サイードやスピヴァク、ファノンなどを題材にポストコロニアリズムについて解説している。
ポストコロニアリズムについて概要を学びたい人におすすめ。
分かりやすい文章で書かれている。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
ポストコロニアリズム (岩波新書 新赤版 928) 新書 – 絵本, 2005/1/20
本橋 哲也
(著)
- 本の長さ232ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2005/1/20
- ISBN-10400430928X
- ISBN-13978-4004309284
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2005/1/20)
- 発売日 : 2005/1/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 232ページ
- ISBN-10 : 400430928X
- ISBN-13 : 978-4004309284
- Amazon 売れ筋ランキング: - 180,503位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2016年2月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
クリストファーコロンブスから始まり、
西洋と、他の地域との遭遇の中で生まれた物語たち…
そういう話は面白いと思いました。
しかし、ポストコロニアリズムと、
コロニアリズム後に起きた様々な事事のつながりが、私には難しかったです。
すいません。
西洋と、他の地域との遭遇の中で生まれた物語たち…
そういう話は面白いと思いました。
しかし、ポストコロニアリズムと、
コロニアリズム後に起きた様々な事事のつながりが、私には難しかったです。
すいません。
2020年1月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
同上
2018年10月27日に日本でレビュー済み
低評価するレビューの中では、本書おける主張を「反コロニアリズム」だとかいうものがあるが、こうした批判は的外れであると言わざるをえない。植民地「加害者」と「被害者」という二項対立にとらわれるべきではないというのは、植民地内部でも帝国主義に加担した人間もいたという意味では確かにそうかもしれないが、こうした二項の分断は筆者が言っているだけという訳ではなく現実に存在しているものであり、そこから出発しなければならない。ゆえに、筆者がファノン等を引き合いに出して反植民地主義を唱えていることは至極真っ当だろう。こうした現実の問題を出発点にせずにこの本の主張を単なる「左翼的」だとして退けることは全く持って無意味であリ、戦争責任を矮小化する言説と親和的ですらある。反植民地を訴える側の主張を捉えることなしに植民地主義を超えた関係性が築かれる訳がない。植民地主義の責任を問うことを怠ってきたために人種差別が跋扈しているのが日本であることを踏まえれば、筆者の問題意識は的確である。ヘイトスピーチ等が激化している現在こそこの本の主張を的確に捉える必要性が高まっているのではないだろうか。
2016年1月29日に日本でレビュー済み
ポストコロニアリズムとは何か。
そもそもコロニアリズムとは何かということでコロンブスの話から始まり、ポストコロニアリズムとしてファノン(アルジェリア)、サイード(パレスチナ)、スピヴァク(インド)が、最後にアイヌや沖縄を軸に日本について語られる。
コロニアリズムとは征服者によっ規定されることがその最初の重要な要素なのだと思った。ただ独立するだけではその呪縛からは逃れられない。ポストコロニアリズムとはその他者から規定された自己を意識し、その他者とただ対立するだけでなく新たな関係を築いていくことなのではないかと感じた。
確かに世界は精神的にも物質的にも植民地主義を脱していないと思う。
新書とは思えぬ読み応え。巻末のブックガイドもありがたい。
そもそもコロニアリズムとは何かということでコロンブスの話から始まり、ポストコロニアリズムとしてファノン(アルジェリア)、サイード(パレスチナ)、スピヴァク(インド)が、最後にアイヌや沖縄を軸に日本について語られる。
コロニアリズムとは征服者によっ規定されることがその最初の重要な要素なのだと思った。ただ独立するだけではその呪縛からは逃れられない。ポストコロニアリズムとはその他者から規定された自己を意識し、その他者とただ対立するだけでなく新たな関係を築いていくことなのではないかと感じた。
