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ロシア・アヴァンギャルド (岩波新書 新赤版 450) 新書 – 1996/6/20
亀山 郁夫
(著)
詩,絵画,演劇,建築,音楽,映画などあらゆるジャンルにわたる芸術運動であったロシア・アヴァンギャルド.けれどもすべて既存のものの解体と完全に自由な世界の創造を目指した芸術家たちは,自らが熱狂的に迎えたロシア革命という巨大な政治の歯車によって無残に踏み潰されていった.社会主義後の混沌の現代に彼らの理想と夢を今一度解き明かす.
- 本の長さ246ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1996/6/20
- ISBN-104004304504
- ISBN-13978-4004304500
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1996/6/20)
- 発売日 : 1996/6/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 246ページ
- ISBN-10 : 4004304504
- ISBN-13 : 978-4004304500
- Amazon 売れ筋ランキング: - 495,563位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 12位ロシアアヴァンギャルド・ドイツ表現主義の美術史
- - 60位ロシア史
- - 2,176位岩波新書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年7月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ロシア・アヴァンギャルドに関心を持っています。難解ながらも、非情にヴィヴィッドな入門書ですね。でも、あと5年もすれば、これが常識になっているのかな。96年の本なのにグロイスの理論が紹介されているのに少し驚きました。つまり、スターリン主義に圧殺されたという一方的な視点をとっていない。これが著者の将来の「磔のロシア」に繋がるのかと思うと、改めて懐の深さを感じました。また、アヴァンギャルドとレーニン廟の関係から書き出した点に著者の着眼点のよさが感じられました。
2012年6月14日に日本でレビュー済み
マヤコフスキー、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、メイエルホリド、カンディンスキー、ショスタコーヴィッチなど知っている名前がたくさん出てくる。それにしても、ロシア・アヴァンギャルドがロシア10月革命をはさむ約30年間にこれほどまでに詩、絵画、演劇、音楽、映画などの芸術のジャンルで百花繚乱であったとは・・・。「目から鱗が落ちる」とはこのことか。
著者は「あとがき」で「本書での私の試みは、ロシア・アヴァンギャルド運動の軌跡をできるだけ幅広く概観することにあった。運動そのものの歴史は充分に書きこめたという自信がある」[p.245]と言っているように、相当のボリュームと緻密さでロシア・アバァンギャルドが解説されている。象徴主義、未来主義、スプレマティズム、構成主義など、わたしの認識の乏しかった情報をたくさん得た。フレーブニコフ([1885-1922]、詩人で未来派の創始者で生涯にわたり「時間の法則」を探求したとのこと)、マレーヴィチ([1878-1935]スプレマティズムの創始者。キュビスムと原始主義を脱した後、無対象画の道を歩み、革命後は空想建築にかかわったとのこと)は、おさえておくべき重要人物であるようだ。
「ザーウミ(言語解体の実験)」の運動もユニークだ。ロシア革命前夜、革命、戦時共産主義、ネップ、スターリン下の激動のロシア・ソ連のプロセスといった踏まえなければならない政治的背景へ目配りしながら、芸術家たちの夢と挫折、確執と対立とがしっかり描かれている。終章の末尾、「ソビエトの崩壊、冷戦の終結によってもたらされた事態とは、決して『歴史の終わり』ではなかった。共産主義の実験は、資本主義という『堕罪』の文化が必然的に背負わなければならなかった試練であり、資本主義文化の『もうひとつの自己』であった。
その意味で、ロシア・アヴァンギャルドの運命を考えることは、まさに人類が失った鏡をもう一度取りもどし、もう一つの自己を見つめ直すことに他ならないのだ」(p.227)というメッセージは重く聴こえる。
著者は「あとがき」で「本書での私の試みは、ロシア・アヴァンギャルド運動の軌跡をできるだけ幅広く概観することにあった。運動そのものの歴史は充分に書きこめたという自信がある」[p.245]と言っているように、相当のボリュームと緻密さでロシア・アバァンギャルドが解説されている。象徴主義、未来主義、スプレマティズム、構成主義など、わたしの認識の乏しかった情報をたくさん得た。フレーブニコフ([1885-1922]、詩人で未来派の創始者で生涯にわたり「時間の法則」を探求したとのこと)、マレーヴィチ([1878-1935]スプレマティズムの創始者。キュビスムと原始主義を脱した後、無対象画の道を歩み、革命後は空想建築にかかわったとのこと)は、おさえておくべき重要人物であるようだ。
