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サルトル: 「人間」の思想の可能性 (岩波新書 新赤版 948) 新書 – 2005/5/20
海老坂 武
(著)
さらば〈ろくでなし〉よ! ──『嘔吐』で鮮やかに登場し、小説家として、哲学者として、そして最大の「知識人」として20世紀を生きたサルトルは、2005年生誕百年を迎えた.世界的に血なまぐさい暴力が繰り返される今、時代に〈参加〉することを、〈人間〉とは何かを問い続けた思想が、新たなリアリティとともによみがえる.
- 本の長さ200ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2005/5/20
- ISBN-104004309484
- ISBN-13978-4004309482
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2005/5/20)
- 発売日 : 2005/5/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 200ページ
- ISBN-10 : 4004309484
- ISBN-13 : 978-4004309482
- Amazon 売れ筋ランキング: - 467,694位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 343位フランス・オランダの思想
- - 2,033位岩波新書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年8月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
若い頃にサルトルを読んだので青春時代を思い起こして懐かしい思いがしました。
2019年6月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
サルトルというと、『存在と無』が最も有名な著書であるが、哲学者の一面の他に作家としての一面もあり、なかなかその全体像が捉えづらいのではないかと思う。
本書では、サルトルの人生の時系列に合わせて、その出来事や著書について、筆者の所感を織り交ぜつつ記している。
サルトルの生涯とその思想の概略について知りたい方にはうってつけである。
本書では、サルトルの人生の時系列に合わせて、その出来事や著書について、筆者の所感を織り交ぜつつ記している。
サルトルの生涯とその思想の概略について知りたい方にはうってつけである。
2013年7月21日に日本でレビュー済み
本書はサルトルの人間的な部分を凄く感じさせてくれる。
私はサルトル自身が書いた本は、「嘔吐」しか読んだことがなく、また十分に理解できたとも思っていないが、サルトルの実存主義には大きな魅力を感じてきた。
そんな中で、実存主義というフィルターを通してでしかサルトルを知らなかった私にとって、本書では逆にその作品や経歴を中心としたサルトルを通して、その思想や哲学、文学に迫っていっているため、サルトルという人間を人間的側面から知らしめられたという感じがした。
そして、今までの私の想像とは乖離している部分があり、いい意味でも悪い意味でもサルトルに裏切られたという気分になった。
本書は、哲学や文学という一領域からサルトルに迫るのではなく、サルトルという人間そのものに焦点を当てているため、サルトルの人となりを知ることができる。
私はサルトル自身が書いた本は、「嘔吐」しか読んだことがなく、また十分に理解できたとも思っていないが、サルトルの実存主義には大きな魅力を感じてきた。
そんな中で、実存主義というフィルターを通してでしかサルトルを知らなかった私にとって、本書では逆にその作品や経歴を中心としたサルトルを通して、その思想や哲学、文学に迫っていっているため、サルトルという人間を人間的側面から知らしめられたという感じがした。
そして、今までの私の想像とは乖離している部分があり、いい意味でも悪い意味でもサルトルに裏切られたという気分になった。
本書は、哲学や文学という一領域からサルトルに迫るのではなく、サルトルという人間そのものに焦点を当てているため、サルトルの人となりを知ることができる。
2005年12月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
たしかに現代思想はサルトルという重大な哲学者思想家を軽視するおもむきがある。それは絶対に正さねばならない。
「しかし」と私は思う。「だからと言って盲目的なサルトル信仰はいいのだろうか」それは無論、否である。本書はどちらかと言うと「盲目的なサルトル信仰」という方に傾くと言ってよい。
ベルナール=アンリ・レヴィの「サルトルの世紀」が圧倒的な資料を元に重ねられた上でのサルトル再評価の本だとすれば、本書は個人的感傷によるサルトル再評価と言えるであろう。私はその点において本書に疑問を覚える点が所々あるのである。