確かに世界は精神的にも物質的にも植民地主義を脱していないと思う。
新書とは思えぬ読み応え。巻末のブックガイドもありがたい。
2005年2月27日に日本でレビュー済み
「ポストコロニアリズム」は「脱植民地主義」や「植民地主義以降」と訳されることが多い。これを著者は「現在進行形の植民地主義」と解し、現代における植民地主義の影響を文化的な側面から考えていこうとしている。
著者の問題意識の所在に異論はない。しかし本書の内容については、やはり「浅い」と言わざるを得ない。著者の問題意識の中心は、日本のポストコロニアリズムである。例えば「和人」によるアイヌの表象の問題から、「奪われてきたアイヌの歴史をどのようにすることができるか」という問いを設定し、その答えが「アイヌ自身が歴史の主体となる」「アイヌ自身が歴史の主人公として立ち現れること」では、あまりに抽象的にすぎるし、この程度の指摘はこれまでに数多くあった。現在はこれの具体的方法、つまりどのような「書き方」「語り方」が可能なのかが問題になっていると私は考える。
また著者は本書の中で繰り返し「私たち」という言葉を使う。この「私たち」とは果たして誰のことか。本書の「あとがきにかえて」では、「この本を読んでいただいている読者の多くは「日本人」であるだろう」「日本人である私たち」といった表現が出てくる。こうした言説からは、著者の日本のポストコロニアル的現状への認識の甘さが浮かび上がっている。「日本語」というテキストを解するのは、日本の植民地支配の中で、「日本人」だけではなくなってしまった。アイヌや沖縄の人々、そしていわゆる在日韓国・朝鮮人など、「日本人」以外の人々も広汎に読者として存在しているのが、日本のポストコロニアルな状況である。こうした状況下で「私たち」という言説は、「私たち(日本人)以外」の読者の存在を無視してはいないか。現代とは「日本語のテキスト」において、「日本人」「私たち」という言説が等号で結ばれなくなっている時代なのではないだろうか。
著者の問題意識の所在に異論はない。しかし本書の内容については、やはり「浅い」と言わざるを得ない。著者の問題意識の中心は、日本のポストコロニアリズムである。例えば「和人」によるアイヌの表象の問題から、「奪われてきたアイヌの歴史をどのようにすることができるか」という問いを設定し、その答えが「アイヌ自身が歴史の主体となる」「アイヌ自身が歴史の主人公として立ち現れること」では、あまりに抽象的にすぎるし、この程度の指摘はこれまでに数多くあった。現在はこれの具体的方法、つまりどのような「書き方」「語り方」が可能なのかが問題になっていると私は考える。
また著者は本書の中で繰り返し「私たち」という言葉を使う。この「私たち」とは果たして誰のことか。本書の「あとがきにかえて」では、「この本を読んでいただいている読者の多くは「日本人」であるだろう」「日本人である私たち」といった表現が出てくる。こうした言説からは、著者の日本のポストコロニアル的現状への認識の甘さが浮かび上がっている。「日本語」というテキストを解するのは、日本の植民地支配の中で、「日本人」だけではなくなってしまった。アイヌや沖縄の人々、そしていわゆる在日韓国・朝鮮人など、「日本人」以外の人々も広汎に読者として存在しているのが、日本のポストコロニアルな状況である。こうした状況下で「私たち」という言説は、「私たち(日本人)以外」の読者の存在を無視してはいないか。現代とは「日本語のテキスト」において、「日本人」「私たち」という言説が等号で結ばれなくなっている時代なのではないだろうか。
2019年11月27日に日本でレビュー済み
買って長いこと積ん読にしてたので、そろそろ片付けを、と思って手に取ったが、鼻持ちならない意識高さにウンザリしつつ我慢して最後まで読んだ。でも途中でやめても良かったかも。左翼、ポストモダン独特の抽象的で例えになってない隠喩とお作法化した言い回しの連続、全く具体的な実証のない決め付け、締めには左翼お得意の決まり手、日本人は懺悔が足りぬ論で駄目押し。2005年の本とは思えないアナクロぶり。趣味が合う人だけどうぞ、という感じ。
2013年6月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まず最初に、コロンブスの航海から植民地主義へ、そして西洋から西洋外への視点の変化を丁寧に追っています。非常にわかりやすく、導入としては素晴らしいと思います。次に植民地主義と植民地主義からの脱却、そして植民地解放後についての流れを、ファノン、サイード、スピヴァクを代表させて各々を詳しく解説しています。終章は日本についてなのですが、アイヌ、沖縄、従軍慰安婦を取り上げています。
