地理的環境という内在的要因と、その時々の国際情勢という外在的要因から8Cまでの日本国成立過程の詳細な分析を通じて、開かれた新しい「日本国」のアイデンティティを構築する試みがされていました。
国際的な動乱に対して権力集中と軍事体制強化を早急に進める近畿を中心とした「倭」が、従来の氏族制も残しながら「華」の統治技術―律令制を導入し早熟的な国家「日本国」として誕生していく様が大変わかりやすく描かれていました。
文末に筆者が述べているように、本書では現在の国民国家「日本」との関連については言及されていない、ということがひとつの大きなメッセージであるように思えました。
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日本の誕生 (岩波新書 新赤版 510) 新書 – 1997/6/20
吉田 孝
(著)
「日本とは何か」-歴史研究の立場からこの問いに答えるべく,著者は日本の国家成立事情から説きおこし,歴史の展開をたどりつつ,ヤマト国家の古典的国制とは何であったかを論じていく.国号問題から天皇制,政治システムそして「家」の制度,さらに宗教意識や美意識まで,現代につながるさまざまな問題が提示される.
- ISBN-104004305101
- ISBN-13978-4004305101
- 出版社岩波書店
- 発売日1997/6/20
- 言語日本語
- 本の長さ223ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1997/6/20)
- 発売日 : 1997/6/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 223ページ
- ISBN-10 : 4004305101
- ISBN-13 : 978-4004305101
- Amazon 売れ筋ランキング: - 221,824位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年3月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最近、日本人のアイデンティティについて関心を持ち、本書を手にした。
唯物史観的な硬直した歴史観からの脱皮を目指す研究が
相次いで上梓されるようになったのは、90年代頃からである。
ソ連の崩壊が契機となって史的唯物論の根拠の脆弱性が明らかとなったため、
大掛かりな歴史の見直しが始まったのである。
本書の著者である吉田氏のことは知らないが、
例えば、同様なアプローチで日本史を研究した故・網野善彦氏は、
かつてバリバリのマルキストであったという。
イデオロギーに当て嵌めて歴史を解釈しようとする陥穽からの脱却は、「日本」を考える上で大変重要である。
本書も97年の出版であるから、そうした文脈で書かれたものであろう。
考えさせられたのは、日本人を「日本人」として規定することが容易でないということだ。
著者の言うように、我々が「日本史」を学ぶのは、
今の世界が国民国家の集合体であるからに過ぎない(208、210ページ)。
世界が人間を管理するために(あるいは世界の秩序を維持するために)最も効率的な手段は、今のところ、
人為的に陸地に線を引いて共通する規範意識をもった人々を囲い込むことなのだろう。
この考えが崩壊すれば、「日本人」など必要なくなるし、「日本史」をわざわざ学ぶこともない。
古代史を知れば知るほど、「日本人」の定義が分からなくなる。
国境がない時代には、中国大陸や朝鮮半島、日本列島全てが一つの世界であり、
この広大な土地の中で様々な民族集団が入り乱れていた。
ある時から土地に線を引いて、自分は日本人であなたは韓国人だと言ったところで、
いずれ無理がたたるのは必然である。
だから、実は多様な日本人に「日本人」としてのアイデンティティを与えることは容易でない。
特に達見だと思ったのは、「本来は王朝名であった『日本』が、天皇を核とする国制がたまたま持続したために、
その国制の対外的な呼称に、なしくずし的に移行していった」こと、
「それが日本の国制をめぐるさまざまな問題の基礎にある」(199〜200ページ)という指摘である。
大八州をヤマト(日本)と規定したとしても、そこには倭人や帰化人を含む渡来人が多数存在するし、
東北地方やアイヌ、沖縄地方を侵略・同化してきた過程を踏まえると、余計に混乱してしまう。
