バブルが崩壊し10年後に書かれた、これまでの日本や今後の日本の在り方について考察した本。
いわゆる日本型の経済体制からアメリカ型に変化しようとする中で、市場主義ではない社会的思想について考えている。
この本の想定しているように現代の日本は格差が広がっている。
一億総中流の時代は終わったのかもしれない。
構造改革は長期に亘って行われる以上、今何か手を打っても時間がかかる可能性は大いにある。
ドラッカーは金銭ではなく、やりがいのために働く知的生産者はNPOなどで働く場合があると言っていた。
金銭的な救済は政府が行うかもしてないが、このような実働的な動きは実際に能力がある人が行うしかない。
そういう意味では市場主義とリベラルの間を行く方法はこの道かもしれない。
またこの本の中でよく見かけたが、大学の構造改革についての話は気になった。
政府側としては、権益構造からはずし進化と淘汰の波に揉ませることで効率化を追求するとともに、浮いた予算を福祉に回そうという事であろう。
リベラル的な保守思考はどこまで成功するのか。
研究は金ではないのかもしれないが、貢献を測る指標が多くない以上、経済価値で物事を見るのは仕方のない流れかもしれない。
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市場主義の終焉: 日本経済をどうするのか (岩波新書 新赤版 692) 新書 – 2000/10/20
佐和 隆光
(著)
長期不況下で閉塞感に覆われた日本.旧来の制度・慣行の不効率性を正すのに「市場」の役割は重要だが,万能視はできない.格差・不平等をどう問い直すか,IT革命にどう対応するか,20世紀型産業文明からどう脱却していくのか.「市場の暴走」を統御しながら,公正かつ活力ある社会をめざすシステムづくりへの,確固たる指針を示す.
- 本の長さ232ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2000/10/20
- ISBN-104004306922
- ISBN-13978-4004306924
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
「市場の暴走」を制御しながら、効率的な公正なシステムの構築への確かな指針を示す。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2000/10/20)
- 発売日 : 2000/10/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 232ページ
- ISBN-10 : 4004306922
- ISBN-13 : 978-4004306924
- Amazon 売れ筋ランキング: - 754,359位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 223位日本の経済事情(一般)関連書籍
- - 2,813位岩波新書
- - 3,001位経済学 (本)
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2007年3月2日に日本でレビュー済み
著者の斬新な切り口による経済評論にはいつも感嘆させられてばかりでしたが、これはわりと月並みなことを言っているように思えます。例えば、筆者の示す第三の道というのも、結局のところ市場主義と社会主義との中道を行こう、というありがちなもので、その説明のためだけに単に言葉を換えて延々と説明し続けています。また、文章の構成もそれほど良くなかった。通常、論説とはある一つの主張を伝えるために各章、各段落が有機的に連関を持っているものですが、この本においては、各章がそれほど連関を持っているわけではなく、筆者の主張を支えるための各章の機能というものがはっきりとしていない。その結果、結局のところ何が言いたいのかがよく分からない、冗長な文章になってしまっているように思えた。
2017年11月15日に日本でレビュー済み
