日本語のルーツについて深く知れることは楽しい。
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日本語の源流を求めて (岩波新書 新赤版 1091) 新書 – 2007/9/20
大野 晋
(著)
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2007/9/20
- ISBN-104004310911
- ISBN-13978-4004310914
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2007/9/20)
- 発売日 : 2007/9/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 272ページ
- ISBN-10 : 4004310911
- ISBN-13 : 978-4004310914
- Amazon 売れ筋ランキング: - 289,046位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 54位言語研究・記号学
- - 140位日本語の語源・歴史・方言
- - 1,192位日本語研究
- カスタマーレビュー:
著者について
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1919‐2008年。学習院大学名誉教授。東京大学文学部卒業。国語学者。文学博士(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 源氏物語 (ISBN-13: 978-4006001971 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年12月21日に日本でレビュー済み
なのか、著者がかなり自己開示していて、学者の一生とはどういうものかを感じられる。内容は大半がタミル語と日本語の類似点を挙げている。賛同する部分も多いのだが、二点ほど気に掛かる。
まずは音の置換をあちこちで多用していること。それだけ変えてしまうと何にでも適用できてしまうようにも思われる。確かにコーヒーとカフェは同じものであるが、kohiとkafeで母音も子音も変わっていて、残っているのは語頭のkの音ぐらいではある。しかしながら同じ本の中で古代音では万葉仮名でiの二種類を厳密に使い分けていた、などの表現を見ると何処に立脚すべきか戸惑う。iやeの二種類は韓国語にもあり、その韓国語との関係が気になる。
次に伝搬の話しがある。著者はタミルの文化が日本に渡って来たと説明するがその根拠が薄いというか不明確だ。日本からタミル。或いは第三国から日本とタミル。偶然の一致。これらの可能性があると思われるが、その反証は全くなされず、似ているからタミルから日本に文明が渡ったと言うのは余りに短絡的である。筆者は鉄はタミルから日本に来たが、それが日本から中国へと伝搬したとしており、それの後者には証拠を挙げて、これまでの何でも中国から日本に伝搬したとの説を否定している。そういった年代の違いの証拠がタミルと日本との間には無い。日本は常に劣等国であると言うのもおかしい仮定である。インダス文明より古い土器は日本で見つかっており、インダス文明とタミルも遠く離れている。ドラビダ人が移動したことになっているが、日本人もそれぐらい移動しないのか。日本人とドラビダ人がもともと同じところに居たりしなかったのか。或いは、移動など無くて、文化だけが広まったのではないのか。現在の日本人の風俗は完全に西洋人のものとなっていて、100年、200年前から見れば別民族である。どこか別の時代の人が見たら、西洋人が移動したなどと言ったりしないだろうか。現実には人の移動はほとんど無く、文化だけが入れ替わっているのだが。
巻末になって、タミルと離れて日本語の起源を論じている。アイヌと隼人は別言語でそれが大和言葉と接触した地帯にアクセントの緩衝地帯があると別個ながら共通の反応が起きたと述べている。これは逆に木の年輪と同じで京の都での日本語の変化が時間経過とともに遠隔地に伝わったもので別個ではなく同じものを離れた地域で見ているのだという話もある。津軽と薩摩の方言が一致するとか。なかなか奥が深い。歴史における問題に結論を求めるのは難しいのかもしれない。
なお、古代は海の移動がより容易であったことを考えると、タミルと日本に同じ文明がどこか別の地域から伝わったというのもあながち正しいのかもしれない。本書でも東南アジアで似た習俗の話しが出て来る。古代海洋帝国の都が東南アジアにあっても良いだろう。現在でもシンガポールはマレー人だけではなく、中国人、タミル人からなる国である。大英帝国も海の帝国で全世界に散らばる地域に同じ文明が広がった。まあ、これは人の移動が主ではあるのだけれども。
