反-常識の形而上学
ラッセル哲学の輪郭:逆説、分析、統一
世界は一つではない?
世界を解き放つ
数学を矛盾から救うには?
多重世界こそ現実だった?
階層の中にまた別の階層が?
世界を読み換える
日常言語は信頼できるのか?
知が世界につながるためには?
世界を組み直す
分析には終わりがある?
心と脳は同じものなのか?
ラッセル哲学の多重世界
文献案内
あとがき。
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ラッセルのパラドクス: 世界を読み換える哲学 (岩波新書 新赤版 975) 新書 – 2005/10/20
三浦 俊彦
(著)
- ISBN-104004309751
- ISBN-13978-4004309758
- 出版社岩波書店
- 発売日2005/10/20
- 言語日本語
- 本の長さ218ページ
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
簡単なクイズから「心と物が存在する」ことの謎へ緻密かつ壮麗に展開するラッセル・ワールド。完全・究極・確実に憑かれた過激な哲学者は論理を武器に矛盾に満ちた日常世界を徹底的に読み換えてゆく。新次元の知への扉を開く。
登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2005/10/20)
- 発売日 : 2005/10/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 218ページ
- ISBN-10 : 4004309751
- ISBN-13 : 978-4004309758
- Amazon 売れ筋ランキング: - 146,302位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年8月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の本はところどころ癖があるから、なかなか手が出ないのだが、読んでみると類書にはない良さがある。この本の良さは前半のタイプ理論の解説だろう。記述理論の解説は他の言語哲学の解説書にも出てくるので特に目新しくはないが、タイプ理論をここまでわかりやすく解説しているものは他に見たことがない。
2016年4月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
(本書197ページ)
「中性一元論の最大のメリットは、「心が生じるためにはなぜ物質が必要なのだろうか?」という根本問題が解明されうることだ。(中略)中性一元論の枠組みにおいては答えは簡単だ。心理法則に合うほどに複雑なセンシビリアの系列がある場合は、同じ場所に、物理法則で束ねられうる程度の単純なセンシビリア系列も必ず成り立っている(後略)」
上記はなしと、スピノザがエチカでいう心身並行論の類似性に驚く。
エチカ第2部定理7「観念の秩序および連結は物の秩序および連結と同一である。」
常識的には「悲しいから泣く」である。これを「泣くから悲しい」というひとはいるが、世の中の実相は「悲しい=泣く」とわたしには思える。
本書での不満というか疑問は、これだけ「存在」のことについてはなしをしているのに、ハイデガーについては一切触れられていない点。わたしの不勉強なのだと思いますが、同時代に生きたラッセルとハイデガーになにか思想的な接点はなかったのであろうか。
「中性一元論の最大のメリットは、「心が生じるためにはなぜ物質が必要なのだろうか?」という根本問題が解明されうることだ。(中略)中性一元論の枠組みにおいては答えは簡単だ。心理法則に合うほどに複雑なセンシビリアの系列がある場合は、同じ場所に、物理法則で束ねられうる程度の単純なセンシビリア系列も必ず成り立っている(後略)」
上記はなしと、スピノザがエチカでいう心身並行論の類似性に驚く。
エチカ第2部定理7「観念の秩序および連結は物の秩序および連結と同一である。」
常識的には「悲しいから泣く」である。これを「泣くから悲しい」というひとはいるが、世の中の実相は「悲しい=泣く」とわたしには思える。
本書での不満というか疑問は、これだけ「存在」のことについてはなしをしているのに、ハイデガーについては一切触れられていない点。わたしの不勉強なのだと思いますが、同時代に生きたラッセルとハイデガーになにか思想的な接点はなかったのであろうか。
2012年11月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
