よしもとばななの「キッチン」をイタリア語へ訳したというアレッサンドロGジェレヴィーニの話が共感できた。
「英語で読む万葉集」を書いた,リービ英雄さんの話もためになった。
アルフレッドバーンバウムの「庭師が人工的な自然を構築する働きにも似ている」というのは核心をついているかも。村上春樹,宮部みゆきを訳しているらしい。
日本語を他の言語に訳してくださる人達の努力に感謝。
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翻訳家の仕事 (岩波新書 新赤版 1057) 新書 – 2006/12/20
岩波書店編集部
(編集)
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- 本の長さ225ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2006/12/20
- ISBN-104004310571
- ISBN-13978-4004310570
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2006/12/20)
- 発売日 : 2006/12/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 225ページ
- ISBN-10 : 4004310571
- ISBN-13 : 978-4004310570
- Amazon 売れ筋ランキング: - 155,085位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 58位翻訳 (本)
- - 719位岩波新書
- - 2,998位近現代日本のエッセー・随筆
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年2月18日に日本でレビュー済み
2011年11月14日に日本でレビュー済み
総勢37人の翻訳家たちの筆に為る翻訳にまつわるエッセイ集。
異なる時代・文化の中に根を下ろしてしまっている文芸作品を、現代日本という時代・文化の只中に移植し再現しようとする翻訳という営み。その(不)可能性に対する苦悩が・醍醐味が・喜びが、それぞれの遍歴をもつ翻訳家の筆によって綴られている。
同じ主題で書かれた37人の小文を通して読むと、作家に「文体」というものがあるように、翻訳家にも「文体」があるということがよく分り、面白い。しばらく前から、世界文学の「新訳」が流行している。原作が同じでも、それを訳す人間の文体が異なれば、ひとつの作品が多様な相貌をもつことになる。「ひとつの作品」という輪郭自体がぼやけてくるようだ。
そして作品だけでなく言葉も・・・。
「漢字という衣装は、大和言葉も新造翻訳語もみんな同じように着ることができるから、出身地が分からなくなっているが、みんないろいろな土地から来ていた移民だったんだ、・・・。」
"オムニフォン"という造語が紹介されている。
「それはひとつの言葉の中に、他のたくさんの(数えることもできない)言葉が響きわたっている状態のことだ。一言語は、そのまま移民社会。・・・。翻訳とはひとことでいえばオムニフォンの実践、いろんな言葉を別の言葉に吹き込み、一時滞在の末にうまくいけば定住させて、摩擦、衝突、せめぎ合いの中から聞いたことのなかった音、見えなかった視界を発見しようとする試みなのだ。」
原作者・翻訳家・読者・・・多様な遍歴をもつ個々人の間を渡りながら、そのつど言葉は、それぞれの人の中にそれぞれの人の中でしか出せない音を響かせる。そうしてひとつひとつの言葉も、自らの内に、自らが経巡ってきた歴程を密かに響かせながら、終わらぬ遊泳を続ける。
異なる時代・文化の中に根を下ろしてしまっている文芸作品を、現代日本という時代・文化の只中に移植し再現しようとする翻訳という営み。その(不)可能性に対する苦悩が・醍醐味が・喜びが、それぞれの遍歴をもつ翻訳家の筆によって綴られている。
同じ主題で書かれた37人の小文を通して読むと、作家に「文体」というものがあるように、翻訳家にも「文体」があるということがよく分り、面白い。しばらく前から、世界文学の「新訳」が流行している。原作が同じでも、それを訳す人間の文体が異なれば、ひとつの作品が多様な相貌をもつことになる。「ひとつの作品」という輪郭自体がぼやけてくるようだ。
そして作品だけでなく言葉も・・・。
「漢字という衣装は、大和言葉も新造翻訳語もみんな同じように着ることができるから、出身地が分からなくなっているが、みんないろいろな土地から来ていた移民だったんだ、・・・。」
"オムニフォン"という造語が紹介されている。