もっとも新書という形式ゆえに引用など限られているので、そう言った印象をより強く受けたのかもしれない。個人的感傷が混じっているとしてもサルトル入門者にはこの程度であれば無害であると判断できる。また平易な文章であるし、読みやすいには読みやすい。その点、私は本書は入門には適すると思う。しかし、専門者には面白くないだろうと思う。
「しかし」と私は思う。「だからと言って盲目的なサルトル信仰はいいのだろうか」それは無論、否である。本書はどちらかと言うと「盲目的なサルトル信仰」という方に傾くと言ってよい。
ベルナール=アンリ・レヴィの「サルトルの世紀」が圧倒的な資料を元に重ねられた上でのサルトル再評価の本だとすれば、本書は個人的感傷によるサルトル再評価と言えるであろう。私はその点において本書に疑問を覚える点が所々あるのである。
もっとも新書という形式ゆえに引用など限られているので、そう言った印象をより強く受けたのかもしれない。個人的感傷が混じっているとしてもサルトル入門者にはこの程度であれば無害であると判断できる。また平易な文章であるし、読みやすいには読みやすい。その点、私は本書は入門には適すると思う。しかし、専門者には面白くないだろうと思う。
2012年10月30日に日本でレビュー済み
「嘔吐」は、日常生活の中の不条理を表出させている。
「奇妙な戦争」は未読かもしれない。
「存在と無」は読み締めて,読み終わっていない。
戯曲は上演したこともあるので親しみ易い。
親しみ易いというよりは上演しやすいと言った方がいいかもしれない。
サルトルの解説書というよりは、サルトルの愛好者の感想とも言うべき書籍。難しいサルトルの本も親しみが持てる様な書き方に好感が持てる。
「奇妙な戦争」は未読かもしれない。
「存在と無」は読み締めて,読み終わっていない。
戯曲は上演したこともあるので親しみ易い。
親しみ易いというよりは上演しやすいと言った方がいいかもしれない。
サルトルの解説書というよりは、サルトルの愛好者の感想とも言うべき書籍。難しいサルトルの本も親しみが持てる様な書き方に好感が持てる。
2007年9月14日に日本でレビュー済み
「サルトル」の思想の入門書というより、著者自身の「サルトル」体験談。
「嘔吐」(サルトル著)をいきなり読んだがわけがわからず、とりあえずサルトル入門書として読んだが、特に「嘔吐」についての記述は「体験談」に終わっている感じがした。
当然、サルトルについてはこれまでも多くのものが出版されていることもあり、個人的な体験談に終わるのは仕方がないかもしれない。
「嘔吐」(サルトル著)をいきなり読んだがわけがわからず、とりあえずサルトル入門書として読んだが、特に「嘔吐」についての記述は「体験談」に終わっている感じがした。
当然、サルトルについてはこれまでも多くのものが出版されていることもあり、個人的な体験談に終わるのは仕方がないかもしれない。
2017年5月18日に日本でレビュー済み
サルトルは「1日中でも徹底的にものを考えていられる人」(まえがき)で、「少年時代から死の直前まで、<人間>とは何かを問い続けていた人である」。著者は、その「サルトルのテクストだけを念頭に」おいて、注をつけることなく書いた(あとがき)。サルトルに出会った10代からの同時代人としてのサルトル体験、また死後の1980年代におけるサルトルたたきを見聞して、そして再生なるサルトルの生誕100年の2005年、70歳になった筆者が50年間余のサルトル経験をしたためたのが本書である思う。好著であり、これから三度目を読もうと思う。
Ⅰ章は「『嘔吐』から―出発点」である。<吐き気>とは、あらゆる<もの>が、人間が、すべて不条理であり無根拠であり偶然の産物であること、何の意味もなく<実存>していることを前にしたときの意識の反応である(p6)。「ろくでなし」(salaud サロー)とは、「自分には存在理由がある」と信じて疑わない発想のことである(p9)。サルトルは、「人間の制度化」を拒否してノーベル賞の受賞を拒否した(p14)。独学者は「人生はそれに意味を与えようとすれば意味があります。まず行動し、企ての中に飛び込まねばならない。その後に反省をしても、すでに運命の賽は投げられたのであり、参加しているのです」と言う(p30)。
Ⅰ章は「『嘔吐』から―出発点」である。<吐き気>とは、あらゆる<もの>が、人間が、すべて不条理であり無根拠であり偶然の産物であること、何の意味もなく<実存>していることを前にしたときの意識の反応である(p6)。「ろくでなし」(salaud サロー)とは、「自分には存在理由がある」と信じて疑わない発想のことである(p9)。サルトルは、「人間の制度化」を拒否してノーベル賞の受賞を拒否した(p14)。独学者は「人生はそれに意味を与えようとすれば意味があります。まず行動し、企ての中に飛び込まねばならない。その後に反省をしても、すでに運命の賽は投げられたのであり、参加しているのです」と言う(p30)。
2005年6月10日に日本でレビュー済み
本書を読めばサルトルがどのような人物であったかが分かる本だと思います。
サルトルを知らない人が読んでもついていけると思います。
実存主義や人間の可能性、また<友愛-暴力>関係がどんな具合なのかが分かります。
サルトルを知らない人が読んでもついていけると思います。
実存主義や人間の可能性、また<友愛-暴力>関係がどんな具合なのかが分かります。