一体、「日本人」とは何なのか、考えさせられる。
これからも世界が国民国家体制で維持されていくならば、「日本人」という幻影にもはやこだわっていられない。
それよりも、「日本国」のアイデンティティをどう設定するのか。
グローバル化により多様性が問われて久しい今こそ、この問題に立ち向かわねばならない。
その意味では、本書は新しさを失っていないどころか、旬な作品であり続けている。
本書を読まれた方には、網野氏の『日本の歴史をよみなおす』(筑摩書房)も読んで欲しい。
唯物史観的な硬直した歴史観からの脱皮を目指す研究が
相次いで上梓されるようになったのは、90年代頃からである。
ソ連の崩壊が契機となって史的唯物論の根拠の脆弱性が明らかとなったため、
大掛かりな歴史の見直しが始まったのである。
本書の著者である吉田氏のことは知らないが、
例えば、同様なアプローチで日本史を研究した故・網野善彦氏は、
かつてバリバリのマルキストであったという。
イデオロギーに当て嵌めて歴史を解釈しようとする陥穽からの脱却は、「日本」を考える上で大変重要である。
本書も97年の出版であるから、そうした文脈で書かれたものであろう。
考えさせられたのは、日本人を「日本人」として規定することが容易でないということだ。
著者の言うように、我々が「日本史」を学ぶのは、
今の世界が国民国家の集合体であるからに過ぎない(208、210ページ)。
世界が人間を管理するために(あるいは世界の秩序を維持するために)最も効率的な手段は、今のところ、
人為的に陸地に線を引いて共通する規範意識をもった人々を囲い込むことなのだろう。
この考えが崩壊すれば、「日本人」など必要なくなるし、「日本史」をわざわざ学ぶこともない。
古代史を知れば知るほど、「日本人」の定義が分からなくなる。
国境がない時代には、中国大陸や朝鮮半島、日本列島全てが一つの世界であり、
この広大な土地の中で様々な民族集団が入り乱れていた。
ある時から土地に線を引いて、自分は日本人であなたは韓国人だと言ったところで、
いずれ無理がたたるのは必然である。
だから、実は多様な日本人に「日本人」としてのアイデンティティを与えることは容易でない。
特に達見だと思ったのは、「本来は王朝名であった『日本』が、天皇を核とする国制がたまたま持続したために、
その国制の対外的な呼称に、なしくずし的に移行していった」こと、
「それが日本の国制をめぐるさまざまな問題の基礎にある」(199〜200ページ)という指摘である。
大八州をヤマト(日本)と規定したとしても、そこには倭人や帰化人を含む渡来人が多数存在するし、
東北地方やアイヌ、沖縄地方を侵略・同化してきた過程を踏まえると、余計に混乱してしまう。
一体、「日本人」とは何なのか、考えさせられる。
これからも世界が国民国家体制で維持されていくならば、「日本人」という幻影にもはやこだわっていられない。
それよりも、「日本国」のアイデンティティをどう設定するのか。
グローバル化により多様性が問われて久しい今こそ、この問題に立ち向かわねばならない。
その意味では、本書は新しさを失っていないどころか、旬な作品であり続けている。
本書を読まれた方には、網野氏の『日本の歴史をよみなおす』(筑摩書房)も読んで欲しい。
2024年2月19日に日本でレビュー済み
古代史がテーマの書籍ではないが、
倭、ヤマト、日本の関連が説明されているので、そこの部分のみ以下、指摘したい。
引用
p45
卑弥呼の王権は、朝鮮半島との交通の要である。
p15
ヤマトは邪馬台国にまで遡る地名と考えられ、倭王権の宮があった三輪山の麓、内つ国のヤマト、さらに倭王権の支配領域へとひろがっていく。
引用ここまで。
つまり、卑弥呼の邪馬台国は三輪山の麓の狭い地区にありながら、中国や朝鮮半島諸国と交流を図り、北九州のクニグニをも武力無しに官制にて支配していた。と読み取れる文意を述べられている。
三輪山の麓にヤマトと云う古来よりの地名があったと云う説。
上田正昭氏によると、巻向遺跡の郷名は「大市」だったそうです。ヤマトトトヒモモソひめ。が埋葬されたのは大市だと日本書紀に書いてある。
倭、ヤマト、日本の関連が説明されているので、そこの部分のみ以下、指摘したい。
引用
p45
卑弥呼の王権は、朝鮮半島との交通の要である。
p15
ヤマトは邪馬台国にまで遡る地名と考えられ、倭王権の宮があった三輪山の麓、内つ国のヤマト、さらに倭王権の支配領域へとひろがっていく。