大体、いわゆる世界史は白人の歴史であることを認めなければならない。寒冷で石の使用が標準のヨーロッパでは記録が残りやすいが、温暖で草木を利用した文明は跡形もなく消え去ったりしないのか。所謂四大文明は乾燥地帯である。湿潤な東南アジア、アマゾンにそういった古代文明があった場合、発見は可能だろうか。
先に現在の日本国内で見つかった極めて古い土器について言及したが、それが現在の日本人とどう関係するかも不明である。現在の日本人に繋がる祖先によるのかもしれないし、現在の日本人が滅ぼした民族によるものかもしれないし、現在の日本人は他所からやって来たのだが、その土器を作った民族は何らかの理由で既に存在しなかったなどいろいろな場合が有り得る。人は移動する。土器は移動しない。言語はどうだろう。移動するだろうが、人と一緒か、離れてか、複雑度は増しそうだ。
なお、東日本語は子音で終わり、西日本語は母音で終わるというのも述べられていた。子音終わりとしては韓国語が挙げられる。韓国から東を目指して海を渡れば東日本だ。その関連はどうなのだろう。
などなど、好奇心を掻き立ててくれる書であった。五つ星と言いたいところだが、欠点もある。先に述べたが、のような、或いはそれさえなく、唐突に新しい概念が述べられる箇所が見受けられた。何冊も書いているためか、混同しているようで、独立した書としては欠陥だ。何かもう一点あった気がしたが、思い出せない。まあ、二点減点の三つ星ということもないので四つ星にしておこう。そうだな、上に書いたが、論旨の飛躍があり、学者の本としては欠陥と言うことだ。厳密性に欠ける。まあ、東大の先生にしては頑張ったところだろう。日本の東大崇拝は東大の先生の努力する気力を喪失させるので日本の得にはならないのだ。
もう少し。なお、現在のタミルはインドの南端でアーリア人の南下に耐え生き残ったとも言える。日本も大陸から見れば最果て。インド南端ケラーラは極めて識字率の高い地域だ。日本もそうだろう。現在でも両者は似ているのかもしれない。
もうちょっと。確か日本語もタミル語も属する膠着語が世界に広く分布しているという。両者は更にその上の母体となる文明の子孫に過ぎないのかもしれない。古代は人口が少ないのでその一部が別の場所で反映すればその母体の文化は遠く離れていても同じく花開く。
まずは音の置換をあちこちで多用していること。それだけ変えてしまうと何にでも適用できてしまうようにも思われる。確かにコーヒーとカフェは同じものであるが、kohiとkafeで母音も子音も変わっていて、残っているのは語頭のkの音ぐらいではある。しかしながら同じ本の中で古代音では万葉仮名でiの二種類を厳密に使い分けていた、などの表現を見ると何処に立脚すべきか戸惑う。iやeの二種類は韓国語にもあり、その韓国語との関係が気になる。
次に伝搬の話しがある。著者はタミルの文化が日本に渡って来たと説明するがその根拠が薄いというか不明確だ。日本からタミル。或いは第三国から日本とタミル。偶然の一致。これらの可能性があると思われるが、その反証は全くなされず、似ているからタミルから日本に文明が渡ったと言うのは余りに短絡的である。筆者は鉄はタミルから日本に来たが、それが日本から中国へと伝搬したとしており、それの後者には証拠を挙げて、これまでの何でも中国から日本に伝搬したとの説を否定している。そういった年代の違いの証拠がタミルと日本との間には無い。日本は常に劣等国であると言うのもおかしい仮定である。インダス文明より古い土器は日本で見つかっており、インダス文明とタミルも遠く離れている。ドラビダ人が移動したことになっているが、日本人もそれぐらい移動しないのか。日本人とドラビダ人がもともと同じところに居たりしなかったのか。或いは、移動など無くて、文化だけが広まったのではないのか。現在の日本人の風俗は完全に西洋人のものとなっていて、100年、200年前から見れば別民族である。どこか別の時代の人が見たら、西洋人が移動したなどと言ったりしないだろうか。現実には人の移動はほとんど無く、文化だけが入れ替わっているのだが。
巻末になって、タミルと離れて日本語の起源を論じている。アイヌと隼人は別言語でそれが大和言葉と接触した地帯にアクセントの緩衝地帯があると別個ながら共通の反応が起きたと述べている。これは逆に木の年輪と同じで京の都での日本語の変化が時間経過とともに遠隔地に伝わったもので別個ではなく同じものを離れた地域で見ているのだという話もある。津軽と薩摩の方言が一致するとか。なかなか奥が深い。歴史における問題に結論を求めるのは難しいのかもしれない。