計量経済学等がご専門の佐和隆光先生(京都大学名誉教授)に関しては、私が学生時代、残念ながら謦咳に接する機会には恵まれなかった。しかしながら、私が気になる数少ない経済学者のお一人であったことは確かだ。本書は、佐和先生がミレニアムの年に上梓された著述で、内容的には意義深いものがある、と私は考えている。まずはじめに、当書は、経済を主軸に、20世紀の「ラスト・ディケード(最後の10年)」を批判的に検証し、来るべき21世紀の「ファースト・ディケード(最初の10年)」に対する展望と方策を提起している。そして、当著に通底している先生の“語らざる精神”を覗いてみると、「クール・ヘッドとウォーム・ハート(冷静な頭脳と温かい心情)」あるいは「ハード・ヘッドとソフト・ハート(論理的な頭脳と思いやりに満ちた心)」といったものが脈打っているように感じられる。
さて、本書の「序章」で、佐和先生は以下のように述べる―20世紀のラスト・ディケードに起きたさまざまな「変化」、そして21世紀のファースト・ディケードに起きるであろうさまざまな「変化」に対して、市場主義改革だけでは「適応」しきれない―と。であればこそ―市場主義社会をこえる革新的な社会思想が、いま再び求められている―と、先生は明言する。ここで、当書のキーとなる概念を簡単に示しておきたい。その1番目としては「マテリアリズム(物質主義=物的生産至上主義)」と「ポスト・マテリアリズム(脱物質主義)」であり、この問題は「地球環境問題」とも密接に絡み合う。2番目は、英国の社会学者アンソニー・ギデンズ氏が唱えた「第三の道」である。先生は、ギデンズ氏の著書『 第三の道―効率と公正の新たな同盟 』の訳者でもあり、この「第三の道」に突破口を見出している。
当書が発刊された2000年は「ニュー・レイバー」「ニュー・ブリテン」を掲げたトニー・ブレア労働党政権の3年目にあたる(黒岩徹『 決断するイギリス 』等参照)。ブレア首相が「第三の道」を提唱していたことは記憶に新しい。「第三の道」とは、具体的には「過去2、30年間に根源的な変化を遂げた世界に、社会民主主義を適応させるために必要な、思考と政策立案のための枠組み」であり、「いいかえれば、旧式の社会民主主義と新自由主義という二つの道を超克する道」(p.142)のことである。そして何より、ギデンズ氏の大きな意図は「福祉国家を解体せよというのではなく、だからこそ福祉国家を再建しようという」(p.182)ものであることに注意が必要だ。そうした時代的文脈の中で、広井良典さんの 所説 なども意義が深まる訳である。しかしながら、日本は未だに「ネオ・マテリアリズム」に冒されている、といって過言ではないだろう。
計量経済学等がご専門の佐和隆光先生(京都大学名誉教授)に関しては、私が学生時代、残念ながら謦咳に接する機会には恵まれなかった。しかしながら、私が気になる数少ない経済学者のお一人であったことは確かだ。本書は、佐和先生がミレニアムの年に上梓された著述で、内容的には意義深いものがある、と私は考えている。まずはじめに、当書は、経済を主軸に、20世紀の「ラスト・ディケード(最後の10年)」を批判的に検証し、来るべき21世紀の「ファースト・ディケード(最初の10年)」に対する展望と方策を提起している。そして、当著に通底している先生の“語らざる精神”を覗いてみると、「クール・ヘッドとウォーム・ハート(冷静な頭脳と温かい心情)」あるいは「ハード・ヘッドとソフト・ハート(論理的な頭脳と思いやりに満ちた心)」といったものが脈打っているように感じられる。
さて、本書の「序章」で、佐和先生は以下のように述べる―20世紀のラスト・ディケードに起きたさまざまな「変化」、そして21世紀のファースト・ディケードに起きるであろうさまざまな「変化」に対して、市場主義改革だけでは「適応」しきれない―と。であればこそ―市場主義社会をこえる革新的な社会思想が、いま再び求められている―と、先生は明言する。ここで、当書のキーとなる概念を簡単に示しておきたい。その1番目としては「マテリアリズム(物質主義=物的生産至上主義)」と「ポスト・マテリアリズム(脱物質主義)」であり、この問題は「地球環境問題」とも密接に絡み合う。2番目は、英国の社会学者アンソニー・ギデンズ氏が唱えた「第三の道」である。先生は、ギデンズ氏の著書『 第三の道―効率と公正の新たな同盟 』の訳者でもあり、この「第三の道」に突破口を見出している。