「それはひとつの言葉の中に、他のたくさんの(数えることもできない)言葉が響きわたっている状態のことだ。一言語は、そのまま移民社会。・・・。翻訳とはひとことでいえばオムニフォンの実践、いろんな言葉を別の言葉に吹き込み、一時滞在の末にうまくいけば定住させて、摩擦、衝突、せめぎ合いの中から聞いたことのなかった音、見えなかった視界を発見しようとする試みなのだ。」
原作者・翻訳家・読者・・・多様な遍歴をもつ個々人の間を渡りながら、そのつど言葉は、それぞれの人の中にそれぞれの人の中でしか出せない音を響かせる。そうしてひとつひとつの言葉も、自らの内に、自らが経巡ってきた歴程を密かに響かせながら、終わらぬ遊泳を続ける。
2013年7月13日に日本でレビュー済み
三十人以上の翻訳家のエッセイ集です。
翻訳家の苦労話などが具体的に書いてあります。そういうものが好きな人にはおすすめなのですが、翻訳に関する実用的な知識を学ぶのに向いている本ではないと思います。
以下は私の印象に残った部分です。
・翻訳というのは悪女に似た所があって、それに取り掛かるとほかのことをさせてもらえない。自分の時間がなくなって、映画にも旅行にも行けなくなる。p17
・翻訳者は耳がいいことが条件だろう。ナレーションのない会話は、その微妙な調子の変化で話し手や聞き手の心理が表現される。それを第一読者として感じ取り、日本語に反映させるのはスリリングな作業だ。p131
・ドイツ文学にはまだまだおもしろい作品がまだまだ無数にある。外国の翻訳者たちと一緒にいて、そのことでは意見が必ず一致する。p156
・誤訳のように見えて、実は名訳というケースにこれまでいろいろ出逢ってきました。ちょっと見ると誤訳だけれど、いろいろ考えているうちに、誤訳ではなく遠回りして同じことをより印象的に言っているのだと分かった場合もあります。p170
・国によって翻訳に対する見方もまったく違います。文化を積極的に輸入する日本では翻訳や通訳の需要が高く、優れた翻訳者の地位も報酬もそれなりに高い。一方、よその国のことにはほとんど関心がなく、どこでも英語が通じてあたりまえと思いこんでいるアメリカでは翻訳者は無名な存在に近い。批評は「学問」として高く評価されるのですが、翻訳はただの「手段」とみなされて、研究の対象にはなりません。英語圏ではTranslators are just failed writers. 「翻訳者はみんな挫折した物書きさ」とさえ言われることがあります。p204
翻訳家の苦労話などが具体的に書いてあります。そういうものが好きな人にはおすすめなのですが、翻訳に関する実用的な知識を学ぶのに向いている本ではないと思います。
以下は私の印象に残った部分です。
・翻訳というのは悪女に似た所があって、それに取り掛かるとほかのことをさせてもらえない。自分の時間がなくなって、映画にも旅行にも行けなくなる。p17
・翻訳者は耳がいいことが条件だろう。ナレーションのない会話は、その微妙な調子の変化で話し手や聞き手の心理が表現される。それを第一読者として感じ取り、日本語に反映させるのはスリリングな作業だ。p131
・ドイツ文学にはまだまだおもしろい作品がまだまだ無数にある。外国の翻訳者たちと一緒にいて、そのことでは意見が必ず一致する。p156
・誤訳のように見えて、実は名訳というケースにこれまでいろいろ出逢ってきました。ちょっと見ると誤訳だけれど、いろいろ考えているうちに、誤訳ではなく遠回りして同じことをより印象的に言っているのだと分かった場合もあります。p170
・国によって翻訳に対する見方もまったく違います。文化を積極的に輸入する日本では翻訳や通訳の需要が高く、優れた翻訳者の地位も報酬もそれなりに高い。一方、よその国のことにはほとんど関心がなく、どこでも英語が通じてあたりまえと思いこんでいるアメリカでは翻訳者は無名な存在に近い。批評は「学問」として高く評価されるのですが、翻訳はただの「手段」とみなされて、研究の対象にはなりません。英語圏ではTranslators are just failed writers. 「翻訳者はみんな挫折した物書きさ」とさえ言われることがあります。p204
2007年1月5日に日本でレビュー済み
翻訳という作業は、もっとも労力を要する知的な行為の1つであろう。翻訳元と翻訳先と両方の言語の文法、語彙、豊かな表現、そして幅広い背景となる知識や教養がなければならない。多くの翻訳家たちは、普段並々ならぬ努力を要求されている。原著という「制約」がある分、完全なオリジナル作品を創造するより制限もある。また、特に「模範解答」や「虎の巻」があるわけでもなく、ケースバイケースでそれぞれの作品の翻訳に当たらねばならない。
