鮮内の義兵闘争、そして韓国併合にいたる国際政治過程について、主に外交を軸に説いている。
海野氏は、明治初期の江華島事件から韓国併合まで、40年間一貫して日本は朝鮮の植民地化を目指し、朝鮮を見下しながら、常に侵略の推進に邁進してきたとする。清国に対しては前近代の「華夷秩序」を背景に朝鮮の宗主国を主張はしても、朝鮮を服属させてはいなかったし、朝鮮の内政。外交に介入してはいなかった、と一定度擁護するが、日本の政治家については、たとえば韓国の併合に反対して保護国化を主張し朝鮮の教育普及・殖産興業をはかった伊藤博文でさえ「思いあがった、独立冨強の名分をふりかざす侵略主義者」とする。海野氏からみると、明治時代から日本人は朝鮮に対して終始一貫して稚拙で卑怯で卑屈で悪意に満ちた存在であったかのようである。人数がかなり多かったわりにたいした成果もなかった義兵蜂起など朝鮮側の民衆運動に対して、過大とも思える評価をしているのも特徴である。
史実に対する評価の面では、以上のように首肯しかねるところが多々あるが、史料に基づく事実関係の部分については、得るところもある。
いわゆる「自虐史観」とは、こういう考えなのだろうと理解した。
2020年4月24日に日本でレビュー済み
図書館で、『韓国併合』を読んでみた。
歴史書として、使えるところもそれなりにあるのだと思う。しかし、中立性や客観性がなさすぎる。日本は朝鮮に対して終始侵略的な対応を取ったかのような書き方は、史実を無視しており、頂けない。また、朝鮮に関して「朝鮮の兵士たちは勇敢に戦った」とか「日本の兵士を朝鮮民衆はもてなした」といった一体どこの資料を見たのかと言いたくなる主観的な文章が目につく。
他にも、日露戦争を日本の侵略戦争かのように書いたり、伊藤博文をこれでもかと貶めたり……。
『韓国併合』は中立性・客観性が担保されておらず非常に問題があると言わねばなるまい。
歴史書として、使えるところもそれなりにあるのだと思う。しかし、中立性や客観性がなさすぎる。日本は朝鮮に対して終始侵略的な対応を取ったかのような書き方は、史実を無視しており、頂けない。また、朝鮮に関して「朝鮮の兵士たちは勇敢に戦った」とか「日本の兵士を朝鮮民衆はもてなした」といった一体どこの資料を見たのかと言いたくなる主観的な文章が目につく。
他にも、日露戦争を日本の侵略戦争かのように書いたり、伊藤博文をこれでもかと貶めたり……。
『韓国併合』は中立性・客観性が担保されておらず非常に問題があると言わねばなるまい。