当書が発刊された2000年は「ニュー・レイバー」「ニュー・ブリテン」を掲げたトニー・ブレア労働党政権の3年目にあたる(黒岩徹『 決断するイギリス 』等参照)。ブレア首相が「第三の道」を提唱していたことは記憶に新しい。「第三の道」とは、具体的には「過去2、30年間に根源的な変化を遂げた世界に、社会民主主義を適応させるために必要な、思考と政策立案のための枠組み」であり、「いいかえれば、旧式の社会民主主義と新自由主義という二つの道を超克する道」(p.142)のことである。そして何より、ギデンズ氏の大きな意図は「福祉国家を解体せよというのではなく、だからこそ福祉国家を再建しようという」(p.182)ものであることに注意が必要だ。そうした時代的文脈の中で、広井良典さんの 所説 なども意義が深まる訳である。しかしながら、日本は未だに「ネオ・マテリアリズム」に冒されている、といって過言ではないだろう。
2012年10月19日に日本でレビュー済み
本書は20年まえほどに書かれた。この頃、あるいは本書が出る前の10数年前頃から、日本も,世界も大きく変った。ひとことで言えば,ポスト工業化社会の到来である。製造業中心の経済から,情報,ITが経済をひっぱる社会への移行である。
世界では東西冷戦の終結,市場のグローバル化,金融経済の肥大化,アメリカ経済の持続的繁栄,欧州各国での中道左派政権の台頭,東アジア通貨危機,個人間・国際間の所得格差の拡大,地球環境問題への関心の高まりがあげられる。
これらを背景に政策の対立軸は,市場に期待する保守派と市場の不完全性を政府の介入で支えるべきとするリベラリズムである。筆者は,進むべき日本の道はこれらとは異なる第三の道であると説き,それは「市場主義改革の遂行により効率性を確保しつつ,それにともなう副作用の緩和をめざ(し),・・公正で「排除」のない社会を実現を同時にめざす」(p.229)道という。
大学改革についても「第三の道」の提唱がある(学問の自由の保証,業績主義の徹底化,リスクへの挑戦を加味した研究費の適正配分,外国人教官の積極的採用,学生の授業評価など,p.167)。
世界では東西冷戦の終結,市場のグローバル化,金融経済の肥大化,アメリカ経済の持続的繁栄,欧州各国での中道左派政権の台頭,東アジア通貨危機,個人間・国際間の所得格差の拡大,地球環境問題への関心の高まりがあげられる。
これらを背景に政策の対立軸は,市場に期待する保守派と市場の不完全性を政府の介入で支えるべきとするリベラリズムである。筆者は,進むべき日本の道はこれらとは異なる第三の道であると説き,それは「市場主義改革の遂行により効率性を確保しつつ,それにともなう副作用の緩和をめざ(し),・・公正で「排除」のない社会を実現を同時にめざす」(p.229)道という。
大学改革についても「第三の道」の提唱がある(学問の自由の保証,業績主義の徹底化,リスクへの挑戦を加味した研究費の適正配分,外国人教官の積極的採用,学生の授業評価など,p.167)。
2007年10月14日に日本でレビュー済み
本書が出版された2000年は、日本経済が混迷の中にあって、
やがて小泉首相の構造改革が行われようとしていた時期である。
小泉構造改革とは、従来の日本型システムをアメリカ型の市場主義システムへと
転換しようとするものであったことは周知のことである。
この時期にあって「市場主義をこえる革新的な社会思想が、いま再び求められている」
と宣言した著者の見識は卓見といってよい。
著者は20世紀の最初の10年間に、個人および国家間の格差が拡大し、
勝者と敗者が生まれると予見したが(第3章)、それから7年を経過した今日、
事態はその通りになっている。
たしかに日本型システムは比較的平等な社会を維持できるが、公正な社会とはいえない。
構造改革の主旨は、この日本型システムの弊害を改めるものであったかもしれない。
しかし格差社会を生んだのは事実である。
今夏の参院選における自民党の大敗と民主党の躍進(私は民主党支持ではないが)は、
小泉・安倍政権が推進してきた市場主義偏重政策に対して軌道修正を迫るものであった、
ということもできよう。
著者が提唱するのは、もちろん旧来の社会民主主義的なリベラリズムではない。
著者はその「新しいリベラリズム」を、イギリスのブレア労働党政権の「第三の道」政策を
援用するなどして説明しているが(第4章)、
要するに日本型システムの改革と、それに伴う格差の是正を、
同時並行的に行うというものである。(序章・あとがき)
ほかにもグローバリゼーションがもたらす深刻な環境破壊の問題(CO2削減)
にも言及しているが(第2・5章)、これは続著『地球温暖化を防ぐ』(岩波新書)
で大きく取り上げられることになる。
やがて小泉首相の構造改革が行われようとしていた時期である。
小泉構造改革とは、従来の日本型システムをアメリカ型の市場主義システムへと