本書は、多くの一線の翻訳家のエッセイ集であるが、これらの経験や苦労がよく読み取れて、言葉の壁を越える難しさとそれを成し遂げたときの喜びが味わえる。ユーモアあふれる文章や血のにじむような苦労の見てとれるものなど、読んでいてあきることはない。翻訳とはこうだと一言でまとめることはできないということになりそうだが、翻訳の経験を通じて、文学や芝居というもの性質についてまた別の角度から迫ることができる。
本書は、多くの一線の翻訳家のエッセイ集であるが、これらの経験や苦労がよく読み取れて、言葉の壁を越える難しさとそれを成し遂げたときの喜びが味わえる。ユーモアあふれる文章や血のにじむような苦労の見てとれるものなど、読んでいてあきることはない。翻訳とはこうだと一言でまとめることはできないということになりそうだが、翻訳の経験を通じて、文学や芝居というもの性質についてまた別の角度から迫ることができる。
2008年3月19日に日本でレビュー済み
この本は以下の人にはオススメしません。
1、ちょっと語学が好きなので、翻訳の仕事もいいなーーーと軽く考えている人
2、文学論にはあまり興味がない
3、産業翻訳のノウハウを知りたい人
私は、産業翻訳の仕事の可能性を少し考えていましたので、この本は私向きではありませんでした。
ここでいう「翻訳家」は文芸翻訳家のことを指しているようです。
しかし、彼らは本当に「職人」です。本当に文学が好きで、気がついたら翻訳の仕事をしていたという方が多いですね。
近年、ちょっと語学が出来るという人は日本でも増えてきましたが、少なくとも「文芸翻訳家」に関しては、「ちょっと外国語ができる」程度では到底つとまらないということが、この本を通じてわかったような気がします。
自分を含め、甘い夢として「翻訳家」の仕事を考えている人には、かえっていい薬になるかもしれませんね。
しかし、楽な仕事はありませんね(笑)
1、ちょっと語学が好きなので、翻訳の仕事もいいなーーーと軽く考えている人
2、文学論にはあまり興味がない
3、産業翻訳のノウハウを知りたい人
私は、産業翻訳の仕事の可能性を少し考えていましたので、この本は私向きではありませんでした。
ここでいう「翻訳家」は文芸翻訳家のことを指しているようです。
しかし、彼らは本当に「職人」です。本当に文学が好きで、気がついたら翻訳の仕事をしていたという方が多いですね。
近年、ちょっと語学が出来るという人は日本でも増えてきましたが、少なくとも「文芸翻訳家」に関しては、「ちょっと外国語ができる」程度では到底つとまらないということが、この本を通じてわかったような気がします。
自分を含め、甘い夢として「翻訳家」の仕事を考えている人には、かえっていい薬になるかもしれませんね。
しかし、楽な仕事はありませんね(笑)
2006年12月21日に日本でレビュー済み
翻訳とはたぶんある言語(たとえば「日本語」)が本格的に姿を変えてゆくための最大のチャンスで、言語全体から見るならそれまではありえなかった見方や考え方を学ぶ、大がかりな作業のひとこまになるのだと思う。すると翻訳家というのはその大きな仕事(ビーバーのダム作りとか蜂や蟻の巣作りとか)の一角を担うハタラキモノたちだということになり、かれらの作業によりたしかに地形が変わり、風景の見通しも交通状況も変わる。おもしろいことだと思う。ここでは現代日本の37名の翻訳家たちが、翻訳の作業の背後を語ってくれる。世代も、対象言語も、さまざまな人たちだが、いちおう「文芸翻訳」の人たちが中心みたいだ。つまり、「変な日本語」を開発しては読者を楽しませてくれる人たちだ。文学の言語があたりまえで見慣れたものばかりだったらおもしろくもなんともないのだから、かれらにはがんばってどんどん変な言語を発明してほしいと思う。外国文学を翻訳で読むことの楽しみは、単にすらすら読めるだけの「美しい」日本語の「名作」などを読むより、ずっと大きいし。どれも興味深いのだが、ふだんは裏方に徹しているはずの翻訳家といっても、共通にはくくれないくらい一癖も二癖もある人たちなんだなあと思った。文章を読めばそれがわかる。中にはごく常識的でなんの驚きもない人もいるし、何を考えていることやらとこっちも鼻がひくひくしてくる人もいる。そしてやはり、文章のうまい下手はある。シェイクスピアの小田島さんやカフカの池内さんなどは、こんな気楽な短文でも、いかにも芸達者な感じ。いずれにせよ、翻訳という作業のからくりに興味をもつ人にとっては、必読の一冊になることでしょう。巻末の自己紹介的部分で、またそれぞれの性格が出ている。
2007年4月12日に日本でレビュー済み
読者が、何を求めて本書を手に取ったのかは伺い知れぬが、翻訳家を志す人にとっては、本書の著者の一人である若島正が推薦する『翻訳困りっ話』の方が、より詳しく書かれているのではいか(私は未読で、断言はできぬのだが)?