引用ここまで。
つまり、卑弥呼の邪馬台国は三輪山の麓の狭い地区にありながら、中国や朝鮮半島諸国と交流を図り、北九州のクニグニをも武力無しに官制にて支配していた。と読み取れる文意を述べられている。
三輪山の麓にヤマトと云う古来よりの地名があったと云う説。
上田正昭氏によると、巻向遺跡の郷名は「大市」だったそうです。ヤマトトトヒモモソひめ。が埋葬されたのは大市だと日本書紀に書いてある。
2007年6月14日に日本でレビュー済み
天皇を核とするヤマトの古典的国制(194頁)が、中近世の国制と重複しながら、基層として現代にまで持続してきたと考える、1933年生まれの日本古代史研究者が、日本の相対化のために、特に東アジア世界の国際的交通に注目し、日本の成り立ちの序説(主として弥生〜平安期)として、1997年に刊行した本。本書の主張は、第一に親魏倭王権の重要な機能が、朝鮮産鉄資源の狭い流通路の掌握にあったこと、第二に4〜6世紀に中国の姓の制度が周辺諸国に継受されたが、中国の冊封体制から離脱し、朝鮮諸国の国制を継受しながら、小中華帝国への道を選択した倭王権は、自ら倭姓を捨てたこと、第三に特に4世紀後半以降、倭の各地と朝鮮の間の双方向の人口移動が活発化したこと(特に任那(75頁)と飛鳥)、第四に推古朝の国制改革の起点が、600年遣隋使のカルチャーショックに求められていること、第五に唐・統一新羅の成立に伴う国際的な動乱に対処するための、東アジア諸国(朝鮮、吐蕃など)の権力集中政策の一環として、蘇我氏の専横と大化改新(豪族からの王権の制度的自立)が、更には律令国家の早熟的形成(氏族制との二重構造、家制度の萌芽)が見られうること、第六に壬申の乱に伴う日のイデオロギーの高揚の中で、伊勢神宮の地位向上と、中国を意識した日本(東方)の国号の成立が見られること、第七に墾田永年私財法は公地公民制の解体ではなく、耕地の実態把握に寄与したこと、第八に平安初期に天皇の地位の制度的確立、神仏習合の始まり、個人名の唐風化、梅から桜への美意識の転換、いろは48字の成立、穢れ観念の肥大化が見られ、それは唐宋変革期における東アジアのエトノス形成の一環であったこと、等である。どのレベルに達した場合に「確立」となるのか等の疑問は残るが、国際情勢を踏まえた上で日本の変化を再検討し直す本書は、非常に興味深い。
2013年9月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こんなに書き込み、傍線のある本ははじめて。安いからし方がないとし、痕跡を参考にします。
2021年8月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
國號としての日本誕生について検討・展開しているが、日本書紀の観点や従来の観点から脱却できていない。これまでの資料をこねくり回していただけでは、また日本書紀の懐疑点・隠蔽点を突き破らなければ國號の秘密は暴けれないだろう。
2013年4月1日に日本でレビュー済み
著者は大和朝廷が朝鮮半島諸国の国制を取り入れたと主張するが、
新羅が国家の体を成したのは大和朝廷より遅く
後の時代になっても日本と違い律令制は確認されていない
百済も大和朝廷が成立した時代に整理された常設の官制は未確認。
また任那加羅は鉄資源の確保の為の通称路を維持する機関であり
朝鮮半島から鉄資源が持ち込まれたと主張するが
この時代の遺跡から発見されている鉄器の多くは、製造の際に生じる組成成分の分析結果から
国内の鉄鉱石から製鉄したものか中国東北部を産地とするものとされており
あたかも主要な資源かの如く述べているのは何を根拠としているのか理解に苦しむ。
有体に言って非常に酷い。あなたの妄想ではないですか?と言いたくなる内容。
新羅が国家の体を成したのは大和朝廷より遅く
後の時代になっても日本と違い律令制は確認されていない
百済も大和朝廷が成立した時代に整理された常設の官制は未確認。
また任那加羅は鉄資源の確保の為の通称路を維持する機関であり
朝鮮半島から鉄資源が持ち込まれたと主張するが
この時代の遺跡から発見されている鉄器の多くは、製造の際に生じる組成成分の分析結果から
国内の鉄鉱石から製鉄したものか中国東北部を産地とするものとされており
あたかも主要な資源かの如く述べているのは何を根拠としているのか理解に苦しむ。
有体に言って非常に酷い。あなたの妄想ではないですか?と言いたくなる内容。