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善と悪: 倫理学への招待 (岩波新書 新赤版 1039) 新書 – 2006/10/20

3.4 5つ星のうち3.4 17個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (2006/10/20)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2006/10/20
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 220ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4004310393
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4004310396
  • カスタマーレビュー:
    3.4 5つ星のうち3.4 17個の評価

著者について

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大庭 健
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2022年12月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大学の講義で必要だったので購入
2013年11月18日に日本でレビュー済み
先験的に悪の方が見えやすく、社会的存在としての想像力で悪を互いに抑えた保持により「ある程度」善は実現可能という話。
2009年6月29日に日本でレビュー済み
 倫理学で有名な哲学者大庭健氏による、シンプルかつ丁寧で分かりやすい倫理学入門である。
 善と悪。一見自明であるかのように思われるこの二つの概念は、実は定義するのが極めて困難である。大庭はまずこの認識から出発し、善悪の概念と他の諸概念との違いを丹念に解きほぐしてゆく。その過程において善悪と言語の密接な関係が次第に明らかになってゆく。
 議論を分かりやすく進めるために大庭はNという独我論的な仮想敵を立てる。このNはニーチェのNを取ったものだと大庭は説明しているが、実は永井のNではないかと疑いたくなるくらい、仮想敵の反道徳的発言は永井均のそれに酷似している。私にとっての善悪と他人にとっての善悪が一致しない場合、善悪の根拠をわれわれはどこに求めればいいのだろうか。
 大庭は言う。「私」を世界の外へ追い出すことはできない。あらゆる人間は対他存在である限り「おたがいさま」の地平から外へ出ることはできない。大庭は善よりも悪の方が根源的であるとしながらも「いわれのない悪」を減らすことがすなわち善であると説く。
 大庭の倫理学は耳に心地いいことがかえって災いして、挑発的な永井の倫理学に対し劣勢に立たされることが多いようだが、説得力のある優れたものであると思う。独我論者を論駁することなど土台無理なのだから、永井を意識しすぎることなく独自の倫理学を今後も構築し続けてほしいと思う。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年1月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人間にとって「善悪をどう判断すべきか」という問題ほど、重要なものはないと思う。にもかかわらず、これが日常的に話題になることは少ない。そんな問題意識から、本書を手にとった。

本書は、善悪とは何かという問題を、深く哲学的なレベルで論じている。

私には、抽象的すぎる、難解な本だった。ただし、著者があとがきに告白しているように、専門家には物足りなく、一般人には難しすぎる、どっちつかずの本になってしまっているのも事実だ。本書の購入に際してはこの点に留意してほしい。

第七章には、「これまでの考察により、善悪の輪郭がはっきりしてきた」と前置きし、それまでの要点がまとめられている。本書がどんな本なのかを知る上で参考になるのではないかと思うので、以下に簡略化して抜粋する。

1.  善悪をめぐる道徳判断の岩盤は、「誠実・不実」「親切・冷酷」といった徳性の認知にある。

2. そうした徳性は、”間柄により支えられもすれば痛めつけられもする人間のありようへの気づかい”によって見分けられるコンテクストで、浮かび上がってくる行為パターンである。

3. したがって、そうした徳性は、物性には還元できないが、私たちが正しくあるいは誤って認知する実在的な性質である。

4. 善悪は、「誠実・不実」といった諸徳性とならぶ、もう一つの徳性ではなく、むしろ諸徳性をも総括する、より抽象的なパターン概念である。

5. したがって、善悪の見極めには、普遍化可能性・不偏性をみたす道徳原理が必要となる。

ここで私が大事だと感じたのは、「気づかい」という部分だ。善悪の判断は、理性的なものに頼る以前に、人間に対する愛情や気遣いがその基盤になければならないと思う。逆に、気づかいのできる人は、人生を大きく踏み外すことがないのではないか。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年9月3日に日本でレビュー済み
前半は結構面白く読めたが、
後半はまあまあだった。

この本のテーマを一言で言うと、
「道徳の規範性はどこからくるのか」である。

道徳判断は相対的であり、反応依存的であると同時に、
対象の側から何かしらの制約も受けている。
この相反する2つの要素を備えた道徳の特性を、
投影主義や科学との類比、パターン認知などを通して、
著者は紐解いていく。