_論理学に深い興味・関心を抱いている私が,このタイトルにひかれて,そして,著者に惹かれて(論理パラドクス系シリーズは大変楽しみました),買いました。
_論理学を勉強してきた中で,私は「ラッセルのパラドクス」にはしばしば触れてきました。がしかし,本書の中に書いてある事は,論理学というよりも,哲学的論理学・認識論みたいな内容であって,哲学がチンプンカンプンの私には殆ど理解が出来ず,本書の理解度は5%位でした。
_殆ど内容を理解できませんでしたが,内容としてはラッセルの思考の系譜・著者の分析・周辺の論理学者の思考の説明等が濃密に詳細に書かれています。中身の濃い本です。
_私の哲学に関する知識が,本書に挑戦するには少なすぎました。また数年後に読んでみたいと思います。
_論理学を勉強してきた中で,私は「ラッセルのパラドクス」にはしばしば触れてきました。がしかし,本書の中に書いてある事は,論理学というよりも,哲学的論理学・認識論みたいな内容であって,哲学がチンプンカンプンの私には殆ど理解が出来ず,本書の理解度は5%位でした。
_殆ど内容を理解できませんでしたが,内容としてはラッセルの思考の系譜・著者の分析・周辺の論理学者の思考の説明等が濃密に詳細に書かれています。中身の濃い本です。
_私の哲学に関する知識が,本書に挑戦するには少なすぎました。また数年後に読んでみたいと思います。
2020年2月9日に日本でレビュー済み
ラッセルの紹介に始まります。続けて、第三章から第七章までは、論理学の入門あるいはメタ論理学と言うべき根本原理が、丁寧にわかりやすく説明されています。おかげで、論理学の入門書では理解できなかったタイプ理論が良く理解できます。論理学を勉強しようとする人の必読書でしょう。
後半は、急に難しくなります。第八章は「分析に終わりはあるか?」と題し、論理的原子論(これ以上分析できない基本概念)を紹介し、第九章では「心と脳は同じものか?」、中性一元論(物でも心でもない何か)に言及していますが、わかるような、わからないような読後感です。
世界は人間の五感では認識できず、論理の力には限界があり、論理で解明できるとは思えない。と、感じさせられました。
後半は、急に難しくなります。第八章は「分析に終わりはあるか?」と題し、論理的原子論(これ以上分析できない基本概念)を紹介し、第九章では「心と脳は同じものか?」、中性一元論(物でも心でもない何か)に言及していますが、わかるような、わからないような読後感です。
世界は人間の五感では認識できず、論理の力には限界があり、論理で解明できるとは思えない。と、感じさせられました。
2006年1月9日に日本でレビュー済み
コンパクトな日本語のラッセル紹介ということで読んだ。実際その程度の期待値に見合う価値は十分あった。しかし、著者の描くラッセル哲学に共感する所はあまりなかった。技術(力技)と発想力は確かに一流だが、哲学における要素還元主義・論理分析及び構成主義的方法や関連する基本的概念については、本書を読む限りでは懐疑的にならざるを得ない。
そのようなラッセル的方法は、数学のように対象が全て記述によって構成され、記号使用の文脈もおのずと限定されている領域であれば良い(実際プリンキピア・マテマティカで成果を挙げた)。しかしそんな文脈的限定のない所で、存在・直接認識・単純(基本的・原初的)・完全等といった言葉を使って理論構築しようとして、言葉に引きずり回されずに済むのは難しい。(言葉の厳密な定義といっても所詮言葉の言い換えなので、有効性に限度がある。)
著者は、ラッセルの論理分析的方法擁護の文脈で「日常言語は信頼できるのか?」と問いを立てている。しかしいわゆる日常言語派を含め、「日常言語は信頼できる」などと主張している人はいない。重要なのは、哲学者本人がいくら理想言語に徹しているつもりでも、日常言語の意味圏を離脱できるわけではないので、日常言語の機能の仕方に十分注意してないと足元をすくわれますよ、ということである。
要素還元主義は、物理学の原子論ならOKである。(非常に大雑把に言えば)結果オーライなので。では哲学の論理的原子論はどうか?ある意味では同じことだと思うので、頭の良い人たちにトライしていただくのは結構なことである。しかし現状では「日常言語は理論的認識に適さない」などと胸を張って?言えるほどのものとは思えない。
(蛇足だが、ラッセルに関する批判的文献としては、黒田亘の主著2冊が最強です。それとオースティン「知覚の言語」いずれもすばらしい本です。)