機械的な直訳でなく、それが読まれる国の文化に合わせて文体も時には描写でさえ変更してしまう、いわば超訳(シドニー=シェルダンではないが)の能力が翻訳家には求められ、時には原文が書かれた舞台を確かめる必要もあると思う。
だが、、何人かの執筆者も「苦しみの後に満足感はあるが、銭は稼げない」と述べているように、本書後半の「執筆者紹介」を見ても「翻訳家」専業で食っている人は皆無であり、大学教授という本業の下、翻訳を行なっているようだ。
このような労多くして実りの決して多いとは言えぬ翻訳家あってこそ、私のような日本語でしか読書できない者でも様々な本を楽しむことができるのだと、読後大いに感謝した。
感謝しながらも評価3なのは、紙幅が少なすぎて、触れられている作品に関するエピソードを知りたい気持ちに欲求不満が残るからである。
機械的な直訳でなく、それが読まれる国の文化に合わせて文体も時には描写でさえ変更してしまう、いわば超訳(シドニー=シェルダンではないが)の能力が翻訳家には求められ、時には原文が書かれた舞台を確かめる必要もあると思う。
だが、、何人かの執筆者も「苦しみの後に満足感はあるが、銭は稼げない」と述べているように、本書後半の「執筆者紹介」を見ても「翻訳家」専業で食っている人は皆無であり、大学教授という本業の下、翻訳を行なっているようだ。
このような労多くして実りの決して多いとは言えぬ翻訳家あってこそ、私のような日本語でしか読書できない者でも様々な本を楽しむことができるのだと、読後大いに感謝した。
感謝しながらも評価3なのは、紙幅が少なすぎて、触れられている作品に関するエピソードを知りたい気持ちに欲求不満が残るからである。
2013年8月14日に日本でレビュー済み
岩波の雑誌「図書」に『だから翻訳は面白い』との題で連載された外国文学翻訳者37人のエッセイを纏めたもので、1編はそれぞれ短く海外小説の熱心な読者とはいえない評者でも充分楽しめた。翻訳の苦労や報われることの少なさを嘆きながらも原作者や原文と一体になった歓びを語るものが多いが、原作者との交流や原作の舞台探訪、翻訳に際しての家庭内での対話もあって、内容は多様で多彩だ。
「原文に忠実な逐語訳」か「分かり易い平易な訳」かは、微妙で難しい問題だ。西欧語圏内の翻訳とは違って文の構造上関係代名詞を持たない日本語への翻訳に固有の問題であり、原文を忠実に訳すると、日本語の文章は長くなり意味が通じなくなる恐れがあるし、一方分かり易くするために文章をむやみに分割すると、原文の味が失われかねない。ここは古来議論があるところだが、本書の執筆者の多くは、読み易くてなめらかな日本語よりも原文の味わいを重視し、意識的に生硬な訳にしたり翻訳調を残すこともある様だ。ギリシャ語の中務哲郎氏は、訳注なしの大阪弁訳を自ら楽しむかたわらで、夥しい訳注で釈明できる古典の翻訳は気楽だと、ほとんど居直っているところは面白かった。
翻訳は創作物だ、との見方では共通している。池内紀氏の「二人一役、ひとり二役とも思える一瞬」、野谷文昭氏の「テキストに耳を澄ませると自分にしか聞こえない声がきこえてくる」等は、翻訳者冥利に尽きることであろう。加えて文章のリズムやうねりといった原文の調子はできるだけ残そうとするのだから、翻訳はまさに創作だ。
この他翻訳の難しさとして、沼野充義氏の1人で複数の呼称を持つロシア人人名の訳や、鴻巣友季子氏の時代や場所によってスケールの変わる単位の訳も興味深かった。
本書を読み終えて、最近の哲学書や社会科学系書物の翻訳事情に思いをはせた。また、明治期文学作品の現代語訳についても本屋の店頭をのぞいてみよう。
「原文に忠実な逐語訳」か「分かり易い平易な訳」かは、微妙で難しい問題だ。西欧語圏内の翻訳とは違って文の構造上関係代名詞を持たない日本語への翻訳に固有の問題であり、原文を忠実に訳すると、日本語の文章は長くなり意味が通じなくなる恐れがあるし、一方分かり易くするために文章をむやみに分割すると、原文の味が失われかねない。ここは古来議論があるところだが、本書の執筆者の多くは、読み易くてなめらかな日本語よりも原文の味わいを重視し、意識的に生硬な訳にしたり翻訳調を残すこともある様だ。ギリシャ語の中務哲郎氏は、訳注なしの大阪弁訳を自ら楽しむかたわらで、夥しい訳注で釈明できる古典の翻訳は気楽だと、ほとんど居直っているところは面白かった。
翻訳は創作物だ、との見方では共通している。池内紀氏の「二人一役、ひとり二役とも思える一瞬」、野谷文昭氏の「テキストに耳を澄ませると自分にしか聞こえない声がきこえてくる」等は、翻訳者冥利に尽きることであろう。加えて文章のリズムやうねりといった原文の調子はできるだけ残そうとするのだから、翻訳はまさに創作だ。
この他翻訳の難しさとして、沼野充義氏の1人で複数の呼称を持つロシア人人名の訳や、鴻巣友季子氏の時代や場所によってスケールの変わる単位の訳も興味深かった。
本書を読み終えて、最近の哲学書や社会科学系書物の翻訳事情に思いをはせた。また、明治期文学作品の現代語訳についても本屋の店頭をのぞいてみよう。