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夢分析 (岩波新書 新赤版 653) 新書 – 2000/1/20

3.9 5つ星のうち3.9 16個の評価

忘れられた幼少期の記憶を呼びもどし,自らの存在の根源を再確認する-人間精神の深層にある無意識のこの欲望こそが,我々が夢を見る理由である.夢はどのようなしくみによってその欲望を満たすのか.夢に登場してくるさまざまな内容は何を象徴するのか.気鋭の精神分析家が豊富な実例分析をもとに大胆に夢の本質に迫る.
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商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

人はなぜ夢を見るのか。夢に登場してくるさまざまな内容は、何を象徴しているのか。気鋭の精神分析家が豊富な実例分析をもとに、無意識の世界をさぐり夢の本質に迫る。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (2000/1/20)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2000/1/20
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 247ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4004306531
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4004306535
  • カスタマーレビュー:
    3.9 5つ星のうち3.9 16個の評価

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新宮 一成
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2020年2月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の、「ラカンの精神分析」を20年くらい前に読み中々面白かったが、その後読まず。
「夢分析」ということで類型夢の話はあるが、夢の本質が人間が言語を取得したこと、それと同時に自分を対象化し主体と対象(一個の他者)に切断したことの衝撃の残響であり、人間と世界の理解にとって極めて重要である事がわかる。
 この「切断」があるが故に我々は夢の中の「この世」で夢について語ることも出来るし、夢から覚めた時にそこが「あの世」であると思い再度夢の中に入り込む事も出来る。
 夢から覚める事とは「この夢から醒めたらこの夢を人に語るだろう」という見通しが立つこと。
 夢を語ることがなければ夢から醒めることもなく、夢を見ることもないだろう。
 同じく、「この世」から目覚めて「あの世」で「この世」について語らうことがなければ、「この世」も成り立たない。
 「前世がなければ私たちはまるで、、
幽霊ではありませんか」という「ゲンセンカン主人」のセリフのように、「あの世」と「この世」を移行し、「この世」について、「あの世」について語ることが「人間」の成立条件なのであろう。
それ故、「この世」を悪夢と考える人は、論理的には、死んであの世へ行けば悪夢から醒めることができる。
 夢と他者との語らいの無限の交代。これが可能になったことが、この世とあの世の無限の交代の累積(=演算)である、人間=世界を可能にしている。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年1月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
特に気になりませんでした。
アマゾンで購入できて助かりました。
2009年7月15日に日本でレビュー済み
新宮一成さんの『夢分析』(岩波新書)は、不思議な本です。

優れた小説に接しているときのように、読んでいる最中、
「体験」が積み重なっていきます。
単に「知識」が、でなくて、「体験」が、積み重なっていくのです。

読み終えたとき、読む前の自分と読んだ後の自分とが
確実に別の人になっているのが分かります。

そして、体験したことを、誰かに語りたくなるのです。

新宮さんは、わたくしがパリの日本館にいたとき、
廊下をはさんだ、斜め右の部屋に住んでいました。

ひょろっとしてて、ちょっと幽霊みたいな雰囲気で、
「ラカンを研究している京大の人」と言われていて、
おっかない人なんじゃないか、と、
話もしもせず、決めつけていました。

新宮さんの部屋にお邪魔して、
お互い、関西弁でいろいろ話しているうちに、
実は、わたくしの実家の近所の新宮外科のセンセイが
新宮さんのオジさんだと
いうことがわかったりして、安心して話しているうちに、
わたくし自身が、子どものころ、子どもと言っても、
ほんとうに乳幼児のころの夢の記憶の話をして、
その「ナゾ」を解き明かしてくださって、それ以来、
新宮さんは、わたくしの、この分野の「先生」です。

なんて、言いながら、「先生」の本は、買ったはいいが、
ツンドクでした。

ようやく、読みました。
先生の、ほかのツンドクの本も、早く読みます。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年12月16日に日本でレビュー済み
 現代における「夢分析」理論は、フロイト時代のそれからどれほど進歩しているのか? なにか新しい知見が加わったのか? 手取り早く理解できるのではないかと本書を購入したのが数年前。そのまま書棚に「積ん読」状態になっていたが、最近、ホブソンの最新の脳医学の研究成果に基づいた夢分析を読む機会があり、逆に、本書にもう一度立ち戻ってみようという気になった。

 結論から書くと、よく言って、優秀な文学書、悪く言って本書そのものが無軌道な観念連合による「夢」そのもの、というのが偽らざる評価だ。
 著者には文才があり、読者に判りやすく興味がわくように努力して文章を書いている。
 しかしたとえば、冒頭の「少年アシベ」論からして、激しい違和感を覚えた。私も昔その漫画は好きで、コミックを全巻集めた記憶があるが、筆者の分析はとんでもないコジツケにしか思えない。こんなことを考えながら漫画を読んでどこが面白いのだろう? 読者サービスのつもりで取り上げたのかもしれないが、つまらぬ大衆化にしか過ぎまい。