なお、古代は海の移動がより容易であったことを考えると、タミルと日本に同じ文明がどこか別の地域から伝わったというのもあながち正しいのかもしれない。本書でも東南アジアで似た習俗の話しが出て来る。古代海洋帝国の都が東南アジアにあっても良いだろう。現在でもシンガポールはマレー人だけではなく、中国人、タミル人からなる国である。大英帝国も海の帝国で全世界に散らばる地域に同じ文明が広がった。まあ、これは人の移動が主ではあるのだけれども。
大体、いわゆる世界史は白人の歴史であることを認めなければならない。寒冷で石の使用が標準のヨーロッパでは記録が残りやすいが、温暖で草木を利用した文明は跡形もなく消え去ったりしないのか。所謂四大文明は乾燥地帯である。湿潤な東南アジア、アマゾンにそういった古代文明があった場合、発見は可能だろうか。
先に現在の日本国内で見つかった極めて古い土器について言及したが、それが現在の日本人とどう関係するかも不明である。現在の日本人に繋がる祖先によるのかもしれないし、現在の日本人が滅ぼした民族によるものかもしれないし、現在の日本人は他所からやって来たのだが、その土器を作った民族は何らかの理由で既に存在しなかったなどいろいろな場合が有り得る。人は移動する。土器は移動しない。言語はどうだろう。移動するだろうが、人と一緒か、離れてか、複雑度は増しそうだ。
なお、東日本語は子音で終わり、西日本語は母音で終わるというのも述べられていた。子音終わりとしては韓国語が挙げられる。韓国から東を目指して海を渡れば東日本だ。その関連はどうなのだろう。
などなど、好奇心を掻き立ててくれる書であった。五つ星と言いたいところだが、欠点もある。先に述べたが、のような、或いはそれさえなく、唐突に新しい概念が述べられる箇所が見受けられた。何冊も書いているためか、混同しているようで、独立した書としては欠陥だ。何かもう一点あった気がしたが、思い出せない。まあ、二点減点の三つ星ということもないので四つ星にしておこう。そうだな、上に書いたが、論旨の飛躍があり、学者の本としては欠陥と言うことだ。厳密性に欠ける。まあ、東大の先生にしては頑張ったところだろう。日本の東大崇拝は東大の先生の努力する気力を喪失させるので日本の得にはならないのだ。
もう少し。なお、現在のタミルはインドの南端でアーリア人の南下に耐え生き残ったとも言える。日本も大陸から見れば最果て。インド南端ケラーラは極めて識字率の高い地域だ。日本もそうだろう。現在でも両者は似ているのかもしれない。
もうちょっと。確か日本語もタミル語も属する膠着語が世界に広く分布しているという。両者は更にその上の母体となる文明の子孫に過ぎないのかもしれない。古代は人口が少ないのでその一部が別の場所で反映すればその母体の文化は遠く離れていても同じく花開く。
2019年12月28日に日本でレビュー済み
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1981年に大野晋氏が出版された「
日本語とタミル語
」で、氏は「南インドからこれらの言葉を使った人々が日本に舟で来たのだろうか。あるいは陸地を伝わって中国大陸のの南を通って、最後には海を渡って日本に来たのだろうか。あるいはまた、南インドとも日本とも別の地点Xにおいて使われていた言語と文化が移動して行き、その最後の到達点が日本と南インドとなったのだろうか。その地点Xは何処に擬するのが最も妥当だろうか。それとも日本から舟で渡って行ったのだろうか。」と述べられていた。
本書では、「揚子江下流から最初に水田稲作が到来したのなら、揚子江下流のタンボ、シロ(泥)、アゼ、クロなどを表わす古代中国語が、一緒に日本語の中に入ったはずである。」とされ、Xが揚子江下流であることを否定されている。
この論は、揚子江下流で古代中国語が話されていた事を前提としている。しかしながら、どのような言語が使用されていたかわからないのである。むしろ日本語とタミル語に影響を与えた古代揚子江語(仮称)xが話されていたと仮定する方が自然ではないだろうか?
また、朝鮮語にも言及されている。鳥越憲三郎氏の「 古代中国と倭族―黄河・長江文明を検証する 」や「 古代朝鮮と倭族―神話解読と現地踏査 」を読めば古代揚子江語が朝鮮語にも影響を与えた理由がわかる気がする。要するに古代揚子江語は朝鮮半島を経由して北方系の言語や中国語の影響を受けた後、陸伝いに日本にやって来た可能性が高いと思う。
本書では、「揚子江下流から最初に水田稲作が到来したのなら、揚子江下流のタンボ、シロ(泥)、アゼ、クロなどを表わす古代中国語が、一緒に日本語の中に入ったはずである。」とされ、Xが揚子江下流であることを否定されている。
この論は、揚子江下流で古代中国語が話されていた事を前提としている。しかしながら、どのような言語が使用されていたかわからないのである。むしろ日本語とタミル語に影響を与えた古代揚子江語(仮称)xが話されていたと仮定する方が自然ではないだろうか?