そのようなラッセル的方法は、数学のように対象が全て記述によって構成され、記号使用の文脈もおのずと限定されている領域であれば良い(実際プリンキピア・マテマティカで成果を挙げた)。しかしそんな文脈的限定のない所で、存在・直接認識・単純(基本的・原初的)・完全等といった言葉を使って理論構築しようとして、言葉に引きずり回されずに済むのは難しい。(言葉の厳密な定義といっても所詮言葉の言い換えなので、有効性に限度がある。)
著者は、ラッセルの論理分析的方法擁護の文脈で「日常言語は信頼できるのか?」と問いを立てている。しかしいわゆる日常言語派を含め、「日常言語は信頼できる」などと主張している人はいない。重要なのは、哲学者本人がいくら理想言語に徹しているつもりでも、日常言語の意味圏を離脱できるわけではないので、日常言語の機能の仕方に十分注意してないと足元をすくわれますよ、ということである。
要素還元主義は、物理学の原子論ならOKである。(非常に大雑把に言えば)結果オーライなので。では哲学の論理的原子論はどうか?ある意味では同じことだと思うので、頭の良い人たちにトライしていただくのは結構なことである。しかし現状では「日常言語は理論的認識に適さない」などと胸を張って?言えるほどのものとは思えない。
(蛇足だが、ラッセルに関する批判的文献としては、黒田亘の主著2冊が最強です。それとオースティン「知覚の言語」いずれもすばらしい本です。)
2015年8月14日に日本でレビュー済み
初めタイトルを見た時は、「あ、よくある論理パズル読本ね」って受け取り、さして関心は引かれなかったのだが、
某所で「日本語による記述理論の解説」と紹介され、通読。
やはりこのタイトルは逆効果。
「ラッセルの理論哲学」くらいが正確な表記だろう。
パラドクスについての解説は第3章にあるだけで、
全体としてはラッセルの理論哲学(つまり倫理学や政治社会論考は扱われない)の解説となっている。
記述は著者の三浦氏の解釈に基づき、独自に説明し直したもので、
ラッセル自身の著書をそのまま引用した部分は少ない。
故に文体が適度にこなれていて読み易くはあるのだが、
出典が明示されていないので、解釈に若干の疑問点は残る。
個人的にはウィトゲンシュタインに比べて、
現在の日本ではラッセルの哲学的評価が低過ぎるとかねてより思っていたので、
本書のような啓蒙書出版は有難い。
某所で「日本語による記述理論の解説」と紹介され、通読。
やはりこのタイトルは逆効果。
「ラッセルの理論哲学」くらいが正確な表記だろう。
パラドクスについての解説は第3章にあるだけで、
全体としてはラッセルの理論哲学(つまり倫理学や政治社会論考は扱われない)の解説となっている。
記述は著者の三浦氏の解釈に基づき、独自に説明し直したもので、
ラッセル自身の著書をそのまま引用した部分は少ない。
故に文体が適度にこなれていて読み易くはあるのだが、
出典が明示されていないので、解釈に若干の疑問点は残る。
個人的にはウィトゲンシュタインに比べて、
現在の日本ではラッセルの哲学的評価が低過ぎるとかねてより思っていたので、
本書のような啓蒙書出版は有難い。
2008年1月5日に日本でレビュー済み
『ラッセルのパラドクス』というタイトルはあまりよくない気がする。
サブタイトルの『世界を読み換える哲学』の方が内容を的確に表しているだろう。
前半では、タイプ理論、分岐タイプ理論、還元公理など、ラッセル論理学の基礎固めが行われる。
解説もなかなかわかりやすい。
後半では、日常言語をラッセル論理学的に解体していく。
確定記述、不完全記号、論理的固有名、センスデータ、私的言語、論理的原子論など、やはりラッセル特有の用語が目白押しである。
後半の方が難しい印象を受ける。
最後(ラッセル哲学前期と後期の橋渡しみたいな)で、すべての個体が属性に還元され、属性が関係に還元されている。
前期ラッセル哲学を知りたい人にはオススメ。ただし、後期ラッセル哲学やラッセルのパラドックスそのものを知りたい人にはあまりオススメできない。
サブタイトルの『世界を読み換える哲学』の方が内容を的確に表しているだろう。
前半では、タイプ理論、分岐タイプ理論、還元公理など、ラッセル論理学の基礎固めが行われる。
解説もなかなかわかりやすい。
後半では、日常言語をラッセル論理学的に解体していく。
確定記述、不完全記号、論理的固有名、センスデータ、私的言語、論理的原子論など、やはりラッセル特有の用語が目白押しである。
後半の方が難しい印象を受ける。
最後(ラッセル哲学前期と後期の橋渡しみたいな)で、すべての個体が属性に還元され、属性が関係に還元されている。
前期ラッセル哲学を知りたい人にはオススメ。ただし、後期ラッセル哲学やラッセルのパラドックスそのものを知りたい人にはあまりオススメできない。