 その他にも、一つ一つの記述が、「なんでそうなるの?」という感じの連続で、「それが真実だったら興味深いね」とか「気持ちにシックリくるね」とかいうレベルのことが、厳密に科学的な実証の結果であるかのようにあっさり断言されては、かなわない。読みやすさに反比例して、何度も本を投げ出しそうになった。

 もしこういった「文学的な」「空想的な」夢分析しか読んだことの無い方は、一度でいいから、騙されたと思ってホブソンの啓蒙書を読んでみよう。
 眠っている間はいくら夢を見ていてもいいが、目覚めている間は「科学」するよう、自らを調整しようではないか!!
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2003年8月14日に日本でレビュー済み
本書を一般読者が目にした場合おそらく感じられるであろう誤解。それは「夢は類型化などできないはずだ」といったものだろう。
まず、フロイトは夢の解釈の際、「連想は本人に任せるべきだ」という点を強調し、その多様性を積極的に認めているのである。(詳しくは「夢判断」等を参照されたい)
ただし、同時にフロイトは多様であるはずの多くの人が同じようなパターンの夢を見ることにも注目した。それが類型夢である。つまり、類型夢という発想はフロイトの勝手な妄想というよりも、むしろフロイトが観察とデータを重んじ、実証的であったことの証なのである。
夢を理論化する場合、「ひとそれぞれ」では理論にならないので、どうしても類型の方にばかり注目が向かう傾向があるようだ。一般にはフロイトは夢の象徴とその意味の対応関係を明らかにした、などと思われている。しかし、それはたいして重要なことではない。むしろ重要なことは「圧縮」「置き換え」などの夢の変形作業の仕組みなのだ。
(実際、フロイト自身にも地理的、歴史的、階級的等のバイアスがあったことは認めねばならない。例えばフロイトは列車の夢は、彼方への旅すなわち「死」を意味すると述べているが、通勤通学で日常的に列車を利用する現代人にこれは当てはまらないだろう。ここから直ちにフロイトを捨て去るのではなく、では何が現代人にとって「死」の象徴の位置を占めているのだろうか?と考えてみることが大切なのだ)。
また、本書は著者の周囲の人々の夢を素材としている。つまり転移集団が前提にあるということだ。著者は夢のメカニズムをなるべく形式的に記述しようとしている。それでも転移集団内部のディスクールを他人が聞くときの戸惑いをある程度本書の読者は経験せざるをえないだろう。
ところでいったい誰が赤の他人に自分の夢を語ったりするだろう?あるいは誰が好き好んで他人の夢に真摯に耳を傾けたりするだろうか?そうここにはパラドックスがあるのだ。転移がなければ深い分析は成立しない。深い分析がなければ理論は弱くなる。理論は形式的・普遍的でなければならない。ところが転移は個別的・排他的である。(フロイトの活動も最初は身近な知り合いを対象として始まった。同様の矛盾をフロイトも感じたことだろう)。
とすると、本書に書かれなかったこと、書けなかったことのなかにこそ真実があったはずなのだ。評価の星が一つ欠けているのは、そこから現実界(ラカン)に通じているというわけだ。
本書をパスポートがわりにさらに深く自分だけの夢の世界を自分なりに旅してみること、それが著者からのメッセージではないだろうか?
31人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2000年12月31日に日本でレビュー済み
20世紀の偉業の一つとしてフロイトの「夢判断」があげられるだろう。心理学や精神分析の基礎を為すこの業績は、ある意味ではそれ以降の社会、文化の底流を流れ続け、大きな影響があったと言えよう。
しかし、夢の分析を、人間の根源的な性的衝動と結び付けるという衝撃的な内容は、科学的実証性が必ずしも可能ではない心理分析なだけに、その正当性には様々な疑問も投げかけられたし、あるいは嫌悪の対象ともなった。
本書はフロイトの業績を基礎に、「夢判断」の時点では、必ずしも解明されていなかった「夢」分析の、現時点で到達できた解析を紹介したものだ。
従って、フロイトの著作と同様、夢の分析が断定的にならざるを得ないし、説得性はあるものの、最後の一線では「でも、本当にそんな分析で良いのか」という疑問は湧き上がらざるを得ない。
空を飛ぶ夢が、言葉を知ってコミュニケーションを取れるようになった幼児期の原体験を表していること、あるいは「虫」の夢が「妊娠」を表していることなどを、実際のボランティア達の夢の記述とその分析を通して解説していく訳だが、その時点での分析は勿論極めて論理的であり納得させられる。
ここから先は要は、「人がどのような夢を見たかは、全て分析可能である」という命題を信じるか信じないかの問題である。
評者は、全く異なる様々な人格を持つ人びとが見た「夢」が、その分析において類型化出来るとはとても思えないだけに、読後もやはり何となく納得はいかなかった。
17人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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