また、朝鮮語にも言及されている。鳥越憲三郎氏の「 古代中国と倭族―黄河・長江文明を検証する 」や「 古代朝鮮と倭族―神話解読と現地踏査 」を読めば古代揚子江語が朝鮮語にも影響を与えた理由がわかる気がする。要するに古代揚子江語は朝鮮半島を経由して北方系の言語や中国語の影響を受けた後、陸伝いに日本にやって来た可能性が高いと思う。
2017年6月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は古代日本語の造形が深い著者が稲作農業で使われる言葉でタミル語との共通するものが多いことを見つけ、言葉以外の共通を探して浮かび上がって来たのは弥生時代のはじめに南インドのコロンボの海辺で真珠を採取しているタミル人が海流に乗って日本や朝鮮に直接やってきて、南インドから稲作、製鉄、機織そして言葉や彼らの生活の行事を伝えた。これらは古代日本の言葉として、生活の行事として日本に根づいたが、時間の経過で変形や消滅している物がある。
こうした変化を古代日本文を研究してきた著者が拾い上げて、当時の言葉で符合するものを求めていったものである。
南インドで行われていた甕棺による埋葬は彼らのやって来た道筋に残っているのは、決して中国から発生した文化ではないようだ。
北九州の縄文人は、タミルから到来した水田稲作・鉄・機織の三大文明に直面し、それを受け入れると共に、タミル語の単語と文法を学び取って行った。その結果、タミル語と対応する単語を含む多くのヤマトコトバが生じたのである。
此の書に接すると、弥生文化が中国や朝鮮から伝わったという従来の固定観念がひっくり返るような新鮮な歴史の見方が出来るようになる、著者の力量であるからこそできた古代の日本の歴史をもう一度見直すことが出来た、素晴らしい内容の書である。
こうした変化を古代日本文を研究してきた著者が拾い上げて、当時の言葉で符合するものを求めていったものである。
南インドで行われていた甕棺による埋葬は彼らのやって来た道筋に残っているのは、決して中国から発生した文化ではないようだ。
北九州の縄文人は、タミルから到来した水田稲作・鉄・機織の三大文明に直面し、それを受け入れると共に、タミル語の単語と文法を学び取って行った。その結果、タミル語と対応する単語を含む多くのヤマトコトバが生じたのである。
此の書に接すると、弥生文化が中国や朝鮮から伝わったという従来の固定観念がひっくり返るような新鮮な歴史の見方が出来るようになる、著者の力量であるからこそできた古代の日本の歴史をもう一度見直すことが出来た、素晴らしい内容の書である。
2008年1月7日に日本でレビュー済み
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ここの評価欄にも書かれているように、タミル語の-a-はタミル語内部で-u-とも
(共時的に)交替する。
それゆえ、タミル語-a-は日本語と-a-と-o-以外に-u-とも対応する(数は少ない)。
ところがこういうことに拒否感を持つ人々がいる。この種の拒否感は、印欧
比較言語学に見られる一音一対応を盲信するところから生ずる。日本語はクレオール
タミル語であるとすれば、このような軛から解放されるであろう。
現実に、タミル語内部で-a-は-u-とも交替しているのであるから、日本語でも
タミル語-a-は-u-にも対応するのは当然なのである。
タミル語-a-は-i-とも交替する。つまり、タミル語では/i/と/a/と/u/が相通する
場合がある。従ってこれが日本語にも反映して「いる」「ある」「おる」という
語が存在する。これらはタミル語iru、aru、ulとの対応である。もっとも上代
日本語では「ゐる」「ある」「をる」だが、これは前置される語がすべて開口音の
ためにw-が調音として介入したものである。「ある」だけは「わる」になっていないが、
上代文献に載らなかっただけであろう。
なお、タミル語eの古形はaであり、さらにyaにさかのぼる。この通時的変化
は日本語にも及び、eはyaとも対応する。なおまた、タミル語iの古形がciである場合が
あり、従って、iが日本語siと対応する場合があることは否定できない。
このようなタミル語内部での交替ということに無知だと、大野説は出鱈目という
結論に至りやすい。この点を注意深く押さえてから批判すべきであろう。
ともあれ一語一対応という印欧比較言語学中心の思考から一歩踏み出さなければ
進歩はないであろう。
(共時的に)交替する。
それゆえ、タミル語-a-は日本語と-a-と-o-以外に-u-とも対応する(数は少ない)。
ところがこういうことに拒否感を持つ人々がいる。この種の拒否感は、印欧
比較言語学に見られる一音一対応を盲信するところから生ずる。日本語はクレオール
タミル語であるとすれば、このような軛から解放されるであろう。