転換しようとするものであったことは周知のことである。
この時期にあって「市場主義をこえる革新的な社会思想が、いま再び求められている」
と宣言した著者の見識は卓見といってよい。
著者は20世紀の最初の10年間に、個人および国家間の格差が拡大し、
勝者と敗者が生まれると予見したが(第3章)、それから7年を経過した今日、
事態はその通りになっている。
たしかに日本型システムは比較的平等な社会を維持できるが、公正な社会とはいえない。
構造改革の主旨は、この日本型システムの弊害を改めるものであったかもしれない。
しかし格差社会を生んだのは事実である。
今夏の参院選における自民党の大敗と民主党の躍進(私は民主党支持ではないが)は、
小泉・安倍政権が推進してきた市場主義偏重政策に対して軌道修正を迫るものであった、
ということもできよう。
著者が提唱するのは、もちろん旧来の社会民主主義的なリベラリズムではない。
著者はその「新しいリベラリズム」を、イギリスのブレア労働党政権の「第三の道」政策を
援用するなどして説明しているが(第4章)、
要するに日本型システムの改革と、それに伴う格差の是正を、
同時並行的に行うというものである。(序章・あとがき)
ほかにもグローバリゼーションがもたらす深刻な環境破壊の問題(CO2削減)
にも言及しているが(第2・5章)、これは続著『地球温暖化を防ぐ』(岩波新書)
で大きく取り上げられることになる。
2007年9月29日に日本でレビュー済み
今後の日本政治の対立軸は「新保守主義vsリベラリズム」のほかにはないとして、
21世紀における保守とリベラルの対立軸を明確にしようと書かれた本である。
市場主義のもたらす3つの弊害
1.貧富の格差の拡大
2.公的な医療と教育の荒廃
3.伝統的な家族の崩壊
これらはまさしく小泉・安部改革を通じてあきらかになった弊害だが、これらの弊害を
補うものとして、平等な(=排除のない)社会を実現するための「第三の道」を提唱する。
物質的、経済的な価値を重んじるマテリアリズムから、非物質的、非経済的価値を優先させる
ポスト・マテリアリズムな社会に移行したいま、リベラリズムの復権とその進化が必要と説く。
具体的に「第三の道」改革としてどのような政策をすすめるべかということについては、
あまり明らかではないが、現状認識と今後の大まかな方向性についての理解は得られるだろう。
用語の定義についても丁寧に説明してあり、一般の人が読んでも面白くわかりやすい良書。
21世紀における保守とリベラルの対立軸を明確にしようと書かれた本である。
市場主義のもたらす3つの弊害
1.貧富の格差の拡大
2.公的な医療と教育の荒廃
3.伝統的な家族の崩壊
これらはまさしく小泉・安部改革を通じてあきらかになった弊害だが、これらの弊害を
補うものとして、平等な(=排除のない)社会を実現するための「第三の道」を提唱する。
物質的、経済的な価値を重んじるマテリアリズムから、非物質的、非経済的価値を優先させる
ポスト・マテリアリズムな社会に移行したいま、リベラリズムの復権とその進化が必要と説く。
具体的に「第三の道」改革としてどのような政策をすすめるべかということについては、
あまり明らかではないが、現状認識と今後の大まかな方向性についての理解は得られるだろう。
用語の定義についても丁寧に説明してあり、一般の人が読んでも面白くわかりやすい良書。
2003年4月5日に日本でレビュー済み
極めて良識的な本である。受験生必読の一冊として今後紹介され続けることだろう。実際、グローバル資本主義の興隆を手際良く説明しているし、「市場主義改革の遂行により効率性を確保しつつ、それにともなう「副作用」の緩和をめざす「第三の道」改革による、公共性を重んじる、公正で「排除」のない社会の実現を同時にめざす。」という著者の主張も、理性的で妥当な(それだけに退屈な)ものだと思う。
けれども、「究極の市場主義者」なる虚像を捏造して、中道左派を行く自らの優位性(理性的な判断力の高さというか)を殊更に強調するレトリックはいただけない。こうした単純化と極論とを好んで繰り返す論法は、著者が忌み嫌う市場主義者のそれ、そのものではないか。
けれども、「究極の市場主義者」なる虚像を捏造して、中道左派を行く自らの優位性(理性的な判断力の高さというか)を殊更に強調するレトリックはいただけない。こうした単純化と極論とを好んで繰り返す論法は、著者が忌み嫌う市場主義者のそれ、そのものではないか。