「ザーウミ(言語解体の実験)」の運動もユニークだ。ロシア革命前夜、革命、戦時共産主義、ネップ、スターリン下の激動のロシア・ソ連のプロセスといった踏まえなければならない政治的背景へ目配りしながら、芸術家たちの夢と挫折、確執と対立とがしっかり描かれている。終章の末尾、「ソビエトの崩壊、冷戦の終結によってもたらされた事態とは、決して『歴史の終わり』ではなかった。共産主義の実験は、資本主義という『堕罪』の文化が必然的に背負わなければならなかった試練であり、資本主義文化の『もうひとつの自己』であった。
その意味で、ロシア・アヴァンギャルドの運命を考えることは、まさに人類が失った鏡をもう一度取りもどし、もう一つの自己を見つめ直すことに他ならないのだ」(p.227)というメッセージは重く聴こえる。
2011年7月10日に日本でレビュー済み
芸術が、政治や産業(機能主義・功利主義)に従属するのは我慢ならない。芸術は、純粋を求め、そして必然的に不可能に終わる、無限の自己否定・自己超越の運動ではないか。自らを通して自らの限界を析出させる運動。芸術は、着地点の無い無限の疾走=自己対象化に於いて析出される自己意識の超越論的機制の、ひとつの典型ではないか。
2006年3月9日に日本でレビュー済み
1949年生まれのロシア文化論研究者がロシア・アヴァンギャルド運動の軌跡をできるだけ幅広く概観することを試みて、1996年に刊行した新書本。この「前衛」運動は、あくまでも後世の人々により規定された一個の総称であり、未来主義、スプレマティズム、構成主義等がそのより実質的な下位概念となる。また著者は、それを政治革命と密接に関連づける立場をとり、ソビエト体制下での代表的な芸術家(詩・演劇・絵画・建築・音楽・映画等)の動向を叙述の中心に据える。したがって、本書の対象時期は1910〜20年代=ロシア革命期からスターリン体制確立までが中心である。いささか難解な本であるが、本書を読む限り、この運動は当時の工業化の進展を背景とした近代芸術批判であり、新たな芸術を創造するための拠点の模索であり、「原始」(=未分化な混沌たるエネルギーの源泉)への回帰志向と当時の技術発展への適応とに特徴づけられるように感じられる。また、著者はアヴァンギャルドの挫折の原因を共産主義による政治的な抑圧にではなく、大衆から遊離した彼らの芸術に内在する限界に帰している。本書の主題からは、共産主義の理想と現実のみならず、芸術を通して現代社会を考えるための手がかりも得られるように感じられるが、本書自体は事実が列挙されている感が強く、もう少し分かりやすい理論的な整理が欲しい。
2001年10月20日に日本でレビュー済み
20世紀初頭、人類初のロシア・ソヴィエト革命と伴走した芸術運動、ロシア・アヴァンギャルドの概括書。その拡がりは、文学・美術・演劇・音楽・映画・建築・批評などに及ぶ。ロシア・アヴァンギャルドは一枚岩の運動ではない。多様な芸術運動の総称だ。
1905年、日露戦争、血の日曜日事件をきっかけに、既成文化の解体運動が始まる。新世紀における新世界・新社会創造への夢と熱情は、政治的にもロシア革命となって現実化する。アヴァンギャルドたちは、革命政府の芸術部門となってその理念と自由を謳い上げる。
彼らの運命は、戦時共産主義時代の密月、ネップの反動期を経て、スターリン支配の第一次五か年計画時代に至る。1932年、ついに自主芸術の禁止が宣言された。季節は変わった。アヴァンギャルドたちには、様々な死が待っていた。フレーブニコフは'22年に病死。マヤコフスキーは'30年にGPU監視下、自殺。メイエルホリドはスパイ容疑で'38年銃殺。
彼らはスターリンに圧殺されたのか。そうではない。ロシア・アヴァンギャルドは運動としての一周期を終えていた。ではロシア革命と無関係であったのか。いや違う。ともにユートピアを目指した運動として相互刺激し合っていたのは事実だ。政治と芸術、重層的な把握が必要だ。
1905年、日露戦争、血の日曜日事件をきっかけに、既成文化の解体運動が始まる。新世紀における新世界・新社会創造への夢と熱情は、政治的にもロシア革命となって現実化する。アヴァンギャルドたちは、革命政府の芸術部門となってその理念と自由を謳い上げる。
彼らの運命は、戦時共産主義時代の密月、ネップの反動期を経て、スターリン支配の第一次五か年計画時代に至る。1932年、ついに自主芸術の禁止が宣言された。季節は変わった。アヴァンギャルドたちには、様々な死が待っていた。フレーブニコフは'22年に病死。マヤコフスキーは'30年にGPU監視下、自殺。メイエルホリドはスパイ容疑で'38年銃殺。
彼らはスターリンに圧殺されたのか。そうではない。ロシア・アヴァンギャルドは運動としての一周期を終えていた。ではロシア革命と無関係であったのか。いや違う。ともにユートピアを目指した運動として相互刺激し合っていたのは事実だ。政治と芸術、重層的な把握が必要だ。