そもそも投影主義とは、
「当人の主観的な心理状態が、
あたかも対象の特性を認知したかのように、
対象に投影される」(p.107)という立場を取る。

だが、
どのような心理状態が投影されたのか、
という点を説明するには、
投影の結果とされる特性の概念を引き合いに出す必要が生じ、
循環が起きてしまう。
そこで、この循環を解決するために出てきたのが、
「パターン認知」と呼ばれるものである。

私が物足りないと感じたのは、
規範の問題をパターンの実在性によって
ごまかしている点である。
つまりパターンを、
投影主義のような「個人の心的過程」ではなく、
「共同主観的な過程」に位置づけることで、
規範性もしくは道徳の客観性を確保しようとしているのだ。
ここの議論は、
前半での議論の流れを考えると、
あまり納得いかなかった。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年12月12日に日本でレビュー済み
 みずからを分析哲学に通じた倫理学者と位置づける著者による倫理学入門。

 善悪は相手のいる問題だから、決定的な結論を持つことはなかなか難しいと思うが、こうした基本的な疑問に立ち向かうことこそ学問にふさわしい。とはいえ、善悪は倫理というよりも哲学的課題部分が大きいと思われ、倫理学入門のための題材としてはいくらかすわりが悪い。

 倫理学とはどういう学問かという話と、善悪の問題がほぼ並列的に出てくる。くだけた語りくちは、鼻に付くところがある。

 それでも、善悪の判断がかなり普遍的であることの主張と、道徳と倫理学との違い、道徳規範が無い問題に対する倫理学の効果は、いずれも私にとって新鮮で、若干の読みにくさを押してでもくみ取る価値があった。

 自己を認めながら、他者を認めないという理屈がある種の詭弁を含むものであるということをはじめて納得した。それは認識の構造から当然のことなのだが、単純な記号的推論ではなく、概念の関係に思索を及ぼさなくてはならない。

 倫理と道徳の違い、未知の問題に対しては道徳ではなくて倫理が必要であること、という点で認識をあらたにさせられたことも私にとって大きい。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2012年5月30日に日本でレビュー済み
著者は、まえがきで、善悪が、個人の主観・好み・恣意的な選択といったものではなく、「ものごとに実際に備わっている性質」を表しているという。普遍的な善悪の基準が客観的に実在すると主張しているのだろう。その内容はどのようなものかを知りたくて読んでみた。しかし、普遍的・客観的な善悪の基準は、どこにどのような形で実在して、どのようにしてその内容を知ることができるのかは、残念ながら、私にはわからなかった。普遍的・客観的な善悪の基準の実在は、結局、著者の願望にすぎないのではないのか。普遍的・客観的、したがって絶対的な善悪の基準について、その根拠も内容も明確に示せないのに、それが実在するかのように主張することは、結局、それを司る権威(宗教団体の教祖、社会主義国の「党」、あるいは倫理学の権威の学者のような)を生んで、同じような歴史をまた同じように繰り返すだけのことになりそうな気がする。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2008年4月4日に日本でレビュー済み
 「この本は、倫理学への基本的な手ほどきである」と作者は最初に書いている。しかし、基本であるから易しいとは限らない。
というより、相当に難解な内容である。
 「善い」とか「悪い」と判断するのは、何を基準に行うのか?その基準は誰がするのか?他人がした判断に私はどう感じるのか?
というふうに論理の根拠を突き詰めていく。
 このように物事を突き詰めて考えていくという論理方法を普段はしないので著者の思考方法がとっつににくくて難解である。
それでも、少しづつ読み進める内に理解も深まってくる。だから、この本は忙しい人よりは時間があるという人に向いている。
 私がこの本で一番納得したのは、人間とは対他存在として存在しているという論理だ。あなたにとっての「あなた」が、
「私」である。つまり、「私」とはあなたにとって他人である。しかし、自己中心の人は、自己を特権化して人間としての関係性を無視しようとしている
、私は解釈したのだが、著者はこのように論理を展開している。
 「人ー間であるというときの各自の存在は、存在しているかぎり、どこまでいっても対他存在なのである。自己意識がどんない先鋭で孤独であろうとも、
そもそも自己が対他存在である以上、単独者としての自己意識もまた、他者によってー意識されてーあるーということの意識、を離れては成立しえない」
 この本を買った人は、倫理学に招待されたと思ってじっくり腰を据えて読んむ覚悟は必要だろう。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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