しかし、個人的に終章はあまり良くないと思います。基本的に本来一冊の本として読むべき内容なので、物足りないという面もあります。しかしそれ以上に、紹介するだけで、そこまでに解説された理論なり経緯とは話として直結していないように思われ、終章だけやや浮いている気もします。紹介したいという著者の思いはよくわかるのですが、本当にただ紹介しているだけになってしまっている気がして残念です。序文を読むと終章の内容をとにかく言いたいのだな、ということはわかるのですが。
本書のみならず、アジア、というか極東アジアについての事柄については、謝り償い、という議論に終始してしまいがちです。実際に史学系の著作物においてもそのような考えは多いように思えます。しかし、それがいかに正しいとしても、それが真に意味を持つのは相手が同じ土俵上に乗っている時のみではないでしょうか。戦後の流れを見ると、日本の謝罪が足りないという単純なものではないことは明らかでしょう。侵略という意味においては、中国・韓国は東南アジア諸国や台湾と同様であるはずなのに、日本に対する意識の差は何なのか、よく考えないといけないはずです。その一つの鍵は、道徳や人権の問題であるはずなのにそれを政治利用するやり方や、国際社会の中で周辺国と付き合っていくうえでプラスになるとは思えない反日教育があることは認めざる得ない事実です。それらのことを無視して問題を考えることは不可能なことではないでしょうか。さらに、侵略戦争に関して日本に責任がないということは、到底言うことはできないでしょう。しかし、その解決手段は現実に即しているとは言えないと思います。政治利用されないのであればよいのですがそれが現状不可能であろうことはニュース等を見ているだけで理解できます。しかし、問題が理論や倫理だけでは解決不可能なのは、政治や教育、そして何よりも国家や個人の感情が介在しているからでしょう。
問題提起したという面ではよいことだと思います。しかし、謝罪すれば問題が解決するということでは決してないということも、中国や韓国の濃厚な自国内向け政治利用を見ればわかるはずです。それほど解決は容易ではないことは、過去を振り返れば明らかではないですか。しかし、何とも悩ましい問題ではありますが、相手と向き合っていけば、解決できる日が来ることを私自身は信じております。そのためには問題を単純化せず、研究者の方々には包括的に分析し研究に取り組んでいただきたいと願っております。
しかし、個人的に終章はあまり良くないと思います。基本的に本来一冊の本として読むべき内容なので、物足りないという面もあります。しかしそれ以上に、紹介するだけで、そこまでに解説された理論なり経緯とは話として直結していないように思われ、終章だけやや浮いている気もします。紹介したいという著者の思いはよくわかるのですが、本当にただ紹介しているだけになってしまっている気がして残念です。序文を読むと終章の内容をとにかく言いたいのだな、ということはわかるのですが。
本書のみならず、アジア、というか極東アジアについての事柄については、謝り償い、という議論に終始してしまいがちです。実際に史学系の著作物においてもそのような考えは多いように思えます。しかし、それがいかに正しいとしても、それが真に意味を持つのは相手が同じ土俵上に乗っている時のみではないでしょうか。戦後の流れを見ると、日本の謝罪が足りないという単純なものではないことは明らかでしょう。侵略という意味においては、中国・韓国は東南アジア諸国や台湾と同様であるはずなのに、日本に対する意識の差は何なのか、よく考えないといけないはずです。その一つの鍵は、道徳や人権の問題であるはずなのにそれを政治利用するやり方や、国際社会の中で周辺国と付き合っていくうえでプラスになるとは思えない反日教育があることは認めざる得ない事実です。それらのことを無視して問題を考えることは不可能なことではないでしょうか。さらに、侵略戦争に関して日本に責任がないということは、到底言うことはできないでしょう。しかし、その解決手段は現実に即しているとは言えないと思います。政治利用されないのであればよいのですがそれが現状不可能であろうことはニュース等を見ているだけで理解できます。しかし、問題が理論や倫理だけでは解決不可能なのは、政治や教育、そして何よりも国家や個人の感情が介在しているからでしょう。
問題提起したという面ではよいことだと思います。しかし、謝罪すれば問題が解決するということでは決してないということも、中国や韓国の濃厚な自国内向け政治利用を見ればわかるはずです。それほど解決は容易ではないことは、過去を振り返れば明らかではないですか。しかし、何とも悩ましい問題ではありますが、相手と向き合っていけば、解決できる日が来ることを私自身は信じております。そのためには問題を単純化せず、研究者の方々には包括的に分析し研究に取り組んでいただきたいと願っております。