現実に、タミル語内部で-a-は-u-とも交替しているのであるから、日本語でも
タミル語-a-は-u-にも対応するのは当然なのである。
タミル語-a-は-i-とも交替する。つまり、タミル語では/i/と/a/と/u/が相通する
場合がある。従ってこれが日本語にも反映して「いる」「ある」「おる」という
語が存在する。これらはタミル語iru、aru、ulとの対応である。もっとも上代
日本語では「ゐる」「ある」「をる」だが、これは前置される語がすべて開口音の
ためにw-が調音として介入したものである。「ある」だけは「わる」になっていないが、
上代文献に載らなかっただけであろう。
なお、タミル語eの古形はaであり、さらにyaにさかのぼる。この通時的変化
は日本語にも及び、eはyaとも対応する。なおまた、タミル語iの古形がciである場合が
あり、従って、iが日本語siと対応する場合があることは否定できない。
このようなタミル語内部での交替ということに無知だと、大野説は出鱈目という
結論に至りやすい。この点を注意深く押さえてから批判すべきであろう。
ともあれ一語一対応という印欧比較言語学中心の思考から一歩踏み出さなければ
進歩はないであろう。
2010年4月23日に日本でレビュー済み
日本語は、「色々な言語が流入して出来ている」というのが、大抵の学者が認める定説のようです。本当に特殊な言語のようです。色々な所から流入した言葉が現在まで残っているという定説には納得です。
著者は、この源流の一つとして、タミル語が文化や技術と一緒に流入し、弥生時代が始まったと主張しています。画期的な仮説であるが故に、この証明は並大抵の苦労では出来ません。それを支えたのが、著者のロマン溢れる情熱です。文章の至るところに滲み出ていて、心を熱く揺さぶります。仮説の正否は別にしても、学問に向き合う者の情熱を知るには、とても良い著作です。
著者の説には、反論も多いようです。そのほとんどは、「比較言語学」の研究方法を当てはめると、基礎語彙200語の一致率が低く、語源の一つとするのは誤りだと言うものです。しかし、この200語は、日常生活にかかわりの深い用語ばかりです。
著者が想定するような状況であれば、日常の生活用語より、生産、海運、祭事などの分野に流入した文化的用語が多いはず。「日本語のタミル語起源説」を否定する学者も、基礎語彙がわずかしか流入せず文化的用語が沢山流入するケースがある事を認めています。(参考:安本美典「日本語の起源を探る」)つまり、そのまま「タミル文化の影響の否定」にはならないようです。
幕末から明治期におけるヨーロッパの影響を否定できないのと同様です。大集団の移民を受けず自主的に異文化を吸収したものと仮定すれば、縄文時代から弥生時代への転換は、鉄砲の伝来・普及か、あるいは、明治維新のようなものだったのかも?
著者は、初めてタミル語に接した時の直観を頼りに、「初めに結論ありき」で、「日本語のタミル語起源説」の証拠探しを始めたと明かしています。画期的な学説の多くは、そうした直観から始まるのかもしれません。著者が情熱的に集められた証拠の数々から、最初の直観とは異なる結論が導き出されても良いのではないかと考えます。
著者は、この源流の一つとして、タミル語が文化や技術と一緒に流入し、弥生時代が始まったと主張しています。画期的な仮説であるが故に、この証明は並大抵の苦労では出来ません。それを支えたのが、著者のロマン溢れる情熱です。文章の至るところに滲み出ていて、心を熱く揺さぶります。仮説の正否は別にしても、学問に向き合う者の情熱を知るには、とても良い著作です。
著者の説には、反論も多いようです。そのほとんどは、「比較言語学」の研究方法を当てはめると、基礎語彙200語の一致率が低く、語源の一つとするのは誤りだと言うものです。しかし、この200語は、日常生活にかかわりの深い用語ばかりです。
著者が想定するような状況であれば、日常の生活用語より、生産、海運、祭事などの分野に流入した文化的用語が多いはず。「日本語のタミル語起源説」を否定する学者も、基礎語彙がわずかしか流入せず文化的用語が沢山流入するケースがある事を認めています。(参考:安本美典「日本語の起源を探る」)つまり、そのまま「タミル文化の影響の否定」にはならないようです。
幕末から明治期におけるヨーロッパの影響を否定できないのと同様です。大集団の移民を受けず自主的に異文化を吸収したものと仮定すれば、縄文時代から弥生時代への転換は、鉄砲の伝来・普及か、あるいは、明治維新のようなものだったのかも?
著者は、初めてタミル語に接した時の直観を頼りに、「初めに結論ありき」で、「日本語のタミル語起源説」の証拠探しを始めたと明かしています。画期的な学説の多くは、そうした直観から始まるのかもしれません。著者が情熱的に集められた証拠の数々から、最初の直観とは異なる結論が導き出されても良いのではないかと考えます。